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動向

“大入道”四日市に伝わる特異なからくり山車とその課題

堀越 光信 / Mitsunobu HORIKOSHI

四日市市教育委員会 社会教育課 学芸員
皇學館大学研究開発センター 共同研究員

写真 「大入道」三重県指定有形民俗文化財(昭和51年指定) 提供 大四日市まつり実行委員会

はじめに

三重県四日市市を含めた北勢地方(北伊勢地方)には、有形・無形を含めた数多くの文化財が伝存し、豊かな文化財が遺されている地域と言える。民俗文化財についてもかなり豊富であり、本市では獅子舞だけでも20有余件を数え、残念ながら少子高齢化などにより現在休止してしまっているものも、それに匹敵する数が存在し、時折それらが復活して、ニュースや新聞記事となったりすることもある。

 

特に、平成28年にユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の一つとして登録されて全国的に知名度をあげたのは「鳥出神社の鯨船行事」であるが、それ以外にも市域に4件(三重県指定有形民俗文化財1件・四日市指定文化財無形民俗文化財2件・未指定文化財1件)のほか、市域外(鈴鹿市)にも1件の鯨船が伝承されている。

 

「鳥出神社の鯨船行事」のユネスコ無形文化遺産登録と諸問題

「鳥出神社の鯨船行事」のユネスコ無形文化遺産登録と諸問題Ⅱ(その後)

 

これらの民俗文化財の中で、四日市において最も良く知られており、市民に愛されているからくり山車が「大入道(1)」である。大入道は、身の丈4.5m、伸び縮みする首の長さ2.7m、高さ1.8mの山車に立ち、全高は9mにおよぶ日本一大きなからくり山車といわれている。山車の中に人形師6人が入って太鼓や銅鑼の音に合わせて、首を伸ばしたり曲げたり、鎌首をもたげて目をむき、舌を出す、眉を下げたり、両の手をバタつかせるなどの演技を行う。

 

この全国的にも珍しいユニークなからくり山車が四日市市民を魅了している市の公式マスコットキャラクターの「こにゅうどうくん」はその子どもという設定で、商店街にはモーターで首を伸び縮みさせる「中入道」まで存在する。

大入道の成立

図1 『四日市祭図』出口對石画  個人蔵 戦災で大半の山車や練り物が失われたが、往時を偲ばせる貴重な作品である。大入道や鯨船、大山と呼ばれた山車や魚づくし、笠鉾などが描かれる。

大入道は、四日市の諏訪神社の祭礼に曳き出される多くの山車や練り物などの出し物の一つであった。四日市祭自体は、江戸時代の初期から始まると伝えられ、『東海道名所図会』(寛政9年:1797刊)に「例祭七月廿七日、祭式の楽車、練物あり、近隣群詣して、賑しき神事也」とあって、18世紀末にはかなり大規模に行われていたことが知られる。また、司馬江漢の『西遊旅譚』(寛政2年:1790刊)にもその様子が描かれているところである。

 

現在、大入道の着物を納めるために使われている箱の側面に「文化九年(1812)七月吉日」の記載が、幟の箱の蓋には「文化十年」の年紀がそれぞれあり、少なくともこの頃には四日市祭りに参加していたものと考えられている(2)。

 

では、その初期の大入道とは、現在のそれとは同じものであったのか。地元の口伝によると、文化2年(1805)に名古屋のからくり人形師、竹田寿三郎・藤吉父子によって作られたのが最初で、この時のものは、首が伸び縮みするだけで、曲がらなかったという。今も残る滑車(図4)のみがもちいられていたのであろう。その後、明治2年(1869)に浅野新助(3)によって首が曲がるように工夫されたという。これにより江戸時代の大入道は首が伸び縮みするだけであったが、明治以降は現在のように首を曲げたり、S字にくねらせたりするようになったという。事実、明治2年の首が現存していて、それはすでに自由に曲げ伸ばしや鎌首をもたげる演技が行えるものとなっている。また、昭和12年の首(4)や平成9年の首(5)もストックされている。

 

本来、大入道は桶之町の山車であったが、当時「桶」に「大化(オケ)」の文字を当て、それにかずけて初期の桶之町の出し物は化け物の仮装行列が行われていたようである。『東帰稿刪』(6)の「泗水行」の中に「百霊群鬼次第ニ出ツ 歩スルコト兮ニ遅遅トシ断チ復タ連ナル」とある「百霊群鬼」がそれを指しているものとみられるのは、「木版伊勢四日市諏訪明神祭礼黎物」(図2)と題する木版の刷り物(7)(以下、木版本と略称する。)にも、「桶ノ町」に大入道の絵と「百物語」の文字が刷られているからである。

 

