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Vol.25

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特集2

OUVは何処にある──「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の登録に向けて

磯村 幸男 / Yukio Isomura
福岡県企画・地域振興部世界遺産登録推進室参与

私どもは、現在「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(以下、「本遺産」と略す)の世界文化遺産登録に向けて作業を進めている。今回与えられた「OUV※1は何処にある?」のテ-マに果たして適合するかどうか分からないが、検討の過程を検証することで、役目を果たしたい。

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の概要

本遺産は、九州北部、福岡県宗像市・福津市にまたがって所在する。交通安全の神様として有名な宗像大社の三宮(沖津宮・沖津宮遙拝所、中津宮、辺津宮)と古代において宗像神信仰を担った宗像氏の奥津城である新原・奴山古墳群から構成される(図1、図2)。遺産の中心となる構成資産は、昭和29年から三次にわたる発掘調査の結果、4世紀後半から9世紀末まで500年にわたって、航海安全と東アジア世界内での交流の成就を祈って大規模な祭祀が行われた遺跡が残されている、学史的に著名な沖ノ島である。沖ノ島への信仰に基づく祭祀が大島・九州本土へと展開し、三宮が成立したことを考古学的にも証明できる稀有な資産である。また、沖ノ島での祭祀が最も盛んに行われた時期の、そして沖ノ島の所在する玄界灘に望む場所に築かれた、信仰とそれに基づく祭祀の担い手であった宗像氏の人々の墳墓群は、自然と神と人間との関係を問う本遺産の一翼を表象するものとして重要である。

 

【各資産の紹介】

  • ・沖ノ島(宗像大社沖津宮)

全島が境内地であり、沖津宮社殿周辺の巨岩群地域では、4世紀後半から9世紀末まで500年にわたる古代祭祀の跡が、良好に残されてきた。1954(昭和29)年から始まった三次にわたる発掘調査の結果、祭祀形態の4時期の変遷と奉献された貴重な品々が多量に確認され、画期的な成果を上げた。

  • ・沖津宮遙拝所

常時参拝のため渡島できない沖ノ島を遥拝するために置かれた。

  • ・宗像大社中津宮

沖ノ島で行われていた古代祭祀は、7世紀後半になると大島の御嶽山山頂と九州本土宗像山の中腹でも祭祀が行われるようになり、『日本書紀』等に記載される宗像三女神を祀る三宮(沖津宮ー田心姫神、中津宮ーたぎ(パンフレット参照)津姫神、辺津宮ー市杵島姫神)が成立する。資産としては古代祭祀の跡である「御嶽山祭祀遺跡」と参道で結ばれた現「中津宮」境内である。

  • ・宗像大社辺津宮

「中津宮」同様に、宗像山中腹の「下高宮祭祀遺跡」で行われた古代祭祀の跡を起源に「辺津宮」が成立し、後に宗像三女神を祀る三宮の総社となる。

  • ・新原・奴山古墳群

宗像地域の人々は、地域内に多くの古墳を築造するが、沖ノ島での祭祀が最も盛んに行われた岩陰祭祀の時期の5・6世紀に築造された本古墳群は、入り海に面した台地上にあり、本遺産のOUVに関わる人が自然の中に神を見出し、信仰を生み出し、その信仰を発展・継承していく過程の中で、最も重要な時期の人のあり方を如実に表象する資産である。

図1 本遺産の構成資産の位置図 沖ノ島(属島を含む)は九州本土から60km離れた玄界灘のまっただ中にあり、「宗像大社沖津宮」が所在する。本土から10km離れた大島には「沖津宮遙拝所」と「宗像大社中津宮」が、九州本土には「宗像大社辺津宮」と、宗像神信仰を生み出し、育て、発展継承した宗像氏の表象である「新原・奴山古墳群」がある。宗像大社の三宮は、『日本書紀』に記載されている、朝鮮半島に向かう「海北道中」上に直線上に存在している。 ※「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議のホームページ(http://www.okinoshima-heritage.jp)から転載

図2 新原・奴山古墳群を中心とした航空写真 ※「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議のホームページ(http://www.okinoshima-heritage.jp)から転載

