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考古学

特別史跡 三内丸山遺跡(青森県青森市)

岩田 安之 / Yasuyuki IWATA

青森県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡保存活用推進室 文化財保護主査

三内丸山遺跡  提供 青森県教育庁文化財保護課

1992~1994(平成4~6)年に行われた青森県運動公園の拡張事業に伴う三内丸山遺跡の大規模発掘調査では、これまでの縄文時代観をくつがえす数々の発見があった。獲物がとれなくなったり、災害にあったりすると生活に苦しんだと考えられてきた縄文時代は、この発掘をきっかけに、自然のめぐみを利用し、採集、狩猟、漁労により、定住生活を営んでいた豊かな社会であったと理解されるようになった。直径約1mのクリの巨大な木柱が発見されたことなど、縄文時代の生活が総合的に理解できる重要な遺跡として、三内丸山遺跡は1994(平成6)年8月に、保存されることとなり、日本中に、縄文フィーバーが巻き起こった。

 

2000(平成12)年には、縄文遺跡では3例目で44年ぶりの特別史跡に指定された。それ以降現在まで、発掘調査は保存・整備・活用のために続けられ、関連する研究もめざましい成果をあげてきた。保存決定後、三内丸山遺跡は、調査・研究と活用を両輪として、遺跡を活かす事業を継続している。

 

また、三内丸山遺跡は世界遺産登録をめざす「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中心的存在でもある。三内丸山遺跡を含む17の構成資産により、縄文文化は、自然と人間が共生し、1万年以上もの長きにわたって営まれた世界史上稀有な先史文化であり、縄文文化の価値を今に伝える貴重な文化遺産であるとして世界遺産登録をめざしている。

三内丸山遺跡の大規模発掘調査

大型掘立柱建物跡  提供 青森県教育庁文化財保護課

「4500年前の巨大木柱」「20m級の建造物か 吉野ヶ里しのぐ可能性」。1994(平成6)年7月16日の朝日新聞の見出しにはこのように発表された。吉野ヶ里遺跡よりも5000年もさかのぼる縄文時代に、このような巨大な木柱が存在していたことは、大きな驚きをもって報道された。直径約2m、深さ約2mの巨大な柱穴から、直径約1mものクリの木柱が発見され、しかも6基が3本ずつ整然と並んでおり、縄文時代にも吉野ヶ里遺跡をしのぐほどの巨大な建造物の存在した可能性が考えられた。

 

これは、三内丸山遺跡を象徴づける大型掘立柱建物跡の発見であるが、このほかにも1992(平成4)年の大規模発掘調査の当初から、これまでの縄文文化の見方に見直しを迫る発見が相次いでいた。

 

三内丸山遺跡は今から紀元前約3900年~2200年前に営まれた縄文時代前期中葉~中期の拠点集落である。この遺跡の大規模発掘調査では、1500年以上もの長期間にわたり、採集・狩猟・漁労をおもな生業として定住が営まれた縄文時代の拠点集落の姿が明らかになった。

縄文時代観の変化

1992(平成4)年から1994(平成6)年まで行われた、青森県運動公園の拡張事業に伴う大規模発掘調査では、これまでの縄文時代観に見直しを迫る遺構や遺物が次々と発見された。発掘調査は、当初からこの遺跡の重要性を見据え、考古学だけではなく自然科学、民族学、民俗学などの関連する学問分野と連携して、三内丸山遺跡や縄文文化を総合的に明らかにする体制をとっていた。

 

道路跡、竪穴建物跡、捨て場や盛土、大型竪穴建物跡、大型掘立柱建物跡、土坑墓、埋設土器、環状配石墓などが発見され、縄文時代の拠点集落の全貌が明確にとらえられるようになった。とくに、長さ約32m、幅約9.8mの大型竪穴建物跡や直径1mのクリの木柱がみつかった大型掘立柱建物跡は、当時の建築技術の高さを裏付けるものであり、それを可能にした複雑な社会組織の存在が浮かび上がった。また、約650棟も発見されている竪穴建物跡、約470基の土坑墓、約890基もの子どもの墓と考えられている埋設土器は、長期間の定住生活の痕跡であると考えられる。約1000年もの長い間、土が廃棄され、厚さ2mにもなった盛土などは、集落での大規模な土木工事や竪穴建物、道路などの施設の長期間にわたる維持管理を物語るものである。環状配石墓は、土坑墓にくらべ20基程度と数が少なく、石を入手して配置するなどの手間もかかるため、当時の階層社会の存在が議論されているものである。

 

 

