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考古学

瓦のはなし①

伊藤 敬太郎 / Keitaro ITO

国際文化財株式会社 埋蔵文化財調査士

写真1 唐招提寺金堂 奈良市:著者撮影

 奈良や京都の古寺を訪れると、仏像の微笑みに魅了されるだけでなく瓦屋根の重厚さに圧倒される方もいるのではないでしょうか。

 このコラムでは、そんな屋根を彩る瓦を紹介していきます。今回は、瓦の葺き方、本瓦葺きと桟瓦葺きのお話です。

瓦のはじまり

 『日本書紀』によれば588(崇峻元)年に朝鮮半島の百済から僧侶や、寺工などとともに瓦博士4人が渡来しました。技術者たちは、最古の伽藍寺院である飛鳥寺を造営することになります。日本における本格的な瓦作りのはじまりです。瓦には、軒先を飾る軒丸瓦・軒平瓦、その後ろに続く丸瓦・平瓦、道具瓦と呼ばれる鳥衾(とりぶすま)・鬼瓦・雁振瓦(がんぶりかわら)・熨斗瓦(のしかわら)・面戸瓦(めんどかわら)・鴟尾(しび)などがあります(写真2・3)

写真2 さまざまな瓦(唐招提寺金堂) 奈良市:著者撮影

本瓦葺き(ほんかわらぶき)

 これらの瓦を雨の漏らないよう葺くにあたって、平瓦と平瓦を並べ、その間を丸瓦で覆う方法が本瓦葺きといいます。飛鳥寺をはじめ古代や中世の瓦の葺き方といえば、本瓦葺きでした。写真3は薬師寺(奈良市)の土塀ですが、軒平瓦と軒平瓦の間に軒丸瓦を載せている様子が良く分かります。

写真3 本瓦葺の土塀(薬師寺) 奈良市:著者撮影

桟瓦葺き(さんがわらぶき)

 一方、桟瓦葺きは、江戸時代の1674(延宝4)年に大津の瓦師西村半兵衛により開発されたと言われています。丸瓦と平瓦が合体したもので、軽量で安価な瓦として誕生しました。写真4は、桟瓦葺きの塀です。一体化した瓦で葺かれている様子が分かります。

写真4 桟瓦葺きの塀(興福寺) 長崎市:著者撮影

近世に普及する桟瓦葺き

写真5 桟瓦屋根の町並み 浦安市:著者撮影

 写真5は、浦安市郷土博物館の屋外展示施設です。昭和27年頃の浦安の町並みが再現されています。桟瓦屋根が並ぶ、一昔前のなじみのあるこの風景は、1720(享保5)年、八代将軍吉宗により防火の観点から瓦葺が奨励され、その頃から、桟瓦葺きが徐々に広まります。

 この時、土蔵造りや塗家も解禁されます。川越市では、土蔵造りの町並みを今でもみることができます(写真6)。このような桟瓦屋根は、時代劇でお馴染みの風景とも言えるでしょう。

写真6 土蔵造りの町並み 川越市:著者撮影

 時代劇といえば、今年の大河ドラマは真田丸。武田家滅亡の年、1582(天正10)年から1615(慶長20)年、大坂の陣までの戦国~徳川期を舞台としています。ドラマに登場する上田城や大坂城をはじめとする城郭の瓦たちは考証が確かなら本瓦葺きのみ。桟瓦葺きの登場はもう少し後の時代になります。

 

【参考文献】

上原真人(1997)『歴史発掘(11)瓦を読む』講談社

森郁夫(2001)『瓦(ものと人間の文化史)』法政大学出版局