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Vol.30

Vol.30

特集

小峰城跡・東日本大震災からの復興と観光の取り組み

白河市 建設部文化財課/産業部観光課

春の小峰城(2016年4月撮影) 写真提供:白河市(以下同)

小峰城の立地と歴史

小峰城跡は、JR東北本線「白河」駅の北側約500mに位置する。標高370mほどの東西に延びる独立丘陵と、この丘陵の北側・南側を流れる阿武隈川や谷津田川により形成された、標高357mほどの河岸段丘上に立地している。当時の城郭の範囲と考えられる、外堀より内側の範囲は約54haで、このうち本丸および二之丸の一部の約16.3haが国史跡に指定されている。

 

小峰城の成立は、文化2(1805)年に編纂された『白河風土記」によれば、興国・正平年間(1340~1369年)の頃、白河庄を治めていた結城宗広の嫡子・親朝(別家小峰家を興す)が、築城したことに始まるとされる。

 

天正18(1590)年、豊臣秀吉による奥羽仕置きにより結城氏は改易され、約400年にわたる結城氏の白河地方支配は終焉を迎える。奥羽仕置きの後、白河は会津領となり、小峰城には会津を領した蒲生氏、上杉氏の城代が置かれた。

 

寛永4(1627)年、丹羽長重が10万石余で棚倉より入封し、白河藩が成立する。小峰城は、丹羽氏以後、松平(榊原)、本多、松平(奥平)、松平(結城)、松平(久松)、阿部といった徳川譜代・親藩の7家21代の居城となったが、慶応4(1868)年の戊辰戦争白河口の戦いにより焼失、落城した。

小峰城跡本丸全景(2017年1月撮影)

城郭の縄張り

中世小峰城の縄張りは、発掘調査で近世の遺構の下部に堀跡の存在が確認されてはいるが、その全容は明らかではない。

 

現在にその名残をとどめる城郭は、初代白河藩主・丹羽長重が、寛永6(1627)年から約4年の歳月をかけ、大改修したものである。

 

縄張りは、独立丘陵の西端部に本丸を設け、東側、南側に位置する河岸段丘上に二之丸、三之丸を配置した、やや不整な五角形を呈する梯郭式平山城である。

 

大改修では、本丸・二之丸を総石垣造りとし、三之丸や外郭の主要部分にも石垣を多用していることが大きな特徴である。また、阿武隈川の流路を替え、北側の備えを強化するとともに、流路の変更により生じた土地を屋敷地として利用している。

 

城郭の南から東にかけては、奥州街道(現国道294号)が整備され、街道沿いには町屋が形成された。かぎ型の道路や短冊形の町割などは、現在も踏襲されている。

小峰城跡推定縄張り図

三重櫓・前御門の復元

小峰城の主要建物は、戊辰戦争時に焼失したが、城内にあった櫓・門・学問所などの建絵図・平面図が現存する。「白河城御櫓絵図」(福島県重要文化財)と呼ばれる資料で、絵図には、柱材の寸法や樹種まで記された詳細なものである。

 

昭和64(1989)年の市制施行40周年を記念し、小峰城三重櫓の復元が企画され、昭和63(1988)年から平成元(1989)年にかけて三重櫓跡・前御門跡の発掘調査が行われ、多量の炭化物や焼土・瓦などの遺物と、礎石などの遺構が確認できた。

 

御櫓絵図と発掘調査のデータを基に、平成3(1991)年に復元された三重櫓は、史実に基づく木造の城郭復元建造物の先駆けとなる事例である。櫓の復元に際しては、戊辰戦争時に激戦地となった、市内稲荷山より伐採された木材が使用され、床材や柱材の一部には、打ち込まれた鉄砲玉の痕跡を見ることができる。

 

また、三重櫓南側に隣接する前御門も平成6(1994)年に復元され、往時の姿を偲ばせている。

「白河城御櫓絵図」(福島県重要文化財)の三重櫓

三重櫓の発掘調査(1989年撮影)

復元された三重櫓と前御門

東日本大震災からの復興

平成23(2011)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、小峰城跡では、10カ所での石垣崩落と、石垣の変形、背面の地割れ等の被害が多数発生した。

 

修復にあたり、十分な記録が残されていない中で、市民・全国の城郭研究者から崩落以前の写真が寄せられた。白河市ではこれらの写真から、崩落石材の元位置を特定するなどの作業を行い、震災前の姿に近づけられるよう努めている。また、修復前には石垣背面の発掘調査を実施し、石垣の構造や崩落の原因等の解明を行いながら、調査成果を基に、伝統的な工法により修復を行っている。

 

修復に伴って行われた調査では、これまで知られていなかった石垣修理の履歴や、縄張りの変遷に関する発見があり、小峰城の歴史を紐解く新しい情報が得られている。

東日本大震災での被災状況 (2011年撮影)

震災復旧に伴う調査で発見された石垣(2016年撮影)

石垣復旧工事の様子(2017年4月撮影)

現在の石垣復旧状況(2017年9月撮影)

観光の現状と取組みについて

白河市には、小峰城跡をはじめ、白河藩主・松平定信により、享和元(1801)年に築造された南湖(国指定史跡・名勝南湖公園)や、奥州三古関の一つに数えられ、歌枕(和歌の名所)として都人のあこがれの地となった国指定史跡・白河関跡などが所在し、これらの史跡が観光を牽引している。

 

東日本大震災の直後は、本市の観光業界も影響を受け、観光客の減少が見られたものの、全国のご当地キャラが一堂に会する「ご当地キャラこども夢フェスタinしらかわ」等、新たな観光振興を図った結果、観光客は増加傾向にあり、平成28(2016)年の本市観光客入込数は140万人を超えている。

 

小峰城跡本丸に復元された三重櫓においては、震災の影響で平成23(2011)年度~平成26(2014)年度まで観覧を休止していたが、観覧を再開した平成27(2015)年度が78,207人、平成28(2016)年度が85,691人と震災前の1.2~1.3倍の入場者となっている。また、近年の訪日外国人観光客増加に伴い、小峰城を訪れる外国人観光客も平成27(2015)年度285人、平成28(2016)年度551人となっている。

 

小峰城跡への更なる誘客に向けて、平成28(2016)年度より国の「地方創生拠点整備交付金」を受け、城内にある二ノ丸茶屋(別図)改修に取り組んでいる。改修後は白河の土産品を取り揃えた物販ブースや、軽食等の飲食ブースを拡張し、小峰城での観光滞在時間の増加を目指している。

 

また、今後も増加が見込まれる訪日外国人観光客の受入れ環境整備として、城内の多言語対応案内表示板の設置等にも積極的に取り組んで行く予定である。

二ノ丸茶屋 完成パース

今後にむけて

平成27(2015)年に、「小峰城跡整備基本計画」を策定し、整備の基本方針について定めた。今後も、整備基本計画に基づき、史跡内での石垣や景観・環境整備、一部の遺構復元などを進めていく予定である。

 

東日本大震災からの復旧工事は、平成31(2019)年春の完了を目指して進めている。工事の完了した地区から、順次開放を進めているところではあるが、城郭全体の開放にはまだ時間を要する。

 

今後、災害復旧の早期完了を目指すとともに、復旧に向けた取り組み内容を広く情報発信し、来訪者の増加に繋げていきたいと考えている。

三重櫓ライトアップ(2017年10月撮影)

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