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コラム

文化遺産(海外)

バハレーンに栄えた古代文明ディルムンの考古学

安倍 雅史 / Masashi ABE

東京文化財研究所研究員

真珠、石油、古墳の国バハレーン

バハレーンは、ペルシア湾に浮かぶ東京23区ほどの小さな島です(図1)。古代より真珠の産地として知られ、19世紀末には世界の真珠の9割がバハレーン産でした。しかし、バハレーンの真珠産業は、1920年代に壊滅的な打撃を受けます。そのきっかけとなったのが、日本の御木本幸吉(ミキモトの創業者)が真珠の養殖に成功したことでした。しかし、1932年には湾岸諸国の中ではじめて石油を産出し、バハレーンはこの経済危機を乗り越え、世界有数の富裕国へと成長します。

 

図1図1 バハレーンの位置

写真1写真1 カルザカン古墳群(Bahrain Wadi as Sail Archaeological Project提供)

バハレーンには、真珠、石油と並びもう一つ有名なものがあります。それが古墳です(写真1)。現在では、開発が進み、数は減ってしまったものの、バハレーンには、本来、7万5千基もの古墳があったことが知られています。日本の古墳時代に造られた古墳の総数が15万基といわれていますので、東京23区ほどの小さな島に、日本列島全土の古墳の半数にあたる数の古墳が存在することになります。世界でも、これほど古墳が密集する場所は、バハレーン以外にないと言われています。今年、このバハレーンの古墳群はユネスコ世界遺産に登録される予定です。そして、この古墳の大半が造られたのが、前2200年から前1700年にかけて、すなわちバハレーンがディルムンと呼ばれていた時代でした。

バハレーンに栄えた古代文明ディルムン

前3500年ごろ、南メソポタミア(イラク南部)に、世界最古の文明メソポタミア文明が誕生します。しかし、南メソポタミアはユーフラテス河とチグリス河が運んだ大量の泥が堆積してできた巨大な沖積平野であるため、金属や貴石、石材といった文明生活を営むうえで必要な資源がほとんど存在せず、こうした資源を周辺地域から獲得する必要がありました。

 

ディルムンは、メソポタミアの文献資料に登場する周辺国の1つです。この王国は、前2000年から前1700年にかけて、南メソポタミアとオマーン、インダス1)などを結ぶペルシア湾の海上交易を独占し繫栄したことが知られています。

 

南メソポタミアには、ディルムンの商人の手によって、銅や砂金、象牙、ラピスラズリ、カーネリアン2)、木材(黒檀など)、真珠など大量の物資が運びこまれていました。いわば、物流の面からメソポタミア文明を支えたのが、このディルムンでした。

バハレーン隊による新発見

近年、このディルムンに関する新発見が続いています。ディルムンの栄華を反映するのが、バハレーンのアアリ古墳群に存在する巨大古墳です(図2; 写真2)。アアリ古墳群の北辺には直径が50m、高さが10mを超すような巨大古墳が十数基存在しており、ディルンの王墓だと考えられています。

図2図2 バハレーンのディルムン関連遺跡

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真2 アアリ古墳群に存在する巨大古墳(Bahrain Wadi as Sail Archaeological Project提供)

昨年末の2016年11月28日に、この巨大古墳の発掘成果に関して、バハレーン文化古物局が報道発表を行っています。彼らが発掘を実施した前1700年ごろの巨大古墳から、楔形文字でディルムン王の名前を刻んだ石製容器の破片が出土したのです。実際に、アアリの巨大古墳から、王名を刻んだ文字資料が出土したのははじめてのことでした。

 

解読者によれば、石製容器には、「アガルム部族の者、エンザク神(ディルムンの主神)の僕、ヤグリ・イル」と書かれていたとのことです。さらに、このヤグリ・イルというディルムンの王名がアモリ系の名前であったため、この新発見は、現在、学会で大変な注目を集めています。

 

アモリ人とは、南メソポタミアの西方に広がるシリア沙漠に暮らしていた蛮族・遊牧民のことです。南メソポタミアに暮らす人間にとってこの集団は、中国にとっての匈奴、モンゴルのような存在でした。

 

前2200年ごろ地球規模で乾燥化がはじまると、このアモリ人は故地であるシリア沙漠を捨て、東方の南メソポタミアに侵入し、やがて軍事力を持って、南メソポタミアの本来の住人であるシュメール人やアッカド人を押さえこみ、有力都市の支配者層を形成するようになります。ハンムラビ法典で有名なバビロンのハンムラビ王(在位期間:前1792年~前1750年頃)もアモリ系で、先祖をたどるとこのアモリ人にたどりつくことが知られています。

 

今回の発見によって、ディルムンも、このアモリ人によって打ち立てられた王朝である可能性が高まりつつあります。

日本隊による新発見

バハレーンは、前2200年ごろまでほぼ無人の土地であったことがわかっています。しかし、それ以降になると、どこかしらの土地から人々がバハレーンに移り住み、圧倒的な数の古墳を築造しはじめます。そして前2000年を過ぎたころから、ぺルシア湾の海上交易を独占し繁栄していきます。

写真3写真3 ワーディー・アッ=サイル古墳群での発掘調査(Bahrain Wadi as Sail Archaeological Project提供)

私たち日本隊は、2015年から、まさに前2200年ごろから造られはじめたバハレーンで最も古い古墳群であるワーディー・アッ=サイル古墳群で発掘調査を開始し、ディルムン文明を築いた人々がどこからやってきたのか調査を進めています(写真3)。

 

私たちの研究によって、このワーディー・アッ=サイル古墳群とそっくりな古墳群が、アモリ人の故地とされるシリア沙漠に広く分布していることが明らかになってきています。日本隊の調査からも、ディルムンは、シリア沙漠からやってきたアモリ人が打ち立てた王朝であることが裏付けられようとしています。

 

 


(1)    古代には、オマーンはマガン、インダスはメルッハと呼ばれていました。
(2)    紅玉髄とも呼ばれる鉱物で古代オリエントでは装身具の素材として多用されました。

公開日:2017年4月26日

安倍 雅史あべ まさし東京文化財研究所研究員

1976年東京都生まれ。英国リヴァプール大学博士課程修了。PhD。1997年より、シリア、ヨルダン、イラン、バハレーン、キルギス、アフガニスタンなどで考古学調査に従事している。著書に「イスラームと文化財」(共編著、新泉社)などがある。

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