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歴史・民俗学

「サワディー・ピマーイ」

徳澤 啓一 / Kei-ichi TOKUSAWA

岡山理科大学総合情報学部教授

2560年の新年を迎えた。タイの暦は、釈迦入滅の日とされる紀元前543年3月11日を0年とする仏滅紀元である。ラマ6世は、西暦1912年を仏滅紀元2455年4月1日から始めると定めた。その後、プレーク・ピプーンソンクラーム首相は、西暦1941年を仏滅紀元2484年1月1日からに変更した。そのため、タイの暦での2560 年は、仏滅紀元の543年差し引いて西暦2017年となる。

また、タイの干支も日本と同様に十二支あり、子ピーチュアット、丑ピーチャルー、寅ピーカーン、卯ピートッ、辰ピーマロン、巳ピーマセン、午ピーマミヤ、山羊ピーマメー・申ピーウォック・酉ピーラガー・戌ピージョー・豚ピークンであり、日本と大きく異なる部分は、「未」は山羊、「亥」は豚、チェンマイ県などの北タイでは、象に変わる。2017年は、「酉」年であり、タイでは、とくに雄鶏を指す鶏年である。

鶏の寺院ワット・サーン・パン・ターイ・ノーラシン

サムット・サーコーン県ムアン・サムット・サーコン郡ハンドン・パン・ターイ・ノーラシン地区にある寺院ワット・サーン・パン・ターイ・ノーラシンは、境内が無数の鶏の塑像で飾られている(写真1)。2560年の新年、鶏年に詣でるに相応しい寺院として、新年から大勢の参拝者が詰めかけている(映像1)。

写真1 ワット・サーン・パン・ターイ・ノーラシンの境内(筆者撮影)

写真2 パン・ターイ・ノーラシンの神像(筆者撮影)

この寺院の祭神パン・ターイ・ノーラシンは、アユタヤ王朝第31代王スリイェーンタラーティボディー王(スア王)の御座船の水手長で舵取り役であった。そのため、祀られているノーラシンの神像は、舵取り用の大きなオールを佩いている(写真2)。「パン」は官職名、「ターイ」は欽賜名であり、「ノーラシン」あるいは「シン」は人名である。ノーラシンは、元々ムエタイファイターであり、鶏年生まれということもあり、勇敢に戦う闘鶏を好んだといわれている。このことにちなんで、ワット・サーン・パン・ターイ・ノーラシンでは、鶏の塑像を供えることで祈願が成就するとされるようになった。

パン・ターイ・ノーラシンの物語

2246〜2252年(1703〜1709)の話とされている(スア王の在位期間)。王朝年代記「ポンサワダーン・アユタヤ」によると、スア王は、釣り好きで、パークナーム・サーコンブリー(現在のサムット・サーコン県)の曲がりくねった運河を下っていた。舵取り役をしていたノーラシンは、タンボン・コーカームに差し掛かった時、流れが強かったため操舵を誤り、大木の枝にぶつけて、御座船の船首を折ってしまった。当時の法律では、ノーラシンを斬首にしなければならなかった。ノーラシンは、折ってしまった船首を祀る祭壇サーン・ピャンターを建て、自らの首を供えようとした。スア王は、ノーラシンを寵愛しており、命を助けようとした。しかしながら、ノーラシンは、法に従うことを強く望んだことから、スア王は彼を惜しみながら処刑したといわれる。

その後、スア王は、ノーラシンを処刑したサーン・ピャンターの脇にワット・サーン・パンターイ・ノーラシンの前身となる寺院を建立し、彼の死を悼んだという。また、スア王は、コーン・サナームチャイ運河(現在のコーン・マハーチャイ運河)を開削し、チャオプラヤー川とターチン川を真っ直ぐに結んだという。

映画「パン・ターイ・ノーラシン」

2016年、ノーラシンを主人公にしたタイ映画「パン・ターイ・ノーラシン」が大ヒットした(2015年12月30日公開)。監督はチャートリーチャルーム・ユコン、ノーラシン役は新進の若手俳優ポンサコーン・メーターリカーノン、スア王役はベテラン俳優のワンチャナ・サワッディーが演じた(映像2)。

