考古学
土偶の世界 -1- 国重要文化財 「鼻曲り土面」(岩手県蒔前遺跡)
国重要文化財「鼻曲り土面」(岩手県一戸町蒔前遺跡)写真提供:御所野縄文博物館
「土偶の世界」では国宝・重要文化財を始めとした日本を代表する土偶を選び、学術的特徴やその魅力、また地域の文化資源のシンボルとして活躍する姿などをシリーズでご紹介します。 第一回は岩手県一戸町蒔前遺跡(まくまえいせき)から出土した「鼻曲り土面」について、岩手県御所野縄文博物館のご寄稿です。
■縄文時代の土面と鼻曲り土面
日本では、縄文時代に土で作られた「面」が150点以上出土しています。縄文時代の土偶にも「面」を装着した表現をとるものが多数見られることから、縄文時代の祭祀などに土や木などで作られた「仮面」を使用していたことが推測されます。
この150点の「土面」の約6割以上は、東北地方でも特に北部の青森・秋田・岩手の3県で発見され、時期的には縄文時代後期(4000年前)から晩期(3000~2300年前)のものが圧倒的に多くを占めています。
この中でも鼻が特徴的に曲がった「鼻曲り土面」は5面確認されており、いずれも岩手県北部から青森県東南部にかけての縄文時代晩期の遺跡から出土もしくは採集されています。
このように自他が明確に区別され、特定の時空間に限定され分布する「鼻曲り土面」は、日本の基層文化を形成した縄文時代の習俗を示す極めて貴重な資料として位置づけられるものです。
今回は、縄文時代を代表する土面として知られている岩手県一戸町蒔前遺跡(まくまえ・いせき)出土の「鼻曲り土面」をご紹介いたします。
■蒔前遺跡の発見
昭和5年(1930)、岩手県蚕糸試験場一戸分場が一戸町の蒔前に設置されることとなり、それに伴い桑園開園のための整地工事が行われ、その際に多量の遺物が発見されました。この発見により、空前の土器ブームが引き起こったことが知られています。
翌6年(1931)には一戸高等女子高教諭梅垣鼎三氏らが、出土した完形土器や石器を一覧表で示すとともに、石囲い炉、焼けたクルミ殻、人骨や装飾品などの遺構・遺物の産状や「鼻曲り土面」についても報告されています。
蒔前遺跡の発見は、空前の土器ブームを引き起こし、遺物は掘り出されてしまい各地に分散してしまいましたが、一戸町で所有する計253点について、いずれも東北地方の縄文時代晩期を代表する遺物であることから、平成6年(1994)に国の重要文化財に一括指定され、現在、その一部は、御所野縄文博物館の第3展示室で展示しています。
■鼻曲り土面
「鼻曲り土面」(表面)
「鼻曲り土面」(裏面)
この土製の仮面を観察してみましょう。全形は不整形で左頭部、口から顎・頬にかけて一部欠損しているものの、概ね全体を捉えることができます。色調は黒褐色で、硬質です。最大長は、縦長18.0cm、最大幅11.3cm、最大厚3.3cm、重量は358gです。眼孔は楕円形で、右2.3cm、左3.5cmを測ります。
製作は、まず顔のベースとなる粘土板を成形し、次に太い粘土紐で高い一本眉と鼻を貼付け表現し、その後に眼と口を穿孔しています。また、鼻の下端に鼻孔も表現されています。左右の紐孔は、右側が貫通しておらず、紐を通すことができない状態です。また、額に赤色顔料が塗られています。
左に大きく曲がった鼻とゆがんだ眼孔の表現が、この土面の特徴を表しており、「ユーモラス」ともみえるこの表情に多くの人々が魅了されているのではないでしょうか
■「鼻曲り土面」の比較
分布と時期について
「鼻曲り土面」の分布 (提供:御所野縄文博物館)
鼻曲り土面は、次の5遺跡から出土していますが、その分布は、青森・岩手の2県にまたがり、特に馬淵川流域を中心とした地域に集中して出土しているところが特筆されます。なお、このほか関連する破片資料が知られていますが、やはり青森・岩手2県からの出土です。
- 青森県六ヶ所村 上尾駮遺跡(かみおぶち・いせき)下北半島南部