これらの桶之町の化け物の仮装行列はいろいろなものが工夫され、改良が加えられたりしたようであるが、その中から唯一大入道だけが今日に伝えられてきたものと考えられる。

大入道の由来

図2 『木版伊勢四日市諏訪明神御祭礼黎物』部分(桶ノ町) 四日市市立博物館 所蔵

ここで、大入道の謂れについては複数語り伝えられているが、それらの内、特によく引き合いに出される伝承について2例、見てみることとしよう。

 

ひとつは、桶之町の醤油屋の蔵に老いた狸が棲み付き、農作物を荒らしたり、人を脅かしたりといった悪さをしていた。困り果てた人々は、狸を追い払おうとして大入道の人形を作って対抗したが、狸はその人形よりさらに大きく化けて効果が無かった。そこで人々は、大入道の人形の首が伸縮する仕掛けを作り、首を長く伸ばして見せた。これに驚いた狸は降参して逃げ去って行ったという話。

 

もう一つは、呉服商を営む久六(8)の店に、身の丈六尺もある若い大きな男が訪ねてきて、店で使ってくれないかと頼み込んだ。主人の久六は、熱心に頼む若者に根負けして雇うことにした。それから三日、十日とたつうちに、不思議なことに久六の店に来る客が増え、大男の商いぶりは評判が良く反物の売り上げもぐんぐん増え、久六の店は町でも評判の大店に成長した。

 

あるむし暑い晩に久六が夕涼みに庭に出たところ、障子に大男の影が映っており、その首がゆらゆらと伸びて行灯の油を舐めておった。

それを見て驚いた久六は気を失い、翌日目が覚めると男はいなくなったという、ろくろっ首の話(9)。

 

図3 『童戯五拾三次之内』四日市 豊原国周 版元大黒(国)金之助 慶応2年(1866)刊 個人蔵  

いずれが正しいかは、判断の分かれるところであろうが、後者は、先の木版本の絵では台車の前に雪洞が備えられており、それを追う形で演技されていたものとみられることと符合する。ただし、現在の大入道では台車の上の両側にぼんぼりが乗る形式に変更されている。

 

さらに、豊原国周が描いた『童戯五拾三次之内』(図3)の浮世絵版画の四日市では、ろくろっ首をはじめ、一つ目小僧、石灯籠のお化け等が描かれていて、浮世絵で四日市を表現するためにこれらの題材を選んだ背景には四日市祭の桶之町の出し物があったのではないだろうか。

大入道の構造とセミクジラ

図4『三重県祭礼行事記録調査報告書 大入道山車』1999年 四日市市教育委員会(一部加筆)

東海圏にはセミクジラのヒゲを使ったカラクリを載せた山車が数多く存在する。大入道のカラクリは、他のカラクリと同様にセミクジラのヒゲが用いられている。頭の中にも、眼をむいたり、眉を動かしたり、舌を出すためにヒゲが使われているが、大入道山車の大きな特徴は、2.7mの首を曲げたりS字に曲げるために3mに及ぶ長さのヒゲが2本(親クジラ・子クジラあるいはかまくびとも)仕込まれていることである。

 

図4の左側の本体部の中に、右側にある首を矢印の部分より挿入し、右上のせみ胴を被せた上で、かしらを首に被せ、目や眉、舌などの仕掛けの紐を結び付け、着物を着せる。

 

図5 大入道頭部のからくり 『三重県祭礼行事記録調査報告書 大入道山車』1999年 四日市市教育委員会 「ト」の紐を引くと首が上を向く。「チ」を引くと目玉が回転して目玉の色が銀色になり目を向く。眉が垂れる。目玉と眉顎とはバネを介して紐で結ばれており、目玉が反転すると顎が下がって口を開く。「リ」の紐を引くと吊るされている舌を出し、緩めるとバネで戻る。

頭部内にも図5のような仕掛けがあって目をむいたり、眉を上下させたり、舌を出したりと演技をする。ここにもそれぞれセミクジラのヒゲが仕込まれていて、バネとして機能している。

 

しかしながら、このからくりの最も重要なのは首を曲げたり、鎌首をもたげる機能を3mに及ぶ長さのクジラヒゲによって動作させているところである。

 

図6 大入道の首の構造(首根元左側のヒゲ①:「かまくび」、右側のヒゲ②:「おやくじら」)『三重県祭礼行事記録調査報告書 大入道山車』1999年 四日市市教育委員会(一部加筆)

図6に見るように首には長いクジラヒゲが途中で交差して2本仕込まれている。首の後部から入り、上方で交差して前方に延びる方のヒゲを「おやくじら」と呼び、逆に前方部から入り交差して後部へと延びるヒゲを「かまくび(こくじら)」と呼ぶが、「おやくじら」を引くと首が前方に大きく傾き、「かまくび」を引くと反り返って鎌首をもたげ、それに合わせて目を向いたり舌を出したり、眉を下げたりなどの演技を行う。

 

