古代エジプト人と名前

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文化遺産(海外)

古代エジプト人と名前

和田 浩一郎 / Koichiro WADA

國學院大學 文学部史学科 兼任講師
早稲田大学エジプト学研究所 招聘研究員

「おれたちの力は五分五分だ。まさにいい相手だぞ、イエボー。きさまには腕力があるが、おれとて、きさまの名を握っている。どうだ、話し合いでおさめぬか。」

A. K. ル=グウィン(清水真砂子訳)『ゲド戦記』より

古代エジプト人は口から発せられた言葉や書き留められた文字が効力を持つという、日本の「言霊」にも通じるような観念を持っていた。彼らがさまざまな記念物を文字で埋め尽くしているのはそうした理由によるものだが、とりわけ個々人を特定する名前には大きな注意が払われていた。名前はその人に直結する要素で、名前のあつかい次第で対象の人の存在は高まりもすれば消え去ることにもなると考えられたからである。こうした名前の重要性は、「ラーの真の名」という神話物語に端的に表れている。

「ラーの真の名」

世界がまだ太陽神ラー(写真1)によって治められていたころのお話。ラーは神や人びとの前にさまざまな姿で現れ、多くの名で呼ばれていたが、その本当の名前を知る者はいなかった。誰かがそれを悪用しないように、厳重に隠されていたからである。

太陽神ラー(左)写真1 太陽神ラー(左)(撮影:筆者)

イシスとホルス写真2 ホルス神に乳を与えるイシス女神(撮影:筆者)

この秘密に挑もうと考えたのが、女神イシス(写真2)だった。彼女は世界の万象に通じていたが、ラーの真の名だけは手に入れることができなかった。太陽神ラーは一日のうちに一生涯を経験する。つまり夜明けには子供、昼には青年、そして夕方には老人へと姿を変えるのである。日没近く、口をだらりと開いてよだれを垂らしながらよろよろ歩くラー。イシスはこのラーのよだれを土と混ぜて蛇の形にし、それに命を吹き込むと、ラーが通る道に隠したのだった。

翌日、ラーが二国(エジプトのこと)の様子を見るために道を歩いてくると、イシスの作った蛇はラーに忍び寄り、鋭い牙を突き立てた。蛇の毒はあっという間に体内を駆け巡り、ラーは恐ろしい叫び声をあげた。驚いた神々がすぐ彼のもとに駆けつけたが、誰ひとり毒を取り出すことはできなかった。

そこにイシスが進み出た。

「わが父なる神よ、どうぞ御名をお教えください。さすれば私の術で苦痛を取り除くこともできましょう。」

ラーは「天と地の創造者」、「年を割り季節を創る者」、「牝牛のために雄牛を創る者」など、数々の名前を口にした。しかしそれらは真の名ではなく、そのためにラーの苦しみはいっそうひどくなった。ラーはとうとう屈服し、真の名をイシスに告げた。イシスは魔法の言葉を唱え、ラーの体から毒を追い出してこれを殺した。

このようにしてイシスはラーの真の名を手に入れた。その力はいよいよ比肩する者がないまでになったが、イシスもまたこの大いなる神の名を使うことはなかった。だが時が来たときこの秘密は息子のホルスに伝えられ、ホルスはラーの名を知る強力な神として人間界に君臨することになったのである。

個人の名前とニックネーム

こうした物語があることをみると、古代エジプト人は表向きの名前とは別に真の名を持つ習慣を持っていたように思える。ところが現実には、人々が真の名を持っていた証拠を見出すことはできない。神という特別で強大な存在だけが、真の名を持つと考えられたのかもしれない。

人間が真の名を持つことはなかったが、二つときには三つの名前を持つ人物は頻繁に認めることができる。二つ目の名前が一つ目の名前の省略形である1)ことが多いところをみると、複数の名前は本名とニックネームのような関係にあったようだ。要するに英語圏でウィリアムをウィルと呼んだり、エリザベスをベスと呼んだりするのと同じ方式である。

本名の省略形が使われていた一方で、本名とは関係なく付けられたニックネームがあったこともわかっている。有名なのは紀元前1200年頃ルクソール西岸に立派な墓を築いたサアムウトという人物で、キイキイというニックネームを使っていたことがわかっている。古代エジプト語で「キイ」は猿を意味しており、猿のように愛嬌のある人に「キイ」をもじったニックネームをつけることがあった。キイキイもその一例と考えられる。墓に記された文章の中では、ニックネームのキイキイも本名と同じような使われ方をしており、本人もかなり気に入っていたことがうかがわれる。

