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遺跡・史跡

生業に見る北海道・北東北の縄文文化の特質

斉藤 慶吏 / YASUSHI SAITO

文化庁文化財第二課 埋蔵文化財部門 文化財調査官

三内丸山遺跡から出土した魚骨 提供:三内丸山遺跡センター
50種類以上が確認されており、特定種に極端な偏りをみせることなく多種多様な魚種が利用されていた。サメとブリが多い。 

はじめに

縄文時代は、「定住」を基盤とした食料獲得経済社会であり、生業の基本は採集・狩猟・漁撈からなる。「定住」確立のプロセスと変遷を理解する上で、自然環境に対して人々がとった適応行動の分析は不可欠であり、この度の世界文化遺産登録においても構成資産の貝塚や低湿地遺跡の調査成果から北海道・北東北の縄文人の生業の在り方が議論された。

 

本稿では、多様な地域文化を内包する縄文文化において、生業(特に食料獲得活動)の内容から見た北海道・北東北の縄文文化の特質について考えてみたい。

縄文文化の生業

縄文時代の集落を発掘すると磨石すりいし敲石たたきいし、石皿といった堅果類の加工具をはじめ、弓矢や石槍等の狩猟具、釣針や銛頭等の漁撈具が出土する。集落内あるいは集落と近接した場所には貯蔵穴や作業場となる水場がみつかり、落とし穴が多数集まる狩猟場も確認されている。

 

また、貝塚や低湿地遺跡に残された食料残滓からは、縄文人が利用した食材の具体的な内容も明らかにされている。植物質食料は、クリやクルミ、コナラやカシ類などの堅果類の他、ヤマブドウやサルナシ、ニワトコ等の漿果しょうか類も確認されている。近年は土器に残された圧痕の調査から植物遺存体では発見が稀であった種の発見もみられるようになり、特にマメ類の利用に関心が集まっている(工藤2013)。

 

動物質食料は、遺跡によって量的な多寡に違いはあるものの、本州ではシカとイノシシが多く出土している(新美2010)。沿岸部では魚貝類の利用も活発で、貝塚からは大量の貝殻とともに魚骨も出土する。魚骨の鑑定で判明した魚種とその生態を重ねると縄文人の漁場は波穏やかな内湾だけでなく外洋にも展開し、広範囲に漁撈を行っていたことがわかる。内陸の遺跡では、河川や湖沼に棲む魚種もみつかり、特に山間部においては内水面で盛んに漁を行っていた様子がうかがえる(樋泉2007)。

 

これらの考古学的証拠から縄文文化の生業は、堅果類の採集と鳥獣類の狩猟、漁撈が基本であったことがわかる。縄文人は四季ごとに変化する自然の恵みを巧みに利用し、特定の種類のみに対象を限定せず、多種多様な資源を幅広く利用していた。これによって、自然に与える負荷を分散させ、特定種の絶滅を招くような危機も回避していたと考えられる(小林2008)。

北海道・北東北の縄文文化

これまで各地で行われた調査研究成果より、縄文文化は遺跡の立地環境に応じた多様な地域文化を内包していることが明らかにされている。とりわけ、北海道南部と北東北は縄文時代早期から晩期にかけて、共通の物質文化要素が広がり、地域文化圏として一体的なまとまりをもつことが早くから指摘されていた(富樫1974ほか)。

 

特に縄文時代前期後半から中期前半にかけての「円筒土器文化」は津軽海峡を挟んだ南北に共通の文様意匠を備えた土器が作られ、土偶をはじめとする祭祀具や特殊な石器が両地域に共通して広がりをみせる点で象徴的である(長谷部1927、村越1974、岡田2014)。後続する後期の「十腰内文化」、晩期の「亀ヶ岡文化」にもこうした一体性が継承されており、遺跡から出土する様々な要素に強固な地域的まとまりを認めることができる。

 

この地域は「北方ブナ帯」と呼ばれる冷温帯落葉広葉樹の森林が広がり、共通の植生環境への適応がこうした地域文化形成の要因として考えられてきた。しかし、出土人骨の炭素・窒素同位体分析や個々の遺跡から出土する動植物遺存体の傾向をみると、北海道・北東北の縄文文化の生業は、その内部においてローカルな資源を複雑に組み合わせた適応が図られ、必ずしも画一的な内容を示さないことがわかってきた。