演技には、人形師と呼ばれる大人たちが6人掛りで操っている。その内訳は、1階と呼ばれる台車で首掛りが2人(親鯨用と鎌首用、これをテコで動かすが、最も力のいる役割である)、胴を上下させる胴掛りと首を上下させる顔掛り、囃子方が2人(銅鑼掛りと太鼓掛り)、2階と呼ばれる台車上部にも2人(左右の腕掛り)がそれぞれ配置されている。

大入道の課題と将来

この大入道の仕掛けにも使われるセミクジラのヒゲは、文楽人形の「かしら」をはじめとして、その他各種のカラクリでもバネやゼンマイとして用いられているところであるが、それらがみなヒゲを横使いのバネとしているのに比して、大入道の特異なところは、ヒゲを縦使いのバネとしているところにある。ところがワシントン条約でセミクジラをはじめとした絶滅の危機にあるクジラの捕獲が禁止されたことにより、それまで普通に、安価で、微妙な表現などが可能な優れた材料であるクジラヒゲの入手が困難となり、他のからくりや文楽などにおいても大きな影響を受けている。

 

四日市の大入道の場合、他のカラクリと違って非常に長大なヒゲが要るためその将来はさらに深刻である。危機感を持った地元保存会では、従来よりクジラヒゲの確保に腐心してきていたが、筆者が認識しているところによれば、平成5年の段階ではストックとしてのクジラヒゲを2本保有していた。が早くも平成7年には水族館の関係者より1本のクジラヒゲの寄贈を受けている。

写真 大入道鋼材バネとからくり首木枠 撮影 筆者

 

さらには、平成9年には第三の首を製作して鋼材のバネを仕込み、クジラヒゲが伸び縮みする部分を補うためのクッションとして硬質ウレタンを用いるなど試行錯誤しながら実験を繰り返したが、上手くはいかず挫折した。それを平成28年度、技術提供を申し出てくれた企業(10)(東海バネ工業株式会社、本社:大阪市西区)の協力で、保存会が第3の首の鋼材バネのクッション材として試行した硬質ウレタンの部分に新たに開発したクッションバネを取り付けることによって、クジラヒゲを用いた時と変わらぬ操作性を得ることが出来た(11)。しかし、木組みのからくりと鋼材のバネとの耐久性や摩擦の問題、また、クッションバネを使っている限り完全なクジラヒゲの代替品とは言えないことなどの課題は残った。

 

そのため、それ以降も東海バネ工業では、一本の板バネに工夫を凝らして、それだけでクジラヒゲの代替品としての性能を持たせるバネの開発を無償で続けてくれたのである。そして、数度の試作品を試したのち、平成31年4月21日、新たな1本のバネのみによる実証実験が行われ、これに見事に成功したのであった。

 

写真 大入道の鋼材のバネによる実証実験の成功 撮影 筆者

このことによって、現状では、いずれヒゲが入手出来なくなる時が来るが、その後の大入道の継承は保障されたわけである。しかしながら、保存会としては入手可能なクジラヒゲがあれば購入していきたいとの意向は持ち続け、今でもヒゲの入手に腐心している。このことは、伝統文化財の継承者たちの気持ちとしては良く理解できるところであり、全国の類似の伝統芸能の伝承者たちにも共通するところであろう。

 

現在、ワシントン条約でセミクジラを捕獲することは事実上出来ない。が、ここで考えるに、実際には殆ど同種のクジラであるホッキョククジラの捕獲がイヌイットやイヌピアックなどの生存権捕鯨として認められている。

 

つまり、制限枠はあるものの、毎年長大なクジラヒゲが数多く得られているのである。イヌイットやイヌピアックのクジラの利用がどうであるのか、特にこのヒゲの利用が如何になされているのかなどということについては知り得ないが、何かに使われているとしても、以前の我が国でそうであったように、豊富で安価に利用できる材として存在していることは想像に難くない。

 

このホッキョククジラのヒゲの僅か一部分だけでも入手できれば、日本のこの種の多くの伝統文化の将来は保障されるはずである。文化財を所管する部署に限らず、貴重な文物の輸出入に関わるような部署が連携して、厳しい制限のかかるクジラの部位についての輸入を可能とすることは出来ないであろうか。

 

ユネスコ無形文化遺産保護条約を含めて、将来的には必ず入手できなくなるセミクジラのヒゲに頼る、これら我が国の多くの貴重な文化遺産に、手を差し伸べてくれることを願うばかりである(12)。

 

また、大入道には構造上、どうしても長いヒゲが必要であるが、切れて使えなくなるとそれらを繋いで再利用する。それも繰り返せば、継ぎ目が太くなりカラクリ内部を通らなくなるため、頭の中の仕掛けに用いたりする。しかし、それでも短いヒゲは生じてくる。それらを、通常のカラクリに用いることが出来るように全国の文化財を通じたリサイクルのシステムの構築も有効な手段と考えられるが、いかがであろうか。

