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コラム

文化遺産(海外)

古代エジプト埋葬文化の周縁2-幼い死者たち-

和田 浩一郎 / Koichiro WADA

國學院大學文学部史学科兼任講師
早稲田大学エジプト学研究所招聘研究員

 

古代社会における子供の死亡率は、総じてかなり高かったと考えられている。ただどの古代文明の場合も、人口に関する十分な統計データが存在しないため、何割くらいの子供が成人前に命を落としていたのか具体的な数字を示すのは難しい。それでも古代ローマの研究者たちは、限られたデータを近現代のセンサスデータと突き合わせて、約30%という乳児死亡率(子供が1歳未満で死亡する割合)を割り出している。これは現代のシエラレオネやアンゴラといった、アフリカ西南部の途上国における乳児死亡率が約10%であることを考えると驚くほど高い。それでも遺体から判明している当時の栄養状態や衛生環境を鑑みると、妥当な数字だと考えられている。この30%という乳児死亡率は、古代ローマと環境的に近い古代エジプトにも当てはまると見る研究者は少なくない。子供は乳児期にのみ死亡するわけではなく、離乳期の感染症をはじめ多くの脅威に晒されていた。おそらく無事に成人できたのは、生まれた子供のせいぜい半分程度だったと推測されている。

 

このような高い死亡率が推測されている一方で、古代エジプトの墓地資料には子供、とくに乳幼児(0〜5歳児)の姿がほとんど認められない。地域の人口動態を比較的よく反映していると言われるような墓地遺跡でも、報告されている遺体のうち子供は10〜20%に過ぎない。それでは子供は墓地に葬られなかったのだろうか。この傾向の原因のひとつと考えられているのは、子供の骨が脆弱で残りにくかったために、調査時に痕跡が認識できなかった可能性である。私も明らかに埋葬時の状態を保っている植物製マットの「すまき」を開いたところ、中が空っぽだったという経験をしたことがある。骨が消えてしまったとしか説明できない状態であり、よほど小さな子供の埋葬だったのだろうと思う。子供の埋葬では、地表に堆積した砂を掘っただけの簡便な墓坑が使われることも多い。これは盗掘だけでなく強風や雨でも遺体が地表に表れやすい葬法であり、長い月日の間に自然に失われてしまったことも多かったことが想像できる(写真1)。

図1.地表に散乱する人骨ss写真1 地表に散乱する人骨(サッカラ遺跡:筆者撮影)

子供は墓地に埋葬されていたが、その埋葬場所が成人とは異なっており、成人の埋葬に関心が集中していたために子供の墓があまり見つかっていないという推測もある。確かにいくつかの墓地遺跡では、子供の埋葬が比較的集中している場所を認めることができる。ただ古代エジプトの墓地は、身分による住み分けがはっきり認められる一方で、性差や年齢によって厳密に空間を使い分けることはあまりなかった印象が強い。

子供は墓地ではなく、集落内に葬られるのが一般的だったという意見も多い(写真2)。「エジプト考古学の父」フリンダース・ピートリ卿は、自身が調査した都市遺跡カフーンで複数の子供の埋葬を発見し、それが西アジアからの移住者たちの習慣と考えた。古代エジプトでは生者と死者のいる空間を分けるのが通例であり、住居内埋葬はその思想と相容れない習慣と見なしたのである。しかし先王朝時代以降、複数の遺跡で住居内埋葬が確認されているので、この習慣がエジプトにも古くから存在していたことは明らかである。ただ成人の埋葬はほとんど見られず、これが西アジアとは異なるエジプトの特徴と言える。埋葬が行われるのは廃屋の場合が多いようだが、使用中の部屋の床下から発見された例もある。他の文化に見られる類例から、亡くなった子供の魂が新たな子供として生まれてくることを願った行為と考えられているものの、古代エジプトの史料からその意味をうかがうことはできない。

図2.建物内て_確認された子供の埋葬ss写真2 建物内で確認された子供の埋葬(アコリス遺跡:筆者撮影)

住居内埋葬は、確かに子供の葬法として存在していた。だがどれくらいポピュラーだったのかということになると、実はあまりよく分かっていない。最も詳細な報告が行われているエジプト南端のエレファンティネ島の集落域の場合、調査された100軒ほどの住居から約25例の住居内埋葬が見つかっている。他方でルクソール西岸のディール・アル=メディーナの集落址には68軒の住居が立ち並んでいるが、住居内埋葬の確実な例は認められず、報告されているのは村の周壁下から見つかった1例だけである。資料を丹念に追っていくと、子供の住居内埋葬の頻度は時代による変遷があることが見えてくる。当然それは墓地における子供の数にも影響を与えているはずで、新王国時代を境に住居内埋葬が減少し、墓地での埋葬が増加する傾向があると私は考えている。

図3.髪型か_特徴的な子供の図像表現ss写真3 髪型が特徴的な子供の図像表現(インヘルカウの墓:筆者撮影)

埋葬場所の変化は、古代エジプト社会における子供観の変化を反映しているのだろうか。つまり何らかの理由によって子供が社会の一員と認識されるようになったことが、墓地での埋葬につながっている可能性はあるのだろうか。子供を描写した壁画や彫像、子供に教訓を伝える文学作品などを参照してみても、新王国時代とそれ以前ではっきりとした違いを認めることはできない。むしろ図像表現では、新王国時代に入ってから子供らしい仕草が時折見られるようになり、成人との違いを明示しようとしているかのようである(写真3)。今のところエジプト国内の資料から、子供の埋葬場所が変化した理由を見出すことは難しそうである。

現時点で言えることは、古代エジプトにおける子供の埋葬場所は一様ではなかったということである。この多様性には子供の死亡年齢、地域の習慣、家族の社会的地位や考え方が影響を与えていたのだろう。正式な社会の成員と見なされなかったことで、子供は成人ほど厳格な埋葬の取り決めに縛られなかったということかもしれない。いずれにしても、子供の埋葬には考えるべき余地が大いにあると言える。

和田 浩一郎わだ・こういちろう國學院大學文学部史学科兼任講師
早稲田大学エジプト学研究所招聘研究員

1968年青森県生まれ。英国・スウォンジー大学古典古代史学部大学院修士課程、國學院大學大学院文学研究科博士課程修了。博士(歴史学)。著書に『古代エジプトの埋葬習慣』(ポプラ社、2014)、『古代オリエント事典』(日本オリエント学会編、岩波書店、2004)など。

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