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コラム

文化遺産(海外)

南アジア文化遺産の世界 トピックス1 世界遺産モヘンジョダロのいま-保護・保全をどうすればよいのか-(上)

野口 淳 / Atsushi NOGUCHI

NPO法人南アジア文化遺産センター理事・事務局長

世界遺産モヘンジョダロのいま

蝗ウ1図1 インダス川流域とモヘンジョダロの位置(段彩図GTOPO30にもとづき著者作成)

2017年2月の時点で、南アジア諸国1)には45件がユネスコ世界文化遺産に登録されている。このうち8件がパキスタン・イスラム共和国に所在する。その中でも、南部シンド州の内陸部にあるインダス文明(紀元前2600~1800年頃)最大の都市遺跡モヘンジョダロ2)は日本でもよく知られている。ヒマラヤ・チベットに端を発するインダス川は、パキスタン北部の山間部の渓谷を抜けると、アフガニスタンからのカーブル川、インド・パキスタンにまたがるパンジャーブ平原を潤す4つの支流(ジェーラム、チェーナブ、ラーヴィー、サトレジ)と次々に合流し、下流部の平原地帯に至る(図1)。

このインダス川下流部の大平原(インダス平原)の中でもやや北より、インダス川の岸辺に位置するのがモヘンジョダロの遺跡である(写真1)。

蜀咏悄1写真1 モヘンジョダロの中心、シタデル地区。中央は仏教時代のストゥーパ(2017年2月著者撮影)

今回、2017年2月9~11日にかけて、このモヘンジョダロの遺跡・博物館を会場として国際会議が開催された。地元シンド州政府の首相、文化大臣らを筆頭に、国内外の研究者らが多数参加したこの会議に、著者は招待を受けて参加する機会を得た。会議のテーマはモヘンジョダロとインダス文明の研究と同時に、遺跡の保護ももう一つの重要な課題であった。

 

インダス文明については本コラムにおいて別途取り上げることとし、今回は、遺跡の現状と保護をめぐる問題について取り上げる。

モヘンジョダロへ

日本からモヘンジョダロへ、いったいどのようにして行くのか。実は、それほど困難なことではない。何しろ遺跡のすぐ脇に空港があるのだ。現在は週2便、パキスタン最大の都市カラチからパキスタン国際航空のフライトがある(2017年2月現在)。ただし空港を下りたところには何もない。ホテルのある近隣の町ラルカナまでのタクシーなど、あらかじめカラチで手配しておかないと大変だ。または少し北の都市サッカルなら毎日1~3便のフライトがある。サッカルからモヘンジョダロまでは約100km、道路の整備が進んだので車なら2時間弱で到着する。

 

今回は、アメリカ、日本、ドイツ、スペイン、イタリアなどからの参加者はカラチへ降り立ち、そこからチャーター機でモヘンジョダロへ向かった。カラチ空港を離陸したターボプロップ機は、しばらくの間、植生のほとんどないキルタール山地の上を飛ぶ。やがて眼下には緑の景色が広がる。インダス平原だ(写真2)。幾筋にも分岐し、蛇行するインダス川の上を飛び越え、着陸直前には運がよければ遺跡を臨むこともできるかもしれない。そして今回はなんと、空港では民族音楽の楽団の出迎えまであった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真2 空から見たインダス平原(2017年2月著者撮影)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真3 国際会議の看板(2017年2月著者撮影)

しかし到着は日没後だったので、その日は主催者が用意したバスに乗ってラルカナへ向かう。と言うことで、実際に遺跡に到着したのは翌朝のことであった。ここでもまた楽団の出迎え。会場に至る通路には看板が並ぶ(写真3)。そして何と、会議場は遺跡に併設された博物館の前庭に、今回のためだけに設営された巨大なテントだった(写真4、5)。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真4 会議の会場である、遺跡博物館前に設営された巨大なテント(2017年2月著者撮影)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真5 開会に先立ち会場に到着した州首相(中央)と出迎える来賓ら(2017年2月著者撮影)

そして州政府首相、文化大臣らの式辞に続いて、ユネスコ・パキスタン支部代表のスピーチで会議は幕を開け、モヘンジョダロの保護と観光の振興に向けたあらたな取り組みが動き出したことが宣言された。長年、閉鎖されていた博物館併設のゲストハウスが新装開店したこともその一環である。

 

しかし2004年以来、5度目の訪問となる著者からすると、現状と先行きはなかなか厳しいように思えた。

危機に瀕する遺跡

モヘンジョダロというと何を思い浮かべるだろうか? 整然とした街路と建物、下水処理施設などの計画都市を持ちながらいまだ文字が解読されていない謎の文明の中心都市? その発見と発掘をめぐるストーリー? それとも「死者の丘」をめぐるミステリアスな逸話?

