Vol.33
Vol.33
文化財の保存・活用の原点と観光
葛飾区産業観光部観光課 主査学芸員
国重要文化的景観に選定された葛飾柴又の重要な構成要素の一つである帝釈天参道 提供:葛飾区観光課
2019年にはラクビーワールドカップ、2020年には東京オリンピック・パラリンピック競技大会が日本で開催される。日本が世界から注目を集め、訪日外国人観光客が増加するとみられ、日本政府も「観光先進国」への新たな国づくりに向けて取り組んでいる。
こうしたインバウンド効果が期待される中、今年2018年4月に文化財保護法の改正案が国会に提出され、2019年4月1日から施行されることになった。しかし、文化財に関連する学協会からは、文化財の保護がないがしろにされ、活用ありきの観光振興などの経済性重視にシフトしてしまうのではないかと懸念されている。
そもそも文化財の保護と活用とは、どのような社会環境から形づくられてきたのであろうか。ここでは、第二次世界大戦後の世界と日本の文化財(遺産)をめぐる動向を概観し、その原点を確認した上で、今回の文化財保護法改正と東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会、そして観光立国との関係性を探ってみた。
文化財の保護と活用の原点
(1)ユネスコの設立と世界遺産
第二次世界大戦が終わり70年以上の歳月が流れ、戦争を体験した人も高齢化し、その形骸化が危惧されている。大戦後の世界は戦争によって疲弊し、二度と戦争の惨禍を繰り返さないという想いから国際平和と人類の福祉の促進を目的として、1945年に教育、科学、および文化の面での国際協力を目的とする国際連合の専門機関「国際連合教育科学文化機関」(以下、「ユネスコ」と表記する)が設けられた。
ユネスコ憲章※1によると、再び戦争が起こらないようにするためには、「文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育」を行い、相互の理解が必要であり、そのために貢献する機関であると謳われている。
ユネスコ設立以後の文化遺産保護に関する活動を概観すると、1954年にユネスコの主導により、先の大戦の文化遺産の略奪行為が行われた反省を踏まえ、戦争などの武力紛争の際に文化遺産を保護するための処置を定めたハーグ条約が採択されている。
1960年代になるとヌビア水没遺跡救済キャンペーンが展開する。エジプトのナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムを建設するためにヌビア遺跡が水没してしまうことが懸念され、世界60カ国の援助で遺跡内のアブ・シンベル神殿の移築が行われ、国際的な組織によって歴史的価値がある遺跡や建築物等を開発から守るという潮流が生まれた。
1965年にはユネスコに記念物及び遺跡の保護に関する諮問機関として国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が設立され、1972年にパリで開かれた第17回ユネスコ総会において、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」が成立(1975年正式発効 以下、「世界遺産条約」と表記する)。全人類に普遍的な価値を持つ遺産の保護・保存における国際的援助体制の確立と将来世代への継承を義務付け、世界遺産リストの作成や登録された遺産の保護支援を行う世界遺産委員会の設置などが謳われた(日本は1992年に批准)。
1977年、パリで第1回世界遺産委員会が開催され、以後、2018年で第42回を迎えており、近年では委員会開催のたびに日本の世界遺産の暫定リスト登録などについて、その動向がテレビや新聞等で取り上げられ話題となっていることは周知の通りである。しかし、自国の文化遺産や自然遺産が暫定リストに登録されるかどうかという話題に引きずられるだけでなく、「世界遺産条約」によって人類が共有すべき文化遺産及び自然遺産の保護・保存が国際社会全体の任務として位置づけられていることを忘れてはなるまい。
(2)文化財保護法の理念
敗戦後の1947年、戦時中に軍事工場を建設した際に発見された登呂遺跡の発掘調査が行われ、弥生時代の水田を伴う集落が発掘された。この調査は、考古学だけでなく、人類学、地理学、地質学、建築学、動植物学の各分野の研究者が集った学際的な発掘調査として、戦後の歴史研究の新しい息吹を示すものとなった。発掘調査の成果は、新聞報道などによって国民の知るところとなり、大いに注目された。しかし、当時国民の多くは貧困に苦しみ貧窮しており、敗戦復興政策によって、住宅や工場などの建設のために多くの遺跡などが人知れず壊されていった。
このような情勢を背景に、1949年1月に起きた法隆寺金堂壁画焼損を契機として、翌1950年に国は議員立法によって「文化財保護法」を制定した。