「こにゅうどうくん」の活躍

写真 四日市市公式マスコットキャラクター「こにゅうどうくん」 提供 四日市市 

なお、前述のとおり、四日市では、市制100周年の記念の年(平成9年)に誕生した公式マスコットキャラクター「こにゅうどうくん」があり、各種イベントなどで活躍している。お父さんが「大入道」という設定で、お父さんのように首を伸ばしたり、目玉をギョロギョロしたりはできないが、勉強やスポーツなどの伸ばしたいところを「伸ばしたい」と願いながら、「こにゅうどうくん」のべ~っと伸びる長い舌に触ると、願い事がかなうと言われている。

 

こにゅうどうくんは「フェイスブック」と「ツイッター」などでも発信をしており、市民に親しまれている。因みに、昨年度のゆるキャラグランプリでは4位に入賞している。

 

「こにゅうどうくん」facebook

 

小さいときに、大入道を見て驚いて涙を流した子どもたちもたくさんいるであろうが、大人になると四日市のシンボルとして認識している人も多いことだろう。今後も、マスコットキャラクターのこにゅうどうくんと共に、四日市の人びとに親しまれ続けていくことであろう。

(1)地元音では「おにゅうどう」と呼ぶ。三重県指定有形民俗文化財(昭和51年指定)。 (2)箱書きは、修理の際に書かれるものが多い。文化9・10年の記載があるが、続けて修理された可能性が高く、成立はさらに遡るものと思われる。着物は新調され、幟は新たに付加されたものであろうか。 (3)常滑市瀬木の世楽車や西枇杷島祭(北名古屋市)の頼光車のからくり人形を制作したことが知られている。 (4)大入道は三重県の有形民俗文化財に指定されているが、どうした訳か、指定の対象の首はこの昭和期の首であって、明治期の首ではない。保存会の人形師の話では、明治の首が一番使いやすいという。 (5)後述するが、この平成期の首を使って現在いろいろな実験が行われている。 (6)郡山藩士 城戸賢公の漢詩集、享和3年(1803)刊。 (7)数本の巻子形式のものと数枚の刷り物とが知られている。東條寛「『木版伊勢四日市諏訪明神祭礼黎物』に見る明治の四日市祭」(『郷愁の四日市祭』四日市市立博物館、平成9年)参照。 (8)ここで一つ興味深いのは、主人の名前の「久六」であるが、それと同名の地名が旧四日市町にあって、そこが現在のイオンの源流である岡田屋(呉服商)の創業の地であることである。 (9)三重県の採話では、当時の保存会の会長の話による大男のろくろっ首の話を採用している。http;//www.bunka.pref.mie.lg.jp/minwa/hokusei/yokaiti/index.htm (10)江戸の科学技術史になどに造詣の深い国立科学博物館の鈴木一義氏にクジラヒゲについて問い合わせたところ、将来のことを考えると代替品の開発を考えた方が良いとの示唆を戴き、そのような技術をもった企業ということで東海バネ工業株式会社を紹介され、仲介の労をとって戴いた。 (11)この成功に対して、平成28年11月29日には四日市市及び中納屋町大入道山車保存会から、東海バネ工業株式会社に対して感謝状が贈呈されている。 (12)このことについて、農水省に連絡したところ「経産省の管轄」とのご返事をいただいたため経産省に連絡したが、未だ回答をいただいていない。

公開日:2019年6月4日

堀越 光信ほりこし みつのぶ四日市市教育委員会 社会教育課 学芸員
皇學館大学研究開発センター 共同研究員

1955年東京都生まれ。皇學館大学文学研究科博士後期課程単位修得、四日市市立博物館学芸員を経て、現織。
展覧会図録に『開館記念特別展「鯨・勇魚・くじら クジラをめぐる民俗文化史」』(1993年)、『開館一周年記念特別展「姿をあらわした神々―神仏習合の歴史と美術―」』(1994年)、『特別展「重源上人―東大寺復興にささげた情熱と美―」(1997年)』『特別展「王朝の精華(はな) 近衞家と陽明文庫の至宝」』(2000年)、『開館十周年記念特別展「ふるさと文化の源流 四日市の文化財」』(2003年)、『特別展「鈴鹿(サーキット)や富士(スピードウェイ)を翔けた名車(くるま)たち アイビーに、エレキに、サイケだったあの頃。」』(2005年)、『企画展「泗水のイメージ 浮世絵に描かれた四日市」』(2006年)など。
共著に『日本の神々』(新潮社、2001)、『中世の寺社と信仰』(吉川弘文館、2001年)、『国史大系書目解題』(吉川弘文館、2001年)、『神像の美』(別冊太陽、平凡社、2004年)、『日本の神々』(東京美術、2005)がある。