 

そうしたロマンあふれる話題とは別に、インターネット上で検索すると深刻な見出しのニュース記事も多数ヒットする。「モヘンジョダロはこのまま消えてなくなってしまうのか?」3)と。

 

モヘンジョダロの主要部分は1924~26年にかけて、当時の英領植民地のインド考古局総裁ジョン・マーシャル(John Marshal)を筆頭とする調査隊により発掘された。その後、1945年と1964~65年にも発掘が行われ、掘り出された都市は一部修復されながらそのままの姿が地表に露出して残されている。その建材はレンガ、素焼きのレンガと日干しレンガである。都市が繁栄をきわめた往時から4千年以上の時が経ち、レンガは脆くなっている。パキスタン南部の強烈な日光、モンスーン期の集中的な降雨に晒され、露出した表面のダメージは相当なものである。遺構を保護する散策路もなく、見学者はシルトで埋め戻された地面の上か、時には遺構をかたちづくるレンガそのものの上を歩く。

蜀咏悄6写真6 レンガ積み遺構の現状、シタデル(SD)地区(2017年2月著者撮影)

加えて、塩害の影響が著しい。塩分に富む地下水が毛細管現象でレンガの隙間や内部をつたって上昇し、強烈な日射で水分が蒸発、塩分だけがレンガの表面や内部に残る。この塩分がレンガの粘土と反応して膨張し、ぼろぼろに崩していくのである。現地で遺跡内を歩くと、レンガ積みの壁や建物の基礎が、地表面に近い部分からダメージを受けていることにすぐ気づくだろう(写真6~11)。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真7 風化・塩害により表面から崩落する壁、DK地区(2017年2月著者撮影)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真8 修復により差し替えられた新しいレンガの表面も塩を噴いている、DK地区(2017年2月著者撮影)

蜀咏悄9写真9 SD地区、ストゥーパ基壇も崩落が進む(2017年2月著者撮影)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真10 倒壊を防ぐために支柱が設置された壁、基部では塩害も、DK地区(2017年2月著者撮影)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真11 上半部が傾き倒壊の危機に瀕する壁、DK地区(2017年2月著者撮影)

遺跡の保存を、調査研究はその後だ

実はこうした被害は最近になって生じたものではない。発掘調査が終わり、遺構が埋め戻されないままにとどめられることになった時から、着々と進行してきた現象なのである。1965年の調査を最後に、遺跡の発掘は禁止されている。すでに発掘された範囲の風化対策が行われるまでは、あらたな範囲を掘り出し露出させてはならないとの判断からである。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真12 世界遺産登録に先立ち修復された1979年の刻印のあるレンガ(2017年2月著者撮影)

1980年、ユネスコ世界遺産への登録にあたってもこの問題は重視された。登録の直前には全面的な修復工事が行われた。そのひとつが塩害の顕著な基礎部分のレンガを新しいものに入れ替える作業である。遺跡内の各所で、地表面付近に真新しいレンガの列を見ることができるが、そのところどころに「1979年」の銘が刻まれている(写真12)。

塩害対策についても、ユネスコを通じて各国から資金や技術が提供された。塩分濃度の高い地下水の水位を下げることが効果的であるという指摘を受けて、日本からは地下水を汲み上げるポンプが寄贈されている。しかし残念ながら、それらのポンプは十分に機能しないままに終わった。世界中の専門家が集まっても、いまだ効果的な対策がないのが現状である。

 

世界四大文明の中で、解明が遅れているインダス文明最大の都市モヘンジョダロは、南アジアの考古学研究にとって、もっとも重要な対象である。しかしユネスコは、保存対策が優先されるべきであり、それまでの間は新たな発掘調査を許可することはできないという姿勢を貫いている。謎のインダス文字を解読し、都市の住人や統治機構を解明するための調査研究を推進するためには、とにかくまず遺跡の保存問題を解決しなければならないということである。

 

しかしモヘンジョダロに限らず、レンガ積み遺構の塩害対策に効果的な手段はまだ確立されていない。厳しい日差し、高温、そして限られた期間の集中的な降雨、地下水といった環境条件は人為的にコントロールできるものではない。いったい、この遺跡をどのようにして保存したらよいのだろうか?

