『縄文ZINE』の作り方

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文化遺産(国内)

『縄文ZINE』の作り方

望月 昭秀 / Akihide MOTIDUKI

縄文ZINE 編集長

フリーペーパー『縄文ZINE』という雑誌

写真1

フリーペーパー『縄文ZINE』という雑誌があります。2015年の夏に発行され、現在8号。もともとは私、望月(縄文ZINE編集長)の個人的な企画から始まったこの雑誌ですが、号を重ねるごとに各地で新しい縄文ファンを発掘し、現在は毎号3万部を発行、日本全国300カ所以上で配布され、楽しみにしてくれる読者も増えてきています。

 

いきなりの自慢から始めましたが、実はこの雑誌、まだ広告も入らず、大口のスポンサーにもめぐまれておらず、もちろんなんの補助もうけていません。マネタイズという点では残念ながら成功しているとは言い難い状態です。そこがプラスに転じるにはもう少し時間がかかりそうだなと思っています。そんな発展途上の雑誌でも自信を持って語れるものがないわけではありません。読んでいただいたことがある方はわかると思うのですが、この雑誌には遺跡や考古館ではやっていない(やれない)切り口の企画にあふれています。今回はどうやってこういう企画ができているのか、そんなことをこの場を借りて紹介したいと思っています。

 

その前に、もう少しだけバックグラウンド

正直に言わせていただければ、この雑誌を作成しようとぼんやりと考え始めた2014年から2015年当時、世間では「縄文」というコンテンツは、「誤解」と「偏見」にまみれ、「貝塚? クスクス」と、半笑いで語られることが多かったように思えます。一方で縄文好きは先鋭化し、好きな人とそうでない人の間にはコロラド川が造った渓谷のように深くて広い断絶がひろがり、その両岸には大きな隔たりが存在していました。

博物館や考古館に行くのも一人、遺跡に行っても一人、咳をしても一人。私の場合、幸運なことに縄文の話ができる友人は一人いました。それでも一人でしたが…。最近出会った鹿児島から上京してきたばかりの考古学者を目指す縄文青年は、鹿児島ではこれまで、同好の人間に一人も出会わなかったと、絶望的な話をしていました。

遺跡は閑散とし、人を見かけたとしても50代から60代の男性が主で、この「業界」がこの先どうなるのか、他人事ながら不安を覚えたりもしていました。たいていの考古館の展示は興味深いものばかりで個人的に不満があるわけではなかったのですが、相当興味を持ってピンポイントで探さないと、縄文にはたどり着かないのではないだろうかとも感じていました。世の中にはもっともっと攻撃的に刺激的にファン獲得にエネルギーを注いでいるコンテンツが大量にあるからです。そこに引っかからずに縄文に、遺跡に、人がたどり着くということは、ほとんど不可能にも感じました。その不安は、このままでは誰とも縄文について共有できないのでは、との危機感につながります。これは業界内にいたら絶対にわからない、研究者ではない普通の縄文好きのリアリティです。

 

最近ネットの記事で、定年を迎えた在野(郷土史家)の考古学おじさんが自信満々に「謎を解いた」と、各地の考古館に自説(たいていはトンデモ)を持ってきて学芸員を困らせているという記事がありました。SNSでは困ったもんだ、ああはなりたくないと、そんなことを言う人が多かったようですが、私にはそんな考古学おじさんの気持ちが痛いほどよくわかる。彼らは追い詰められた人たちなのです。研究者や学芸員、考古館のスタッフの方々にとっては本当に迷惑な人たちですが、これは孤独な魂の叫びでもあるのです。もしその説がただのトンデモだったら…、ぜひバッサリと介錯してあげてください。

『縄文ZINE』の発行の理由

写真2フリーペーパー『縄文ZINE』第8号

縄文ZINEの発行の理由も実は孤独な魂の叫びの一種です。縄文の楽しさを共有したいという魂の叫びです。一方で、この縄文という魅力的なビックコンテンツが「普通の」人たちにまるで共有されていないという状況は、私にとって魅力的でした。この分野に必要で「まだ無い」モノを作れるんじゃないかというワクワクもそこにはありました。

縄文ZINEのコンセプトは「都会の縄文人のためのマガジン」と決めました。都会の縄文人とは現代に生きる市民としての私たちのことを指しています。これは縄文と現代。このふたつをつなげることの宣言です。そしてターゲットは30代をコアにした20代から40代の男女。縄文時代にほとんど興味がなく、なかなか遺跡に訪れない層に設定しました。

雑誌の形態としては、webマガジンではなく、手触りのある「紙」であること。書籍ではなくフリーペーパーでの発行に決めました。この創刊は個人的なものだったのもありますし、実績もなく、なんの説得力のない冊子に誰かがお金を払うとは思えなかったのが主な理由ですが、フリペという形態はお金という概念のなかった縄文的であり、かつ偶然の出会いの可能性が一番あるのではないかとも思っていました。

もうお分かりかもしれませんが、この時点ですでに事業計画として破綻しています。ターゲットの少ない層に向けてボールを投げても誰も受け取ってくれず、暗闇に音もなくボールは吸い込まれていくでしょう。それからフリーペーパーという形態だって問題です。現在のメディアの主戦場はwebメディア。フリペというジャンルがそれほど盛り上がっているわけではなく、広告は入らず、大手はすでに撤退し、かろうじてクーポン系のフリペだけがなんとか生き残っていました。