北海道・北東北の生業

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産には生業に関する情報が豊富な貝塚と低湿地遺跡が地域を網羅した形で含まれている。出土哺乳類の内容をみると、北海道南部の北黄金貝塚や入江・高砂貝塚では貝層からオットセイの骨が大量に出土し、猟具として使用された銛頭も多く出土している(写真1、2)。これに対し、北東北の太平洋側にある二ツ森貝塚や是川石器時代遺跡(一王寺遺跡)では、陸棲哺乳類のシカやイノシシの骨が多く、オットセイなどの海棲哺乳類や銛頭の出土は稀である。更に、陸奥湾に近い三内丸山遺跡や日本海側の田小屋野貝塚ではノウサギやムササビなどの小型陸棲哺乳類の出土が多く、北海道南部や北東北太平洋側とも異なる傾向がみられる(斉藤2006、2012)。

 

北黄金貝塚は遺跡近くをオットセイが越冬回遊し、三内丸山遺跡や田小屋野貝塚はシカやイノシシの生息には適さない豪雪地に所在する。遺跡の立地環境と狩猟対象となった獲物の生態、獣骨や狩猟具の出土傾向を重ねてみると、遺跡を取り巻く周辺環境の特性に応じた狩猟体系が確立していた様子をうかがうことができる。

写真1 北黄金貝塚から噴火湾を望む 提供:伊達市教育委員会
後方に噴火湾と対岸の駒ケ岳を望む。噴火湾沿岸では、越冬に訪れたオットセイの雌と子供を対象とした狩猟が行われていた。

写真2 入江貝塚から出土した銛頭 提供:洞爺湖町教育委員会
噴火湾沿岸の貝塚からは大量の海獣骨が出土する。狩猟や刺突漁に用いられた銛頭も多く、道具の内容にも当地の生業の姿が反映されている。

出土人骨の分析からも興味深い事実が判明している。人骨の炭素・窒素同位体分析は、ここ10年以内に北東北の新たな資料が分析に加わり、地域性に関する細かな内容が明らかになってきた(図1)。北海道の縄文人が本州以南とは異なり、海産物利用に顕著な偏りを示すことは以前から指摘されていたが、その傾向は、北東北を含めても変わらない状況であることがわかってきた(南川2001、米田2012)。

図1 北海道・北東北から出土した縄文人骨の炭素・窒素安定同位体分析結果(南川2001ほか)
北海道は、海棲哺乳類にまとまりが強いが、沿岸部の資料が多いことも一因として考えられる。青森県も海産物利用の傾向が比較的強く表れているが、海棲哺乳類の範囲からは外れる傾向にある。

また、縄文人骨に比較的多くみられる齲歯うしは、本州と比べて北海道の縄文人に少ないとされている(大島1996)。背景に北海道では齲歯の発生を高めるでんぷん質の食料の利用頻度が相対的に低かった可能性がある(藤田・鈴木1995)。でんぷん質が豊富な食料として、クリ等の堅果類が候補の一つにあげられる。北東北の三内丸山遺跡や御所野遺跡では、クリ林の管理や栽培に関する情報が豊富に得られているが、北海道側では現状においてそうした証拠が乏しい。北海道では当初クリが自生しておらず、縄文時代前期後半以降に本州側から持ち込まれた可能性が指摘されている(山田・柴内1997)。堅果類利用の普及において、北海道は北東北と異なるプロセスが想定され、依存度の面においても両者の間で差があったと考えられる。

生業を形作るもの

食料獲得活動は地域生態系の資源構造、すなわち資源の時空間分布と生物量に影響され、そのうえでより最適に食物を入手するための行動がはかられる。一方で、捕獲圧の回避や集団間の縄張り、食物禁忌や嗜好等に起因する文化的選択によってもその内容は変化する。オットセイの越冬回遊地の近くに集落を構える北黄金貝塚と、冬季の積雪量が多い地域にある三内丸山遺跡や田小屋野貝塚では、出土獣骨の内容と種ごとの量比が哺乳類の生息分布と整合的な対応関係をもち、基本的には地域生態系の中で、合理的な選択を行った結果が現れているようにみえる。しかし、そうした理屈から説明が困難な生業も存在し、文化的選択の一端が垣間見える例も存在する。三内丸山遺跡で多量に出土している魚骨から、そのような選択の例をみてみよう。

 

