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Vol.32

Vol.32

熊本地震による熊本城の被害と復旧

嘉村 哲也 / Kamura Tetsuya
熊本市役所 熊本城総合事務所 熊本城調査研究センター 文化財保護主事

宇土櫓と崩落した石垣 写真提供:熊本城総合事務所(以下同)

はじめに

熊本城は、現在の熊本県熊本市中央区に所在する。阿蘇の火砕流が堆積した「茶臼山」と呼ばれる丘陵に築かれている。関ヶ原の戦いの頃には現在の位置に築城が始まり、慶長12(1607)年に完成した。その城郭は周囲5.3km、総面積98万㎡に及ぶ広大なものである。往時の熊本城は大小天守をはじめ、櫓49、櫓門18、城門29程度を数える。熊本城は明治10(1877)年の西南戦争開戦直前の火災で天守、本丸御殿などが焼失したが、その後籠城に耐え、難攻不落で堅固な城として有名である。宇土櫓をはじめ13棟が重要文化財に指定されている。現在の天守閣は昭和35(1960)年に再建されたものである。

熊本地震の概要

平成28(2016)年の熊本地震は、4月14日21時26分に発生したマグニチュード(以降、M)6.5・最大震度7の前震、4月16日1時25分に発生したM7.3・最大震度7の本震が連続した、観測史上例のない地震とされる。震源は布田川・日奈久断層帯で、4月19日までに震度5以上の地震が9回あった。14日の前震は日奈久断層で起き、16日の本震は布田川断層が日奈久断層に接する箇所で起きた。震源の深さが10km程度と浅かったため、地上の激しい揺れを惹き起こしたとされる。熊本・阿蘇・大分地方の震度1以上の地震数は、観測開始から平成29年4月12日現在までで4,309回となっているが、そのうち4月14日~4月30日の間に発生したものは3,024回であった。国土地理院による地殻変動に関する熊本城の変動値は、上下動で-22cm、水平動では北から57度東の北東方向へ51cm動いている。

熊本城の被害状況

(1)重要文化財建造物の被害

重要文化財建造物13棟全ての建造物が被災した。中でも熊本城の北東に近接して位置する東十八間櫓、北十八間櫓は全壊した。宇土櫓の五階櫓は、屋根・外壁・建具破損で済んだが、続櫓は倒壊した。不開門、長塀が一部倒壊し、他8棟が破損を受け修復が必要となった。2017年11月現在も余震が続いており、経過観察をした上で、今後の詳細調査の結果次第では、一部の建造物で解体修理が必要となる可能性もある。

 

(2)復元建造物の被害

復元建造物(昭和35年に再建された天守閣など、史料を活かして史実に基づいて復元された建造物)の20棟も全て被災した。塀のほとんどは倒壊し、飯田丸五階櫓、戌亥櫓など7棟は、建物下の石垣が部分崩落しているために倒壊のおそれがある。天守閣は鉄筋コンクリート建造物であったため、建物自体の損傷は少ないが、大天守最上階の瓦はほとんどが落ちて破損している。

 

(3)石垣の被害

今回の地震で最も大きく被害を受けたのが石垣である。熊本城の石垣は、973面・約79,000㎡に及ぶ。そのうち築石が崩落したのは229面・約8,200㎡で全体の約1割、緩みや膨らみのため積み直しを要するのは517面・約23,600㎡で全体の約3割の面積に及ぶ。1㎡の築石の数は平均して3~4個程度と考えると、約7万~10万個の築石を積み直すことになる。

 

石垣の崩壊が起きたのは、築城以来最大規模の地震であったことが大きな要因だが、全ての石垣に被害があるわけではない。これからさまざまな方法で検証していくことになるが、現時点で気付いた特徴を指摘する。

・大天守台など初期築造の緩い勾配をもつ石垣には大きな崩壊はない。

・地盤、石垣ともに全体的に沈下している。

・急勾配な「虎口」と呼ばれる出入口部分は崩落が多い。

・高石垣の上位に孕み出しが多い。

・石垣上面では地割れ、裏込栗石の沈下が起きている。

・明治22年地震での被災箇所の約8割で今回も被害が出ている。

・修復履歴のある石垣の被害が多い。

 

 

表1 熊本地震前震・本震の被害

熊本地震前震・本震の被害

図1 熊本城の地震被災状況

北十八間櫓被害状況

頬当御門周辺石垣崩落状況

震災の履歴

熊本城における地震被害は今回が初めてではない。江戸時代の地震の記録は23回を数える。うち、寛永2(1625)年、寛永10(1633)年、弘化4(1847)年の地震では、熊本城に被害があったことが明らかになっている。寛永2年6月の地震では、焔硝蔵爆発、天守・石垣に被害と伝えられている。

 

明治22(1889)年7月28日夜半には、金峰山山麓を震源地とする推定M6.3の地震が発生した。熊本城の被害は甚大で、石垣崩落42カ所、石垣膨らみ20カ所、崖崩落7カ所、さらに建物の損壊もあって、修復費用は10万7583円(現在の貨幣価値で約35億円)にのぼった。明治22年の地震については、被害をまとめた報告書『震災ニ関スル諸報告』(陸軍第六師団監督部他作成、宮内庁宮内公文書館所蔵、明治22年)が残されていたことから、詳細な被害状況を把握することができた。報告書の最後には1/1200縮尺の図があり、石垣が崩落した場所を黄色、膨らみが生じた場所を赤色で塗り分けている。明治22年の地震被害箇所と平成28年の地震被害箇所は77%ほど重複する。

