世界遺産候補「北海道・北東北の縄文遺跡群」を支える人々

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文化遺産

世界遺産候補「北海道・北東北の縄文遺跡群」を支える人々

高田 和徳 / Kazunori TAKADA

御所野縄文博物館 館長

遺跡ボランティア

「北海道・北東北の縄文遺跡群」を世界遺産にという運動はそれぞれの遺跡で活動するボランティア団体の交流がその端緒であったことはあまり知られていない。

 

大規模な遺跡の発掘調査が相次ぎたびたびマスコミを賑わすようになるのは1990年代以降のことである。マスコミに取り上げられるようになると遺跡に興味をもつ人が増え、その人たちが中心となってボランティア団体が結成されるようになる。なかでも1992-1994年に調査した青森県の三内丸山遺跡は「縄文都市」として大きく取り上げられ、全国に知られるようになった。1994年に一般公開をはじめるとドット人が押し寄せるようになり、急きょ遺跡の内容を説明する人が必要になってきた。このような状況で設立されたのが「三内丸山応援隊」である。1995年のことであるが、同年8月にはさらに「三内丸山遺跡縄文発信の会」が立ちあがった。「縄文発信の会」は三内丸山遺跡を通して縄文文化を全国に発信するために結成された団体であり、月刊の機関誌を発行したこともあって会員は青森県だけでなく東京や大阪など全国に広がり、東京や仙台には支部まである。定期的に開催している「縄文塾」では勉強会や会員どうしの情報交換などを行っている。同じ頃是川石器時代遺跡のある青森県八戸市では「八戸縄文保存協会」が結成され、「縄文学習館」を中心として活動がスタートした。1996年には岩手県一戸町の御所野遺跡で「自然と歴史の会」、翌1997年には青森県の二ッ森貝塚で「二ッ森貝塚保存協力会」、秋田県北秋田市の伊勢堂岱遺跡では「伊勢堂岱ワーキンググループ」、さらには鹿角市大湯環状列石の「ストーンサークル万座の会」など遺跡に関わる人々の団体が次々と結成された。その後御所野遺跡では地元の小学校の「御所野愛護少年団」や「御所野遺跡を支える会」「御所野発掘友の会」、大湯環状石では「大湯ストーンサークルガイドの会」などひとつの遺跡で複数の団体が結成されるようになる。

遺跡間交流と連携

縄文遺跡への注目は地域住民だけでなく経済界などにも大きく波及していく。1995年東北経済連合会と東北開発研究センターは、東北の21世紀の地域振興の切り札として、「豊かな自然環境」と「縄文文化」をキーワードとした「環十和田プラネット構想」を提言する。1997年には青森県のほか秋田・岩手県北部の十和田湖を中心とした94市町村と25民間団体が加入して「環十和田プラネット広域交流圏推進協議会」が結成されている。環十和田プラネット構想には国土交通省も注目し、1999年に策定した「東北開発促進計画(第5次)」において、縄文文化などの歴史的・文化的環境と美しい景観を継承するとともに、地域づくりの資源として活用しながら東北全体の地域活性化を図るという計画書を策定した。2000年から調査研究に着手し、北海道・北東北の13の縄文遺跡の実態調査とともに、遺跡間のネッワーク形成や遺跡見学のためのルート開設、ボランティア連携などを柱とした遺跡間交流の方策をまとめている。そのモデル地域となったのが青森県の三内丸山遺跡、秋田県の大湯環状列石、岩手県の御所野遺跡の3遺跡である。2002年秋に「縄文週間-縄文のこころとまつり」という共通テーマを設定してコンサートやフォーラムなど多彩なイベントを実施している。

 

翌2003年には北海道南茅部町の大船遺跡で活動する「北の縄文クラブ」が結成され、北東北3県の交流事業に新たに参入、はじめて北海道・北東北の縄文遺跡群が一体となって活動することになった。交流の範囲が広がったことで事業名を「縄文のこころをつなぐ縄文月間」とし、より緊密な連携を図るための方策などについて「4遺跡連絡会議」と称して精力的に検討を重ねてきた。そのなかで生まれたのが「北の縄文文化回廊」という構想である。会議には4道県の企画サイドの職員もオブザーバーと参加しており、その助言を受け4道県の知事へ構想を提言することになった。提言者を「縄文月間推進4遺跡連絡会議」とし、それぞれ道県の団体毎に知事に提出している。道県を超えたボランティア団体のこのような提言は、2003年に札幌で開催された4道県知事サミットの合意事項として採択される。これには次のような背景があった。もともと知事サミットは北東北3県が、広域連携、地方分権、道州制などを見据えた連携ということで1997年に開始しているが、2001年から北海道も参加している。2003年にはじめて 北海道で開催されているが、実は北海道では前年から渡島支庁が中心となって、噴火湾沿岸の縄文遺跡を中心とした「探訪 遺跡の郷づくり推進事業」を実施している。事業には各遺跡のボランティア団体も一緒に活動していたこともあり、まず北海道が積極的に働きかけをして4道県の合意事項となったようである。北海道の噴火湾岸地域も縄文遺跡が多く、早くからボランティア活動が活発であった。「北の縄文クラブ」のほかには伊達市北黄金貝塚の「縄文スクスク森づくりの会」「オコシンベの会」、「噴火湾考古学研究会」、虻田町入江・高砂貝塚の「アブタフレナイの会」など、いずれも1999年から2003年頃に結成されている。以上のような経緯で北東北・北海道南部の縄文遺跡群を中心とした4道県のプロジェクトがはじまった。

