エジプト文化遺産の現在(いま)-「アラブの春」から生じた混乱ー(2)

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文化遺産(海外)

エジプト文化遺産の現在(いま)-「アラブの春」から生じた混乱ー(2)

⻑⾕川 奏 / So HASEGAWA

早稲田大学総合研究機構客員教授

遺跡・博物館の破壊と略奪

30年にわたるムバーラク長期政権の後半にあたる、1990年代の後半から2011年までの時期は、文化遺産の保存動向でも大きな画期であった。この時代の始まりは、1997年の痛ましいルクソール市のテロ事件によって記憶に残る。これはルクソール市のハトシェプスト女王葬祭殿において、先鋭的なイスラーム集団により、10名の日本人を含む61名の外国人観光客がテロの犠牲になった事件である。その衝撃は全世界を駆け巡り、観光は大きく落ち込み、政府には大打撃となった。しかし、これを契機に政府はテロの根絶作戦を進め、反体制武闘派の活動は激減した。加えて、1990年代の半ばあたりから、一般の人々の生活にも浸透したインターネットや衛星放送によって、映画やスポーツなど文化のさまざまな領域で、新しいライフスタイルが追求される大きな変化が訪れ、政権の運営はむしろ順調に見えた。しかし急激に世界が広がった風潮の影響であろうか、独裁政治への批判も徐々に高まり、また折からの深刻な物価高騰に加え、次期大統領選挙に大統領の次男が立候補するという噂も立ち、2011年月末には、チュニジアにおけるジャスミン革命に触発されて、大統領の退陣を要求するデモは拡大の一途を辿り、同年2月上旬にムバーラク長期政権はついに崩壊した。

しかし、政治的な混乱としては、これはまだ序章であった。軍による暫定的な統治の後にムスリム同胞団のムハンマド・ムルシーが自由選挙を経て2012年7月に大統領に就任した。ムルシーは、南カリフォルニア大学で工学博士の学位を取った同国初の文民大統領であったが、政教分離などの世俗的な価値観が浸透していないエジプトでイスラーム主義に基づいた統治を進め、国内の世俗派から強い反発を受けたのであった。政権後半にはイスラーム主義に基づいた新憲法制定を目指した事によって大規模な反政府運動が発生し、最終的に政権担当能力を疑問視したシーシー国防大臣らによるクーデターによりムルシー大統領は解任され、身柄を拘束された(2013年7月)。シーシーは長く軍に従事、司令官として多くの経験を積み、ムバーラク大統領の側近としても知られた人物であり、2017年現在もシーシー大統領を戴く軍による政権運営が続いている。私はこの激動の時代、たまたま政府の国際交流事業に携わる機会を得て、混乱する市民生活の息吹のまっただ中にいることができた。

写真1 50%写真1:タハリール広場の群衆を前にしたカイロ博物館の警備 撮影:⻑⾕川奏

博物館の破壊と略奪という事態が起こったのは、こうした政治的混乱のさなかであった。2011年1月28日は、ムバーラク政権が倒された一連のデモの中では、特に「怒りの金曜日」として知られる。金曜の集団礼拝の後に各地から数万人が集結し、これに対し軍が鎮圧を図った事件であるが、この混乱に乗じてタハリール広場にあるカイロ博物館(写真1)が襲われた。カイロ博物館は世界的に著名なツタンカーメン王墓の出土品が所蔵されているところである。博物館側も、おそらくこうした政治的な混乱のかなり早期から、略奪に対する警護は怠っていなかったと思われるが、結果的には所蔵品が略奪されて、60点以上の遺物が紛失した。ツタンカーメン王の祖父にあたると思われるユヤのハートスカラベ1)や女神に抱きか抱えられたツタンカーメン王の木製彫像、アクエンアテン王像等は、みやげ物店等の脇でみつかり取り戻されたものが一部はあったものの、世界的に著名な博物館が襲われたことは大きく報じられた。

