本誌特集

Vol.34

Vol.34

男鹿のナマハゲの今

伊藤 直子 / Naoko Ito
男鹿市 観光文化スポーツ部 文化スポーツ課 副主幹

2005(平成17)年頃の門前地区のナマハゲ 提供:秋山誠氏

はじめに

「ナマハゲ」といえば、今や秋田県で最も知名度があるものの一つであり、メディアでは一年中登場する。恐ろしい面を着け、「泣く子はいねがー」と叫びながら歩きまわるというイメージだろうか。しかし本当のナマハゲは1年に1日、大晦日の夜にだけ現れる。

 

1978(昭和53)年に重要無形民俗文化財に指定された「男鹿のナマハゲ」。秋田県の沿岸中央に突き出す、男鹿半島のほぼ全域で行われている民俗行事である。

 

ナマハゲの最初の記録は1810(文化7)年、紀行家である菅江(すがえ)真澄(ますみ)が『男鹿の島風』『男鹿の寒風』に書き記した。『男鹿の寒風』では小正月の旧1月15日に真澄が体験した宮沢集落の行事が描かれている。(写真1)

写真1 『男鹿の寒風』写本(秋田県立博物館蔵)

大晦日の夜には、男鹿市内の半数を超える85程の町内で一斉に行事が行われる。夕方、神社や公民館で神事を行い、ナマハゲに化身する。冷たい風と雪の中、市内各所で300人以上にもなるナマハゲが家々をまわる。一年の厄を祓い、来る年に福をもたらす「来訪神」だ(写真2、3)。

 

ナマハゲというと、鬼のような面を付け、手には木製の包丁や御幣を持ち、藁の衣装を身に着けている姿を思い浮かべるかと思う。それはナマハゲの一つの姿にすぎない。ナマハゲの一番の魅力は、それぞれ皆違うこと。全く違う行事かと思う程、地区ごとにさまざまな雰囲気のナマハゲが存在する。面の色も、赤・青だけでなく、緑・金・銀などさまざま(写真4)。独自のしきたりを持ち、思い思いの面をつくり、衣装もさまざまである。その姿は本当に魅力的で、この先もずっと多様性を失わずに続いてほしいと思う。

写真2 大晦日に家々をまわる男鹿のナマハゲ 提供:男鹿市教育委員会

写真3 大晦日に家々をまわる男鹿のナマハゲ 提供:三浦幹夫氏

写真4 さまざまなナマハゲの面 提供:男鹿市教育委員会

ナマハゲと観光

男鹿半島は、西海岸や寒風山などのダイナミックで美しい景観や、7,000万年の台地の歴史をほぼ連続して観察できる地層などの豊かな自然により、1973(昭和48)年に半島の大部分が男鹿国定公園に指定された。そして2011(平成23)年には、男鹿半島・大潟ジオパークとして認定されている。その自然を活かし、風光明媚な景勝地として観光事業に力を入れてきた。

 

高度経済成長時には、右肩上がりに観光客が増加し、同時期に観光素材として「ナマハゲ」が取り上げられることが増え、知名度が一気に高くなった。1956(昭和31)年には「なまはげコンクール」が行われ、18組が参加し、相川地区が1位に選ばれた。会場には3,000名が集まったという。(写真5、6)

写真5 なまはげコンクールの様子1(1956年1月18日) 提供:男鹿市教育委員会

写真6 なまはげコンクールの様子2(1956年1月18日) 提供:男鹿市教育委員会

現在の男鹿市では、市の入口にある観光案内所で高さ15メートルの大型ナマハゲ像が観光客をお迎えし、道路沿い標識や看板、あらゆるところでナマハゲを目にする。

 

「なまはげ館」では映像と110地区のさまざまなナマハゲの姿を観ることができる(写真7)。また、隣接する登録有形文化財の古民家を移築・改修した「男鹿真山伝承館」では、いつでも大晦日の夜の行事を体験できる。ここでは、ナマハゲ習俗講座として、市内でも伝統的な行事を実施している真山地区の行事を、ナマハゲと家の主人の問答として再現している。

