考古学
自然とともに育まれた文化的価値―「文化的景観」の可能性―
はじめに
近年、文化遺産マネジメントを考える上で、「文化的景観」が重要な枠組として注目されている。文化的景観は、1992年の世界遺産委員会が採択した作業指針において初めてその概念と保護の必要性が示され、日本においてもユネスコの考え方を参考にして文化財の新しい類型として導入された。両者の定義はある程度の相違を有するが、それぞれの立場で文化遺産の概念やそのマネジメントに変革をもたらしてきた。本稿では、世界遺産条約および日本の文化財保護法における文化的景観の概念を確認した後、北海道から選定された重要文化的景観の先駆的な取組について紹介する。
2つの文化的景観
世界遺産の新しい類型として文化的景観が加わる契機となった1992年の作業指針によれば、文化的景観は「人間と自然との共同作業によって生み出された」資産であり、いわば「人類とそれを取り巻く自然環境とのあいだに生じる相互作用の表現の多様性を包含(ユネスコ世界遺産センター 2015)」する概念といえる。人間と自然環境との相互作用の多様な形には、(1)人間の意思により設計され、創出された景観(庭園、公園など)、(2)有機的に進化してきた景観であって、その進化が既に終止した景観(遺跡など)および進化が現在も進行している景観(田園、棚田、牧場など)、(3)関連する文化的景観であって、自然的要素と宗教的、審美的、文化的意義が関連づけられた景観(聖地とされた山や岩)、という3つのカテゴリーが含まれる(表1、ユネスコ世界遺産センター 2015)。1990年代以降、世界遺産リストにおける不均衡の是正や遺産概念の拡大に関する議論のなかで、無形文化遺産とともに登場した文化的景観は、それまで軽視されがちだった非西欧型文化や民族固有の景観認知などに価値を見出すという点で遺産概念の多様化に貢献している(岡田 2013)。
2020年12月現在、世界遺産に登録された1,121件のうち、文化的景観として登録された遺産は114件であった1)。ちなみに、文化的景観の要素が評価された日本の世界遺産は、「紀伊山地の霊場と参詣道(2004年登録)」と「石見銀山遺跡とその文化的景観(2007年登録)」である。
世界遺産の新しい遺産概念に着想を得て、日本が文化的景観を導入したのは、2004年の文化財保護法の改正時である。本法のなかで、文化的景観は「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」と定義されている(文化財保護法 第2条第1項第5号)。また国は、都道府県や市町村によって文化的景観の保存のために必要な処置が施されているもののうち、文化財として特に重要なものを重要文化的景観に選定することとしており、これまでに、全国で65件を選定している2)。表1右側に示したように、日本の文化財保護法に定める文化的景観は、「農耕」、「採草・放牧」、「森林の利用」、「漁ろう」、「水の利用」、「採掘・製造」、「交通・往来」、「居住」という8つのカテゴリーに関する景観である(平成17年3月28日文部科学省告示第47号)。同じく表1左側の世界遺産における文化的景観のカテゴリーと比較すると、日本の文化的景観が、生業形態と居住様式に深く関わる景観に特化していることがわかる。
表1 世界遺産と文化財保護法における文化的景観の相違
(ユネスコ世界遺産センター 2015, 28; 奈良文化財研究所 2015, 12参照)
景観に織り込まれた人間の営為
景観に織り込まれた人間の営為に価値を見出す文化的景観は、文化遺産マネジメントにいくつかの革新をもたらした。その一つは、従来の西欧型の遺産概念3)では捉えることが難しかった非西洋諸地域における文化への視座を顕在化させ、こうした地域の多様な文化遺産に対する価値の評価に寄与したことであろう。また二つ目として、長期にわたり人間と自然との相互作用のなかで形成されてきた文化的景観の持続可能な管理においては、当該文化的景観の形成に関わってきた地域社会の主体性が重要視されていることも指摘したい。それゆえ、世界遺産登録の際には、土地利用や自然環境に対して伝統的なマネジメント・システムに即した管理計画が練られているかが評価のポイントの一つになっている。
1994年、オーストラリアにある「ウルル=カタ・ジュタ国立公園」は、ニュージーランドの「トンガリロ国立公園(1993年登録)」に続いて、文化的景観が評価された2例目の世界遺産として登録された。ウルル=カタ・ジュタ国立公園は、1987年にユネスコの自然遺産に登録された後、国立公園の領域に古来より暮らしてきた先住民族アボリジニ(アナング族)によって創出された有形・無形の文化遺産が評価され、文化的景観(複合遺産)として再登録された。当該国立公園が持つ文化的価値には、長年にわたってアナング族が受け継いできた伝統的な土地管理手法や当該地域の生態学的知識、土地に対する信仰とそれに伴う儀礼といった文化的価値が含まれる。とりわけ、アナング族の土地管理手法や当該地域の生態に関する伝統的知識や技術が、現在の国立公園の管理・運営にも活かされていることが評価された点は特筆すべきである。ユネスコの諮問機関として世界遺産登録の審査を行ったイコモス(国際記念物遺跡会議)の報告書には、当該国立公園が長期間にわたるアナング族の伝統的な法手続きや生態系にまつわる知識によって持続的に管理されてきた所産であることが詳細に記されている4)。
