本誌特集

HOME /  本誌特集 Vol.25「世界遺産の明日」 /  成熟した世界遺産の在り方を目指して

Vol.25

Vol.25

成熟した世界遺産の在り方を目指して

鈴木 地平 / Chihei Suzuki
文化庁記念物課世界文化遺産室文化財調査官

「沖ノ島」(福岡県宗像市) 聖なる島として信仰を集め、伝統・文化的価値から世界遺産登録に向けた取り組みが行われている。 写真提供:「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議

世界遺産へのスタンス

1972年、第17回ユネスコ総会において「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(Convention concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)」(以下、「世界遺産条約」という)が満場一致で成立した。わが国が1992年に同条約を批准してから20年余りが経ち、国内に所在する世界遺産も19件(文化遺産15件、自然遺産4件)を数えるに至った。また、世界遺産に推薦する国内候補を挙げた暫定一覧表にも現在10件の資産が記載されており、そのほかにも日本各地で世界遺産に登録を目指した取り組みが進められている。

 

こうしたわが国における世界遺産関連の活発な動きは、割と近年の風潮であると考えられる。最近でこそ、世界遺産に登録された記事が新聞紙面に大きく取り上げられることはおろか、暫定一覧表に記載されたり、世界遺産にまつわる催しが開かれたりした時ですら大々的に報道される一種の「ブーム」のような様相を呈しているが、姫路城や古都京都の文化財が世界遺産一覧表に記載された約20年前は、これほどまでに世界遺産は注目されていなかった。わが国が世界遺産条約を批准したころは、われわれは世界遺産に対して無関心とは言わないまでも、「低関心」であったと言えよう。

 

そもそも、世界遺産条約の成立からわが国が同条約を批准するまで20年の期間を要した理由は、諸説ある。その一つには、次のようなわれわれの意識も指摘できるのではないだろうか。つまり、「わが国には1871(明治4)年の太政官布告「古器舊物保存方」以来、有形・無形を問わず保存を行うことによって確立した文化財の保存体系があり、それは世界の最先端をゆくものである。従って新設の世界遺産条約に参加する必然性は薄い」といったわが国の文化財保護制度に対するある種の「安心感」である。

 

こうして、わが国における世界遺産への接し方は、「安心感」、「低関心」の時代を経て、「ブーム」へと至った。その結果、世界遺産に登録されるまでには、少なくとも三段階の過酷な関門が生じるようになった。第一段階は、暫定一覧表に記載されるための地域的規模の関門である。文化庁が2006年及び2007年に暫定一覧表に記載すべき資産を募ったところ、のべ56件の提案があった。また、その際には提案されなかったものの、その後新たに世界遺産登録を掲げた取り組みが少なからず始まっているやに聞く。第二段階は、世界遺産への推薦を得るための国内規模の関門である。世界文化遺産への推薦が事実上毎年1件に限られている現況から、暫定一覧表に記載された資産では、それぞれが考える年度の推薦を実現すべく熱心に取り組みが進められる。第三段階は、世界遺産一覧表に記載されるための世界規模の関門である。世界遺産に推薦された後も、諮問機関である「イコモス(国際記念物遺跡会議)」の勧告及び世界遺産委員会の決議において「記載」を得るために、国の枠を超えた取り組みが進められる。

「政治化」の遠因?

世界遺産が「ブーム」と言えるほど世間の注目を集めるようになると、特に行政における取り組みは、文化財保護施策・文化振興施策というよりも、むしろまちづくり施策・地域振興施策の観点から語られるようになってきた。世界遺産に関わる部署は教育委員会の部局ではなく首長直轄の部局として置かれる。自治体の基本計画等において世界遺産の登録推進や活用が謳われるようになるし、議会等においても世界遺産関連の審議が増加する。特に世界遺産の登録までは、関係自治体では世界遺産関連の予算を組み、人員を配置し、ガイダンス施設を新設するなど来訪者の受け入れ態勢を整えることとなる。こうした動きが直接的・間接的な要因となって、広い意味での「政治化」に繋がっている、と考えることもできるだろう。

 

もちろんこうした動きについては、一概に悪いことであると決めつけるわけではない。世界遺産の登録後、間違いなく増加する来訪者をうまくさばき、地域の住環境悪化や住民と来訪者との軋轢など新たな地域問題を生じさせないために、自治体があらかじめ準備を整えておくことは必要な措置であると言える。

異なる二つの価値観

ところで、時に国宝・重要文化財といった日本の文化財よりも世界遺産の方が上位である、という声を聞く。つまり、重要文化財よりも国宝の方が価値が高くて、国宝よりも世界遺産の方が価値が高い、という論法である(図1)。