登録に向けた今までの経緯

本遺産の現在までの経緯は、以下の通りである。

 

 

2002年頃: 宗像市が中心となって沖ノ島を中心とした資産の世界文化遺産登録に向けた動きが出てくる。
2006年夏: 文化庁が新たに世界文化遺産登録のための暫定一覧表記載のための候補を全国に求め、候補にかかる提案書の受付を始める。それに伴い福岡県・宗像市・福津市は、三者連名で「沖ノ島と関連遺産群」として提案書を提出。
2007年1月: 文化庁は「富岡製糸場と絹産業遺産群」、「富士山」、「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の4件を暫定一覧表に追加することを発表。本遺産は、主題・資産構成・登録基準の妥当性等についてさらなる検討が必要とされ、継続審議となる。
2007年12月: 本遺産は、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」として再度追加提案書を提出。
2008年9月: 本遺産の暫定一覧表への記載決定。
2009年1月5日: ユネスコの世界文化遺産暫定一覧表への記載。
2009年度以降: 官民一緒になった「『宗像・沖ノ島と関連遺産群』世界遺産推進会議」を立ち上げて、推薦に向けて専門家会議を設置し、推薦書とそれに関わる各種作業を実施。
2015年3月: 遺産名を「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として推薦書原案を提出。
2015年7月: 文化審議会において、2015(平成27)年度の世界文化遺産登録に向けた国内推薦候補として本遺産が決定される。

表1 「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の年表 各遺産の成立過程を年表に示したものである。 ※「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議のホームページ(http://www.okinoshima-heritage.jp)から転載

世界遺産としての価値とは

1972年11月にユネスコ総会において採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(通称「世界遺産条約」)の第一条には世界文化遺産は、

【記念工作物】建築物、記念的意義を有する彫刻及び絵画、考古学的な性質の物件及び構造物、金石文、洞穴住居並びにこれらの物件の組み合わせであって、歴史上、芸術上または学術上顕著な普遍的価値を有するもの。

【建造物群】独立し、または連続した建造物の群であって、その建築様式、均質性または景観内の位置のために、歴史上、芸術上または学術上顕著な普遍的価値を有するもの。

【遺跡】人工の所産(自然と結合したものを含む)及び考古学的遺跡を含む区域であって、歴史上、芸術上、民族学上または人類学上顕著な普遍的価値を有するもの。

としている。いずれも顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value、通称「OUV」)を有したものが世界文化遺産となるとしている。この内容は、「世界遺産条約履行のための作業指針」(The Operational Guidelines for the Implementation of the World Heritage Convention)の「顕著な普遍的価値」の項に記載されている。それは、次のとおりである。

 

(1) 「顕著な普遍的価値」とは、国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した文化的意義を意味し、遺産を恒久的に保護することは国際社会全体にとって最高水準の重要性を有している。
(2) 「世界遺産リスト」に物件を登録する場合は、世界遺産委員会は「顕著な普遍的価値の宣言」を採択する。また、「世界遺産リスト」に物件を登録するための基準の定義を行う。
(3) 世界遺産条約は、国際的な見地から見て最も顕著な価値を有する物件を選定し、保護するものであり、国家的に重要な物件や地域において価値を有する物件が自動的に「世界遺産リスト」に登録されるものではない。
(4) 推薦書類には、「顕著な普遍的価値」を保護することを目的とした適切な、政策上、法的、科学的、技術的、行政的、税制的措置の採用または提案により示すことが必要。

 

このように、世界遺産登録に向けての推薦書作成においては、国家間の境界を超越し、人類全体にとって傑出した文化的意義をもつ「顕著な普遍的価値」をどう宣言し、それをどう保全していくのかを十分に書き込んでいかなければならない。そのためには、(3)の内容が世界遺産登録にとっては、極めて重要な心構えとなる。

図3 三宮の成立 沖ノ島祭祀遺跡、御嶽山祭祀遺跡、下高宮祭祀遺跡、3カ所の祭祀の場は、『古事記』に「沖津宮」、「中津宮」、「辺津宮」という名前で登場する。考古遺跡の存在と文献の記述が一致した非常に珍しい事例。この3つの宮によって宗像大社が成立する。 ※「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議のホームページ(http://www.okinoshima-heritage.jp)から転載