- 青森県南部町 虚空蔵遺跡 (こくうぞう・いせき)馬淵川流域
- 岩手県一戸町 蒔前遺跡 (まくまえ・いせき) 馬淵川流域
- 岩手県二戸市 雨滝遺跡 (あまたき・いせき) 馬淵川流域
- 岩手県雫石町 鶯宿遺跡 (おうしゅく・いせき)雫石川流域
なお、上尾駮遺跡を除き、発掘調査によらない採集品であるため、必ずしも詳細に時期を特定できませんが、その後の追跡調査などで採集されている縄文土器が縄文時代晩期大洞B~C2式であることから、晩期前葉~中葉の所産の可能性が考えられています。
共通する特徴
現在まで5点の出土例にとどまりますが、以下のような共通する特徴を認めることができます。
- ■概ね人の顔に装着可能な大きさであること
- ■上尾駮遺跡例を除き、鼻が左曲がりであること。
- ■上尾駮遺跡例を除き、両脇に紐孔と見られる穿孔かそれと見られる痕跡が認められること
- ■半球面または凸面状の顔面に一本眉と曲がった鼻を表す粘土紐を貼り付け、楕円形の眼・口を穿孔するだけのシンプルな表現をとること
以上のことから、表現や技法に一定の様式化が認められると評価されています。
装着について
実際にこの仮面を顔に装着したかについては、古くから議論されてきました。全5点の「鼻曲り仮面」を紐孔の有無や貫通の状態から検討すると、「装着が可能なもの」鶯宿遺跡・雨滝遺跡・虚空蔵遺跡と、「装着が困難なもの」蒔前遺跡・上尾駮遺跡に分けることが可能です。
但し、装着用と思われる紐孔に紐を通さなくとも、眼孔に紐を通すことで仮面として使用することも充分可能なため、左右の紐孔の有無や貫通の具合だけで装着機能の可否を判断することは早計と思われます。
なお、東北地方の祭祀遺物に詳しい、福田友之氏によれば、「実際に「鼻曲り土面」を製作し、紐をつけて顔につけたところ、鼻の収まる空間が無いため、顔に密着せずしかも土面の重量のためずり下がりやすく、(中略)身体を動かした際にはすぐずり下がってしまい、さらにきつく縛ったところ紐孔が壊れてしまいそうであった」と実験研究を通して実用性に乏しいことを指摘するとともに、実用品としては木製の鼻曲り仮面が存在した可能性を示唆しています(福田2018)
実際に、全国で20,000点以上出土している縄文土偶を観察すると、明らかに仮面を装着した表現の土偶が、土偶の増加する縄文時代中期の前葉頃から東日本を中心に出土しはじめます。土面や耳・鼻・口形土製品は現在までのところ縄文時代の後期以降の所産のため、中期の土偶に表現された仮面は、木製品として実際に使用されていた可能性が考えられます。
機能・用途について
「鼻曲り」という特異な表情をした土面はどのような機能・用途をもっていたのでしょう。考古学・人類学の立場から次のような諸説が述べられています。
- 「悪霊を追い払う儀式に使われた」
- 「呪医的治療に使用した」
- 「ナマハゲのような秘密結社的宗教儀礼に使用された」
- 「危険な悪霊を表したものか。疫病駆逐するために用いられた」
- 「悪霊を表したもの」
- 「演劇・芸能に用いられた」
いずれも、呪術・祭祀・儀礼に関係する見解に集約されるようです。
一方、「鼻曲り仮面」の類例は、アラスカ、千島列島、朝鮮、南アジアをはじめ、国内の民俗例にも認めることができます。またさらに、古代の雅楽や舞楽、中世の神楽や民俗行事の仮面にまで視野を広げてその関係を検討する必要があるかもしれません。
この「鼻曲り土面」に表された人物はどのような人なのでしょう。部族の先祖や英雄あるいは災いをもたらす悪霊でしょうか、興味の尽きないところですが、今後ともその調査研究に取り組んでいきたいと思います。
参考文献
御所野縄文博物館 2006 『仮面展』-鼻曲がり土面から世界の仮面-大阪府立弥生文化博物館 2010 『平成22年度夏季特別展MASK-仮面の考古学-』
福田友之 2018 『東北北部の先史文化の考古学』㈱同成社
公開日:2018年10月1日