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考古学

『謎の海洋王国ディルムン』を掘る

安倍雅史 / Masashi ABE

東京文化財研究所主任研究員

皆さんは、中東にあるバハレーンという国をご存知でしょうか?バハレーンは、ペルシア湾に浮かぶ東京23区と神奈川県の川崎市をあわせた程度の小さな島国です。日本では、石油や真珠、F1のバハレーン・グランプリなどで知られています。

かつてバハレーンには、メソポタミア文明の人々からディルムンと呼ばれた王国が存在しました。この王国は、紀元前2000年から紀元前1700年にかけて、南メソポタミアとオマーン半島、インダス地域を結ぶペルシア湾の海上交易を独占し、繁栄をきわめました(図1、2)。

図1ディルムンを通じて南メソポタミアに運ばれた各地の商品

図2バハレーンのディルムン関連遺跡(Laursen 2008を改変)

巨大な沖積平野であり資源が乏しい南メソポタミアには、ディルムンの商人の手によって、オマーン半島の銅、インダス地域の砂金や象牙、紅玉髄、良質な木材(紫檀や黒檀など)、アフガニスタンのラピスラズリや錫、ディルムンで採れる真珠や鼈甲、珊瑚など、大量の物資が運び込まれていました(図1)。メソポタミア文明を物流の面から支え、この文明の生命線を握っていたのが、ディルムンでした。

 

この時代、ペルシア湾の海上交易を独占した結果、ディルムンはメソポタミア文明の諸王国と比較しても遜色のない王国へと成長を遂げ、王都や神殿、巨大な王墓などが建設されました(図3)。

図3 ディルムンの王の墓とされる巨大古墳(アアリ王墓群/Dilmun Mapping Project 提供)

とくにディルムンの栄華を象徴するものとして世界的に有名なのが、古墳です(図4、5)。

図4 バハレーンに残された無数の古墳(アアリ古墳群/Dilmun Mapping Project 提供)

図5 バハレーンに残された無数の古墳(カルザカン古墳群(撮影:筆者)

バハレーンには、この時代、7万5千基もの古墳が築造されています。古墳時代の日本列島に造られた古墳の総数が、15万基といわれています。つまり、この小さな島国には、日本列島全土の古墳の半数にあたる数の古墳が存在したことになります。世界でもこれほどまでに古墳が密集する場所は、バハレーン以外にないといわれています。この古墳群は、2019年に「ディルムンの古墳群」として一括して、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。私はこの謎の海洋王国ディルムンを調査するため、2015年から仲間たちとディルムン最古の古墳群である ワーディー・アッ=サイル古墳群の発掘調査を行っています。

神話に登場する楽園 ディルムン

日本でもよく知られた「旧約聖書」のノアの箱舟の話には、モデルが存在します。メソポタミアで長く語り継がれてきた「大洪水伝説」です。メソポタミアの神々は人間を滅ぼすために大洪水を起こしますが、人間の王ジウスドゥラは巨大な船を造り、人間と動物を絶滅の危機から救うことに成功します。やがて神々は自らの非を認め、ジウスドゥラに永遠の命と海の彼方にある楽園を与えます。この楽園が、ディルムンでした。

 

私は2011年にはじめてバハレーンを訪れました。以来、美しい海と近代的な街並みを見るたびに(図6)、また、バハレーンの美味しいご飯を食べ(図7)寛大で朗らかな人々に接するたびに、ここは楽園そのものだと感じています。

図6 車窓から見たバハレーンの街並み。近代的な街並みとエメラルド・グリーンに輝くペルシア湾が見える(撮影:筆者)

図7 バハレーンの友人が教えてくれた大衆食堂。地元の人間でにぎわう人気店。中東で発掘をはじめて25年になるが、この店のケバブが一番美味しい(撮影:筆者)

楽園での発掘調査

中東で活動する日本の発掘調査団の多くは、大学が長期休みになる8月、9月に調査を行います。中東では、この季節、最高気温が40度ときに50度を超えることがありますが、乾燥し湿度が低いため、比較的涼しい午前中に発掘を行えば、なんとか調査ができます。

 

しかし、四方を海に囲まれたバハレーンの8月、9月は湿度がきわめて高く、高温多湿に慣れた日本人にとっても耐え難いものです。一方、11月から3月の冬季は、日中の気温が20度前後と大変過ごしやすくなるため、デンマーク隊やフランス隊、イギリス隊といった各国の調査団がバハレーンに集います。私たちも、毎年、正月明けすぐに渡航し、2月中旬まで発掘調査を行っています。

中東の調査では宿泊場所も問題です。

私は大学3年のときにはじめて中東の調査に参加しましたが、その時はシリアのユーフラテス河沿いの農村に一カ月泊りこんで調査を行いました。村にはなんとか電気は来ていましたが、水道はなく、肝炎を避けるためにペットボトルの水を飲み、週に一回、シャワーを浴びに3時間かけて街に出るという過酷な調査でした。欧米の調査団の場合、人里離れた遺跡の脇にテントを張り、そのテントに何週間も寝泊まりしながら、発掘を行っているところもあると聞いています。

 

