考古学
スーダンの文化遺産「エジプトよりも多くのピラミッドのある国、スーダン」
スーダンの文化遺産はどのようなものがあるか、とよく聞かれます。紛争や南スーダン分離独立、社会経済が安定していない、といったニュースでしかあまり出会わないスーダン。最近は少しずつ日本からも観光客が増えてきているのです。もちろんその観光の中心は文化遺産とすばらしい景観。スーダンの文化遺産は「こういうものです」と一言では言い切れないほど長い歴史を伝える遺跡、歴史的建築物が保存され、現在も多様な文化・民族が暮らす国なのです。
日本の約5倍の面積、約1,890平方キロメートルの広大な国(2011年南北分離後)には、世界遺産3件(自然遺産1件、文化遺産2件)が登録されています。
ユネスコ世界遺産プログラムは、 ダム建設により水没するエジプトとスーダンの遺跡をはじめて国際協力によって救済したことをきっかけに設立されました。スーダンは世界遺産が生まれた国であるといえるのです。
図1 スーダンの主要遺跡の位置
今回は、スーダン文化遺産のほんの一部ですが二つの世界文化遺産を含むナイル川流域、特に私が調査を実施しているスーダン北部ナイル川流域(ヌビア地方)の文化遺産を紹介します。この地域は、現在スーダン政府が「エジプトよりも多くのピラミッドがあるスーダンにおいでください」と観光振興を進めている地域でもあります。
ケルマ遺跡
ドゥフーファとよばれる巨大な日干しレンガの構造物はケルマ遺跡の景観で圧倒的な存在感があります。祭礼施設と考えられ、高さは約19メートルあります。ケルマは紀元前約2400年ごろから文化と政治の中心として、ナイル川中流域に発達しました。サハラ砂漠以南地域における最初の王国であったと考えられています。ケルマではドゥフーファを中心に神殿、住居、墓地が建設され、独自の文化を花開かせます。ほかのサハラ砂漠以南地域でもみられるような円形の建物は、古代ヌビア文化の特徴の一つです。現在、遺跡に隣接するケルマ博物館では、ケルマ地域の歴史と文化が丁寧に解説されています。ここは地元の人たちにとっての観光スポットです。地域の文化遺産について学びながら、博物館の庭でピクニックをしたり、ドゥフーファから夕日を楽しんでいる姿が毎週末みられます。
写真1 ケルマ遺跡にのこる巨大祭礼施設ドゥフーファ 撮影:Amara West Research Project (British Museum)
写真2 ケルマ博物館 ナパタ期の歴代の王の彫像 撮影:Amara West Research Project (British Museum)
ヌビア地方は、金、香木、象牙といった古代エジプトで重宝された資源に恵まれたため、古代エジプトの王はしばしばヌビア地方へ進出し、資源と交易をコントロールしてきました。エジプトのファラオが建設した軍事要塞や神殿、支配拠点の街や墓地など多数の遺跡が良好な保存状態で残されており、世界各国の考古学調査隊が、古代エジプト支配下の生活環境についての研究を進めています。
写真3 古代エジプトの王アメンホテプ3世(紀元前1387〜1348年)によって建設されたソレブ神殿 撮影:Amara West Research Project (British Museum)
ジェベル・バルカル(バルカル山)
エジプトの勢力が弱まったのちアメン神の聖地とされる山、ジェベル・バルカル(バルカル山)の周辺地域にクシュ王国ナパタ期(紀元前8世紀〜5世紀頃)が興ります。ナパタ王朝の影響は南東北部へおよび、北部ではエジプトを支配し、古代エジプト第25王朝を樹立しました。この時代には王墓としてピラミッドが建設されるようになり、スーダンのピラミッド時代の幕開けともいえる時代です。バルカル山、ヌリ遺跡とならんで、王墓が建設されたクル遺跡一体は「ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群」として2003年に世界遺産に登録されています。
写真4-1 バルカル山の麓に建設されたアメン神を祀る神殿 撮影:Amara West Research Project (British Museum)
写真4-2 バルカル山と麓のアメン神殿 撮影:Amara West Research Project (British Museum)
メロエ島の考古遺跡群
スーダンのもう一つの世界遺産は「メロエ島の考古遺跡群」です。クシュ王国は5 世紀ごろまでに政治の中心がメロエに移りながら繁栄を続け、高い製鉄技術や交易によって、サハラ以南地域の歴史上最大の王国に成長します 。当時の繁栄の様子は王宮跡、神殿、ピラミッドといった建築物が伝えています。メロエの遺跡群では、ピラミッドのように古代エジプトの建築スタイルや神々の姿に似たものがみられます。しかし、クシュ王国は、全ての文化芸術・宗教を「輸入」していたわけではなく、それぞれ自身の文化に合うものをとりいれながらも、特徴的な芸術、文化、社会が築いていきました。
写真5 メロエのピラミッド。朝日が一つ一つピラミッドを照らしていく様子はまさに絶景 撮影:Amara West Research Project (British Museum)
写真6 ヘレニズム文化の融合したハトホル女神のチャペル(ナガ遺跡) 撮影:Amara West Research Project (British Museum)
スーダンの小学校の教科書でも紹介される国のシンボル的遺跡、ケルマのドゥフーファ、バルカル山、メロエのピラミッド群には、スーダン独立記念日に、スーダンの人が夕日をみるため、家族、親戚、近所の人たちを連れて大勢やってきます。イスラム教の祭日にも、多くの人が古代遺跡に足を運び、ピクニックなどを日が暮れるまで楽しみます。これらは文化遺産が現代のスーダン人にとって、どのような意味があるのかを伝えるとても重要な例です。
遺跡だけでなく、スーダンの人たちが文化遺産とよぶものには、現代の村々に残る古い建物とその建物の中で使用されていた様々な道具や生活用品、農業用水をくみ上げるために使用された水車がしばしばあげられます。またコッパと呼ばれるイスラムの聖者廟なども、多くの村でみられます。今日では、日干レンガとヤシの枝などを利用した屋根で建てられた伝統的な住居に住む人もいますが、 メンテナンスが少なくて済む新しいスタイルのコンクリート製の住居が好まれるようになっています。気候変動で雨量が増えていることも、住居の選択に影響しているかもしれません。伝統的な日干レンガの建物は、住居としての役目を終えても、家畜小屋や倉庫として利用され続けています。このような現在の文化に直接関連する伝統的な生活文化も、スーダン北部を代表する魅力的な文化遺産といえるでしょう。
写真7 伝統的な住居の例(エルネッタ島) 撮影:Amara West Research Project (British Museum)
写真8 コイカにあるコッパ(聖者廟) 撮影:Amara West Research Project (British Museum)
公開日:2017年5月18日