南アジア文化遺産の世界 第1回―南アジア世界のひと・歴史・風土と文化遺産の現在〈いま〉

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文化遺産(海外)

南アジア文化遺産の世界 第1回―南アジア世界のひと・歴史・風土と文化遺産の現在〈いま〉

野口 淳 / Atsushi NOGUCHI

NPO法人南アジア文化遺産センター理事・事務局長

南アジア世界とは

南アジアと聞いたときに、何を思い浮かべるだろうか? 南アジア=インドという理解が一般的なのではないだろうか? 香辛料たっぷりのカレー、ヨーガ、ダイナミックな造形・極彩色の神々の像、タージ・マハル、人波溢れる雑然とした市街、リズミカルなダンスシーンが印象深い映画……等々、南アジアに関する漠然としたイメージは、おおむね現代のインドに焦点を当てているように思われる。

 

しかし地理的範囲としての南アジアはもう少し広く、多様だ(図1)。語義のとおり、それはアジアの中の南の方を指す。世界地図を眺めると、インド洋に突き出したインド亜大陸がまず目にとまる。北側の境界は、内陸アジアとの境界にあたるヒマラヤ山脈である。現代の国家としては、パキスタン、ネパール、ブータン、バングラデシュが、インドともに、この範囲に所在している。さらにインド洋に浮かぶスリランカ、モルディブという島国も付け加えられるだろう。おおむね、南アジア地域協力連合(SAARC)の加盟国の範囲ということになる※1

pic_26_column01_01図1 南アジア世界の地理的広がりと多様性 ※段彩図:GTOPO30にもとづき著者作成

そして南アジア世界には、万年雪や氷河に覆われた標高8,000m級の高山地帯から、温帯森林、サヴァンナ、砂漠、熱帯雨林、そしてサンゴ礁に至る多様な自然環境が広がっている(図2)。ヒンドゥー、イスラームの2大宗教を中心に多様な宗教が信仰され、インド・ヨーロッパ系、ドラヴィダ系を中心に数百を超える言語※2が話されている。人々の外見や風習も、東西南北で大きく異なる。また一般には南アジア=カレーというイメージが強いと思われるが、実際には主食となる穀物一つとっても、コムギ、コメ、その他の雑穀類と地域により多様であり、調理方法も多彩である。高山や乾燥地帯では遊牧を生業とする社会があり、沿岸部には漁民が暮らす。さらに熱帯雨林や島嶼部には、近年まで狩猟採集生活を営んできた人々がいる。

pic_26_column01_02図2 南アジア世界の気候植生区分(ケッペン-ガイガー気候分類) ※https://commons.wikimedia.org/wiki/File:World_Koppen_Map.png:CC BY-SA 3.0 unported, Peel, M. C., Finlayson, B. L., and McMahon, T. A. (University of Melbourne)を一部改編

pic_26_column01_03ヒマラヤ西縁の高山と渓谷(パキスタン、ギルギット~フンザ間) 撮影:著者(2015年7月)

pic_26_column01_04パンジャーブ平原北縁の農村(インド、パンジャーブ州東部) 撮影:著者(2011年3月)

pic_26_column01_05タール砂漠の砂丘(パキスタン、シンド州北部) 撮影:著者(2012年9月)

pic_26_column01_06乾期のサヴァンナ(インド、アンドーラ・プラデーシュ州南部) 撮影:著者(2014年1月)

pic_26_column01_07熱帯雨林(ゴムプランテーションと2次林、スリランカ中南部) 撮影:著者(2016年1月)

pic_26_column01_11サンゴ礁 撮影提供:Azim Musthag氏

しかも歴史的にみると、南アジア全体が単一的な主権の下に統一されたのは、実はイギリス領植民地が最大の範囲となった19世紀末から20世紀前半までのことに過ぎない。世界史の教科書に登場する、マウリヤ朝やグプタ朝、ムガル帝国でさえも、南アジア世界を統一するには至らなかった。このため南アジア世界の各地には、異なる時代、異なる民族・文化、異なる宗教を背景とする、多彩な文化遺産が残されている。多様な自然環境、風土のもと各地に芽吹き、花開いた文化を基層として、さらに大陸を越え、または大洋を渡り往来した支配者、宗教家、商人、そのほか無数の人々の営為が織り重ねられ、紡ぎ出された壮大なタペストリー、それが歴史的な南アジア世界である。

