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Vol.30

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特集

松江城天守が国宝に指定されるまでの歩みと今後の活用

卜部 吉博 / Yoshihiro Urabe
松江市 まちづくり部史料編纂課 松江城調査研究室専門官

pic30_10main松江城天守 写真提供:松江市まちづくり部史料編纂課(以下同)

松江城天守の概要

2015年7月8日、松江城天守は城郭建築としては63年ぶりに国宝指定された。国宝に指定されたのは松江城天守1棟と、つけたり として祈祷札きとうふだ2枚(慶長16年正月吉祥日)、鎮宅祈祷札ちんたくきとうふだ4枚、鎮物しずめもの3点(祈祷札1、槍1、玉石1)であった。構造は、四重五階天守、地下1階付、本瓦葺、南面附櫓一重、本瓦葺である。規模は、平面447.13㎡、延べ面積1,784㎡、高さ22.43m(木造部)で、現存12天守のうち、面積は姫路城大天守に次いで2番目、高さは姫路城天守、松本城天守に次いで3番目の規模を誇る。

 

文化庁によると、指定に至った大きな理由は、2012年5月に「慶長十六年」と記された祈祷札2枚が再発見され、その後の研究により天守が慶長16(1611)年完成であることが明確になったこと、2階分の通し柱や包板の技法を用いた特徴的な柱構造が解明され、天守建築に優れた技法を用いた事例であることが判明したことによる。

pic30_10_01慶長十六年在銘祈祷札

pic30_10_02通し柱断面図

pic30_10_03通し柱配置平面図

国宝指定に至るまで

松江城天守は、1935年5月に国宝保存法により国宝に指定されていたが、1950年5月の文化財保護法の施行により重要文化財に位置づけられた。同年6月からは天守の修理工事が着工された(昭和の解体修理)。1951年には松江市が国に国宝指定の陳情を行っている。解体修理工事は1955年3月に竣工を見た1。同年3月には、松江市が国に国宝指定の陳情を再度行っている。これは、天守の解体修理工事の竣工を踏まえての事であったと考えられる。その後、1959年に松江市議会による「国宝指定の促進の決議」がなされ、国に陳情がなされた。陳情の度に国からは「新たな発見が必要」と回答があった。

 

2009年、松江市長が松江市議会で松江城国宝化に向けての市民運動の醸成を提唱、同年には「松江城を国宝にする松江市議会議員連盟」「松江城を国宝にする市民の会」が相次いで設立された。また、翌2010年の市長選挙には国宝化運動が盛り込まれた。市民の会は2010年1月から署名活動を開始した。この署名は4月までに12万余に達し、7月には市民の会を先頭に署名を文化庁長官に届け、国宝指定の陳情を行った。この時、文化庁長官は「新たな知見が必要」との認識を改めて示された。

 

一方、松江市の行政としては2010年2月に「松江城国宝化推進室2」を観光振興部に設置し、部長が室長を兼務した。4月には専任職員2名(室長、主幹)が着任し、実質的に活動を開始した。5月には「松江城調査研究委員会」(西和夫委員長、委員12名)を設置、7月には第1回の調査研究委員会を松江市で開催した。この委員会は以後、現在まで継続している。

西和夫氏の調査

松江城調査研究委員会の委員長を務めた西和夫氏は、歴史的建造物の保存や活用の第一人者であり、神奈川大学の名誉教授でもあった。現地調査及び類例調査は西和夫委員長にお願いし(神奈川大学へ委託)、2010年7月から開始していただいた。全国の類例調査を含めた調査は2012年8月までに16回にわたった。この調査の結果は2011年の建築学会論文3、2013年の『松江城天守学術報告書』4、2014年の『松江城再発見―天守、城、そして城下町』5として公にされた。

