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歴史・民俗学

民具と回想法

広実 敏彦 / Toshihiko HIROZANE

地方文化研究所 顧問 

民具の持つ力

民具整理をしていると、その民具の持ち主はもちろん通りすがりのお年寄りから話しかけられることが良くある。使ったことがある道具を見かけると、とても懐かしいと言われる。

私も調査研究が仕事である。民具を使ったことのある人、使っているところを見たことのある人からは少しでもお話を聞きたいと思っているので、積極的に聞いてしまう。

すると、お年寄りは調子に乗って、身振り手振りを織り交ぜて、目を輝かせて延々と話し続けてくれる。これは、一部のマニアックな老人の話ではない。基本的に人間だれしも、過去の栄光や過去の軽い不幸話は話したいものである。マイヒストリーは生きた証である。

 

また、民具の展示をしていると、昨日までほとんど寝込んでいたと言う民具の持ち主の老人が、広い展示場を一日中歩き回って説明してくれているとか、「かなり認知症の進んでいる老人だから、話にならないよ」と言われながら聞き取り調査に行くと、具体的な話をたくさん聞くことができて、その後1ヶ月ぐらいの期間ボケなかったと後日家族からお伺いしたこともある。

民具の展示場で涙を流して喜んでいたなどの光景はよく見る場面である。

 

このように信じられない奇跡の経験は民具に携わっているものには『あるある話』なのだ。

これは福祉の世界では有名な『回想法』と言う認知症予防の方法らしく、昔話をして子どもの頃を思い出すことが認知症の予防にとても効果があるという事である。私は福祉の世界での『回想法』がどのようなものなのかはよく知らない。

それどころか、話してくれる老人の心や身体の健康などは考えたこともない。まったく失礼な話であるが、私たちの興味があるのは民具であり福祉ではなかったのだから仕方がない。

しかし結果的にではあるが『回想法』がとてつもない効果があることだけは、実践から間違いないと自信をもって断言できる。

さぞかし福祉の世界では、『回想法』が使われているのであろうと思っていたが、聞いた話では、福祉施設では知識はあってもあまり使われてはいないらしい。なぜなのか最初はわからなかった。しかし当然と言えば当然である。

『回想法』には聞き手がいるのである。福祉の世界では介護職員が聞き手である。介護職員は福祉の専門家ではあるが、学芸員ではない。まして民具や民俗の専門家ではない。だから民具や民俗に興味も知識も持ってないのである。興味のないことを延々と聞かされることはかなりキツイ仕事になってしまう。まして興味のない人に老人が話をするわけがない。

原因として、民具や民俗をもっとメジャーにすることのできない私たちの責任かもしれない。

そこで、とてつもなく貴重な民具とそれを証明できる老人のすごさを話してみたい。

民具の転換期

日本の庶民の歴史には、道具から考えられる大きな転換期が数回ある。しかしそれは「応仁の乱」「戦国乱世」「江戸時代」などのとてつもない政治的転換期とは大きくリンクしていない。

道具の変化は、『材質』と『動力』によって、大きく変化する。

『材質』については、石器時代には石器が最強であった。縄文時代~弥生時代には石器と土器と木製品が中心、古墳時代に青銅器が出てきて、平安時代に鉄が普及し始める。その後、昭和の時代に入るまで、石油製品やセラミック・グラスファイバーなどの様な特殊な材料は出現しない。

『動力』は、人力のみから、弥生時代~古墳時代に牛や馬を使うようになった(諸説あり)。その後水力を使うこともあったが、ほぼそれ以上の動力の出現はない。

明治維新で、蒸気機関という動力を手に入れ、船や機関車が普及して、大きく流通は変わった。しかし、実際の庶民の生活は、昭和30年前後のエンジンと電気が一般に普及するまで大きな変化はない。

このように考えてみると、道具の世界は、弥生時代以前から変わっていない道具を含めて、鉄製品が普及し始めた平安時代ごろから、昭和30年前後まで、ほとんど変わっていないことに気が付く。

なぜ、平安時代あたりから、昭和30年前後まで、1000年以上も道具が変わらないのか、日本人の価値観の変化などは、後日詳しく述べるとして、ほんの一部であるが、変わらない道具の例えを上げてみよう。

 

