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Vol.25

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特集3

世界遺産の「政治化」

柳澤 伊佐男 / Isao Yanagisawa
NHK(日本放送協会)記者

第39回世界遺産委員会本会議場(ドイツ・ボンにて、2015)  撮影:鈴木地平(文化庁記念物課世界文化遺産室文化財調査官)

「世界遺産ブーム」のはじまり

「世界遺産」という言葉が、テレビ・新聞などのマスコミに盛んに登場するようになったのは、いつからだろうか。試しに、私が利用している「新聞・放送記事データベース」で、「世界遺産」をキーワードに検索を行い、年ごとの本数の変化を調べてみた。対象としたのは、NHKと朝日・毎日・読売の4社の記事で、日本が世界遺産条約を批准した1992年から現在に至るまでの本数は以下のようになった(図1)。1992年は計105本だったが、1998年になると1,000本を超え(1,165本)、「紀伊山地」が登録された2004年が3,783本、「石見銀山」の「逆転登録」があった2007年には4,000本台に(4,373本)。そして「富士山」が登録された2013年には6,000本近く(5,980本)になった。昨年(2015年)も10月末の時点ですでに5,000本を超えている。

図1 「世界遺産」で検索した記事の本数(NHK・朝日・毎日・読売の合計) ※著者調べ

20年ほど前は、地方の細かな記事までデータ化しているとは思えない節もあるので、実態を反映していないのかもしれないが、長年、文化遺産に関心を持って仕事をしていた身として、世界遺産の話題は、あまりニュースとして取り上げられなかったように思う。それが、美しい光景、歴史ロマンを掻き立てるテレビ番組の放送や、2007年の「石見銀山」の「逆転登録」、翌年の「平泉」の「登録延期」など、日本の候補の登録をめぐる動きが「劇的」だった影響もあって、「世界遺産」への関心が高まり、いまでは、重要なニュースの一つとして扱われるようになった。

関心続く「世界遺産」

国内の関心は、「世界遺産としての価値をどう守り、伝えるか」という問題より、「『観光資源』としてどのように活用できるか」という点に向いているように思う。国内には、現在、19件の世界遺産があるが、近年は、「世界遺産としての価値はどこにあるのか」といった解説が必要な文化遺産が多くなったという声がある。それでも「世界遺産」への関心が衰える気配はあまり見られない。世界遺産の候補を選ぶための国内の「暫定リスト」には、現在10件の文化遺産が登録されている。ユネスコへの推薦は、各国とも原則として年1件に限定されており、自治体が地元の文化遺産を新たな候補にしようと動いても、10年以上待たなければならない。しかし、各地の首長が「○○を世界遺産に登録すると表明した」などという記事は後を絶たず、新たに「世界遺産」専従の職員を配置する自治体もある。その一方、同じユネスコの「遺産」である「無形文化遺産」、あるいは「記憶遺産」の分野で、「世界遺産」への登録を目指そうという自治体・各種団体の動きも目立つという。依然として日本は「世界遺産ブーム」の中にあるといってよいだろう。

世界遺産の「政治化」

「世界遺産」は、その経済的な効果もあって、日本はもとより、各国でも人気が高い。登録総数が1,000件を超え、年々登録が厳しくなっているといわれる中、何としてでも自国の候補を登録させたいという動きが目立つようになったという。こうした各国の動きは、いつから顕在化したのだろうか。今から3年余り前、世界文化遺産の登録を担当する文化庁の室長が以下のような文章を記している。「近年の世界遺産委員会で一番大きな問題になっているのは、委員会の『政治化』である。世界遺産委員会の審議が、諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)による専門的・学術的な勧告を尊重しつつ行われるべきところ、同勧告を軽視し、各国は審査結果を覆す『格上げ』のための世界遺産を最終的に決定する世界遺産委員国に対するロビイング活動を行い、世界遺産登録を勝ち取るといった動向が特に先の2回の世界遺産委員会で問題となっている」というのである。※1こうした状況は、少なくとも2008年から目立つようになっていたという専門家の報告もある。

 

この問題をデータで検証してみたい(表1)。2010年の第34回世界遺産委員会では、新しく登録された21件のうち、11件が諮問機関の評価では、「情報照会」もしくは、「登録延期」とされていた。また、翌年(2011年)の新規登録25件のうち、13件が「登録」以外の勧告だった。こうした「格上げ」傾向は、現在も続いている。昨年の世界遺産委員会で審査された34件の候補うち、「登録」は24件だった。このうち、諮問機関から「登録にふさわしい」と勧告されたのは19件で、残りの5件は「情報照会」からの「格上げ」。「格上げ」現象は、「登録」になった案件だけでなく、「登録延期」や「情報照会」になったケースでも見られた。また、一昨年登録された26件のうち、11件は、諮問機関の勧告内容が覆された「逆転登録」の案件だった。この中には「不登録」と勧告されたものが「登録」になった例もある。