もし私がどこかのベンチャーの社員だったとして、こんな企画書を提出したら、一笑にふされるか、そもそも思いついたとしてもどこにも出せない案件だったと思います。マーケティングの面でもマネタイズの面でも何の光明も見出せないわけですから。

写真3『縄文ZINE(土)』 縄文ZINE第1号から第4号までの合本、片桐仁さんのインタビューに加え新たに加えた企画も

問題を放置し、コンセプト、ターゲットの次は編集方針です。これはコンセプトを決めた時点で自ずと方向性が見えていました。縄文と現代をつなげるコンテンツを考えればよいのです。「縄文」と◯◯をその親和度をあまり考えずにつないでいきます。そして作業を進めるうちに「縄文」というモチーフの素晴らしさを私は再確認しました。縄文は現代カルチャーの何と合わせてもそこに対極的な大きなギャップが存在します。それなのによくよく見れば根底ではつながっていることを感じるのです。

岡本太郎の「対極」に学ぶ

縄文美術の再発見者、芸術家の岡本太郎は「対極」という言葉をよく使っていました。多分にバタイユの思想をうけたその考えは、一見矛盾するものを自分の中でぶつけ合わせ、スパークさせるんだ。と。縄文と現代カルチャーは誌面の上でぶつかり合い、スパークし、不思議な花火がいくつも上がりました。対極的な企画の構成は縄文と現代カルチャーのどちらにも最大の距離が生まれ、その距離が両者を際立たし、どちらの印象も強めます。

岡本太郎やバタイユを引き合いに出さなくても、単純にギャップのある人が魅力的なのって、そういうことですよね。

写真4『縄文人に相談だ』1/24発売 悩みなんて全部まとめて貝塚に 現代人の現代的な悩みに縄文人のふりをした現代人が縄文的にこたえる

写真5『縄文力で生き残れ』7/11発売 縄文意識の高い系ビジネスパーソンの狩猟採集的仕事術100

もちろんうまくいった企画もあればそうでないものもありました。土偶と現代的なおしゃれな女の子=ドグモ。縄文と映画。縄文人と漫才。縄文と漫画。村上春樹と三内丸山遺跡。アイドルと縄文。ファンシーと縄文。絵描き歌と土偶。現代人から縄文人への質疑応答=縄弱コーナー……。

最初の特集は大ネタを中心にしっかりと取材をして、時に真面目に、時に軽く記事にしました。

難しかったのは優しくし過ぎないというバランスです。複雑さや難解さも、考古学の面白さの重要な要素だと思ったからです。そもそも目線を下げてやさしくするやり方は、縄文ZINEの想定読者(存在しない層だけど)にはさすがにそぐわないですし、私も興味のない方法です。遺跡や考古館でもすでにやられているやり方ですし。

 

既存の雑誌として参考にしたのはマガジンハウスの「ポパイ」です。企画そのものというよりも、スタンスとして「ポパイ」は読者との距離の近さを感じました。後にポパイの現役編集者と知り合ったのですが、まるで雑誌から抜け出てきたように「シティボーイ」でした。

縄文人になるわけではありませんが、縄文ZINEも読者と近い雑誌を目指しました。そもそもの発端が「孤独な魂」なわけですから、「孤独な魂」同士の魂の交流ができる雑誌になればと思いました。

縄文ZINEという名前もここに関係しています。この雑誌は縄文ZINEという人格です。縄文ZINEという縄文時代の友だちです。縄文ZINEは友だちが友だちにおもねったりしないように読者におもねったりしません。時にはけんか腰で読者を罵倒し、時には互いに弥生時代の悪口に花を咲かせ、時には役に立たない縄談で笑いあったり、へんなうわさ話をふきこんだり。たまには真面目に語り合ったり。

 

大ネタすぎて恥ずかしいのですが、もう一つ参考にしたのは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』です。この小説の素晴らしいところはひとえに読者が全員、主人公の竜馬と友達になってしまうところに他ならないと私は考えています。ひいては友達の生きた幕末という激動の時代を読者は旅をし、その世界を理解していくという理想的な歴史小説です。ずいぶんなところを参考にして、大きく出たなと思う方も多いと思いますが、これは本音です。『縄文ZINE』も誌面を通して読者と一緒に縄文時代を旅してみたいと思っています。だらだらと、やくだたいのないことをたぎったり(自慢したり)、くだらない縄談なんかを言い合いながら・・・。

「縄文ZINE」A5判 30,000部発行 全国各地の博物館や書店のほか、素敵なカフェ、それにおいしいカレー屋さんなどにも置いてあるところも実はあります。既に、第1号〜第7号は配布が終了し第8号を配布しています。残ってるかもしれませんが、残ってないかもしれません。

※配布先は「縄文ZINE」HPを参照ください。

 

望月 昭秀もちづき あきひで縄文ZINE 編集長

1972年 弥生遺跡である登呂遺跡で有名な静岡県生まれ。
株式会社二ルソンデザイン事務所代表/縄文ZINE編集長
二ルソンデザイン事務所は商品パッケージから書籍、雑誌まで、グラフィック全般を幅広く手掛けているデザイン事務所。
2015年からフリーペーパー『縄文ZINE』を発行。
メディアへの露出も多い。

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