本資産のOUVとは

最初の提案書の中心的な価値付けは、「海を介した日本(倭)と東アジアの交流にまつわる、国家的な祭祀遺跡は、国内外においてほかに例がない」とし、再提案書では、「海の正倉院・沖ノ島は、東アジア最大級の祭祀遺跡である。豊かな自然と遺産群が共生し、『神宿る島』として人々の信仰や禁忌は現在まで継承されている。日本固有の神道における崇拝形態の変遷を確認できる国内唯一の遺産」としている。再提案書とヒアリングの結果、暫定一覧表に記載されたが、同時に課題も次のとおり提示された。

 

【OUVに係るもの】

・国内外の他の海洋信仰資産に多大な影響を与えた経緯の明確化

・文化的伝統の無二の物証であることの明確化

・構成資産の正確な評価に基づく検討の必要性

・沖ノ島固有の伝統や信仰が今日の神祇信仰に与えた影響の明確化

【その他の課題】

・国際的な専門家会議の開催による普遍的価値についての合意形成

・「厳島神社」との十分な比較研究

・推薦資産の名称の検討

・構成資産とその範囲についての再検討

・島の神聖性や原生的な自然環境等を維持する方法の検討

・未指定古墳の保護

・緩衝地帯の保全範囲・方法の方針の策定と実行

 

こうしたことを踏まえ、2009年以降毎年、国内専門家会議2回、国際専門家会議1回を開催し、議論を進めてきたのである。特に最初の数年間は、OUVと基準の適用を重点的に議論してきている。それは、構成資産の選定にも影響するからである。基準※2の適用については、最初の提案書では(ⅱ)(ⅳ)(ⅵ)を適用基準として提出したが、再提案書では、それに(ⅲ)が加わって提案している。

 

基準(ⅱ)は人類の価値の交流を示すものであり、基準(ⅲ)は文化的伝統の唯一、もしくは稀な証拠、基準(ⅳ)は歴史上重要な時代を語る建造物等、または景観の顕著なもの、基準(ⅵ)は顕著な普遍的意義を有する出来事等に関連するものとなっている。

 

基準の適用は、構成資産全てに係るものとして理解した場合、本遺産が沖ノ島と付随する三つの岩礁、大島の沖津宮遙拝所・中津宮、九州本土の辺津宮・新原奴山古墳群という資産で構成されるものであり、基準の記述の中で全ての資産を含んだものとなるかどうかと、基準が果たして適用できるかも含めた議論がされてきた。

 

本遺産が信仰に関わる遺産であることから考えれば、最も適合する基準は(ⅲ)であることは明らかである。

 

本遺産の基準の適用の議論

 

専門家会議の中で、各基準について議論されてきた。そのうち(ⅱ)については、価値観の交流であり、世界遺産の構成資産は不動産が対象であることから、不動産の持つ価値から基準を説明しなければならない。本遺産が信仰の遺産であることから、どう基準が適用できるのか。基準の考え方からいえば、信仰もしくは信仰に基づく祭祀の思想が伝播し、祭祀遺跡が創られたと見るかどうか。本遺産は、あくまでも国家間交流に基づいた遺産であるとした場合、果たして基準(ⅱ)が適用できるかどうか、かなり議論が行われた。その結果、残す形で現在に至っている。基準(ⅳ)は、景観の見本というものであるが、本遺産が、文化的景観という概念で主張していないものであるから、難しいという結論で適用しないことにした。基準(ⅵ)は、顕著な普遍的価値に明白に関係するというものであるが、基準(ⅲ)でも主張できる部分もあり、信仰の伝播と現在に続く信仰という観点で適用している。

OUVを考える上でのキ-ワ-ド

OUVを考える上でのキ-ワ-ドとして

・祭祀形態の四段階の変遷(岩上→岩陰→半岩陰・半露天→露天)