しかし、バハレーンの調査は快適そのものです。バハレーンの北海岸に、ディルムンの王都に比定されているカラートゥ・ル=バハレーンという遺跡があります(図8)。この遺跡は2005年にバハレーン初のユネスコ世界文化遺産に登録され、2008年には遺跡のすぐ脇に近代的な博物館が開館しています(図9)。博物館の目の前には、穏やかで美しいペルシア湾が広がっています。

 

この博物館のなかに、研究者が寝泊まりできる宿泊施設があり、私たちはそこをお借りして発掘調査を行っています。ディルムンの王都に寝泊まりしながら、ディルムンの古墳を掘る、考古学者にとっては、なんとも贅沢な環境です。部屋も個室で、各部屋には勉強机とベッド、トイレ、シャワー、インターネットがあり、さらには研究室やキッチン、倉庫もあります。バハレーン政府のご支援により、まさに理想的な環境で仕事をさせていただいています。

図8 カラートゥ・ル=バハレーン遺跡。ディルムンの王都が眠るペルシア湾岸最大の遺丘(テル)である。遺丘の上には、16世紀、この地に進出したポルトガル人が建設した砦が聳え立ち、バハレーンを代表する観光地となっている(撮影:筆者)

図9 カラートゥ・ル=バハレーン博物館。ペルシア湾に面した美しい博物館である。この一画に研究者が寝泊まりできる宿泊施設がある。一日の終わりに、海に面したテラスに座り、のんびりと沈む夕日を眺めるのは最高の贅沢である(撮影:筆者)

発掘調査は、イスラム教の休日である金曜日を除いて、週6日行っています。調査団の朝は早いです。日が出る一時間ほど前、朝5時ごろには起床し、簡単な朝食をすませ、荷物を車に積み込み、遺跡へと向かいます。朝6時ごろには遺跡に到着、日の出とともに発掘作業を開始します(図10)。

図10 ワーディー・アッ=サイル古墳群での発掘調査。こんもり盛り上がっているのが ディルムンの古墳である(撮影:筆者)

図11 バングラデッシュ人とインド、アメリカからの研究者とともに(一番上が筆者)(撮影:筆者)

発掘は、6名のバングラデッシュ人と行っています(図11)。彼らは家族を国に残し単身で出稼ぎに来ており、稼いだお金の大半を故郷に送金しています。皆、優しく穏やかで、働きものが多いです。英語を話さないバングラデッシュ人もいますが、発掘中は、インダス文明の世界的な研究者である上杉彰紀先生が得意とするヒンディー語で細かい指示を出してくれています。ベンガル語を話すバングラデッシュ人は、言語が近いヒンディー語を理解できるとのことです。

 

9時になると30分の休憩を取り、2回目の朝食をたべ、その後は正午過ぎまで発掘を行います。14時には宿舎に戻り、昼食を食べ、1時間ほど昼寝をします。この昼寝の時間が、一日で最も幸せな時です。その後、作業日誌をまとめ、写真やその日に出土した遺物を整理し、翌日の準備を済ませ、皆で夕食を食べたあと就寝となります。

 

発掘調査は1カ月以上におよび、少人数で調査を行っているため、体調を崩すわけにはいきません。そのため、よく食べ、よく眠るというのが発掘調査の基本となっています。それでも、日本に帰国すると、毎年5kgぐらい体重が減っており、私にとっては、良いダイエットとなっています。

確かな成果と今後期待される世紀の大発見

ワーディー・アッ=サイル古墳群で発掘を開始してから、はやいもので7年が経ちました。順調に成果もあがっています。一番の成果は、ディルムンの起源が、アモリ系遊牧民にあることをつきとめたことです。

 

アモリ人は、メソポタミアの文献に登場する遊牧民で、もともとはヒツジやヤギを飼育し、メソポタミアの西方に広がる砂漠地帯に暮らしていました。しかし、紀元前3千年紀後半に南メソポタミアへ侵入を開始し、紀元前2000年をすぎたころから、武力や政治力をもって名だたる都市の支配者層になっていったことが知られています、メソポタミアを紀元前18世紀なかごろに統一したバビロンのハンムラビ王もアモリ系であったことが知られています。

 

私たちの調査によって、それまでほぼ無人の土地であったバハレーンにも、紀元前2300年ごろに、アモリ系遊牧民が移住を開始し、ディルムンの礎を築いていったことがわかってきています。

 

今後、私は、ディルムンの王墓と沈没船も調査したいと考えています。もしペルシア湾の海上交易を独占したディルムンの沈没船を発見すれば、世紀の大発見となります。現在、日本を代表する水中考古学者の佐々木蘭貞博士にお願いをし、バハレーンで予備的な調査をはじめています(図12)。

図12 バハレーンの海で予備的な調査を行う佐々木蘭貞博士(撮影:筆者)

今後も、バハレーンに拠点を置き、謎の海洋王国ディルムンの謎に挑み続けたいと考えています。

【編集部から】

ディルムンの最新考古学をまとめた『謎の海洋王国ディルムン メソポタミア文明を支えた交易国家の勃興と崩壊』が中央公論社の中公選書から刊行されました(2022年1月)。

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