映画の脚本は、史実と全く同じというわけではないが、スア王とノーラシンの信頼の絆を題材としている。スア王は、「虎」の王という意味のとおり、凶暴であり、性欲旺盛であったことで知られている。しかしながら、映画の中では、こうした人物像は、謀反を企てた重臣によるプロパガンダとされ、スア王は、庶民的で親しみやすく、仁義に厚い人物として描き出されている。また、映画の中に見られるとおり、釣りとムエタイが趣味とされ、お忍びで出かけることもあったという。そのため、元々ムエタイファイターであったノーラシンがお忍びで村にやってきたスア王と戦うところから2人の出会いが始まるストーリーとなっている。その後、謀反を企てる重臣からスア王を守り、王の寵臣となっていく。しかし、ノーラシンは、宮廷内の謀略に巻き込まれ、王と自分の家族の両方を守るため、敢えて御座船の船首を折り、自らの死を選ぶことになる。

パン・ターイ・ノーラシンの物語は、これまで何度もドラマ化、映画化されてきたとおり、この物語を知らないタイ人はいない。ノーラシンの生き方、すなわち、忠誠心、そして、誠実さと規律正しさは、タイ人にとって、普遍的な価値観である。すなわち、ノーラシンの物語は、見習うべき伝統的なタイ人像として語り継がれているのである。

ノーラシン由来の史跡と寺院宝物

ここでは、ワット・サーン・パン・ターイ・ノーラシンに遺されているノーラシン由来の史跡と遺産を紹介することにしたい。

御座船エカチャイ(Ekachai)

写真3 御座船エカチャイ(筆者撮影)

写真4 エカチャイ脇の巨木(筆者撮影)

このエカチャイは、300年前、巨木を刳り抜いた作られた丸木船であり、全長19.47m、幅2.09m、船体の縁(ガンネル)の厚さ7.5cm、船底からガンネルまでの高さ1mを測る(写真3)。ハンドン・パン・ターイ・ノーラシン地区のムー(村)No.6から発掘され、発見したナイライ・テーントムヤーとその妻ソムチット・テーントムヤーが寺院に寄進したものである。少なくとも、このエカチャイの規模からして、かつての軍用の輸送船であったことは間違いないようである。また、その脇には、エカチャイが衝突したことを思わせる巨木が置かれている(写真4)。ノーラシンの功績にあやかって、エカチャイには、多数の願をかけたオールが奉納されていた。

祭壇サーン・ピャンター(Saan Piangta)

写真5 現在のサーン・ピャンター(筆者撮影)

写真6 本来のサーン・ピャンター(筆者撮影)

このサーン・ピャンターは、折れてしまった船首を祀った祭壇であり、これに刎ねられたノーラシンの首が供えられたと考えられる。しかしながら、チャオプラヤーデルタに立地するとおり、これまで水害等で被災しており、何度も再建されてきた(写真5)。本来のサーン・ピャンターの一部とされるものは、ガラスケースが被せられて保護されている(写真6)。復元されたサーン・ピャンターの最上段には、ノーラシンの首饅頭が供えられ、再下段には、ノーラシンの二本の剣を模した木組みがしつらえてある。参拝客は、サーン・ピャンターの手前に蝋燭と線香、そして、花飾りを供えるとともに、ノーラシンの首饅頭の下をくぐりながら請願するのである(動画1)。

宗教関連の遺構や遺物の多くに当てはまることであるが、ここに示されるとおり、エカチャイ、サーン・ピャンターともに、ノーラシンに由来する遺物・遺構であるのか定かではない。しかしながら、地元の住民は、このエカチャイがノーラシンの御座船であったことを信じて疑わない。ノーラシン伝承のある村であるからこそ、発掘された伝承と同様のエカチャイは、遺産としての新たな文脈が付与されることになった。新たな文脈とは、言説でしかなかったノーラシン伝承の物的威信となり、ノーラシン信仰の対象となったことである。宗教関連の遺構や遺物に関しては、由来や来歴の真正性が議論になりがちであるが、住民の信仰を集めているという事実こそが、遺産としての脈絡や価値を支えているといってよい。


サワディー・ピマーイ:タイ語の新年の挨拶

公開日:2017年1月18日