名前の削除

古代エジプト社会で個人が重大な罪を犯した場合、重い刑に処せられることはもちろんだが、エリート層の場合は個人の存在そのものを抹殺してしまう措置もとられた。具体的には、墓などの記念物に描かれた肖像画と名前を削り落とすことで、その人物の記憶が残らないようにしたのである。自分の名前が後世まで語り継がれることは、古代エジプト人にとって社会的には生き続けているのと同義であり、それは死後に供養してもらえる可能性にもつながっていた。その機会を奪われるのは、肉体を失うのと同じくらい重大な危機だったのである。

名前の削除という刑罰の対象は、時には王にまで及んだ。有名な例は、新王国時代・第18王朝(紀元前1550〜1295年頃)のハトシェプスト女王、アクエンアテン王、そしてトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王である。いずれの人物も死後にエジプトの支配者として不適格とみなされ、それぞれの王が作った記念物は破壊されたり、名前が別の王の名前に書き換えられたりした(写真3・4)。このような迫害行為の結果、トゥトアンクアメン王に関する情報は、死後それほど経過しないうちに失われていったようだ。なぜならこの王の墓が発見されたとき、墓に通じる竪穴の上には、150年ほど後に別の王墓を造る際に使われた、作業小屋が建てられていたからである。当時の政府は、過去の王の墓が王家の谷のどこにあるか把握していた。定期的に王墓を視察し、盗掘されていないか確認するのは政府の義務だったし、新しい墓を造る場所を決めるのにも必要な情報だったからである。トゥトアンクアメン王墓がこうした配慮の外に置かれて忘れ去られ、作業小屋の下になってしまったことが、墓泥棒の目をそらせる結果になったのは歴史の皮肉といえる。

IMGP0359写真3 名前と姿が削り落とされた
ハトシェプスト女王の壁画(撮影:筆者)

IMGP1245写真4 名前が別の王名に彫りなおされている
トゥトアンクアメン王の壁画(撮影:筆者)

重罪人の改名

名前の削除は比較的よく見られる刑罰だが、重罪人の記録を残す際に、本名ではなく別の名前で記述した興味深い例もある。新王国時代・第20王朝のラメセス3世(在位前1184〜1153年頃)の治世に、王を暗殺して我が子を王位につけようという、典型的な王宮内の陰謀が持ち上がった。首謀者は側室の一人であり、さらに何人もの廷臣が協力者になっていた。この計画に加担していた人々の裁判記録は、「ハレムの陰謀パピルス」として知られている2)

この裁判記録には、奇妙な個人名がいくつも登場する。たとえば王宮の執事だった人物はメセドスウラーと呼ばれているが、これは「太陽神ラーは彼を憎む」という意味である。古代エジプトにおける太陽神の重要性を考えれば、このような名付けは通常ありえない。恐らく彼の本名は、よくあるメリラー(「ラーに愛されし者」)だったのだろう。他にもビンエムウアセト(「テーベの町の邪悪な者」)、パアインイウク(「ヘビの魔物」)さらには本名フイを元にしたと思われるペンフイビン(「この邪悪な者フイ」)といった名前が見られる。これらの人物には死刑や自害という判決が下されており、特に罪が重いと考えられた者の本名を、裁判記録にも残さないという意識が働いていたことがうかがわれる。

この陰謀がどのような結果に終わったのかについては、長年はっきりしたことが分からなかった。ただ紹介したような裁判記録が残っていること、次の王(ラメセス4世)への王位継承が混乱なく行われたらしいことから、計画は未遂に終わったという見方が大勢を占めていた。ところが近年行われたCTスキャン調査によって、ラメセス3世のミイラには喉に深い切り傷があることが分かり、にわかに暗殺が成功していた可能性が取りざたされるようになった3)。もしラメセス3世が暗殺されていたならば、地上の神とも言える存在に危害を加えた者たちの名前は、文字どおり口に出すのも憚られる状況だったことが想像できる。重罪人の改名は、その結果生じた措置だったのかもしれない。


(1)    例えばルクソール西岸41号墓の主アメンエムイペトは、イピイというニックネームを持っていた。これは本名の末尾のイペト(古代テーベで行われていた祭りの名称)から派生したニックネームと考えられる。
(2)    Vernus, P., Affairs and Scandals in Ancient Egypt, Ithaca and London 2003, 108 ff.
(3)    https://www.academia.edu/2308336/Revisiting_the_harem_conspiracy_and_death_of_Ramesses_III_anthropological_forensic_radiological_and_genetic_study

和田 浩一郎國學院大學 文学部史学科 兼任講師
早稲田大学エジプト学研究所 招聘研究員

1968年青森県生まれ。英国・スウォンジー大学古典古代史学部大学院修士課程、國學院大學大学院文学研究科博士課程修了。博士(歴史学)。著書に『古代エジプトの埋葬習慣』(ポプラ社、2014)、『古代オリエント事典』(日本オリエント学会編、岩波書店、2004)など。

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