pic30_10_04西和夫氏他による調査研究委員会の調査活動の様子

pic30_10_05西和夫氏の著作

国宝化推進室の調査

1937年に城戸久氏が松江城天守の実測調査を実施されたとき、天守4階に2枚の祈祷札があり、1枚には「慶長16年」と記されていたことを1966年の『仏教芸術』6で指摘され、天守の『修理工事報告書』1にそのことが記述されていないことに疑念を抱かれていた。松江市としては、この祈祷札の行方を探査するとともに、懸賞金をかけて広く全国から情報を求めた。幸いなことに祈祷札は、2012年5月の史料編纂室による棟札類の調査で松江神社から発見された7。しかし西和夫氏からは、松江城天守の祈祷札と認められるには「祈祷札にある釘穴と一致する釘穴のある柱を見つける必要がある」との指摘を受けた。国宝化推進室が探査した結果、同年11月に地階の2本通し柱で祈祷札が打ち付けられていたことを確認した。2013年6月にはこの柱から祈祷札が打ち付けられていたことを示す祈祷札の形をした白い跡を確認するに至り、打ち付け位置が確定した。この祈祷札は「慶長十六年在銘松江城天守祈祷札」として、2013年に松江市指定文化財となった。この他、天守に残されていた史料の調査を行い記録としてまとめ8、2014年には「松江城天守鎮め物」、「松江城天守鎮宅祈祷札」、2016年には「塩札(松江城天守出土)」が松江市指定文化財に指定された。前述したように、この内の祈祷札、鎮め物、鎮宅祈祷札は、天守の国宝指定に伴い、国宝天守の附指定となった。

pic30_10_06地階の通し柱に祈祷札が打ち付けられていた状況の再現

pic30_10_07天守分銅文刻印瓦

pic30_10_08部材刻印(分銅文に富)

国宝指定後

このような堅実な調査研究の結果、2015年7月8日に松江城天守がついに国宝に指定されたのである。国宝指定後はテレビ等マスコミにも大きく取り上げられるようになり、お城ブームにも乗り、国内外からの観光客も増えてきている。天守の登閣者は指定前の2014年が376,825人だったのに比べて、指定の年の2015年が494,189人、2016年が521,778人と増加してきている。東京から取材に来たテレビのプロデューサーが「松江城の天守がこんなに立派だったとは……」と発言されることが多いことからも、今まで一般的にあまり認知されていなかったということがうかがえる。

pic30_10_09国宝答申直後の報告会の様子

松江城歴史的価値発信事業

(1)シンポジウム

国宝指定が決まると、松江城天守の価値を一層高めるための施策として、島根県と松江市は実行委員会(松江城歴史的価値発信事業実行委員会)を組織し、2015年に東京(よみうりホール)、大阪(大阪国際交流センター大ホール)、松江(松江テルサホール)で、国宝指定記念シンポジウム「松江城再発見~天守・城・城下町~」(予算額40,000千円)を開催、翌2016年には名古屋(ウイルあいち・ウイルホール)でシンポジウム「国宝松江城天守~尾張生まれの堀尾吉晴が築いた城~」(予算額16,000千円)を実施した。

 

(2)展示

引き続いて2017年9月19日から11月19日の間には、東京都千代田区と松江城歴史的価値発信事業実行委員会の共催で、日比谷図書文化館において「共同企画展《新発見「江戸始図」関連展示》松江城と江戸城」(実行委員会予算11,000千円)を開催した。同展では、松江城から再発見された「極秘諸国城絵図」のうち「江戸始図」「真田丸」「浜松城」などの城絵図と松江城天守の史料を中心に企画展示を行い、2万人を超える入場者を記録するなど好評を博した。

pic30_10_10「共同企画展《新発見「江戸始図」関連展示》松江城と江戸城」のチラシ

まとめ

松江市は2016年度から近世城郭群世界遺産登録推進会議準備会に参加し、松本市(松本城)、犬山市(犬山城)と共に世界遺産登録を目指している。2017年9月には、松本市が日本イコモス国内委員会の拡大理事会を松本市に招致し、国内委員会との意見交換会で参加理事に3市から仮資産範囲のプレゼンテーションなどを行い、理事からは3市の仮資産範囲に対する意見、今後の暫定リスト、世界遺産委員会の現状等の意見を頂いている。これからも調査研究を進め、国宝・松江城天守の価値に一層の磨きをかけていきたい。

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