・発掘調査の結果出土した、国宝となっている8万点に及ぶ奉献品

・国家的祭祀(国家型祭祀)、自然崇拝、神祇祭祀、神道

・古事記・日本書紀、日本固有の信仰、文化的伝統

などが考えられる。このうち国家的祭祀をOUVの中に取り入れて主張した場合、国家側の資産を入れるべきではとの議論もあり、国家的祭祀については、推薦書の「歴史と発展」の中では重要な要素として記述しているが、OUVという観点では強くは主張していない。また、日本固有の信仰、神道といった場合、国内的事象として捉えられかねない。このことについては、世界遺産の観点として人類共通の国境を越えた遺産としてどう主張するのか、整合性を考えて書くことが必要であった。

 

各遺跡から出土した代表的奉献品 ※写真提供:福岡県世界遺産登録推進室

「三角縁神獣鏡」 岩上祭祀(4世紀後半~5世紀)。魏朝からヤマト王権に贈られた魏鏡。魏との交流を証明する出土品。

「金製指輪」 岩陰祭祀(5世紀後半~7世紀)。新羅からもたらされた奉献品。新羅の王陵(慶州)からの出土品と類似。

「金銅製龍頭」 半岩陰・半露天祭祀(7世紀後半~8世紀前半)。傘の先につけて天蓋や幡をつり下げて用いたものか。中国敦煌莫高窟の壁画に見られる。

「奈良三彩小壷」 露天祭祀(8世紀~9世紀)。唐三彩の技術をもとに日本でつくられた陶器。

「滑石製形代」 露天祭祀(8世紀~9世紀)。祭祀の際に心霊を依りつかせる。人形、馬型、舟形がある。

構成資産とOUV

構成資産の選定とOUVとは、密接な関係にある。それは、OUVの宣言のためには、資産構成の完全性と構成資産の真正性が求められる。その上で構成資産のストーリー性から生み出されるOUVでなければならない。この観点からいかに構成資産を選定するのかが、OUVの議論とともに重要になってくる。本遺産の構成資産の選定には、この取り組みを始めて4年かかっている。

同種の他の世界遺産などとの比較分析

世界遺産として価値付けし、OUVの宣言をするためには、国内外の同種の世界遺産との比較分析が必要であり、どのような視点で比較するかが重要である。それは、単に本遺産だけが飛び抜けて価値があるということを証明するということではなく、他の遺産と比べてこういう点は同じ価値があり、この点は全く違う価値があるという、総合的に比較分析した上での作業が求められる。

本遺産のOUVとそれを反映した遺産名称

構成資産の固有名称は、国内での個別な歴史的に形成されてきたものであり、それは資産の歴史を語る上では、重要なものである。ただ、世界遺産としてのOUVを語る場合、その固有名称がネックになる場合がある。例えば、本遺産の場合、沖ノ島に起源を発する信仰の継承・発展と祭祀の変遷を語るときに、個々の信仰の場がOUVにとって重要であるということであり、後付の固有名称に引きずられると本来主張すべき本旨がぼやけてしまう可能性もある。

 

遺産名称は、OUVを的確に反映したものでなければならない。その意味では、本遺産の提案書の提出段階、暫定リスト記載の名称では、遺産の内容を的確に表したものとはいえない。その結果、現在の名称がつけられたものである。

 

現在、端的に本遺産のOUVを「『神宿る島』を崇拝する伝統が、古代から今日まで発展し、継承されてきたことを物語る稀有な物証である」としている。

 

つまり、世界各地に存在した自然崇拝から発生した信仰の発展・継承の過程を、本遺産は古代祭祀遺跡の変遷の過程や人と自然と神との関係の表象を残すなど、如実に示す稀有な遺産といえるのである。

「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議が刊行しているパンフレットの一部。左から「ガイドマップ」、「沖ノ島祭祀の奉献品」、「リーフレット」、「キッズパンフレット」※3。

追記:本遺産については、三次目の調査が終了してから40年余が経っており、その後の考古学及び周辺学問の発展の中で、沖ノ島の価値を捉え直そうと、推進会議では2010年度から3カ年かけて全国の研究者に委託研究をお願いした。その成果は4分冊の報告書になっている※4

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