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遺跡・史跡

東京都遺跡調査・研究発表会より『新宿区下落合二丁目遺跡』

荻澤 太郎 / Taro OGISAWA

国際文化財株式会社 埋蔵文化財調査士

遺跡から北側を望む(以下撮影すべて筆者)

本稿は2019年2月17日に東京都日野市で行われた「東京都遺跡調査・研究発表会」にて発表したものです。尚、調査の詳細は後日刊行の報告書(2019年8月末予定)で、また出土品の一部は新宿区立新宿歴史博物館にて2019年2月23日(土)から行われる企画展で展示される予定です(文末参照)。合わせてご利用ください。

遺跡の位置と環境

下落合二丁目遺跡(新宿区№158)は新宿区下落合二丁目13番地に所在し、武蔵野台地南東端の舌状台地上に立地しています。南側は神田川左岸の目白崖線、東、西側は小支谷によって画されており、調査地の標高は台地部で32m、調査範囲における斜面下との標高差は南西側で約2m、南東側で約4mです。

調査地の西側には将軍家の狩場であったと伝えられる「御留山」を冠したおとめ山公園があり、北側の目白通り、東側の山手線、南側の目白崖線に囲まれたあたりは、明治時代に近衛家の所有となり、大正時代後半に民間に分割されますが、現在でも閑静な住宅街が広がっています。

 

調査地には昭和3年に宮内省により学習院の寄宿舎として昭和寮が建設され、その後日立グループが譲り受けてからは、独身寮として使用されていました。調査地北側に隣接する日立目白クラブは、本館と別館が現存しており、このスパニッシュ様式の建物は、東京都の歴史的建造物にも選定されています。

本調査は、調査期間中に建築、造成工事計画変更に伴う追加解体工事による中断期間をはさみ、平成29年9月から平成30年10月まで行い、旧石器時代の石器集中部や礫群、縄文時代早期の炉穴、集石、土坑、弥生時代中期の方形周溝墓、溝状遺構、竪穴建物跡、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての方形周溝墓等が見つかりました。また、東側斜面部においては、縄文時代早期の埋没谷及び谷形成の起因と推測される断層も見つかっています。

旧石器時代の成果

立川ロームⅤ層からⅨ層で石器や礫が出土しました。出土状況や分布範囲から、大きく3時期に分けられ、第1文化層(Ⅴ~Ⅵ層)、第2文化層(Ⅵ~Ⅶ層)、第3文化層(Ⅶ~Ⅸ層)で調理場の跡と考えられる礫群や石器製作場の跡と考えられるブロックが見つかっています。

 

◆第1文化層(Ⅴ~Ⅵ層)

調査区中央北側の台地平坦面ではⅤ~Ⅵ層で黒曜石のブロックとそのやや南側で礫群が見つかりました。石器製作には黒曜石が使用され、残された石核や剥片の大きさや数量から比較的大きな原石から石器を製作したと考えられます。

第1文化層(Ⅴ~Ⅵ層)ブロック

第1文化層(Ⅴ~Ⅵ層)礫群

第1文化層(Ⅴ~Ⅵ層)出土石器

◆第2文化層(Ⅵ~Ⅶ層)

調査区東側ではⅥ~Ⅶ層で石器ブロック及び礫群が検出されました。第1文化層と同様に石器製作には黒曜石を使用していますが、他に安山岩や頁岩の石刃が見つかっています。黒曜石は同様に原石から製作されているようですが、安山岩や頁岩は剥片単位で持ち込まれていたようです。

第2文化層(Ⅵ層)左側がブロック・右側が礫群

第2文化層(Ⅶ層)ブロックの下から検出された礫群

第2文化層(Ⅵ~Ⅶ層)出土石器

◆第3文化層(Ⅵ~Ⅶ層)

調査区中央の台地から南側の斜面縁辺にかけてのⅦ~Ⅸ層では、第1・2文化層で見られるブロックや礫群のような集中部は見られませんが、広範囲で石器や礫が見つかりました。第1・2文化層とは異なり、黒曜石はほとんど出土せず、チャートや頁岩、安山岩が主体となります。剥片の大きさも小ぶりになるようです。

