歴史遺産保護にみる韓国のいま

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文化遺産(海外)

歴史遺産保護にみる韓国のいま

坂井 秀弥 / Hideya SAKAI

奈良大学文学部文化財学科教授

今年(2017)の3月上旬に、5泊6日の日程で大学の学生たちとともに、韓国西辺の北から南まで約400㎞を縦断した。この地域は歴史的に日本と関係が深かった百済にあたる。その基本的かつ重要な遺跡・文化財や博物館を数多く見学した。おもな巡検先は、三遷した百済の遺跡と博物館、水中考古学の聖地「海洋文化財研究所」、ソウルの朝鮮王朝の宮殿等である。私にとっては35年前の最初の訪韓から数えて7回目。韓国の地理・歴史の基本をようやく理解できるところとなり、現代の韓国における文化財事情も知ることができた。

世界遺産「百済歴史遺跡地区」 

韓国でも日本と同じく世界遺産登録にむけた運動が各地で展開している。地域・観光振興を目指しているところも共通する。今回最初に訪れたのが2015年に世界遺産に登録されたばかりの百済歴史遺跡地区であり、8件の構成資産すべてを見た。百済二番目の都、熊津(公州)にある公山城・宋山里古墳群、三番目の都、泗沘(扶余)にある官北里遺跡と扶蘇山城・定林寺跡・羅城・陵山里古墳群、同じ時期の益山にある弥勒寺跡・王宮里遺跡である。これらの多くは2010年にも訪れたが、ほとんどの遺跡で遺跡整備や博物館・展示館の建設・改修が急ピッチで進んでおり、その変貌ぶりにおどろいた。その背景に世界遺産登録にともなう政府の政策があるのかと思った。扶余国立博物館の学芸員にそのことを聞くと、政府の政策だが世界遺産とは関係ないとのことだった。

各地で進む遺跡整備

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真① 整備された百済の羅城・陵山里寺跡(筆者撮影)

韓国ではいま、遺跡整備と展示施設の整備があちこちで推進されている。ソウルの朝鮮王朝の宮殿、景福宮は、日本の植民地時代(日帝時代)に朝鮮総督府が建設され、多くの建物が破壊された。それら宮殿の建物や庭園の復元が続いている。その正門にあたる光化門は近年復元され、旧市街を囲む羅城の城壁と南大門・東大門は、現代のソウルが14世紀以来の歴史都市であることを雄弁にものがたっている。

 

各地で推進されている復元事業には、莫大な予算が投じられているにちがいない。うらやましくもある。遺跡整備は遺構の確実な保存をはかるとともに、その存在をわかりやすく示す目的もある。必要不可欠なことである。ただ、扶余の羅城や陵山里の寺跡では新しく積んだ石垣や基壇が生々しかった(写真①)。羅城は遠望してもその存在に気付くほどだ。大胆な復元に違和感はなくはない。地元の研究者の間でも異論があると聞く。歴史を国民にわかりやすく、目に見えるものにしようとの政策はわかるが、慎重な検討も必要だろう。

博物館・展示館のあり方と国主導 

韓国では遺跡整備や博物館建設は国主導で行われている。地方主体の日本とは対照的だ。今回訪れた国立博物館は、ソウルの中央博物館のほか、公州・扶余・羅州・海洋遺物展示館(木浦)の4館。国内にはほかにまだたくさんある。夢村土城にある漢城百済博物館はソウル特別市が設置したものだが、定林寺・弥勒寺・王宮里遺跡の展示館は国が設置している。国立文化財研究所も、海洋文化財研究所以外に、大田市にある本部のほかに6カ所の地方研究所がある。日本は博物館が4館、文化財研究所が2所。日韓の差は大きい。地方主体の日本にもいい面はある。例えば、都道府県・市町村に考古学等の専門家が数多く配置されていることである。行政内に専門家がいるからこそできる施策がある。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA写真② 羅州国立博物館のキッズ体験コーナー(筆者撮影)

博物館で共通してみられたのが、キッズ体験コーナーである。公州・扶余では独立した建物があり、ほかでもすべての館で設置されていた。羅州国立博物館では日曜日だったこともあり、親子連れでにぎわっていた(写真②)。滑り台などがあり幼児から歴史的な場で楽しむことを意図しているようだ。幼少からの歴史教育を重視した国家的な政策なのだろう。遺跡整備と博物館建設も国がやるから早く実現する一方、内容は共通する。

水中考古学の先達

韓国は1983年から新安沖の沈没船を海軍の協力をえて引き上げを開始した。アジアでは水中考古学の先進国だ。これまで引き上げた船は中世のものを中心に14艘にものぼるという。国が直営でやっている成果だ。引き上げられた船体のうちいくつかは保存処理されて博物館に展示されている。はじめて実物を見て、その大きさに迫力を感じた。新安船は出土した木簡から、幸運にも中国からの積荷を京都の東福寺に届けるものだったことが判明している。中世の日本には膨大な量の陶磁器や銭貨などが中国から輸入されたが、その実態を肌で理解することができた。

 

水中遺跡はロマンに満ちた遺跡である。だから、国民的には船体の引きあげが期待される。しかし、水中遺跡は一般的な陸上の遺跡と比べると、比較にならないほどの重い負担がある。まず調査には潜水などの特殊な技術が必要であり、調査に要する時間と経費が10倍以上もかかり、引き上げた遺物の多くは保存処理が必要である。ユネスコの水中遺産条約でも現地保存が重視されている。

 

日本では長崎県松浦市の鷹島神崎遺跡で14世紀の元寇(文永・弘安の役)の沈没船が見つかっている。長年の懸案であった史跡指定が2012年に実現したことを契機に、いま文化庁が水中遺跡の調査や保護に関する指針を検討している。日本ではまだ船体を引き上げた例はない。元寇船を引き上げるべきか否か。問題は単純ではないが、今回、本物の船体の迫力を体感してみると、多大な負担を覚悟したうえで、引き上げる意義も大きいと素直に思えた。

 

現在の日韓には歴史認識など、さまざまな大きな課題がある。しかし、歴史的にみれば、日本が韓半島から得たものは大きく、現代社会も相互に関係して成り立っている。今後も国民・研究者がさまざまな交流を持続することの重要性もあらためて感じた。

公開日:2017年5月1日

坂井 秀弥さかい ひでや奈良大学文学部文化財学科教授

1955年新潟県生まれ。専門は日本考古学、文化財学。文化庁記念物課主任文化財調査官などを経て、2009年から現職。考古学・文化財保護における人材育成と、そのための大学と行政の連携のあり方を近畿地区を中心に模索する。大学では日本考古学と文化財マネジメントを教える。著書には『古代地域社会の考古学』 (2008.同成社)、『日本の史跡』(2004.共著.名著刊行会)など。

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