カイロ周辺図(mono)図1:カイロ周辺図

治安態勢が揺らいだ地方の遺跡や遺物収蔵庫では、略奪が相次いだ。ピラミッド・ゾーンでは、サッカラのカゲムニの墓やマヤの墓といった古王国時代や新王国時代の著名な墓が荒らされた上、各遺跡地区の遺物倉庫が略奪された。その中でも、最も衝撃的な展開は、ダハシュール遺跡であった。ここは1996年になるまで、軍の管理下に置かれていた遺跡地区であり、ピラミッドの前面に広がる湖などの美しい古代景観が残されていた地である。そこに2013年1月、ならずもの集団がブルドーザーを伴って、ピラミッド隣接地に私的な墓地を建設し始めたのである。さらに在地の建設業者が土地を購入後に、村民に安く売却して利益を得、また治安が不安定化する中で盗掘が横行した。不法者たちはマシンガンで武装していた一方、考古警察・観光警察の力が不足していたため、この地は盗掘団・地元警察・軍の熾烈な抗争の場となった。また中部エジプトでは、アンティノオポリスで大規模な盗掘が行われ、不法建造物の建設の整地にはブルドーザーも用いられた。遺跡地区にある修道院では、古いパピルス文書探しのため、破壊と盗掘が横行した。その他、デルタや上エジプトでも、遺跡略奪の報告は後を絶たない情況であった。

写真2 50%写真2:破壊を受けたモスク (ムアイッド・アル=シェイフ) の扉装飾 撮影:⻑⾕川奏

こうした略奪はイスラームの歴史遺産も無縁ではない。たとえば、バルクーク複合体2)のモスクでは、扉に取り付けられる金属製の幾何学装飾に、スルタン名が金で装飾されたものが盗難に遭っており、説教壇や扉装飾の損壊はイスラーム地区のその他施設でもみられている(写真2)。キリスト教の建造物に関しては、治安組織の崩壊と共に宗教間抗争が多発したが、多くはイスラーム教徒がコプト教会を襲撃し、コプト派住民の側が反撃するという流れをとった。しかしより大きな問題は、宗教間抗争に便乗し、教会を焼き討ちし、住居を襲い、商店街から金品を奪う若者集団が増加したことであった。多くの若者は、治安警察や秘密警察が教会を私服で警護していた体制が社会から消えるという突然の社会変化に直面して、何が自由になり、何がまだ不自由なのか理解できないとも言われる。2013年8月には、エジプト全土で40以上の教会が焼き討ちにあい、ミニヤ市だけでも18の教会が被害にあった。このように、ファラオの遺産ばかりでなく、キリスト教やイスラームの建造物が危機に晒される中で、イブン・トゥールーンモスク地区は、幸運にもこうした破壊を免れた。ここは初期イスラーム時代の著名なモスクに17世紀カイロの住宅が博物館アンダーソン博が複合した文化地区として知られるが、カイロで最も貧しい地区に隣接しており、違法な高層建築が顕在化した地区でもあり、文化遺産の保全が大いに危ぶまれたが、ここでは周辺住民による自警団が組織されて、実際にやってきた略奪集団から実力で施設を防衛した。

2013年8月は、ムルシー政権に対する軍事クーデターが起こり、イスラーム主義者たちが排除された混乱に乗じて、上エジプトのマッラーウィー市にあった地方博物館が完膚なきまでに略奪された。また2014年1月には、イスラーム地区に近い内務省保安局が政治集団に狙われ、仕掛けられた爆弾が爆発した。そのために、対岸に位置していたイスラーム芸術博物館が大きな被害を蒙り4人死亡、75名以上の負傷者、爆風で 8,000点の展示物主要展示物のうちの80が破壊され、粉々に粉砕されたモスクランプ(写真3)の写真が痛々しく報じられた。イスラーム博物館は1903年に建てられた伝統ある建造物であり、その後のダウンタウンの発展の中では交通事情の悪さや大気汚染も深刻な立地にあったが、そうした不利な点を跳ね返し、約15億円の予算をかけて行われた修復が完成したばかりの惨事であった。被害を受けたファサードは、欧米からの資金援助によって修復され、2017年3月には再開館され、イスラームの文化遺産はなんとか日の目を浴びた。

写真3 50%写真3:爆風で破壊されたイスラーム博のモスクランプ 撮影:⻑⾕川奏


(1)    スカラベは、甲虫類のコガネムシ科の昆虫であり、糞球を転がす習性が太陽の運行を司る神に結び付けられて、再生や復活の象徴とされて、その護符が遺体の心臓部分に置かれた。
(2)    イスラームの宗教施設の特徴で、モスクを中心として、イスラーム諸学を学ぶ教育施設としてのマドラサや、ときには医療施設としての病院等を包括する建造物群を指す。

公開日:2017年8月7日最終更新日:2017年8月10日

⻑⾕川 奏早稲田大学総合研究機構客員教授

考古学者(文学博士)。早稲田大学エジプト学研究所准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター長を経て現職。専門は古代末期の物質文化研究と中東の文化財保存史。著書に『図説・地中海文明史の考古学』(彩流社 2014年)、「遺跡の破壊と保存活動」鈴木恵美編著『現代エジプトを知るための60章』(明石書店 2012年)等がある。

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