1.羽釜 古墳時代後期~昭和30年代

須恵器の職人が、登り窯と一緒に朝鮮半島から持ち込んだ竈(かまど)の影響で、古墳時代後半に天井に穴の開いた竈(かまど)が普及した。朝鮮半島では上部に作り付けの釜が取り付けられているようだが、水の豊富な日本では取り外して洗えるように独自の羽根が付いた釜が使われた。これが羽釜である。江戸時代に厚みのある蓋に変わったそうだが、羽釜自体の形は古墳時代から全く変わっていない。電気釜の普及とともに昭和30年代に姿を消していった。

2.牛犂(うしすき)  古墳時代~昭和30年代

朝鮮半島から入ってきたのは、大和朝廷の頃と言われている。14世紀初頭に描かれた『松崎天神縁起絵巻』には、牛耕の様子が描かれているが、まさに長床犂である。明治になってから短床犂が出てきたが、一気に変わることはなかった。トラクターの普及とともに昭和30年代に一気に姿を消してしまった。

3.囲炉裏 平安時代~昭和30年代

平安時代ごろ、人々が生活していた竪穴式住居から、床のある建物に推移していった。その時、床の真ん中に四角くくりぬいて作られた炉(ろ)である。暖房・調理・照明・防虫などはもちろん、家族のコミュニケーションの場として、生活の中心として日本人の心に残っている。昭和30年代に驚異的なスピードでアルミサッシが普及し、建物の密封性が高まることで、囲炉裏の存在は、一酸化炭素中毒の危険性から、姿を消していった。

4.桶 平安時代~昭和30年代減少

日本人の誇るべき容器の一つである。運搬や保存や味噌・醤油・酒などの製造に使うための大型容器、棺桶、風呂桶などと、あらゆるものに使用していた。戦後、金属製品やプラスチック製品に変わっていって、現在は、民芸品などで喜ばれているが、生活に密着した桶は姿を消していった。

1.羽釜 定福寺(豊永郷民俗資料館)  撮影:筆者

2.牛犂 定福寺(豊永郷民俗資料館)  撮影:筆者

3.囲炉裏 四国民家博物館 撮影:筆者

4・桶 定福寺(豊永郷民俗資料館)  撮影:筆者

高齢者介護と民俗調査の融合

1000年~2000年変わらずに使ってきた日本人の道具は、昭和30年代に一気に消失してしまった。

その消失してしまった道具を実際に使っていた方たちは85才以上、また使っているのを見ていた方たちは現在75才以上である。85才以上の人は、平安時代に生活していた人々と同じ生活を経験しているという事になる。今の老人にわからない道具の使い方を教えてもらうことで、平安時代の絵巻や文書の意味が分かるというとてつもない奇跡の世代の方たちである。まさにその方たちは、日本の2000年の歴史を体験している最後の生き証人と言えるだろう。

私たちのように、今は消えてしまった「テレホンカードを知っている」とか、「ファミリーコンピューターを知っている」などとはレベルが違う。いま、民具に興味を示さなければ聞き取り調査と言う最大限の情報収集方法ができなくなり、極めて難しい学問となってしまうのではないか。

民俗学・民具学の立場から言うと、本当にもう時間がないのである。とてつもない情報量を持っている最後の生き証人には、あと10~20年話を聞けるとは思えないのである。

そして、民具研究をしている私が体験したことは、聞き取り調査をすることで老人が奇跡のように元気になることである。回想法で脳の活性化が進み認知症の予防となっているのだ。

一般の方は老人に元気になってもらいたいという気持ちは私たちの100倍あるのだが、残念なことに、老人の昔の話には全く興味がないのか現状である。老人と接する人が民具や民俗にほんの少し興味を持つだけで、日本中の老人の圧倒的な認知症予防になるのである。つまり回想法を普及させるためには、一般の人が民俗や民具に興味を持てばよいのである。

民具の話をしてくれる老人に、身分や職業・収入などは100%関係ない。それぞれの生き方が教科書であり、1000年~2000年の歴史の証人になっているのだ。私たち民具・民俗学者が率先して、2000年の歴史を知るために老人に話を聞かなければならない。

そのためには介護の勉強も必要なのかもしれない。介護の専門家と民俗・民具の専門家が、お互いに情報交換をしながらもっと融合をすべきであろう。また、一般の人たちも老人に元気になってもらうために民具や民俗に興味を持ってもらい、老人の話を心から楽しめるようになれば明るい高齢化社会も夢ではない。

 

それぞれの立場で何ができるのか、何をしなければならないのか。もう一度考える必要があると提案したい。

 

■参考:リアルタイム民具情報

外部(Facebook)リンク『昔の道具・民具たち』

 

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参考文献:松崎天神縁起絵巻