 

表1 世界遺産委員会の審議状況

第34回
(2010年)
第35回
(2011年)
第36回
(2012年)
第37回
(2013年)
第38回
(2014年)
第39回
(2015年)
審議件数(新規) 32 32 32 27 32 34
「登録」決議 21 25 26 19 26 24
うち「登録」勧告 (9) (12) (15) (17) (15) (19)
「登録」勧告以外 (12) (13) (11) (2) (11) (5)

 

なぜ、このような「格上げ」現象が起こるのだろうか。先に紹介したリポートは「多くの国において世界遺産が注目されており、その登録と登録による効果が期待されるあまり、イコモス勧告の結果を理由に簡単に登録をあきらめるわけにはいかない国内の政治事情を先進国途上国を問わず、いずれの国も抱えていることにある」と記す。また、登録を審議する世界遺産委員会のメンバー(委員国)が21カ国と限られており、「一部の少数の国だけが決定権を持っていることが問題とされている」とも指摘する。

 

こうした事情もあり、各国の関係者が、委員国に対して、自国の候補の「格上げ」を水面下で働きかける「ロビイング」活動がひんぱんに行われているのである。

 

元ユネスコ大使で、多くの世界遺産の登録にかかわった木曽功氏も、著作で以下のように述べている。「ロビイングが行われるようになった背景には、世界遺産の人気の過熱化があります。どうにかして1件でも多く自分の国の世界遺産を増やしたいという力が働いているのです。『情報照会』という悪い評価が出た時に、1年待って再審査してもらおうという余裕はもはやありません。推薦枠が制限されている現在、どの国も、この案件はとにかく今年中に仕上げてしまおうと考えるでしょう。すると、悪い評価を何とか良い評価にしてほしいと、ロビイングをするしかないのです。しかも、ロビイングを禁止する規定がありません。何をやっても自由なのです」。※2

 

諮問機関の評価を尊重しつつも、最終的には委員会で登録を決定するという現在の制度では、「ロビイング」活動が存在し、「政治の力」で世界遺産の登録が左右されることは、やむを得ないことなのかもしれない。

 

第39回世界遺産委員会会場外観(ドイツ・ボンにて、2015)  撮影:鈴木地平(文化庁記念物課世界文化遺産室文化財調査官)

石見銀山と富士山の「ロビイング」

日本も、世界遺産への登録を実現させるために「ロビイング」活動を行ったことが明らかになっている。その代表的なものが、2007年に登録された「石見銀山」と2013年の「富士山」である。イコモスの勧告は、石見銀山が「登録延期」、富士山は「三保松原を除外しての登録」という内容だったが、いずれも諮問機関の勧告が出た後、委員国に対するロビイング活動が行われ、勧告内容を覆しての「登録」となった。この「ロビイング」について、当時、中心的な役割を担った前文化庁長官の近藤誠一氏は次のように述べている。「世界遺産委員会における委員国への働きかけは、国連、ワシントンの議会におけるいわゆる『ロビイング』とは似ているようで違う。それはあくまで『説明』であって、『要請』ではなかった。(中略)イコモスの勧告に専門的観点から異論があるときに、それを委員国に伝え、その見解を求め、必要に応じて説得をこころみることを『説明』と表現する。他方専門性を度外視して、単に政治的理由で勧告を覆すことへの支持を求め、そのために圧力をかけたり、経済援助などを条件にしたり、相手国の案件を支持することとのパッケージにするなどのディールを行うことを『要請』と名付ける。外交の世界でしばしば使われる『デマルシュ』や『ロビイング』と後者はほぼ同じだ。専門性と科学性を軸とするユネスコでは前者は許されるが、後者は許されないと考えられる」※3。当時、近藤氏らが行ったのは、あくまでも禁欲的な「説明」だったという。

「格下げ」のための「ロビイング」

世界遺産をめぐる「ロビイング」活動は、自国の推薦候補の「格上げ」のために行われるのが一般的だが、諮問機関から「登録にふさわしい」と評価された他国の案件を「格下げ」するための「ロビイング」が昨年表面化した。日本が推薦した「明治日本の産業革命遺産」(以下、「産業革命遺産」と略す)に対する韓国の動きである。