写真7 「なまはげ館」では、さまざまなナマハゲを見ることができる。 提供:男鹿市教育委員会

みちのく五大雪まつりとして定着している「なまはげ柴灯(せど)まつり」は、毎年2月の第2金曜日~第2日曜日に真山神社で開催している。神事「柴灯祭(さいとうさい)」とナマハゲ行事を組み合わせたもので、冬の夜に、たいまつを持ったナマハゲが山を下りてくる勇壮かつ幻想的な姿を楽しむことができる(写真8)。

写真8 なまはげ柴灯まつり 提供:男鹿市教育委員会

男鹿半島の観光には今や欠かすことのできないナマハゲであるが、キャラクターのように扱われることには、さまざまな意見がある。だからこそ、本来の大晦日の伝統行事を正しく伝えることが必要である。

 

観光と保存伝承を組み合わせた取り組みとして、市観光協会ではナマハゲ伝道士認定試験を行っている。なまはげ館・男鹿真山伝承館での研修、講義を受けた上で筆記試験を受ける。合格者は2017年の第15回までに1,200人を超える。半数以上が県外からの受験であり、たくさんのナマハゲサポーターが全国に誕生している。

 

2018年からは、外国人を対象とし、ナマハゲの衣装づくりや行事体験と男鹿半島観光をセットにしたモニターツアーを実施する等、新しい試みも始まっている。

ナマハゲの今

全国の民俗行事の多くが抱えている少子高齢化による影響は、このナマハゲ行事にも重くのしかかる。男鹿市は、人口減少が進む秋田県の中でも特に急激な減少が進んでいる。行事を担う若者の減少、子どものいない世帯の増加、ナマハゲを受け入れる家の減少等、行事には逆境が続いている。

 

2015(平成27)年度に、男鹿市教育委員会と男鹿市菅江真澄研究会はナマハゲ状況調査を実施した(写真9)。数年に一度、簡易調査は実施していたが、悉皆調査は1977年の文化財指定を目的としたもの以来であった。調査結果によると、148町内のうち、当初から行っていないのが14町内、昭和の時代に行事を中断してしまったのが15町内、平成に中断したのが34町内、他の85町内が現在も実施している。

写真9 『重要無形民俗文化財 男鹿のナマハゲ−行事実施状況調査報告書−』(男鹿市教育委員会・男鹿市菅江真澄研究会、2017年) 提供:男鹿市教育委員会

平成に入ってからの中断が多いのは、男鹿市の人口減少とともに、生活スタイルの変化等のさまざまな影響もある。かつて地区に存在した青年会という若い男性で構成される組織が減少したことも大きい。ナマハゲ行事は、地区の先輩の姿を追いかけ、ナマハゲを自分が行うことで大人として認められるという儀式のようなものだった。現在は、若い男性だけでは行事を行うことが難しい町内も多く、さまざまな年代で構成されるナマハゲ伝承会、保存会、親の会などの組織に引き継がれている。

 

ナマハゲを行う側、迎える側は車輪の両輪のようなものと言われるが、ナマハゲを待つ家側も変わってきている。ナマハゲは、家に上がって歩きまわり、厄を祓うものである。家に落としていったワラを頭に巻くと風邪をひかないと言われ、福をもたらすものとされる。しかし家に上げずに玄関先でナマハゲを迎える、また訪問を断る家庭も増えている。

 

そのような状況を受け、行事の簡略化など、さまざまな工夫をしながら続けている町内もある。伝統を守り続けること、守ることが難しくなり中断すること、環境の変化に対応して変えていくこと……。どれも行事を行う側が、しっかりと考えだした選択であれば正解なのだと思う。

 

伝統行事の全てに言えることだと思うが、その時の担い手はとても重い責任を負っている。その重みを共有し一緒に考えていこうという試みが始まっている。

 

男鹿市菅江真澄研究会による「今さらですが、ナマハゲしゃべりをしてみませんか」(以下「ナマハゲしゃべり」)は、ナマハゲについてみんなで考えてみる機会として始まった(写真10)。テーマを定め、参加者が自らの経験や聞いたことを自由に話す。ナマハゲに正解不正解や優越はなく、各町内それぞれが“本物”のナマハゲであるため、これが正しいという結論に導くのではなく、あくまで「しゃべる(話す)」。2017(平成29)年からは市教育委員会と研究会の合同開催としている。まずはしゃべる、そしてそれを聞く中で、現在の行事を続けるための工夫を知り、昔を懐かしみ、町内に情報を持ち帰ってもらう。行事を続けていくための方法を探る「ナマハゲしゃべり」での交流は、継承へのモチベーションにつながり、さらには行事の中断を選んだ町内の復活の糸口にもなった。2017年、行事の復活を希望している町内の方がこの会に参加し情報収集をしていた。そして大晦日には、多くのナマハゲが久しぶりにその町内をまわっていた。