 

そして南アジア世界に生まれた文化、芸術は、政治的軍事的な支配領域を越え、宗教の広がり、あるいは交易のネットワークに乗って、世界各地へと広がっていった。かつて現代のインド北部からパキスタンにかけて隆盛した仏教は、中央アジアを経て中国、朝鮮半島、日本へと伝えられた。また東南アジア世界には、仏教に続いてヒンドゥー教も伝播した。その過程で、さまざまな南アジア世界の文化的要素も広がり、地域的な濃淡をみせつつも多くの地域にいまだ痕跡を残している。現代日本に暮らす私たちの身近にも、仏教を通じて受容した南アジア生まれの神仏が数多く存在している。また、歴史的に南アジア世界を指す「天竺」は、この世の楽園、仏国土として崇敬を集めていた。このため私たちは、近世以降の交渉史、文化・文明の受容を背景とする欧米への憧れとは一線を画す原初体験を、南アジア世界に抱いてきた。遠く離れた異国と認識しつつも、どこかに感じる懐かしさがそこにはあるのだ。

 

南アジア世界はまた、中~低緯度の太陽光の恵みとインド洋モンスーンがもたらす豊かな水に涵養され、歴史上、有数の人口を擁する土地であり続けた。国連人口基金の推計によると、2015年時点の南アジア諸国の人口は約18億人である。地球上の陸域の約3パーセントの面積に、総人口のおよそ1/4が暮らしていることになる。世界中でもっとも人口稠密な地域である。そこから生み出される、雑然とした、あるいは混沌とも言えるほどの多様性の渦の中に、外部世界の人々は強烈なエネルギー、爆発的な創造力を感じるのだろう。

 

洋の東西を問わず、南アジア世界に強く魅かれる芸術家や文化人は少なくない。それはまた、近現代の西洋世界だけの現象でもない。時代を遡り、困難な道のりを越えて仏国土を目指した求法僧たち、あるいは遥か東方を目指した古代ペルシアやマケドニアの覇王、中世の航海者たちもまた、同じような衝動に背を押され、南アジア世界に引き寄せられてきたのかもしれない。南アジア世界の文化遺産には確かに、名状しがたい引力のようなものがあるように思えるのである。

南アジア現代社会の中の文化遺産

目眩いばかりの多様性とエネルギーは一方で、ときに内部での激しい衝突を引き起こす。特に、イギリス植民地支配とその後の各国の独立を通じて膨らんだ近代ナショナリズムは、人々に自らの出自を問い直させる強い動機を与えた。そうした帰属意識は必ずしも、宗教や文化、歴史に基づくものだけでなく、自らが帰属する大小さまざまな規模の集団の現実的な利害と関わって掻き立てられるものでもある。しかしひとたび確立された帰属意識は、集団の起源、由来を明らかにすることを求め、歴史、文化、宗教、言語などと結びつき、利用し、他者を排除する方向に作用することが少なくない。

 

例えば、現代インドにおけるヒンドゥー至上主義には、宗教・文化の歴史的あり方とは無関係に、古代の神話伝承に出自と正当性を求め、その思想に相反する考古学・歴史学的事象を受け入れない傾向が見られる。一方、イスラーム教徒の間にも、南アジア世界のイスラーム化の歴史を基軸とし、自分たちの優位・正当性を主張する向きがある。あるいは仏教徒の中にも、古代の仏教聖地を復興することで自分たちの地歩を主張しようとする運動がある。こうした動きは特に20世紀半ば以降に顕著となり、文化遺産は政治的・社会的対立や衝突に繰り返し巻き込まれてきた。また、宗教あるいは現代国家規模のナショナリズムだけでなく、国家の枠組み内で自立志向を強める、より小さな範囲の地域・民族ナショナリズムと結びついた動きも見られる。

 