 

「産業革命遺産」をめぐる日本と韓国の政治的・外交的駆け引きについては、マスコミに盛んに取り上げられたこともあり、記憶に新しいことと思う。ただし、韓国の反発は、「産業革命遺産」が世界遺産の推薦候補に決まった段階から予想されていた。当時、韓国政府の当局者は、「資産には朝鮮半島の人々が強制的に徴用され、働かされたつらい歴史が刻み込まれているものが含まれており、世界遺産の理念に合わない」などと発言していた。しかし、世界遺産委員会での審議が近づくにつれ、政治的な接触を拒んでいるはずのイコモスに「登録勧告」をしないよう「ロビイング」をしたり、パク・クネ大統領自らがユネスコのボコバ事務局長に対して、「産業革命遺産」の登録に反対する考えを伝えたりするなど、日本側からすれば「異常」とも受け取れるような韓国側の動きがニュースとして伝わってきた。

 

この案件は日本と韓国の間で政治的解決が図られ、最終的には、議長国ドイツの仲裁で決議案に修正を加えた上、委員会での審議を一切しないという異様な状況の中、ようやく「登録」が決定された。

 

この一連の「騒動」に対して、「世界遺産という制度が、人類共通の顕著な普遍的価値を有する資産を将来の世代に伝えていくという本来の目的から変質し、一部の国により政治的な駆け引きの材料になっていく危険性を伴うものであると見て取ることができる」という指摘もある。※4

第39回世界遺産委員会での審議の様子 (ドイツ・ボンにて、2015)  撮影:鈴木地平(文化庁記念物課世界文化遺産室文化財調査官)

第39回世界遺産委員会での登録決議の瞬間 (ドイツ・ボンにて、2015)  撮影:鈴木地平(文化庁記念物課世界文化遺産室文化財調査官)

「記憶遺産」の「政治利用」

「世界遺産」をめぐる国同士の対立は、「記憶遺産」でも起きた。「記憶遺産」は国際条約に基づく制度ではないが、ユネスコの事業の一つであることには変わりない。中国政府は一昨年6月、旧日本軍が多くの中国人を殺害したなどとされる「南京事件」関係の資料を、いわゆる「従軍慰安婦」の問題に関係があるとされる資料と合わせて「記憶遺産」に申請した。これに対して日本側は「日中間で見解の相違があるにもかかわらず、中国の一方的な主張に基づき申請され、問題」などとして抗議し、申請を取り下げるよう求めた。また、ユネスコ事務局や事前審査を行う国際諮問機関に慎重な審議を求めた。

 

こうした中、昨年10月、国際諮問機関は中国側の申請を認め、その結果をユネスコが追認する形で「南京事件」資料の記憶遺産への登録が決まった。

 

この決定について、菅官房長官が「記憶遺産事業が政治的に利用されることのないよう、事業の制度そのものの公平性・透明性というものを強く求めていきたい」と述べたほか、政府や自民党からユネスコへの拠出金のあり方を見直すべきとの意見も出るなど、日本側は強く反発した。日本政府は審議の透明化など、制度の改正を求めているが、再度、「従軍慰安婦」の資料を申請しようという動きがあり、記憶遺産をめぐる政治・外交的な駆け引きは収まりそうにない。

「世界遺産」の今後

「世界遺産」の功罪はさまざまあると思う。途上国の世界遺産は各国から大勢の観光客を呼び込む経済振興の装置として有効に働いているという見方がある。その一方、自国の候補の「格上げ」のための委員国への「ロビイング」活動、「産業革命遺産」をめぐる日本と韓国の駆け引き、「南京事件」資料をめぐる日本と中国の対立など、「政治・外交」の問題が世界遺産の審議に影を落とす状況が近年、多くなっているという指摘がある。

 

世界遺産は、文化・自然遺産合わせて登録が1,000件を超え、その保全管理に相当の力を割かなければならないといわれる。「クオリティー」の維持にも限界が近づいているのではないかという意見もある。

 

世界遺産が創設された目的は、世界的に貴重な遺産を破壊・消滅の危機から守り、後世に伝えることとされる。世界遺産の経済的効果が強調され、政治的利用が取りざたされる中、本来の目的に立ち返る意味でも、「危機遺産」に限った登録に変更することも検討すべきではないかと思う。

 

そうすれば、それぞれの国の「政治的な」思惑で、登録が左右されるような「世界遺産」はなくなるのではないだろうか。

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