『震災ニ関スル諸報告』(陸軍第六師団監督部他作成、宮内庁宮内公文書館所蔵、明治22年)

熊本城復旧への取り組み

被害を受けた中でも特に優先すべき箇所を抽出して、平成28(2016)年5月後半から緊急工事に着手した。緊急工事は、以下の4点を重視して実施した。

・道路や民地に崩落した石材の撤去

・建造物の倒壊防止

・地盤亀裂箇所の雨水対策

・工事車両の通路確保

 

頬当御門周辺石垣回収工事

頬当御門周辺は、頬当料金所から入った先の虎口付近で平成28(2016)年9月8日から作業を開始した。前震の時点では3カ所が崩れていたが、本震を受けて向かい合う6面全ての石垣が道を塞ぐように崩落した。6m以上の道幅があった通路が一瞬にして足の踏み場のない状態となったのである。地震が起きたのが立入制限前の昼間ならば、大変な人的被害が出ていたであろうと想定できる。特別史跡の文化財である石垣は崩れる前の姿に戻さなければならないため、写真を撮影し、一つ一つの石材に番号を付け、一石ごとに測量で座標をおさえた後に回収作業を行った。石材の回収作業が終了した後、崩落箇所及び残存石垣の二次崩落を防ぐためにモルタル吹付けを行い、ネットで押さえることで安全対策を実施した。12月中頃には安全対策までの作業を完了し、その後、天守工事に必要な大型の車両が通行可能な仮設通路を3月に設置した。

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①崩落状況の記録(写真測量)

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②崩落石材の番号付け

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③崩落石材の測量

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④崩落石材の回収

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⑤石材置場に仮置き

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⑥崩落石材回収完了

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⑦モルタル吹付け

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⑧ふとんかご(蛇籠)設置

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⑨防護ネットによる安全対策

図2 頬当御門周辺石垣撤去工事の流れ

崩落石材回収工事からみた崩落パターン解析

崩落石材を回収する際には、石材一つ一つがどの位置に落ちていたのかが分かる記録をとっている。これらのデータは以下のようなことに役立てられる。

・石垣崩落のメカニズム解明

・崩落時の危険範囲の確認

・積み直しの際の石材対照資料

 

北大手門(加藤神社境内)崩落パターン解析

加藤神社境内に崩落した北大手門櫓台石垣の石材回収作業を、平成28(2016)年12月1日~12月27日まで行った。6面の石垣が崩落しており、約300石の石材を回収した。この6面のうちの一つであるH99面※1は、高さ4m、長さ8mの石垣で、明治22(1889)年の金峰山地震で孕み出し、積み直した箇所である。H99面石垣において、現地で、平成23(2011)年撮影の地震前の写真と崩落石材を対照した結果、9割以上の石材の元位置が確認できた。

 

崩落状況から考察される崩落パターンを模式的に表現したのが図3、図4、図5である。崩落範囲最下部より4段目にあった石材(緑色の石材部分)を、崩落石材の外縁部で確認した。4段目より下位の石材は石垣直下に正面を下にしたうつ伏せ状態で転落し、その上を裏栗石が覆った。栗石の上には、上から1~3段目の石材が石積みの上下位置を保ったまま崩落したと推測される。これは地震時の崩落パターンの一つにすぎないので、今後も石垣復旧工事を進めながら崩落状況の解析を進める。

図3 崩落前の加藤神社境内石垣(H99面)

図4 崩落後の加藤神社境内石垣

図5 加藤神社境内石垣(H99面)の崩落パターン

おわりに

平成28(2016)年12月26日に、「熊本城復旧基本方針」として以下の七つの方針を定めた。

 

  1. 被災した石垣・建造物等の保全
  2. 復興のシンボル「天守閣」の早期復旧
    天守閣のバリアフリー化及び内装・展示内容の刷新
  3. 石垣・建造物等の文化財価値保全と計画的復旧
  4. 復旧過程の段階的公開と活用
  5. 最新技術も活用した安全対策の検討
  6. 100年先を見据えた復元への礎づくり
  7. 基本計画の策定・推進

 

熊本城の管理において、これまでは文化財の保護と活用を意識して取り組んできていた。今回の地震を受けて、これからは安全対策も同じように必要であると認識した。安全対策とは、石垣内部に現代工法を取り入れることや、ネットや防護壁によるものだけではない。例えば石垣と安全な距離をとるなど、文化財的な価値や景観を損ねない方法もある。また熊本市は、石垣の解体修理をする中で失われてしまった石積みの伝統技法を読み取り、積み直しに活かしていくことで、後世に石垣の伝統的な技法を継承していくという役目も担っている。

 

復旧には長い年月がかかることが想定されるが、できるだけ早く多くの人がもう一度、地震前の美しい熊本城の姿を見ることができるよう、取り組んでいく所存である。

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