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動向

シンポジウム「えっ!縄文時代にアスファルト」-縄文の生産と流通~東北日本のアスファルト-参加記

富樫 雅彦 / Masahiko TOGASHI

文化遺産の世界 編集員

 

平成29年11月23日(祝)、岩手県一戸町コミュニティセンターにおいて、上記シンポジウムが開催された。このシンポジウムは、同町立御所野縄文博物館の平成29年度企画展の同時開催事業として実施されたものです。シンポジウムへ参加の機会を得たため、内容の一部を報告します。

 

御所野遺跡は、「北海道・北東北の縄文遺跡群」のひとつとして「世界文化遺産の登録を目指しており、これらの事業は、御所野遺跡をはじめとする縄文遺跡群の重要性を発信するために、アスファルトの物流から明らかにすることを目的に5年間の準備期間を経て開催されたものです。

 

発表は、岡村道雄(元文化庁主任調査官)をはじめとして東北地方各県の研究者が登壇し、以下の発表が行われました。

 

1【報告】岡村道雄 縄文時代のアスファルト利用/2【報告】福井淳一 漁労具につけられたアスファルト/3【報告】杉野森淳子 アスファルトの流通とそのルート(北東北)/4【報告】新井達哉 アスファルトの流通とそのルート(南東北)/5【報告】沢田 敦 黒い接着剤と塊はアスファルト?

 

最初に登壇した岡村道雄氏は、この5年間のアスファルト研究会の成果として、2013年からの北海道から新潟・福島県までのアスファルトデータの収集と精製実験に基づく研究成果の概要を発表しました。

 

天然アスファルトは縄文時代には接着剤・補修材、漆と混ぜて黒色顔料としたり、埋葬の際にあの世に持たせる副葬品ともなりました。今回のデータ集成により、早期後半から利用され始め、中期後半から一般化、特に後晩期で多用され、北海道・東北地方・新潟県を中心に1,148遺跡で出土していることが確認されました。

アスファルト原産地と生産遺跡・消費遺跡

従来、アスファルト原産地は秋田県旧昭和町の豊川油田が有名で、ここから一元的に東方地方一帯に搬出されたと考えられていましたが、秋田県旧二ツ井町駒形の原産地から2.5キロ離れた烏野上岱遺跡で精製工房跡が発掘されると、同様の精製遺跡が新潟県新津油田西隣で大沢谷内遺跡発掘され、縄文人が原産地で採掘・採取し、近隣に工房をつくり土器に入れ、加熱・精製する実態が明らかになりました。また、精製品は土器に小分けされ、編布や笹葉に包み搬出され、消費地の拠点遺跡で保管される実態も明らかになりました。

アスファルトを何に塗ったか

北海道および東北・新潟のアスファルト付着遺物を集成の上、時代・付着状況から道具の装着状況把握を行い、機能・用途における新知見を見出しています。各種道具に付着したアスファルトの観察から、形態分析からでは限界のあった、道具の着柄方法や使用法も明らかにしました。有孔球状土製品、土製耳飾り、独鈷石、環石のほか、槍の穂先型石器も「横型スクレイパー」として認定することができました。

 

さらに、土偶の接合率は三割を超えることを明らかにして、土偶を故意に破壊して再生を願う「土偶破壊説」に否定的な見解をしめしたことも特筆されます。

図2 アスファルトが付着した道具類

アスファルトの精製・流通と加工

天然アスファルトは新潟県上越地方から東北日本海側、さらには道南・渡島半島から石狩低地の北まで、石油産出地域で原油と共に産出しています。産出状況は地点ごとに異なるが、水分量などの状態により、精製方法を変え、土器で加熱して良質な部分を選別採取したようです。

 

採掘場とそれと関連する集落の端から精製工房が発見されています。工房の住居跡からは精製滓と精製した塊が発見されています。特に精製されたアスファルトは小分けにして皮・布・笹・葉などに入れられ、運搬されたようです。さらに、大型土器片をパレットにして上に乗せた塊を熱して溶かしヘラですくい取った痕跡のある土器片も発見され、アスファルト塗布の作業が具体的にとらえられました。