北海道における重層的な文化的景観
では、次に日本に目を向けてみよう。ここでは、2007年に重要文化的景観に選定された「アイヌ文化の伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観」を紹介したい。北海道日高管内平取町に位置するこの重要文化的景観は、「アイヌ文化の諸要素を現在に至るまでとどめながら、開拓期以降の農林業に伴う土地利用がその上に展開することによって多文化の重層としての様相を示す」点が高く評価され5)、北海道で初めての選定となった。平取町の重要文化的景観の評価のポイントとなった「多文化の重層」は、次のような構成になっている(図1)。まず、日高山脈に源を発し、町域を貫流する沙流(さる)川と額平(ぬかびら)川に沿って広がる落葉広葉樹林・針広混交林帯を主とした自然景観が基盤となっている。沙流川とその流域に広がる森林地帯がもたらす豊かな資源を頼りに、縄文文化期よりこの土地に人々が居住してきたことが考古学研究によって明らかになっている(平取町立二風谷アイヌ文化博物館 1994)。その後、この地域の基層文化となるアイヌ文化も、この沙流川流域と周辺の森林地帯を基盤に発展していく。アイヌ文化期、人々は沙流川本流筋や支流沿いにコタン(集落)を形成した。川に遡上するサケやマス、そして森林で狩猟・採取された動植物は、食糧としてだけでなく、衣類・道具類の原材料や儀礼のためにも用いられた。このように沙流川流域と森林地帯に広がるイウォロ(猟場)のなかで、アイヌは持続可能な生業のための知識や技術を深化させていった。また、地形・空間と生業に関わる知識がアイヌの精神文化と結びつき、アイヌ語地名、チノミシリ(祈りの場)やチプサンケ(舟おろしの儀式)といった聖域や儀礼、そして物語の舞台となった伝承地の誕生へとつながった。さらに、明治期以降の開拓では、コタンがあったエリアを中心に近代以降の集落が形成され、その後の平取町の基幹産業となる農業、畜産業、林業に結びつく土地利用が拡大されていった(吉原 2009;ノーザンクロス 2013)。このように沙流川の文化的景観は、先史時代から人々に恵みをもたらした豊かな沙流川流域の自然環境とアイヌとの深く強い関わりを通して育まれたアイヌ文化が、近代化による文化、生活様式、生業形態における大変革を経験しながらも、明治期以降に形成された新しい景観のなかに様々な形で継承されてきたことを示す、きわめて貴重な事例といえる。例えば、額平川上流の景観を見てみよう(写真1)。川上の奥には、ポロシルンカムイ(ポロシリのカムイ)が住む山として祈りの対象となっている幌尻岳、右手には戦闘用の砦として使われたと考えられるニオイチャシ6)跡、そして川沿いには明治期以降に形成された農業景観が広がっており、まさにアイヌの伝統と近代開拓が現在も併存し重層する様相となっている。
重層的な文化的要素の継受には、地域社会が大きな役割を果たしてきた。歴史的な人間と自然環境の相関性については発掘調査や考古学研究によって明らかにされつつあり、こうした成果は沙流川歴史館にて展示公開されている。また、アイヌ文化期に発展した物質・精神文化や生業に関する知識・技術に関連する史資料は、研究者のみならず、平取町出身のアイヌ・萱野茂氏、平取アイヌ文化保存会、そして萱野茂二風谷アイヌ資料館と町立二風谷アイヌ文化博物館の努力によって収集、保存、継承されてきた(平取町教育委員会 2007)。くわえて平取町で実施されてきたアイヌ文化環境保全対策調査、イウォロ再生事業、21世紀アイヌ文化・伝承の森プロジェクトなどは、アイヌ文化と自然環境に関する包括的な記録・保存だけでなく、アイヌによる実践を通じた文化継承を強く後押ししている。
平取町の文化的景観の特徴
(ノーザンクロス 2016, 6, 図2-2参照、一部筆者改変)
写真1 アイヌの伝統と近代開拓の景観が併存する額平川の上流(平取町アイヌ文化保全対策室提供)
写真2 文化神オキクルミ*が親子クマを追ったとされる伝承地ウカエロシキ*(筆者撮影)
写真3 沙流川で現在も行われているチプサンケ*(平取町アイヌ文化保全対策室提供)
おわりに
本稿の締めくくりとして、沙流川流域の文化的景観が有する特徴について述べたい。一つ目は、日本の先住民族アイヌが自然との深い関わりのなかで育んできた文化遺産が、文化的景観を構成する重要な要素として評価されたことである。これまでにも「チャシ」が史跡名勝記念物に、「アイヌのユーカラ」と「アイヌの建築技術及び儀礼」が記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に、「アイヌ古式舞踊」が重要無形民俗文化財に、「アイヌの丸木舟」と「アイヌの生活用具コレクション」が重要有形民俗文化財に、「美々8遺跡出土資料」が国宝・重要文化財(考古資料)に指定されてきた。このような有形・無形の文化財が、沙流川流域の文化的景観の構成要素として再評価されたことにより、これらを育んだ自然環境と不可分な形で保護されることとなったのである。