図1 「国宝・重要文化財<世界遺産」というイメージ

確かに、世界遺産は人類共通の宝であり、その部分集合である日本の文化財より普遍性があるように思える(図2)。実際、国宝も世界遺産の一構成要素になりうることは、「古都京都の文化財」や「平泉」など枚挙に暇がない(表1)。

図2 世界遺産と各国の文化財との包含関係

表1 「平泉」の構成資産

構成資産名 文化財の種別 指定年月日
中尊寺 中尊寺境内 特別史跡 1979(昭和54)年5月22日
中尊寺金色堂 国宝 1951(昭和26)年6月9日
金色堂覆堂 重要文化財 1950(昭和25)年8月29日
中尊寺経蔵 重要文化財 1962(昭和37)年6月21日
願成就院宝塔 重要文化財 1954(昭和29)年9月17日
釈尊院五輪塔 重要文化財 1954(昭和29)年9月17日
白山神社能舞台 重要文化財 2003(平成15)年5月30日
毛越寺 毛越寺境内 特別史跡 1952(昭和27)年11月22日
毛越寺庭園 特別名勝 1959(昭和34)年5月23日
旧観自在王院庭園 名勝 2005(平成17)年3月2日
無量光院跡 特別史跡 1955(昭和30)年3月24日
金鶏山 史跡 2005(平成17)年2月22日

 

他方で、日本の文化財と世界遺産とでは、価値の在り方が異なることが指摘できる(表2)。日本の文化財は、文化財の指定・選定基準※1に基づき、わが国の歴史上・学術上(あるいは芸術上・観賞上)価値が高いもの、わが国の文化の在り方を理解するうえで欠くことができないものを指定・選定するものである。これに対し世界遺産は、「世界遺産条約履行のための作業指針」で示す基準(criteria)※2に基づき、人類の創造的才能を表す傑作や、歴史上の重要な段階を物語る顕著な見本といった観点から登録される。

 

つまり、似ているようで微妙に異なる二つのルールブックで文化遺産を取り扱っているだけであり、どちらが上位、どちらが優れているといった類のものではない(図3)。例えば、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」と同じ福岡県内に所在する特別史跡の「大宰府跡」や「王塚古墳」は、文化財保護法の体系で言えば史跡である「津屋崎古墳群」の上位に位置づけられるが、世界遺産の推薦に当たって前者は構成資産ではなく、後者(の一部)が構成資産として位置づけられている。これは単に「宗像・沖ノ島と関連遺産群」で考えている顕著な普遍的価値=Outstanding Universal Value(以下、「OUV」という)の在り方と、「大宰府跡」、「王塚古墳」の価値とが直接的に関係しないだけであって、世界遺産と特別史跡のどちらが価値が高いか、といった種の議論ではない。

図3 文化財保護法及び世界遺産条約の体系

世界遺産の推薦書を仕上げる作業とは、文化財保護法によって価値あるものとして指定・選定された文化財を構成資産としつつも、その推薦書で主張しようとするOUVに照らして構成資産であるところの文化財の価値を再編成しようとするものに他ならなく、二つの異なるルールブックの間をつなげるための作業であると言える。

文化遺産と野球

この文化財と世界遺産との関係は、野球で言うと日本のプロ野球と米国の大リーグとの関係に例えられる。

 

投手が投げた球を打者が打つとか、三つアウトを取ると攻守が交代するなど、基本的なルールは両者で同じくする。他方で、ピッチャーマウンドの高さ・硬さやボールの種類、または大量リードをしているときはバントを控えるといった慣行の観点から、両者は微妙に異なる。それが故に、(走・攻・守に長けた選手が良いなど大まかな点は共通するものの)求められる選手像は、プロ野球と大リーグとでは異なる。プロ野球で活躍した選手がそのまま大リーグで活躍できるとは限らないし、逆もまた然りである。

 

また、プロ野球よりも大リーグの方が上位、という単純な図式にならないのも、日本の文化財と世界遺産との関係と同じであると言えよう。プロ野球より大リーグの選手の方が必ずしも「優れている」とは限らないのは前述のとおりであり、五輪やワールド・ベースボール・クラシックといった国際大会で日本が米国にいつも敗れるわけではない。

 

畢竟、プロ野球と大リーグとどちらが上位か、という観点ではなく、ルールブックが微妙に異なる二つの体系ということを認識したうえで、双方を愉しめばよいということである。

 

文化遺産の世界についても、同じことが言える。文化財保護法に基づく文化財と、世界遺産条約に基づく世界遺産という異なる二つの体系があるということを冷静に認識し、互いに知見を交換しつつ、両方が文化遺産の保存・活用に貢献すればよいのである。

PAGE TOP