三内丸山遺跡では、哺乳類よりもはるかに多くの数量の魚骨が出土しており、これまでの調査で50種類以上が確認されている。その中で、北海道・北東北以外ではあまりみられない魚種として、マダラがあげられる。マダラは深海性の魚類で、郷土料理「じゃっぱ汁」に代表されるように、現在も青森県では身近な冬の食材である(写真3、4)。陸奥湾や富山湾、三陸沖などが産卵回遊地として知られ、通常は水深200mほどの深場に棲息しているが、12月から1月にかけての産卵期のみ深場を離れる性質がある。漁期は湾内にマダラが滞留する厳冬期が最も合理的であるが、冬季の漁は危険が伴い、厳寒の海に船を出す知識と相応の技術を持ち合わせていなければ、漁獲どころか生命の危機にさらされることになる(太田原・川口2002)。現在も陸奥湾内のマダラ漁で必須とされる「山アテ」(船上から見える山を目印にした漁場認識)や出漁の可否の判断、天候の急変に対応する日和見等の技術は、いずれも短期的に身につけることが困難であり、「定住」によって経験を重ね、複数世代にわたり醸成されたと考えられる。こうした高度な技術を必要とする困難な漁がこの地域の縄文人によって選択された背景には味覚に対する嗜好性や季節的な労働力の編成など、捕獲の容易さだけでは説明し尽せない特別な理由が働いていたことが想像される。

写真3 青森市内の魚市場の様子 撮影:著者
青森市中心市街地にある魚市場では、陸奥湾で捕れた新鮮な魚介類が並ぶ。縄文遺跡から出土する魚種のすべてがここに集まっており、今の私たちが食卓で目にするものと変わらないことがわかる。

写真4 タラづくしの定食 撮影:著者
左上:じゃっぱ汁、左中:タラのともあえ、左下:タラのフライ、右下:タラの刺身、中央左:タラコの塩漬け、中央右:白菜の漬物。「じゃっぱ汁」はタラのアラ汁で白子や内臓、鰭まで余すことなく食材に用いられる。青森では、冬の鍋料理の定番。

生業の季節性

生業は生活の基本をなすものであり、狩猟採集民として生きた縄文人にとって、生命と社会の維持にかかわる根幹的な問題であった。食料の季節変動が生じる中で、いつ・どこで・どのようにしてそれを行うかといったことは、居住や儀礼などの社会システム全体に大きく影響する要素であり、獲得後の加工や貯蔵までを含めた利用体系は「定住」の実態を具体的に解き明かす上でも重要な鍵となる(図2)。

図2 御所野遺跡の生業カレンダー 提供:一戸町教育委員会
狩猟・漁撈・採集の他にも、植物質素材を用いた道具づくり、家づくりなど様々な活動が集落の中では繰り広げられていた。四季折々の資源の状況に応じ、遺跡ごとの生業活動の内容に違いがあったであろう。

北海道・北東北の縄文人が季節ごとに変化する資源に対応してどのような行動をとっていたか、構成資産の遺跡群では生業の季節性を復元する研究が進められている(樋泉2006、三谷2017、御所野縄文博物館編2021)。これらの研究から、山菜や堅果類といった旬の時期が定まっているものは、一定程度集中的な採集活動を行い、余剰分は保存加工したうえで厳しい冬の季節にもそれらを消費していたことが推定されている。また、哺乳類や鳥類、魚類については、対象種それぞれが行う越冬や繁殖行動、産卵のための接岸など固有の生態や習性を的確に捉えて、捕獲に適した時季に狙いを定めた行動がとられていたことが動物遺存体の分析から明らかにされている。

 

「定住」で蓄積した有用植物や動物の生態に関する知識を最大限に活用し、保存加工や貯蔵を駆使した多角的な資源利用を図ることで、周年にわたる安定的な生活を維持していた。こうした点は、地域を越えた縄文文化全般に共通した特徴でもある。

 

一方で、個々の遺跡で利用された植物や動物の種とその量的な比重は完全には一致しておらず、それらを獲得するための活動内容の多様性が顕著である。特にこの地域では冬季に著しい積雪が伴い、その間に行われた生業が重要である。秋から冬にかけて噴火湾周辺で行われたオットセイ猟、陸奥湾内で冬に行われたマダラ漁を具体例としてあげたが、食料獲得以外の内容も含めた生業の季節的な選択が遺跡ごとにどのような違いをみせるのか、今後もより詳細な比較研究が求められる。