二つ目は、日本型文化的景観の概念の発展モデルを提示していることである。世界遺産条約に続き、新たな文化財の一つとして誕生した日本型文化的景観は、最終的に地域の生業や居住様式に関連した景観に特化したものとなり、世界遺産が目指した従来型の文化遺産概念の脱却という点は、現状の日本の制度には十分反映されていない。しかし、沙流川流域の文化的景観は、日本型のカテゴリーである生業や居住様式の景観地に軸足を置きながらも、世界遺産型のカテゴリー「(ii) 有機的に進化してできた景観」と「(iii) 関連する文化的景観」も含み、かつそれらが有機的に調和している(西山 2016)。とりわけ、世界遺産型のカテゴリー(iii)にあたる、オプシヌプリなどのアイヌの伝承との関連で意味づけされた場所、チノミシリなどの聖域、チプサンケなどの伝統的儀礼、アイヌ古式舞踊やユカラ(英雄叙事詩)といった伝統芸能、そして伝統文化に関するあらゆる知識や技術は、沙流川流域の文化的景観を際立たせる特徴となっている。
(1) | UNESCO, Cultural Landscapes, https://whc.unesco.org/en/culturallandscape/ (2020年12月12日アクセス) |
(2) | 文化庁、「文化的景観」 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/keikan/ (2020年12月12日アクセス) |
(3) | 従来の西欧型の遺産概念とは、1994年に世界遺産委員会で採択された「世界遺産一覧表における不均衡の是正及び代表性・信頼性の確保のためのグローバルストラテジー」のなかで、過剰に世界遺産登録が進んでいると批判された(1)欧州地域における遺産、(2)都市関連遺産及び信仰関連遺産、(3)キリスト教関連資産、(4)先史時代及び20世紀の双方を除く歴史時代の遺産、(5)優品としての建築遺産、を意味する。 |
(4) | ICOMOS 1994: World Heritage Nomination ICOMOS Technical Evaluation; Uluru-Kata Tjuta National Park (Australia). |
(5) | 文化庁プレス発表資料(平成19年5月18日) |
(6) | チャシはアイヌ文化期を代表する遺構の一つで、平低地や海面よりも数メートル高い場所に造られた砦、あるいは聖地の機能を持っていたと考えられている。 |
* | 写真2キャプションのオキクルミおよびウカエロシキ、写真3キャプションのチプサンケの正確な表記は、それぞれオキクルミ、ウカエロシキ、チプサンケとなる。 |
・ | 岡田真弓 2013:「遺跡・遺産が伝える先住民族の歴史と文化」奈良文化財研究所(編) 『平成24年度 遺跡等マネジメント研究集会(第二回)報告書:パブリックな存在としての遺跡・遺産』、98-107. |
・ | 奈良文化財研究所 2015:『文化的景観保存計画の概要(III)』、奈良文化財研究所. |
・ | 西山徳明 2016:「平取の創造的で挑戦的な文化的景観への期待(巻頭言)」ノーザンクロス『平取町文化的景観自然的環境等調査業務報告書:第Ⅰ編平取町文化的景観調査報告書〈二次選定申出調査版〉』、北海道平取町. |
・ | ノーザンクロス 2013:『平取町文化的景観保護推進事業第二年次報告書』、北海道平取町. |
・ | ノーザンクロス 2016:『平取町文化的景観自然的環境等調査業務報告書:第Ⅰ編平取町文化的景観調査報告書〈二次選定申出調査版〉』、北海道平取町. |
・ | ノーザンクロス 2016:『平取町文化的景観自然的環境等調査業務報告書:第Ⅱ編平取町文化的景観保存計画書〈二次選定申出版〉』、北海道平取町. |
・ | 平取町教育委員会 2007:『北海道平取町文化的景観保護推進事業第二年次報告書』、北海道平取町. |
・ | 平取町立二風谷アイヌ文化博物館 1994:『特別展 沙流川流域(シシリムカ)の遺跡群:この川は遠い昔からずっと人と文化を育んできた』、北海道平取町. |
・ | ユネスコ世界遺産センター 2015:『世界遺産の文化的景観:保全・管理のためのハンドブック』. |
・ | 吉原秀喜 2009:「アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観」奈良文化財研究所(編)『文化的景観研究会(第一回)報告書:文化的景観とは何か?その輪郭と多様性をめぐって』、52-63. |
公開日:2017年6月13日最終更新日:2021年1月6日