文化財保護法では、「文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献する」という、日本のみならず、世界的貢献という大きな理念が謳われている(第一章第一条)。そして、「文化財がわが国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできないもの」とされ、なお「且つ、将来の文化の向上発展の基礎をなす」「貴重な国民的財産」であり、「その保存が適切に行われる」とともに、「文化的活用に努めなければならない」とされている(第一章第三・四条)。
ここで確認できることは、ユネスコの設立や世界遺産の創設と、日本の文化財保護法の制定も、その根底には第二次世界大戦という人類のおかした過ちを二度と繰り返してはならないという想いが込められており、文化財の保護と活用を図ることによって、延いては世界文化や平和にも貢献することができるという理念であろう。
文化審議会の答申と法改正
(1)文化審議会
「文化財保護法」は、20世紀から21世紀という時代の推移と社会情勢の変化に対応するべく法改正が行われている。その推進役となっているのが外部有識者等で構成されている文化財保護審議会(2001年に文化審議会に統合)による報告書である。
詳細は省くが、1994年に「時代の変化に対応した文化財保護施策の改善充実について」と題する報告書がまとめられ、これを受けて1996年に法改正され文化財登録制度が創設されている。2001年には、「文化財の保存・活用の新たな展開―文化遺産を未来へ生かすために」という報告書がまとめられ、文化財周辺の環境なども含めた文化財の総合的な把握の必要性が提言され、2004年に人と自然との関わりの中で形成された景観地を文化的景観と捉える新しい文化財が法改正によって加えられている。2007年には、「文化財を総合的に把握するための方策」及び「社会全体で文化財を継承するための方策」をテーマとした報告書がまとめられ、2008年に全国の市町村に対して地域内に所在する文化財を相互に歴史的関連性を検証して保存活用を図る「歴史文化基本構想」が策定された。これにより、文化財の保護・保存とともに、地域ならではの伝統的な文化を基にした町づくりなどへの文化財の活用が期待されるようになった。
(2)文化財保護法の改正
今回の文化財保護法改正の推進役となった文化審議会の「文化財の確実な継承に向けたこれからの時代にふさわしい保存と活用の在り方について(第一次答申)」※2は、2017年5月19日に文部科学大臣から「これからの文化財の保存と活用の在り方について」の諮問を受けて検討されたものである。この諮問では、文化財やその取り巻く環境を一体的に捉えた取り組みと地域振興について、文化財保護法の改正も視野に入れた検討が要請された。
2017年12月に、文化審議会文化財分科会企画調査会から「文化財の確実な継承に向けたこれからの時代にふさわしい保存と活用の在り方について(第一次答申)」が出された。今年2018年3月に閣議決定、同年4月に文化財保護法の改正案が国会に提出され、2019年4月1日から施行されることになった。
この法改正は、「過疎化・少子高齢化等の社会状況の変化を背景に各地の貴重な文化財の滅失・散逸等の防止が緊急の課題となる中、これまで価値付けが明確でなかった未指定を含めた有形・無形の文化財をまちづくりに活かしつつ、文化財継承の担い手を確保し、地域社会総がかりで取り組んでいくことのできる体制づくりを整備するため、地域における文化財の計画的な保存・活用の促進や、地方文化財保護行政の推進力の強化を図り」※3、文化財を保護から活用に重きを置き観光資源として積極的に生かしていこうというものである。
この法改正にあたって、法的拘束力はないものの衆・参議院文部科学委員会の附帯決議が付されている。衆・参議院の附帯決議はほぼ同じ内容で、政府及び関係者は、本法の施行に当たり、特段の配慮をすべき点として7項目が決議されている。そのうち1では、国及び地方公共団体は、文化財に係る施策を推進するに当たって保存と活用の均衡がとれたものとする。2では、文化財の保存及び活用が適切に行われるためには、文化財に係る専門的知見を有する人材の育成及び配置が重要であり、専門人材の育成及び配置について、国及び地方公共団体がより積極的な取り組みを行うこと。6では、地方公共団体の長が文化財の保護に関する事務を担当する場合に当たって、文化財の本質的な価値が毀損されないよう十分に留意し、地方文化財保護審議会の役割の明確化及び機能強化、文化財保存活用地域計画の作成並びに文化財保護法に規定する協議会の設置が図られるよう、国の指針等においてその方向性を示すこと、などが記されている。
観光立国という戦略の中で
(1)「とっておいた文化財」を「とっておきの文化財」に