北の縄文文化回廊づくり

さっそく実践プログラムの検討チームが結成され、翌2004年に「北の縄文文化回廊づくりアクションプラン」を作成している。計画づくりは、活動団体の代表者を中心として、博物館等の専門職員、学識経験者などのメンバーで構成される「北の縄文学交流会議」のなかで情報交換をしながらまとめている。最初の会議は函館市で開催、併せて縄文の展示会やフォーラムなどの普及啓発事業を大々的に実施した。2005年には青森市の三内丸山遺跡、2006年は秋田県秋田市、2007年は御所野遺跡のある一戸町で順次開催している。なお最終年度となった岩手県では事業の総括も兼ねた「北の縄文文化回廊展」を岩手県立博物館と御所野縄文博物館の2か所で開催している。「北の縄文文化回廊」としての事業はその年に終了するが、2008年には4道県のボランティア団体が中心となって「北の縄文文化回廊づくり推進協議会」を組織し現在も活動を継続している。なおアクションプログラムや報告書のなかでは、将来はこの事業を基盤として世界遺産登録を目指そうということを明記していた。

 

「北の縄文文化回廊づくり」の理念を世界に羽ばたかせる絶好の機会が訪れた。2006年に文化庁が国内の世界遺産候補を公募することになったのである。年度途中での公募で準備期間がほとんどなかったこともあり、同年は青森県が「青森県の縄文遺跡」、秋田県が「ストーンサークル」とそれぞれ単独で提案しているが、当然のことながら縄文文化を現在の都道府県単位で提案することには無理があり採択はされなかった。翌2007年「北の縄文文化回廊」を実績として4道県で「北海道・北東北の縄文遺跡群」として提案したところ、32件の難関を突破して採択されることになった。2009年1月にユネスコの世界遺産委員会の暫定リストに記載されるとともに4道県では世界遺産登録推進協議会を結成、世界遺産登録を目指す取り組みが本格的にスタートした。

北の縄文文化回廊イメージ図北の縄文文化回廊イメージ図

世界遺産候補「北海道・北東北の縄文遺跡群」登録遺跡群世界遺産候補「北海道・北東北の縄文遺跡群」登録遺跡群

世界遺産登録に向けて

北海道・北東北では1900年代から貴重な縄文遺跡が次々と発見され、なかには地域住民の運動により保存される遺跡もでてきた。このような遺跡の保存運動をきっかけとして早くから遺跡に関わって活動する人も多く、それぞれの遺跡でボランティア団体がいくつも結成されてきた。このような北海道と北東北の「自然と縄文遺跡」については、東北地方全体の経済界などでも以前から注目されており、国土交通省などとの連携により地域内での交流がはじまった。そこから「北の縄文文化回廊」という大きな流れができ、その成果が世界遺産暫定リストへの記載へと連なる。最近は世界遺産登録に向けて青森県の事務局を中心に一層連携が密になり、いろんな分野で登録に向けた活動が一層活発になってきた。ここ数年は大人だけでなく、小中高生も遺跡に積極的関わるようになってきている。早くから活動している御所野遺跡の「御所野愛護少年団」のほかに秋田県の伊勢堂岱遺跡でも「ジュニア・ボランティア」が結成されているし、各学校でも何らかの形でそれぞれの遺跡に積極的に変わるようになってきた。その成果は2014年に4道県の世界遺産登録推進本部主催の「ジュニア縄文考古学フォーラム」が一戸町で、2017年には伊達市で「こども縄文シンポジウム」を開催されるなど、地域全体で「縄文の精神」を生かした取り組みがはじまっている。このような活動を支えているのは世界遺産登録の運動がスタートする10数年以上前から各遺跡で活動してきたボランティアの人々である。その人たちの夢-縄文文化を世界に発信したい-という夢を何としても実現したい。

「北海道・北東北の縄文遺跡群」のボランティア団体一覧表

参考文献

・縄文と自然を活かした環十和田プラネット構想の推進
「縄文と自然-環十和田からの発信」 財団法人東北開発研究センター 1998
・「北東北における縄文遺跡の連携による地域間交流促進支援調査 報告書」
国土交通省国土計画局 2003

公開日:2018年3月23日最終更新日:2018年3月23日

高田 和徳御所野縄文博物館 館長

1949年生まれ。岩手県一戸町出身 大学卒業後岩手県教育委員会文化課、一戸町教育委員会
教育次長兼生涯学習課長を経て、現在、世界遺産登録推進室長兼御所野縄文博物館館長。
 [主要編論著書」『火と縄文人』(同成社、2017)『縄文のイエとムラの風景』(新泉社、2005)
         「縄文集落の復原事例-岩手県御所野遺跡の整備から」『日本考古学」15(日本
         考古学協会、2003)。「御所野遺跡の保存と活用」『日本歴史』7(吉川弘文館、
         2003)。縄文時代の土屋根の復元」『月刊文化財』(共著、第一法規、1999年)

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