写真1 アスファルト塊とパレット土器片

写真2 アスファルト補修に使った土偶(椛ノ木遺跡)

漁労具に付けられたアスファルト

図3 アスファルトが付着した骨角器・石器と装着復元図

北海道・東北地方および新潟県域で縄文時代の骨角器が出土した遺跡は380遺跡を数えました。このうちアスファルト付着が確認された骨角器が出土した遺跡は、全体の18%の67遺跡にとどまりましたが、県別にみると岩手・宮城県が30%程度占め、地域的な偏在性が認められるといいます。これらの状況は、骨角器がアスファルトの利用・流通の原動力の一端を担っていたと考えられます。

 

骨角器のアスファルト利用の最古例は、縄文時代前期前葉の宮城県東要害遺跡の剥離具で、前期中葉までには太平洋側で骨角器へのアスファルト利用が始まったと見られます。中期には、刺突具を中心に細々と使用されていましたが、後期になると北海道北部~東方地方太平洋側という広域で利用されるようになり、利用器種も多様化していきます。後期中葉から晩期中葉まで利用数が増加するものの、続縄文・弥生時代以降には利用が極端に少なくなるようです。

 

なお、骨角器は貝塚遺跡という骨角器が遺存可能な条件のある遺跡でのみ出土するもので、全体でとらえればアスファルト利用は石器が主体であることは間違いありませんが、唯一宮城県においては、骨角器が石器のほぼ倍数確認されており、太平洋側の貝塚遺跡がアスファルト消費の原動力であった可能性が指摘されています。

 

アスファルト利用を必要とする道具は、特に組み合わせ道具で、水域で使用するため岩手・宮城県で組み合わせ式ヤスの盛行期である後期中葉から晩期中葉とアスファルトの盛行時期が合致することが注目されます。

アスファルトの流通とそのルート

図4 アスファルトの流通ルート

今回のシンポジウムの成果として、アスファルトの流通とそのルートがほぼ解明が挙げられます。アスファルトの流通を明らかにするために、アスファルト塊に注目したことが、流通問題を考える上で説得力をもつと考えられます。

 

アスファルト塊と原産地の関係を明らかにすることは、今後の課題ですが、アスファルトの流通を考えた場合、「原産地⇒精製遺跡⇒(拠点遺跡)⇒消費遺跡」という道筋が考えられます。原産地あるいは精製遺跡から運ばれたアスファルト塊は、川筋とそこから分岐する拠点集落で保管された状態で出土しています。これを川筋や峠、盆地などの地形を追うことで運搬ルートが読み取れるといいます。結果、南北海道から東北地方への海上ルート、青森・秋田県から山形・宮城県へのルート、新潟県から福島県へのルートが想定されます。

 

なお、県別にアスファルト塊の出土した点数を概観すると岩手県が日本海側の原産地から離れているにも関わらず112点を数え、全体の1/3弱が確認されています。

今回のシンポジウムは、2013年から活動を開始した「アスファルト研究会」の5年間の成果を発表したものです。この研究の呼びかけに賛同した各県の研究者は、地域の遺跡を悉皆調査し、関連遺跡の実態を明らかにし、原産地と生産遺跡、精製工房での作業工程、アスファルト使用の実態、運搬方法・流通ルート、さらには精製実験による精製工程の復元を示し、アスファルト研究の枠組みと今後の研究の方向性を提示しました。

 

縄文時代研究において、交易の問題は重要なトレンドではありますが、縄文時代人の定住を支えた物流や人の往来について、短期間での組織的かつ集約的な研究成果をまとめた業績として、近年最も評価されるべき仕事の一つと思われます。研究の更なる発展を期待します。

公開日:2018年2月8日最終更新日:2018年2月8日