今回の文化財保護法改正は、安倍内閣の「観光立国」という戦略に基づいた法改正で、国会へ提出された時から歴史関係の学協会からも、活用ありきで保護がおざなりになることが危惧された。昨年、地方創生担当相が「一番がんなのは学芸員。観光マインドが全くない」と発言したことがよく取りざたされているように、文化財保護法の原点を忘れ、文化財を単なる観光資源ととらえ、観光的な活用が期待されない文化財は軽視されるのではないかという点が懸念されているのである。
実は、地方創生担当相の発言だけでなく、懸念される源は、安倍内閣の「観光立国」という戦略のなかに見え隠れしている。例えば、2016年3月30日に「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」(議長:安倍晋三内閣総理大臣)が発表した「明日の日本を支える観光ビジョン―世界が訪れたくなる日本へ―」では、冒頭の「『観光先進国』に向けて」のなかで、以下のような記述がある※4。
”めざせ! 観光先進国。すなわち、全国津々浦々その土地ごとに、日常的に外国人旅行者をもてなし、我が国を舞台とした活発な異文化交流が育まれる、真に世界へ開かれた国。そこでは、次々と新たなサービスの創造やイノベーションが起こり、地域の産業・経済の足腰が強化されるといった好循環が創出される。”
どこかの民間の広告のような良いこと尽くしの謳い文句に聞こえてしまわないでもないが、「『観光立国』への『3つの視点』と『10の改革』」で、「視点1 観光資源の魅力を極め、地方再生の礎に」のなかで、文化財について以下のように位置付けている。
「『文化財』を、『保存優先』から観光客目線での『理解促進』、そして『活用』へ」という項目が立てられ、「―『とっておいた文化財』を『とっておきの文化財』に―」というサブタイトルが付けられている。内容的には、「2020年までに、文化財を核とする観光拠点を全国で200整備、わかりやすい多言語解説など1000事業を展開し、集中的に支援を強化します」と、目標を挙げている。
受け止め方はさまざまだとは思うが、「保存優先」から観光客目線での「理解促進」というところで、活用へシフトすることが強調されているように受けとれてしまう。「とっておいた文化財」を「とっておきの文化財」に、というのも、上手い語呂合わせと思う人もいるかもしれないが、文化財の保護というものを揶揄し過ぎで、文化財側からどのように受け止められているのであろうか。
(2)「交流」を忘れた観光
「観光」の語源を紐解くと、中国の『易経』の「観国之光 利用賓于王(国の光を観る もって王に賓たるによろし)」の「観国之光」から生まれたものであるという。本来は「その国の威光(文物や制度)を視察する」というような意味で、それが転じて「他国を旅して見聞を広める」「地域の優れたものを見る」という意味を持つようになったといわれている。日本では、古くは勘合貿易の頃に用語として見られたが、現代的な用法としては明治頃から使われ、昭和初期頃から一般化し、「tourism」という訳語も定着したという※5。
また、インターネットで「観光の効果」を検索すると、その多くは「経済波及効果」など「経済」という字が躍っている。観光客を受け入れる「人」や「地域」は、2020年という大きな期待の中で、観光による経済効果を見込み、公民あげてさまざまな取り組みを展開している。ここで「そもそも」を持ち出すと、観光する側は「他国を旅して見聞を広める」のであるが、それに留まらず、観光する側とそれを受け入れる側との「交流」が促進される。国内の他地域や外国の人が訪れることによって、いろいろな人と交流する機会が生まれ、2020年はまさに「国際交流」の大きなチャンスなのである。
しかし、今年6月に政府の観光立国推進閣僚会議が取りまとめた「観光ビジョン実現プログラム2018」では、三つの視点と都合37項目を立てているが、観光の効果の大きな柱の一つである「交流」に関する項目は見られない※6。
また「観光教育の充実」という項目の観光ビジョンとして、「子どもたちが地元や日本各地の歴史や文化の魅力的な観光資源等を理解し、関心を持ち、その魅力を実感・発信できる機会の増加につながるような、教材・事例集等の作成及び普及」と書かれている。
歴史や文化の魅力的な観光資源等を学び、その魅力を実感・発信できる機会とするのに、それによって生まれる「交流」という観光の効果まで書き込まれていないところが残念でならない。まさに「明日の日本を支える観光ビジョン―世界が訪れたくなる日本へ―」で掲げられた「『保存優先』から観光客目線での『理解促進』」によって、「交流」が促進されるのではないだろうか。
(3)オリンピック憲章
2020年に向けて、経済効果のみに特化したレガシーの創出を求めるのではなく、ヘリテージを活用した国際交流のレガシーを模索することも求められているのではないだろうか。それが本来の観光立国として目指す一つの姿だと思うのである。