環状配石墓  提供 青森県教育庁文化財保護課

遺跡内にある2か所の低湿地からは、多くの有機質遺物が得られ、木製品、骨角器、漆製品などが出土した。漆製品からは、縄文時代前期に、すでに高度な技術が確立されていることが明らかになった。低湿地から回収された土は、さまざまな自然科学分析が行われており、当時の環境、自然資源の利用方法、食生活なども推測することが可能となった。例えば花粉分析からは、集落周辺にクリを中心とした人為生態系が形成されていたこと、魚骨や獣骨の同定からは、当時の人々がブリやサバなど、現在の私たちと同じようなものを食べていたこともわかった。

縄文ポシェット  提供 青森県教育庁文化財保護課

出土した炭化栗  提供 青森県教育庁文化財保護課

縄文フィーバー

現地見学会(平成6年8月)  提供 青森県教育庁文化財保護課

このような発見の連続は、日本中に縄文フィーバーを巻き起こした。1994(平成6)年7月の大々的な新聞掲載を皮切りに、各メディアの報道合戦がはじまった。

 

三内丸山遺跡は、調査終了後、野球場建設のために消滅する運命であったが、その重要性を認識した青森県民から、遺跡を保存すべきとの声が一気に高まり、当時の北村知事は、報道から1か月もたたない8月1日に野球場建設を中止し、遺跡の保存を決定した。その後、野球場部分だけではなく、遺跡全体が永久に保存されることとなった。保存決定後に行われた緊急の現地説明会では、8月の猛暑であったにもかかわらず、2日間で合計8000人もの見学者が訪れた。このような縄文フィーバーを経て、三内丸山遺跡は現在のように遺跡公園として整備され、見学者に縄文文化を楽しんでもらう場所となった。

その後、三内丸山遺跡はその重要性から1997(平成9)年3月に史跡、2000(平成12)年11月には特別史跡に指定された。縄文遺跡としては尖石遺跡、大湯環状列石に続き、44年ぶりのことであった。また、2003(平成15)年5月には、出土品1,958点が国の重要文化財に指定されている。

土偶・岩偶(重要文化財を含む) 提供 青森県教育庁文化財保護課

続けられる発掘調査

三内丸山遺跡において、現在まで継続的に行われている発掘調査の経緯については、『三内丸山遺跡44 総括報告書第1分冊』(青森県教育委員会2017)にまとめられているため、それを参照し、以下に記載する。

 

遺跡の重要性から、1994(平成6)年8月の「三内丸山遺跡問題検討委員会」において野球場の建設中止を決定し、同年12月の同委員会では遺跡全体の保存と活用、公園事業での整備のほか、特徴的な遺構の復元や出土遺物の展示室設置などの応急的な整備の実施が決定された。

 

その後は文化庁の指導と国庫補助を得て、史跡指定に向けた範囲確認及び整備計画の策定、遺跡全体の内容と変遷、遺構間の関係を把握すること等を目的とした調査を実施した。発掘調査は、着手順に第1次、第2次と数が増えていき、平成30年度で第42次調査まで行われている。

 

第1次から第13次までの調査では、居住域や貯蔵穴、土坑墓など、集落内における各施設の具体的な配置、居住域の変遷、低湿地(北の谷)における有機質遺物の保存状況などが明らかにされ、遺跡の重要性が改めて認識された。また、集落として保存する範囲もほぼ確定した。このような調査結果を踏まえて、1997(平成9)年3月5日には243,340.11㎡が史跡に指定され、2000(平成12)年11月24日には、3例目である特別史跡に指定された。また、集落に南接する近野遺跡の北端部では縄文時代中期後半の集落や沢の中からは、水場遺構が発見・調査されており、既指定地と一体的な保護を行う必要があったため、2014(平成26)年3月18日に8,453.59㎡が追加指定され、特別史跡の総面積は251,793.70㎡となった。発掘調査は、1997(平成9)年度に発足した発掘調査委員会における指導のもと、調査目的・地点を検討・明確化しながら現在まで継続的に行われている。

 

1998(平成10)年度には、「三内丸山遺跡発掘調査計画」を策定し、①未調査区域の解消と遺構確認、②個々の遺構の調査、③それらを補完する調査として第14次調査から第28次調査(1994~2004(平成11~16)年度)まで実施した。

 

2005(平成17)年度には、「三内丸山遺跡第2期発掘調査計画」を策定し、①各遺構の精査と集落の全体像とその変遷の解明、②盛土など層位的なデータを得られるところでは、当時の生活環境の復元を目指すことを目的として、第29次から第39次調査(2005~2015(平成17~27)年度)を実施した。

 

2014(平成26)年度には、「三内丸山遺跡第3期発掘調査計画」を策定し、①遺跡北側の遺物包含層およびため池状遺構の状況確認、②旧都市計画道路予定地付近の竪穴建物跡の調査、③南地区の土坑墓、竪穴遺構の調査、④北地区北東部の貯蔵穴の調査を、2016(平成28)年度から8年間の予定で実施(第40次調査~)している。