大胆な保存策、埋め戻し案への賛否

このような厳しい条件への解決策として示される案の一つは、遺跡をいったん埋め戻すべきだというものである。ずいぶん乱暴なアイデアのように聞こえるかもしれない。しかし実は理にかなったものでもある。塩害は、あくまで地下水が蒸発して塩分だけが残されることにより生じる。つまりレンガ積みの遺構が地下に埋まっている間は地下水に晒されても大きな影響はない。だからこそ、地中の遺構は4千年近くその姿を保ってきたのである。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真13 ケノイヤー教授(2017年2月著者撮影)

今回の国際会議でこのアイデアを強く主張したのは、アメリカ、ウィスコンシン大学マディソン校のジョナサン・マーク・ケノイヤー(Jonathan Mark Kenoyer)教授である(写真13)。南アジア考古学の泰斗で現地語(パキスタンではウルドゥー語)も流ちょうに操り、研究者仲間からは親しみを込めてマークと呼ばれるケノイヤー教授の主張の要点は、1) 十分に調査研究が進んだ個所は記録を取り埋め戻す。必要に応じてレプリカを作成し埋め戻した上に設置する、2) 重要な箇所については覆いを設置するなど必要な措置を施し実物を見学できるようにする、3) その上で未解明の部分を調査し必要に応じて公開する、ということである。

 

埋め戻し保存する場所、公開される場所はその時々の状況に応じて変わる。重要なのは精密なレプリカを作成できるだけの記録を取ることだ。実はこのアイデアは、考古学者や遺跡保存・修復の専門家に強く支持されている。現状のままで遺跡を効果的に保存するすべは、ほぼないというのが、専門家の多数意見なのである。もちろん、将来、露出した状態で遺跡を保存できる技術が開発されるかもしれない。そのときは、いったん埋め戻したところも再発掘すればよい。とにかく現状では、露出している箇所は崩壊していく一方なので、手をこまねいてみているだけよりは、よほどましだというのが、埋め戻し案支持派の考えということになるだろう。

(続く)


(1)    第1回(http://www.isan-no-sekai.jp/column/20160401)で触れた通り、ここではインド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、ブータン、モルディヴの7ヵ国を指す。
(2)    現地、シンディー語に由来する遺跡名の表記方法については揺らぎがある。英文表記でもっとも一般的なのは”Mohenjodaro(Mohenjo DaroまたはMohen Jo Daro)”だが、ユネスコの登録名称は”Archaeological Ruins at Moenjodaro”であり”h”が抜けている(ただし日本語表記は「モヘンジョダロ」: http://whc.unesco.org/en/list/138)。実際の発音は「モヘン・ジョ・ダロ」または「モヘン・ジョ・ダーロ」である(写真#1、#2)。
(3)    たとえばBBC「消え去りつつある古代都市」(2015年3月21日:http://www.bbc.com/ news/magazine-31984489)
(4)    小西正捷「パキスタン考古学の現場から」『おもしろアジア考古学』(石澤良昭編)連合出版 1997

公開日:2017年3月1日

野口 淳のぐち あつしNPO法人南アジア文化遺産センター理事・事務局長

1971年東京都生まれ。東京大学総合研究博物館学術支援専門職員、奈良文化財研究所客員研究員、早稲田大学東アジア都城・シルクロード研究所招聘研究員。専門は日本と南アジア、アラビア半島の旧石器時代考古学。三次元計測などにも取り組む。2004年よりパキスタンでの考古学調査に携わる。2014年にNPO法人南アジア文化遺産センターを立ち上げ、南アジア諸国での文化遺産の調査・保護の支援協力に乗り出す。著書に『イスラームと文化財』(共編著、新泉社)など。
NPO法人南アジア文化遺産センターwebサイト(http://jcsach.com)

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