なぜならば日本ではオリンピックを「スポーツの祭典」と簡単に言い表してしまうが、「オリンピック憲章」の「オリンピズムの根本原則」に、「オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである」と謳われているのである※7。その理念の理解なくして東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の成功は望めないのではないだろうか。
2012年のロンドンオリンピック・パラリンピックがイギリス国内だけでなく世界的に高い評価を受けている。それはスポーツ競技や経済効果だけが評価されたのではなく、文化プログラムの充実が大きな要因としてあげられている。経済効果だけ求めて2020年を絵に描いた餅にするのか、東京、いや日本の持っている歴史的・文化的資源を生かした「国際交流」の機会を創出するのか、それは二者択一ではなく、「オリンピック憲章」に照らせば答えは自ずと明らかであろう。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の文化プログラムへの取り組みによって、文化面でも東京オリンピック・パラリンピックを成功に導き、レガシーを創出しなければならないのではないだろうか。
文化財を生かした観光振興による経済効果を上げることを否定しているのではない。経済効果を上げるためにも文化財が適正に保存されていなければ、活用が図れないのである。文化財保護法の改正によって、文化財の活用が図られて、賑わいが創出され、地域の活性化が促されるとともに、地域の人々のアイデンティティや地域の活性化に寄与することは喜ばしいことである。しかし、観光振興ありきの経済性重視に走るなど、活用ありきで、保護がおざなりになることが懸念されているのである。附帯決議に書き込まれたような処置を講じてこそ、保存と活用という両輪が整えられ、文化財を文化遺産として後世へ継承することが可能となることは論を待たないことであろう。
重要文化的景観を活用した「ユニークべニュー」
2018年2月13日に「葛飾柴又の文化的景観」が国の重要文化的景観に選定された。重要文化的景観は「風景の国宝」とも例えられ、東京では初の選定となる。保存・維持に向けたさまざまな取り組みは文化財部局の担当であるが、観光部局では「葛飾柴又の文化的景観」の観光パンフレットやガイドマップ(多言語対応)、葛飾柴又の魅力を紹介する映像制作、東京都も力を入れているナイトライフの充実に向けた帝釈天題経寺でのライトアップやプロジェクションマッピング、帝釈天題経寺や参道を利用した「ユニークべニュー※8」など、葛飾柴又の歴史的・文化的資源を活用した各種事業の準備を進めている。
写真1 「葛飾柴又の文化的景観」の国重要文化的景観選定を祝う横断幕
提供:葛飾区観光課
写真2 帝釈天参道と二天門 提供:著者
写真3 重要文化的景観に選定された葛飾柴又のまちなみ 提供:葛飾区観光課
写真4 帝釈天二天門 提供:著者
文化庁も「文化財活用・理解促進戦略プログラム2020」を策定し、目指すべき将来像、現状・課題及び今後の対応を整理しており、そのなかに「宿泊施設やユニークベニュー等への観光促進」があげられている※9。先にも記したように、葛飾柴又の文化的景観の重要な構成要素である帝釈天題経寺や参道ならではの文化財をユニークベニューとして活用することに向け、公益財団法人東京観光財団が主導し、観光課が調整役となって地元と連携して取り組んでいる。
図2 東京ユニークベニューのパンフレット
図3 帝釈天題経寺を紹介するページ(パンフレットP.50)
図4 帝釈天題経寺を紹介するページ(パンフレットP.51)
大袈裟に言うと2020年に向けた文化財の活用による経済効果の在り方を探る社会実験的な位置づけになるのではないかと思っている。何とか成功させ、葛飾柴又の文化的景観を活用したユニークベニューの環境を整えることで、今後インバウンドによる経済効果が大いに期待されるところである。それとともに忘れてはいけないのは文化財保護法に謳われている「国民の文化的向上」と「世界文化の進歩に貢献」するという理念である。諸外国の人が葛飾柴又を訪れることは、葛飾柴又だけではなく、日本の歴史や伝統、文化に親しみ理解していただく機会を創出できるということである。それはなにもインバウンドに対してだけのことではない。国内の旅行者についても同様に歴史や文化の理解を深めてもらい、交流の機会を創出することが求められている。
日本が世界から注目される好機に、オリンピックの精神を肝に銘じ、文化財を生かしてインバウンドによる経済的な波及効果とともに、国際交流の機会を創出し、2020年をピークとするのではなく持続可能なレガシーを構築することが望まれる。そのためにも文化財が適正に保存されていることが前提条件であり、文化財保護法の改正後の動向を国民一人一人が注視する必要があろう。なぜならば文化財は「国民の共有財産」だからであり、文化財を保存・活用して後世へ継承していくことが、延いては世界を平和へと導くと信じるからである。