Vol.30
Vol.30
特集
“山城”としての備中松山城を愉しむ
高梁市教育委員会社会教育課 文化財保護主事
特集 見出し一覧
備中松山城本丸
はじめに
備中松山城は、岡山県高梁市の市街地北側に位置する臥牛山に築城された山城であり、現存天守12城のうち唯一の山城であることから、「天守の残る唯一の山城」と言うことができる。
高梁市街地は、周囲を山々に囲まれた狭小な盆地であり、そこを岡山県下三大河川の一つである高梁川が北から南へと流れている。こうした地形的な特徴により、秋から冬にかけて、霧が発生し、盆地を埋め尽くし、「雲海」となる。備中松山城は、この雲海に浮かぶことから、「天空の山城」とも呼ばれている。こうした幻想的な風景が注目を集め、近年多くの方に来城いただき、2016(平成28)年度には初めて年間来城者が10万人を超えた。山城という特殊な立地の城に多くの方が来訪されることによって生じる課題について、当市が行っている観光面における対応を紹介することとしたい。
雲海に浮かぶ備中松山城 写真提供:高梁市教育委員会(以下同)
歴史と特徴
備中松山城の所在する臥牛山は、標高480mで、北から大松山・天神の丸・小松山・前山と呼ばれる四つの峰から成っており、西から見た形が牛が伏せた姿に見えることから、その名前が付いたと言われている。一般的には、天守のある小松山城跡が備中松山城と認識されているが、実際には臥牛山の峰の頂部を中心として全域に城が築かれており、臥牛山全域に築かれた城が備中松山城である。
備中松山城は、大松山に1240(延応2)年に築城されたことにはじまり、戦国時代までには臥牛山全域に城が築かれ、臥牛山周辺には21の砦があったと言われている。その後、1575(天正3)年の備中兵乱により毛利氏の支配下となり、小松山城跡が近世城郭へと改修されたと考えられている。江戸時代になると、小堀氏が備中国奉行として入り、城の改修を行っている。1683(天和3)年には、水谷氏が城の大改修を行い、小松山城跡は現在の縄張りとなり、この時から天守や二重櫓が現存する。その後、安藤氏・石川氏・板倉氏と藩主が変わり、明治維新を迎える。1871(明治4)年に廃城となるが、山上に位置することから解体が行われず、放置され、天守などが残されたと考えられている。1939(昭和14)年からこれまでに三度の大規模な保存修理が行われ、天守・二重櫓・土塀が国指定重要文化財に、城跡は国指定史跡に、臥牛山は「ニホンザルの生息地」として国指定天然記念物に指定されている。
城の特徴としては、臥牛山が岩盤の山であることから自然の岩盤を人工的な石垣の一部に取り込んでいること、中世城郭の一部を近世城郭に改修していることから中世城郭と近世城郭の両方を見ることができることなどが挙げられる。最大の特徴は、前述したが、山を登れば、山城唯一の現存天守を見ることができる点にある。
図1 備中松山城 史跡指定地位置図
備中松山城を堪能する
①眺める
「天空の山城」という幻想的な光景を眺めるには、臥牛山の東側に設けた備中松山城雲海展望台が便利である。備中高梁駅から車で約20分、そこから徒歩1分で展望台にたどり着く。「天空の山城」として注目を集め始めたのは、2014(平成26)年頃からであるが、展望デッキは1990(平成2)年頃に設置したものである。2015(平成27)年度には、展望デッキ前面にあり、景色の妨げとなっていた樹木を伐採し、眺望を確保した。さらに、2016(平成28)年度には訪問者の急増に対応するため、展望デッキの増設を行い、多くの方に天空の山城を楽しんでいただくことが可能となったと考える。
雲海展望台の展望デッキ
②登る
備中松山城は山城であり、城を訪れるには山を登らなくてはならない。8合目に駐車場を設けているが、駐車できるのは14台程度であり、また道幅が狭く混雑すると危険なことから、以前は土・日・祝日のみシャトルバスを5合目駐車場から8合目駐車場まで運行していた。しかし、来城者の増加により、平日にも混雑することから、現在では平日にもシャトルバスの運行を行っている。
シャトルバスについては、以前は簡易的な乗り場しかなかったが、来城者の増加に伴い、「城まちステーション」というシャトルバス乗り場を建設した。外観は、市指定重要無形民俗文化財「松山踊り」で、踊り子が浴衣を着て編み笠をかぶり、手を横に広げた様子を意識してデザインされている。「城まちステーション」にはトイレも併設されており、市が掲げる「観光地のトイレをきれいに」という「トイレからのまちづくり」の第1弾として設置されたものである。
また鉄道での来城者のために、備中高梁駅から「乗合タクシー」を運行したり、2016(平成28)年度からは新たに季節限定(4・5月、9~11月)の土・日・祝日だけではあるが、シャトルバス乗り場「城まちステーション」までの路線バスの運行も行い、来城者の利便性の確保に努めている。
城まちステーション(シャトルバス乗り場)
③めぐる
備中松山城として一般的に認識されているのは、天守のある小松山城跡だけである。そのため、来城者の多くは、時間の関係などから小松山城跡の天守のみを訪問して帰る傾向が強い。これでは、備中松山城の魅力の半分である近世城郭部分しか堪能していないこととなる。どうにかして、魅力全体を伝えることができないかと模索しているところであり、「備中松山城 城山ウォーキングマップ」を2016(平成28)年度に作成し、配付している。これまで小松山城跡までのマップはあったが、全体を解説したマップはなかった。これにより、全体にどのような遺跡があるのかということが把握でき、中世城郭部分への興味を促すことができるのではないかと期待している。またマップには臥牛山で見ることのできる野鳥や植物も紹介しており、城好きだけではなく、自然を楽しみたい人にも最適なマップとなっている。
さらに、史跡整備においては中世城郭部分の整備を実施しており、2013(平成25)年度には天神の丸跡の保存整備が完了し、現在は、「大池」という総石垣の池の周辺整備を実施している最中である。長辺22m、短辺10m、深さ4m程度の池であり、地元では「血の池」と呼ばれている。こうした巨大な池が山頂に近い部分にあることは山城では非常に珍しいことから、ぜひご覧いただきたいスポットの一つであり、中世城郭部分の城めぐりの拠点になればと考えている。
「備中松山城 城山ウォーキングマップ」
「備中松山城 城山ウォーキングマップ」の内容
大池 発掘調査のために水を抜いた状況
魅了する“山城”に向けて
備中松山城は、かつて水攻めされた備中高松城(岡山市)と混同されることが多く、実際に山に登られた方からもどのように水攻めされたのかと質問されることがあったくらいである。また、以前はヒールや革靴で登られる来城者もたくさんいた。
最近では「天空の山城」効果により、備中高松城や水攻めと間違われることや、ヒールなどでの来城者はほとんど見かけられなくなり、リュックサックを背負って登山靴で来城する方が多くを占めるようになってきた。これは以前よりも「山城」に対する認識が向上していることも影響していると考える。近年では「山城」を特集した雑誌なども多く刊行され、「山城」を身近に感じる機会が増えてきたことにもよるだろう。
こうした中で、備中松山城の特徴である山城ならではの楽しみ方をより一層提供していく必要があると感じている。備中松山城を訪れる皆さんは、「遺跡を楽しむ」「自然を楽しむ」「景色を楽しむ」「山歩きを楽しむ」などさまざまな目的で来訪されている。こうした方々にさらに来城いただくには、遺跡の魅力・山の魅力(自然環境・風景など)など、さまざまな側面からの魅力をさらに掘り起こし、山城ならではの活用につなげていきたいと考えている。