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歴史・民俗学

沖縄の綱引き-宜野湾市大山の場合-

宮城 邦治 / Kuniharu MIYAGI

沖縄国際大学 名誉教授

沖縄の綱引きの歴史と特色

沖縄では古くから綱引きが盛んに行われている。1713年に琉球王府によって編纂された『琉球国由来記』にも綱引きに関する記述があることから、1700年代にはすでに綱引きが行われていたことがわかる。綱引きがいつ頃から始まったのかは定かではないが、大和(日本)あるいは中国の習俗に倣ったとも思われる。また、綱引きの由来の一つに、「稲の不作と害虫に悩まされていたあるムラで、思案のあげくに田の畦で大綱を引き、太鼓を打ち鳴らし、松明を振りかざして一夜を騒いだところ害虫が全滅した。それを喜んだムラ人は毎年、六月カシチー(旧暦6月25日行われる新米の収穫祝い)の時に綱引きを行うようになった」というのがある。

 

地域によっては六月ウマチー(旧暦6月15日に行われる稲の収穫祝い)に綱引きを行うところもあるが、いずれにしても綱引きは稲作農耕と深く結びつき、豊穣を祈願する年中行事として多くの集落で行われるようになった。綱の形や大きさは地域によって異なるが、綱の材料は稲わら(ワラ)である。かつて農村であった沖縄では、綱引きに使われるワラは集落(ムラ、シマ)で容易に調達できたが、今日では稲作地域も減少し、多くの場合は金武町などの稲作農家から購入している。宮古島の宮国集落の綱はワラではなくキャーンと呼ばれる植物(シノキカズラ)の蔓で作られる。

 

沖縄の綱引きでは集落を東西または前後に分け、それぞれが綱を作るが、綱は雌綱ミージナ雄綱ウージナとして区別される。綱の先端は円状または楕円状の輪となっており、雄綱と雌綱の先端の輪をカヌチ棒(貫抜き棒)で合体させ、左右に引き合うことで勝敗を決する。日本本土の綱引きは主に1本綱であり、2本の綱を合体させて引き合う地域は少ない。韓国も綱引きが盛んな地域であるが、ほとんどは2本綱で引き合う綱引きとなっており、沖縄の綱引きとの類似性をみることができる。

 

綱引きはそれぞれの区域からの道ジュネー(行列)で始まり、旗頭のぼりを先頭に鉦鼓を打ち鳴らしながら、人々を鼓舞していく。それぞれの綱が所定の場所に着くと、交互に旗頭を高々と持ち上げ、空手や棒術の演舞などで気勢を上げるガーエー(威嚇誇示)が行われる。ガーエーで盛り上がったところで、それぞれの綱を前進させ、雄綱と雌綱をカヌチ棒で合体させ、老若男女が一気に引き合う綱引きとなる。勝負が決すると、参加した人々はどの顔も笑みがこぼれ、地域との一体感を共有することになる。

 

都市化の進む沖縄にあっても、綱引きは伝統行事としてしっかりと継続されており、復活する地域も増えている。綱引きが行われる7月、8月頃になると県内紙では綱引きの記事が散見されるようになる。

宜野湾市大山の綱引き

私の住む宜野湾市も戦前には14集落で綱引きが行われていたが、戦後は社会環境の大きな変化を受け、現在では大山と真志喜で行われているだけである。大山と真志喜は湧水が豊富なこともあり、戦後もいち早く稲作が行われ、自前でワラが調達できたことから綱引きの復活継続が容易だったと思われる。

 

大山の綱引きは古くは六月カシチーの旧暦6月25日に行われていたが、いつの頃からか旧暦6月15日の六月ウマチーに行われるようになったという。大山では綱引きを「チナヒキ1」と呼び、豊作祈願や厄払いとして行われていた。綱引きの際には集落を前村渠メンダカリ後村渠シンダカリに分け、それぞれに綱を作るが、前村渠は雄綱、後村渠は雌綱となっている。綱の材料となるワラは、戦前には各家から供出されていたが、戦後は一時期を除いては旧羽地村(現名護市)からワラを購入し、今では金武町屋嘉集落の稲作農家から購入している。

 