近年、インターネットをはじめとするソーシャル・メディアの発達とともに、さまざまな社会集団の主張、あるいはそれへの対抗主張が、短期間に広がり社会問題化する傾向がある。西アジア、北アフリカで相次いだ、イスラーム過激主義者による文化遺産の破壊行為のような現象は、南アジア世界においても起こり得る。実際に、小規模かつ単発的ではあるがいくつかの国で文化遺産の破壊が起き、被害が報告されている※3。ただしそれは、特定の宗教・宗派とだけ結びついているわけではない。また文化遺産の盗掘や略奪、違法売買は、南アジア世界においても大きな問題である。

pic_26_column01_08爆弾テロの被害を受けたスワート博物館展示室(パキスタン、ハイバル・パフトゥンフワ州ミンゴーラ) 撮影:匿名(2008年2月16日) 提供:NPO法人南アジア文化遺産センター

pic_26_column01_09爆弾テロの標的となった女子学校(パキスタン、ハイバル・パフトゥンフワ州ミンゴーラ) 撮影:匿名(2008年2月16日) 提供:NPO法人南アジア文化遺産センター

専門家や予算の不足により、調査や保護の手が十分に差し延べられていない文化遺産も、そこかしこに残されている。2004年12月のインド洋大津波、2015年4月のネパール大地震など、繰り返される激甚災害が文化遺産に大きなダメージを与えることも少なくない。しかしその一方で、困難な状況に立ち向かい、文化遺産の保護に取り組む研究者・専門家らがいて、また文化遺産の素晴らしさに感動し保護の取り組みを支える人も少なくない。純粋に地域の文化や歴史として受け止める人びともいる。

pic_26_column01_10ガンダーラ仏教美術の優品を見学するイスラーム教徒の親子(パキスタン、ハイバル・パフトゥンフワ州ペシャーワル) 撮影:著者(2007年1月)

 

近年のグローバル化と、地域的な経済発展は、南アジア世界の文化遺産をめぐる環境に大きな変化をもたらしつつある。急激な人口増加、経済発展、都市化に伴う土地開発が、文化遺産を巻き込みつつある。かつては近づくことも容易でなく、「秘境」と呼ばれていたような場所にも、多くの観光客が訪れるようになっている。経済的社会的変化は、人々の価値観にも影響を及ぼし、伝統や文化へのまなざしも時とともに変わりつつある。そこには、世界的に共通する問題と、地域的な課題とがある。各国・地域も、手をこまねいて見ているだけでなく、積極的な対応も図られるようになりつつある。そして、そこへの国際的な協力・支援のかたちもまた、時代とともに変化しつつある。筆者もまた、NPOというかたちで、南アジア諸国における草の根レベルでの文化遺産保護の取り組みに協力・支援することを目指している。

 

本連載では、南アジア世界の文化遺産とその魅力を時代・地域ごとに紹介しつつ、現代社会との関わり、文化遺産の保護と活用をめぐる取り組みについても紹介していくこととする。

(注)
※1   SAARCには、このほかにアフガニスタンも含まれるが、歴史的地理的に、同国は西アジアまたは中央アジアに含められることが多い。
※2   面積・人口ともに最大のインドだけでも122の主要言語、234の識別可能な言語・方言、1,365の他者とは異なると認識されている言語・方言があるという(2001年人口統計調査)
※3   この問題については『イスラームと文化財』(共編著、新泉社、2015)で、インド、パキスタン、バングラデシュ、モルディブ各国の状況を取り上げている。

(参考文献)
辛島昇編 『南アジア史』新版世界各国史7 山川出版 2004
立川武蔵・杉本良男・海津正倫編 『南アジア』朝倉世界地理講座4 朝倉書店 2012
野口淳・安倍雅史編『イスラームと文化財』 新泉社 2015

※  NPO法人南アジア文化遺産センターwebサイト
http://jcsach.com

公開日:2016年4月1日最終更新日:2016年4月1日

野口 淳のぐち・あつしNPO法人南アジア文化遺産センター理事・事務局長

1971年東京都生まれ。専門は日本と南アジア、アラビア半島の旧石器時代考古学。2004年よりパキスタンでの考古学調査に携わる。2014年にNPO法人南アジア文化遺産センターを立ち上げ、南アジア諸国での文化遺産の調査・保護の支援協力に乗り出す。著書に『イスラームと文化財』(共編著、新泉社、2015)など。

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