おわりに

北海道・北東北の縄文文化は土器の文様意匠やその他祭祀具まで含めた出土遺物にみられる共通性から、文化のソフト面に強固な一体性がうかがえる。一方で、生産用具や食料残滓は細部に差違がみられるが、そのもとをただせば、この地域の資源分布の多様性に起因している。噴火湾のオットセイ猟や陸奥湾における冬季のマダラ漁は、この地域の資源環境の独自性ともあいまって、銛頭や大型の組み合わせ式釣針といった猟漁具の発達をもたらした。

 

共通の精神世界、観念に基づき、社会の結束を保つ一方で、基本的な生活基盤の確保においては多種多様な食料資源を獲得・加工・消費し、季節変化に伴う顕著な資源量の増減にも、利用可能なあらゆる資源を組み合わせることで適応が図られていた。ソフト面とは対照的なハード面における柔軟な適応の姿、その中に北海道・北東北の縄文文化の特質を見ることができる。

引用文献
  • 工藤雄一郎『ここまでわかった! 縄文人の植物利用』新泉社 2013
  • 新美倫子「鳥獣類相の変遷」『縄文時代の考古学4 人と動物の関わりあい -食料資源と生業圏』 同成社 pp. 131-148 2010
  • 樋泉岳二「貝塚-狩猟と漁労」『ドイツ展記念概説 日本の考古学 上巻』学生社 pp.167-172 2007
  • 小林達雄『縄文の思考』ちくま新書 2008
  • 富樫泰時「円筒土器分布圏が意味するもの」『北奥古代文化』6 pp.1-10 1974
  • 長谷部言人「圓筒土器文化」『人類學雜誌』42-1 pp. 28-41 1927
  • 村越潔『円筒土器文化』雄山閣 1974
  • 岡田康博『三内丸山遺跡 復元された東北の縄文大集落』同成社 2014
  • 斉藤慶吏「円筒土器文化圏における食料獲得活動の地域性 -東北町東道ノ上(3)遺跡出土動物遺存体の分析-」『考古学談叢』六一書房 pp.409-429 2006
  • 斉藤慶吏「貝塚出土獣骨からみた円筒土器文化圏内における狩猟活動の地域性」『博古研究』44 pp.13-23 2012
  • 南川雅男 「炭素・窒素同位体分析により復元した先史日本人の食生態」『国立歴史民俗博物館研究報告』86 pp.333-357 2001
  • 米田穣「縄文時代における環境と食生態の関係 -円筒土器文化圏とブラキストン線-」『季刊考古学』118 pp.91-95 2012
  • 大島直行「北海道の古人骨における齲歯頻度の時代的推移」『人類学雑誌』104-5 pp. 385-397 1996
  • 藤田尚・鈴木隆雄「縄文時代人の齲歯について」『考古学雑誌』80-3 pp. 95-107 1995
  • 山田悟郎・柴内佐知子「北海道の縄文時代遺跡から出土した堅果類 -クリについて-」『北海道開拓記念館研究紀要』25 pp.17-30 1997
  • 太田原・川口潤 「縄文時代のマダラ漁 -マダラ漁から探る縄文人の技術と知識-」『海と考古学とロマン』pp.173-192 2002
  • 樋泉岳二「魚貝類遺体群からみた三内丸山遺跡における水産資源利用とその古生態学的特徴」『植生史研究』特別2 pp.121-138 2006
  • 三谷智広「貝塚における狩猟・漁労活動の季節性復元 -その研究と北海道における現状-」『北海道考古学』53 pp.25-42 2017
  • 御所野縄文博物館編『縄文里山づくり 御所野遺跡の縄文体験』新泉社 2021
参考文献
  • 岡田康博編『世界遺産になった! 縄文遺跡』同成社 2021
  • 岡村道雄『縄文の列島文化』山川出版社 2018
  • 西本豊弘・新美倫子『事典 人と動物の考古学』吉川弘文館 2010

斉藤 慶吏さいとう やすし文化庁文化財第二課 埋蔵文化財部門 文化財調査官

千葉県出身。東北大学大学院文学研究科博士前期課程修了。専門は動物考古学。青森県埋蔵文化財調査センター、青森県教育庁文化財保護課(三内丸山遺跡保存活用推進室、埋蔵文化財グループ)を経て2019年から現職。

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