全体図  提供 青森県教育庁文化財保護課

研究

遺跡の保存や整備に活かすため集落の全体像の解明を目的として発掘調査は継続されている。また発掘調査結果に基づく研究も行われており、1998(平成10)年度からは特別研究推進事業を実施し、考古学のみにとどまらず、関連諸科学と連携して総合的に縄文文化を解明することを目的としている。

 

■特別史跡 三内丸山遺跡 特別研究 ≫≫≫

 

1992~1994(平成4~6)年の大規模発掘調査のみならず、その後の計画に基づいた発掘調査も、従来の縄文観に見直しを迫る発見をもたらしたが、それらに関連した研究の成果も傑出したものが多い。

例えば、辻誠一郎などが行った花粉分析などの研究成果からは、当時集落周辺には「縄文里山」ともいえるクリを中心とした管理された自然環境が存在したことが明らかとなった(例えば、辻2000など)。クリやクルミ、ウルシなど、人間に有用な植物を意識的に選択・管理していた縄文人の実態が示されたのである。

 

縄文人の道具として必須である石器に関しては、その機能にふさわしい石材を各地から入手していることがわかった。石斧の石材として適しているのは、硬さ・粘りなどが強い特徴をもつ緑色岩である。岩石組織、全岩化学組成、変成作用の性質について詳細な検討が行われた結果、三内丸山遺跡で石斧に使用されている緑色岩は、北海道の額平川産のものであることがわかった。石斧全体の6~7割が緑色岩であることから、石斧の石材として選択的に交易などで入手していたことが理解できる。ほかにも、北海道や長野県の黒曜石、新潟県糸魚川のヒスイなど、日本各地の石材を入手していることがわかり、縄文時代の物流ネットワークは、想像を超えて、はるかに広域的で頻繁なものであったことが理解されるようになった。

 

ほかにも、積極的に関連諸科学と連携して行われた研究成果は数多くあり、縄文時代の生活を語る上で役立っている。現在でも、三内丸山遺跡では縄文時代を研究するための学問的方法論を模索し続けており、常に新しい成果を出すことをめざしている。

 

遺跡の活用

三内丸山遺跡の整備の方針は、原則として、発掘調査と研究の成果に基づいて進めるものとし、調査の進展に応じて遺跡は常に変化するという柔軟な姿勢で臨んでいる。

 

岡田康博著の『三内丸山遺跡』に詳細に記されているため、それを引用・参照し、以下に記載する(岡田2014)。

 

これまで1994(平成6)年8月の遺跡保存決定後、1995(平成7)年1月から、道路の整備・保存・活用の検討のため、学識経験者などから構成される「青森県総合運動公園遺跡ゾーン基本計画検討委員会」を設置し、同年3月に基本構想を策定した。1995(平成7)年度からは基本構想に基づき、短期整備を進めるとともに基本計画検討委員会を設け、1998(平成10)年1月に基本計画を取りまとめた。基本構想に掲げられた基本理念は、「およそ5,500年から4,000年前まで三内丸山で生活を営んでいた縄文人のムラを体感、体験できる場を創出することによって広く活用をはかり、日本の文明の扉を切り開いた縄文文化の解明とその世界的規模での見直しを行う文化交流の拠点とする」である。

 

短期整備後は、集落復元計画、植生復元設計、公開活用計画、管理運営計画をもとに2001(平成15)年度までに、縄文時遊館や史跡内における復元竪穴建物や園路の整備を行い現在にいたっている。

 

2016・2017(平成28・29)年度には、外部委員からなる「三内丸山遺跡魅力づくり検討委員会」による議論を経て、2017(平成29)年10月には「三内丸山遺跡の魅力づくりに関する報告書」がまとめられた。

 

2018(平成30)年度からは所管替えにより、教育委員会が遺構・遺物に直接関わる露出展示施設と出土遺物の展示室のほか、園内施設等の管理を担当することとなったため、魅力づくり委員会の提言等を契機に外部有識者からなる「三内丸山遺跡史跡整備検討委員会」を設置し、整備計画について検討することとなった。

 

このようなハード面に関するもののほかソフト面では、縄文時代のものづくりが体験できる「さんまる縄文体験」、最新の研究成果などを県民にわかりやすく発表する「さんまる縄文学講座」を行っており、楽しみながら縄文文化に親しんでもらっている。

発掘体験  提供 青森県教育庁文化財保護課

「さんまる縄文体験」では、本物の土偶からレプリカを作成するという三内丸山遺跡ならではの体験メニューなどを実施している。また、特別史跡三内丸山遺跡で行われている、実際の発掘調査を体験できることも目玉の一つとなっている。保存目的の発掘調査は、現在も継続的に進められているが、その作業を実際に体験できるのは、参加者にとって貴重な機会となっている。

 

気軽に遺跡に足を運んでもらう試みとして、春夏秋冬に4回開催している「縄文まつり」や他部局と共催の「さんまるJOMONの日」などのイベントも実施している。

 