第3文化層(Ⅶ~Ⅸ層)遺物出土状況

第3文化層(Ⅶ~Ⅸ層)出土石器

縄文時代の成果

調査区西側斜面部を中心に縄文時代早期末葉条痕文期の炉穴が40基見つかりました。台地部は後世の削平を受けており住居跡は確認できませんでした。また、調査区東側では調査範囲内における工程差4mにもなる埋没谷からは、早期前葉の撚糸文期から末葉の条痕文期にかけての土器片が包含されています。これらのことから調査区中央の台地部から北側に同様の炉穴群や住居跡を含む集落が展開していたと推測されます。

 

炉穴は燃焼部が単独のものや複数あるもの、重複しているものなど規模や形状がそれぞれ異なります。遺構内覆土からは遺物はほとんど出土しませんでしたが、周囲の包含層から出土する遺物や遺構の覆土の状況から早期後葉条痕文期の遺構と考えられます。

 

埋没谷は谷頭で断層の痕跡も見つかっています。旧石器時代の終わりに何らかの地殻変動で谷が形成され、縄文時代草創期から早期にかけて埋没したと考えられます。草創期の包含層からは遺物は出土しませんでしたが、その上の早期の包含層からは条痕文土器に加え、撚糸文土器の破片もたくさん出土しています。

早期後葉条痕文期の炉穴

埋没谷全景(高低差は深いところで4m)

谷頭で見つかった断層の跡

埋没谷出土の撚糸文土器

埋没谷出土の条痕文土器

弥生時代の成果

調査区中央の台地部から斜面縁辺にかけて広範囲に弥生時代中期後半の宮ノ台期と弥生時代終末期から古墳時代初頭にかけて2時期方形周溝墓群が広がっていました。

中期宮ノ台期の遺構は、台地から斜面へかかる縁辺部に、コの字状の方形周溝墓や溝状遺構が東西に並んで見つかりました。四角ではなくコの字状で見つかった理由は定かではありませんが、ちょうど標高30mあたりのラインを境に傾斜が急になるため、地すべりあるいは後世の削平のため消滅したものと推測されます。北側の台地平坦面では住居跡が1軒見つかっています。縄文時代同様北側に集落が広がっていたものと思われます。また、136号方形周溝墓に接する土坑から土器棺が出土しました。ぎりぎり撹乱を免れており、土坑内に横たわっていましたが、ほぼ完形のまま、大型の壺の上部を切り取り、甕で蓋をした状態で見つかりました。壺や甕の大きさから、胎児を埋葬したものと考えられますが、詳細は不明です。

調査区東側の溝跡群

調査区西側の方形周溝墓と土器棺墓

135号溝出土の壺

土器棺出土状況と復元土器

終末期から古墳時代初頭にかけては1辺10mを越す4基の大型方形周溝墓が隙間なく配置されています。いずれも主体部は削平されており、7号で主体部と思われる掘り込みの跡がわずかに残っていたのみで、被葬者の骨や副葬品は出土していません。

3号方形周溝墓

4号方形周溝墓

5号方形周溝墓

7号方形周溝墓

3号方形周溝墓出土の壺

5号方形周溝墓出土の壺

おわりに 

当該地においては現在まで発掘事例が少なく、旧石器時代・縄文時代の生活跡や弥生時代の墓域の発見は大変貴重なもので、多くの成果を得ることができました。今後整理作業を通じて更に検討を行い、各時代の土地利用のあり方や周辺地域との関係性について明らかにしたいと考えています。

 

 

新宿区立新宿歴史博物館
所蔵資料展 「新宿の遺跡2019 [特集] 尾張徳川家戸山屋敷とその周辺」
【会期】 平成31年2月23日(土)~5月12日(日)
【休館日】2月25日(月)、3月11日(月)・25日(月)、4月8日(月)・22日(月)
【時間】9:30~17:30(入館は17:00まで)
【会場】新宿歴史博物館 地下1階企画展示室
【観覧料】無料
【主催】新宿区・(公財)新宿未来創造財団
【共催】新宿区教育委員会
【問合せ】新宿歴史博物館 学芸課 03-3359-2131
ホームページ:https://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/news/98341/

 

 

荻澤 太郎おぎさわ たろう国際文化財株式会社 埋蔵文化財調査士

平成20年12月入社 東京都練馬区出身

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