荒縄作りから綱打ちまで、以前は綱引きの前日に行っていたが、今では綱用の荒縄作りが数日前から行われている。いよいよ綱引きの前日になると老壮青の住民が旧公民館の広場に集まり、日よけのテントの中でワラ束作り、荒縄作りなどが行われる。綱作りは旧公民館前の道路で、綱頭チナガシラが中心となって、指示をしながら綱を重ねていき、綱の先端の輪(カナキ2)の部分は丁寧に時間をかけて作られていく。大山の綱ではカナキの装飾部分はクーギ(陰毛)と呼ばれ、綱の道ズネー3(行列)の時には人々が注視することもあり、その出来具合が人々の綱への評価にもなる。戦前の綱引きを体験した年長者の目は厳しく、カナキのクーギを見て、「今年は良く出来ている」「ダメだ、クーギが寝ている」などと話題になる。

大山の綱のクーギの部分 撮影:著者

綱引きの当日は午前中に大山区の役員、綱頭など数名が、大山区の拝所や御嶽、湧水などを拝み、安全祈願を行う。区内の放送では綱引きの案内と鉦鼓の音が流され、人々を綱引きへと誘う。大山の綱引きは戦前には夜に行われていたが、今では昼間からの道ズネーとなっており、子供や女性の参加も多い。道ズネーは前村渠、後村渠それぞれにルートが決まっており、旗頭と子供たちからなる鉦打ち、ホラ貝吹きが先頭をのし歩き、気勢を上げながら綱引きの場へと向かう。行程が長いこともあり、ところどころで休息をしながらの行進となるが、休息の際には婦人会や周辺の住民から冷たい飲み物などの差し入れがある。

 

長い道ズネーの後、前村渠の雄綱と後村渠の雌綱が綱引きの場に到着すると、相対峙するように雌雄の綱を止め、旗頭のガーエーが行われる。ガーエーは竿の全長が約4メートルもある旗頭を、片手で均衡を保ちながらできるだけ長くより高く揚げ、その技量と腕力を競うものである。続いて綱を上下に揺らして互いに綱を誇示して見せ合う「ミシエー」が行われる。ミシエーが済むと、いよいよ大山の綱引きの特徴である「アギエー」が行われる。アギエーとは「揚げる」の意味で、それぞれの綱に挿した六尺棒で持ち上げ、空中で相手の綱とぶつけ合い、相手の綱を地面に落とすものである。アギエーの勝負がつくと、勝った側は歓喜の舞に酔いしれる。大山の綱引きでは綱の引き合いよりも、アギエーに勝つことが誇りとなっている。

旗頭のガーエーの様子 撮影:著者

ミシエーの様子。綱を上下に揺らして力を誇示する。

アギエーの様子。大山の綱引きのクライマックスである。

アギエーの様子。空中で綱同士がぶつかり合う光景は迫力満点。

アギエーで盛り上がったところで、綱を引き寄せ、雄綱を雌綱のカナキに入れ、カナキ棒でしっかりと合体させると綱引きの勝負となる。綱の引き合いは10分前後で決着するが、アギエーに負けた側が勝つことが多い。せめて一矢を報いたいと気持ちが強いのだろう。大山の綱引きは他の地域では見られないアギエーの勝負が一番の見所となっている。

雄綱と雌綱をカナキ棒で合体させたところ。

綱引きの様子。老若男女が力を合わせて綱を引く。

(注)
※1 チナヒキ   他の地域では「チナヒチ」というところが多いが、大山では「チナヒキ」と発音する。
※2 カナキ   他の地域では「カニチ」「カナチ」などというが、大山では「カナキ」と発音する。
※3 道ズネー   他の地域では「道ジェネー」というところが多いが、大家では「道ズネー」と発音する。

公開日:2016年10月3日最終更新日:2016年10月3日

宮城 邦治みやぎ・くにはる沖縄国際大学 名誉教授

1949年沖縄県宜野湾市生まれ。1979年九州大学大学院農学研究科単位取得終了。1979年から沖縄国際大学に勤務、2015年に定年退職。沖縄国際大学名誉教授。主な著書に『やんばるの森-輝く沖縄のいきものたち-』(共著、東洋館出版社、1994)『宜野湾市史-第9巻-自然編』(共著、宜野湾市教育委員会、2000)『ぎのわん自然ガイド』(共著、宜野湾市教育委員会、2002)など。沖縄県環境影響評価審査会会長、沖縄県文化財保護審議会委員。

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