写真10 「今さらですが、ナマハゲしゃべりをしてみませんか」の様子 提供:男鹿市

ユネスコ無形文化遺産への道

「男鹿のナマハゲ」は、2009(平成21)年にユネスコ無形文化遺産に提案された。登録を待ち望んでいたのであったが、2011(平成23)年の第6回政府間委員会(バリ)では、「壬生の花田植」「佐陀神能」の2件が記載決定となるが、同時に「男鹿のナマハゲ」は「情報照会(refer)」とされた。既に登録されていた「(こしき)(じま)のトシドン」(鹿児島県薩摩川内市)との類似性が指摘され、情報を追加して再提案を促すという決議であった。当時、この情報照会という想定はしておらず、地元はかなり動揺したとともに、登録は難しいのではないかという諦めの雰囲気もただよっていたように記憶している。

 

そのような中、政府が既に登録された文化財を含む類似文化財を一括して提案する方針をとり、2014(平成26)年に「石州半紙」を拡張し、他2件を一括した「和紙:日本の手漉和紙技術」がユネスコ無形文化遺産に登録された。

 

この方針転換は「男鹿のナマハゲ」にも新しい光を見い出した。「和紙」の登録直前の2014(平成26)年10月、全国の重要無形民俗文化財に指定されている8件の「来訪神行事」が所在する9自治体が「来訪神行事保存・振興全国協議会」を立ち上げた。これにより既に登録されていた「甑島のトシドン」と共に、ユネスコ無形文化遺産を目指すこととなった。同協議会は現在10行事に増え、11自治体とその行事を実際に行っている保存会が加入し、定期的に情報交換を行っている(表1、写真11、写真12)。

 

そしてこの度「男鹿のナマハゲ」は、「来訪神:仮面・仮装の神々」として、念願のユネスコ無形文化遺産に登録された。ユネスコ登録への動きの中で立ち上がった協議会だが、登録をゴールとせず、これからも全国の仲間たちが集まり、各行事を続け、伝えていくことを考える機会として、交流を続けていく。

表1 来訪神行事保存・振興全国協議会の会員と行事名

写真11 来訪神行事保存・振興全国協議会の様子
提供:来訪神行事保存・振興全国協議会

写真12 来訪神行事保存・振興全国協議会会員の交流の様子
提供:来訪神行事保存・振興全国協議会

おわりに

大晦日は子供たちにとってはとても怖い日である。ナマハゲは少しずつ家に近づいてくる。家に来ると鬼のような姿をして、言うことをきかないと山に連れて行くというのだから怖いのも当然だ。それにどんなにいい子にしていると言っても、なぜかナマハゲは自分のことをよく知っている。でも、連れていかれそうになると、大人が守ってくれる。

 

男鹿の家ではよく繰り広げられている光景である。父や祖父などの家族は、最後には「うちの子はいい子だ」と言って子どもを守る。テレビや新聞で伝えられる子が泣く場面の背景には、子と家族の絆を確かめ合う儀式が含まれている。また、子がいない家でも、ナマハゲは「来年もくるからまめで(元気で)いろ」と声をかけていく。大晦日にナマハゲが来ることで厄を祓い、新しい年を迎えられる。そればかりではなく、一年中、山から人々の暮らしを見守っている存在でもある。男鹿のナマハゲは、男鹿の人の心にしみ込んだ文化である。

 

全ての世代にとってナマハゲは、自然に神として近くにいる存在だ。だが取り巻く状況は必ずしも順風ではない。そのような中、「地域の宝」として担い手が誇りを持って次世代につないでいくため、ユネスコ無形文化遺産登録、そしてそれによって注目されることは力となると思う。そして、この誇るべき行事を続けるため、地域が一体となって考え取り組むことが、広い世代の交流の機会となり、地域の元気につながることを期待したい。現在続けている85町内という数を多いとみるか、減少して存続の危機とみるか。各町内で、存続するための方法を考え続けている限り、ナマハゲ行事は男鹿半島でこの先も続いていく。

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