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Vol.26

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特集6

高岡市(富山県) 日本遺産認定までの道のりとわがまちのストーリーの魅力

富山県高岡市教育委員会文化財課

pic26_03_01二上山から見た風景。北は富山湾に面し、小矢部川が流れている。前田利長はここ(守山城)で水陸交通の要衝となる城と城下町の構想を描いていたのであろう。 提供:高岡市

認定までの道のり

高岡市は、2015(平成27)年度「日本遺産(Japan Heritage)」に「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡―人、技、心―」として認定された。「町民文化」をテーマとした、城下町として整備されながらも町民が主体となって発展を遂げた一連の歴史物語である。

 

認定のストーリーをお伝えする前に、認定までにどういう点に注意しながら動いていたのかについて少しふれたい。高岡市が日本遺産に関する情報を得たのは2014(平成26)年8月頃、そして文化庁から認定を受けたのは2015(平成27)年4月24日。この間約9ヶ月だったが、実際に作業できる期間としてはもっと短い期間だった。だからこそ、文化庁とは綿密な協議・相談を繰り返しながら作成を行った。

 

高岡市は平成22年度に『高岡市歴史文化基本構想』を策定しており、また、平成23年6月には『高岡市歴史的風致維持向上計画』が国の認定を受けている。こうした点を武器に「高岡の文化財を網羅的に把握する」観点で取り組んだ。しかしながら、「日本遺産」に求められることは、「網羅的に把握した内容を、どのように全国的に、特徴的であると打ち出すことができるか」ということだった。

pic26_03_02空から見た高岡城跡。城の本質的な価値は堀や郭にある。現在でもほぼ完全な形で残されているのは、輝かしい功績であるとともに、われわれが未来へ残していかなければならない大切な宝である。 提供:高岡市

高岡市のストーリー

そこで、ストーリー作成にあたっては、以下の3点に留意した。①地域の歴史や文化をしっかり把握しているか。 ②来訪者が興味を持つ内容がつくれるか。 ③市民が地元に愛着を持つ内容がつくれるか。こうして完成したのが、以下のストーリーである。※1

高岡は海(富山湾)、山(立山連峰、二上山)、平野(砺波平野、射水平野)に囲まれ、自然に恵まれていることから、旧石器時代にまでさかのぼる人の営みがあった土地です。その高岡の現在に連なる基盤が築かれたのは近世です。当時は戦国の世の中。敵から攻められないように山に城を構えることが主流であった頃、現在の高岡の市街地は荒れ地でした。

 

そんな荒れ地に城を構えるという発想をした人物が、前田利長でした。彼は、高岡の地を軍事的機能だけでなく、水陸交通の要衝として経済的機能を併せ持つ理想的な地と見抜き、城下町の繁栄を図ったのです。築城開始からわずか150日で入城したという驚異的なスピードや、資材の集積や調達の拠点づくり、さらに鋳物師町をつくって鋳物造りを奨励するなど、この地での築城にどれほどの思いがあったのかがうかがえます。

 

しかし、高岡のまちが開かれた1609(慶長14)年から5年後に利長が亡くなり、さらにその6年後には一国一城令により高岡城は廃城となります。城下町として歩み始めていた高岡は、絶望の淵へと突き落されてしまいました。けれども高岡は、特異な転換を遂げることができました。利長から家督を譲られた異母弟・前田利常が、まちの立て直しを図ったのです。町民の転出を禁じ、麻布の集散地とし、魚問屋や塩問屋を創設するなど、商業都市への積極的な転換を行いました。

 

利常は、利長が高岡の繁栄に大きな期待を持っていたことを知っていました。また、32歳下の異母弟である自分に家督を譲ってくれたことへの恩義も感じていました。そんな利常だからこそ、一国一城令で廃れてもおかしくなかった高岡を見捨てず、城下町から商工業都市という大転換を成し遂げたのです。異例の規模を誇る前田利長墓所、壮大な伽藍建築の瑞龍寺、軍事拠点機能を失わないよう郭や堀を完全な形で残すことに成功した高岡城跡など、現在数多く残る文化財に利常の思いや手腕がうかがえます。

pic26_03_03瑞龍寺は、前田利常が前田利長の菩提を弔うために建立した。当時の規模は約2万坪に及ぶ敷地であった。 提供:高岡市

しかし、リーダーがいかに優秀でも、民衆がついてこなければまちは機能しません。高岡は「加賀藩の台所」と称されるほどの物資の集散地となり、北前船の寄港地としても隆盛を極めますが、それは担い手である町民の活躍があってこそ。そして藩と町民との間で信頼関係が生まれていたからこそでした。

 

特筆すべきは、経済の発展にともなう民衆の平生の不満の解消方法です。物資の取引拠点として富を得た者は華美に流れ、ひいては勤労意欲を削いでしまいます。そうすると地域の経済力も落ち、都市対抗力も落ちてしまいます。そこで藩は、平生には倹約令を発しながらも、祭は盛大に行うことを奨励し、日々の不満を緩和しました。こうした祭は現代でも残っており、代表的なものが「高岡御車山祭」です。高岡御車山に施された豪華な装飾は、高岡の伝統工芸の粋であり、競うように発展してきた姿を象徴しています。

pic26_03_04年に一度(5月1日)の高岡御車山祭。工芸技術の粋が結集した日本でも屈指の華やかな山車であり、今日に至るまで高岡の発展とともに継承されてきた。 提供:高岡市

近代に入っても高岡は発展し続けました。文明開化によって城下町が廃れる事例は全国で見られますが、高岡は300年前の経験を活かし、日本海屈指の商工業都市として現在でも名をはせています。開町から400年以上経った今でも、競い合いつつ発展する姿は継承されており、歴史資産を活かした新たな文化や魅力の創造に力強く歩んでいます。

pic26_03_05「商人のまち」だけではなく、「職人のまち」でもある高岡。次第に大量生産が可能になり、一層販路を拡大させることができた。 提供:高岡市

pic26_03_06鋳物業などの伝統産業は、全国的にも注目を浴びている。 提供:高岡市

今後の事業展開

日本遺産の認定を受けると、国の補助金を活用して「日本遺産の普及に資する事業」を行うことができる。町民によって経済的成長と文化の蓄積が表裏一体で発展してきた高岡の歴史を語る上で不可欠な歴史資産を「面」でとらえ、世界に誇る「日本遺産高岡」として国内外に発信することで地域の活性化を図っていきたいと考えている。その一例としての鋳物師や原型師などの職人・作家の現場を訪ねるツアーや映像制作、また、ストーリーを語る上で欠かせない要素である特徴的な水路や入り組んだ街路などについてのオーラル・ヒストリー調査などを行っている。

pic26_03_07地元高岡市福岡町出身の映画監督 滝田洋二郎 氏によるPRムービー。高岡市内の鋳物工場で実際に働いているエラン・フィンクさんの日常の様子にスポットを当て、受け継がれる高岡の文化、高岡のものづくりを紹介する。 提供:高岡市

今後は、個々の文化財の良さが明らかになるように、また、より関心を持てるように工夫しながら活用面を考える必要がある。そのためには、認定を受けた団体同士の情報共有によって、日本遺産全体の認知度の向上を図ることも有効であると思っており、関係団体と良い関係を築きながら前へ進めていくことができればと考えている。

 

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