限定的なイベントだけでなく、遺跡には一般社団法人の三内丸山遺跡応援隊のボランティアが常駐しており、毎日、遺跡のガイドや、勾玉や組紐、ミニ土偶作りなどのもの作り体験を実施している。

 

出土品を常設展示する「さんまるミュージアム」では、解説員が午前と午後に1回ずつ解説を行い、遺跡のさらなる理解を促進している。

 

平成27年度からはITガイドシステムを導入し、タブレット端末を使い、バーチャルリアリティで縄文時代の風景を楽しむことができる。多言語にも対応しており、日本人だけではなく海外の見学者も気軽に三内丸山遺跡を楽しみ、理解できるガイドとして好評を得ている。

土偶のレプリカづくり(それぞれ左側がレプリカ) 提供 青森県教育庁文化財保護課

タブレット端末で楽しむ「バーチャルリアリティの縄文時代風景」

 提供 青森県教育庁文化財保護課

世界遺産登録をめざして

三内丸山遺跡は、北海道、青森県、岩手県及び秋田県に所在する17遺跡で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中核として世界遺産登録をめざしている。

 

縄文文化は、自然と人間が共生し、1万年以上もの長きにわたって営まれた世界史上稀有な先史文化であり、北海道・北東北の縄文遺跡群はこの縄文文化の価値を今に伝える貴重な文化遺産である。この縄文遺跡群を未来へ引き継いでいくため、北海道・青森県・岩手県・秋田県並びに関係自治体では連携・協力して世界遺産登録をめざし取り組みを進めている。

今後の課題

三内丸山遺跡は平成31(2019)年4月から「三内丸山遺跡センター」としてオープンし有料化する。新たな展示スペースや収蔵施設などが増築され、国宝や重要文化財の展示なども行うことが可能となる。そのような状況の中で、三内丸山遺跡は、縄文文化の調査・研究、普及啓発、教育活動の拠点として、今後も魅力アップを図るために、さまざまな取り組みを行う予定である。

 

まずは遺跡の存在を知ってもらい、足を運んでもらうことが重要であり、さまざまな媒体での発信、そのタイミングや内容などを検討しながら行っていく必要がある。

 

遺跡を活性化するために最も重要なことは、発掘調査や研究を継続し、遺跡や縄文文化の解明を目指し、それに基づいたさまざまな普及、教育活動を行い、質の高い最新の情報を常に発信していくことである。担当者が面白いと思い、そのことを自分の言葉で積極的に語っていくことは、多くの見学者や理解者の増加につながっていく。

 

興味をもち、携わってくれる人が多ければ多いほど、青森県の大切な地域資源として三内丸山遺跡は育っていく。

縄文時遊館  提供 青森県教育庁文化財保護課

縄文時遊館(入口ホール)提供 青森県教育庁文化財保護課

【特別史跡 三内丸山遺跡】

名称 特別史跡 三内丸山遺跡

住所 青森県青森市三内字丸山

面積 約42ha(特別史跡範囲 約25.2ha)

立地 青森平野の南西側から北東側に向かって突出する標高10~20mの低・中位段丘上

現状 特別史跡三内丸山遺跡 縄文時遊館

おもな時代 縄文時代

種別 集落跡

指定 平成9年 国史跡に指定、平成12年 特別史跡に指定。

【三内丸山遺跡 縄文時遊館】

所在地 青森県青森市三内字丸山305

休館日 12月30日~1月1日

入館料 無料

※三内丸山遺跡と縄文時遊館は、平成31年4月から、「三内丸山遺跡センター」としてオープンし観覧料(一般410円、高校・大学生200円、中学生以下無料)をいただくこととなります。

【参考文献】

青森県史編さん考古部会2002『青森県史 別編 三内丸山遺跡』青森県

青森県教育委員会2017『三内丸山遺跡44 総括報告書1』青森県埋蔵文化財調査報告第588集

岡田康博2000『遙かなる縄文の声 三内丸山を掘る』日本放送出版協会

岡田康博2014『三内丸山遺跡』同成社

辻誠一郎2000「三内丸山遺跡における人と自然の交渉史Ⅰ-遺跡の時空間的位置づけと生態的特徴の解明を中心として-」『三内丸山遺跡年報』3

西東京市教育委員会2016『下野谷遺跡国史跡指定記念シンポジウム 縄文時代の大集落遺跡を探る・護る・活かす 記録集

公開日:2019年1月8日最終更新日:2019年1月8日

岩田 安之いわた やすゆき青森県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡保存活用推進室 文化財保護主査

金沢大学大学院文学研究科 専門分野 考古学
昭和47年 岐阜県生まれ
平成15年 青森県教育庁入庁。三内丸山遺跡などの調査に携わる。平成25年より現職。

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