特別寄稿

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文化財保護法の改正とその課題

坂井 秀弥 / Hideya SAKAI

奈良大学文学部文化財学科教授

文化財保護法の改正が、6月1日、国会で可決・成立した。この直前の5月27日、明治大学で日本考古学協会総会が開催された。数多くのセッションがあるなかで、この法改正をとりあげた「文化財保護法の改正と遺跡の保存活用」の広い会場は、多くの聴衆で埋まった。そのなかに地方自治体の文化財担当者がかなりいた。私は報告者の一人であったが、最前線で取り組む現場担当者が、法改正に高い関心をもっていることを認識した。それは不安や危惧であったと思う。

法改正の要点は3つある。①市町村による「文化財保存活用地域計画」(「地域計画」)の法定化、②文化財ごとの「保存活用計画」の法定化、③文化財行政の首長部局への移管である。

①の地域計画は市町村が単独または複数で策定するもので、地域に所在する国・自治体の指定文化財だけではなく、未指定文化財も含めた総合的な保存・活用に関する計画である。2007年に文化庁が提唱した「歴史文化基本構想」の法定化ともいえる。②の保存活用計画は、国指定文化財の保存・管理・活用に関する計画である。これまでも史跡や建造物では、その策定が奨励されていたが、それを法定化するものである。③はこれまで「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」により教育委員会が所管することされてきた文化財行政について、首長が担当できることに改めるものである。

この改正の目的は、文化庁によれば、近年の過疎化・少子高齢化などに伴い、文化財を保存し継承する担い手が不足し、文化財が大きな危機に瀕していることから、文化財を社会全体で支えていく体制をつくるためとされる。現在の文化財を取り巻く環境はきわめて厳しく、改正がめざす方向は認められるところである。たとえば、法定化される地域計画は、文化財の種別ごとに優品を指定し、種別を越えた総合的保護が困難であった現状を改善するものである。また、この計画策定には、行政関係者・学識経験者だけではなく、地域住民やNPO、商工観光関係など、地域の幅広い人材が参画することも、望ましいあり方といえる。

その一方で、この法改正の背景には、2020年の東京オリンピックを見据えた政府の観光政策がある。2016年3月、首相官邸は「文化財を保存優先から観光客目線での理解促進、そして活用へ」と宣言。これをうけて翌月、文化庁は「文化財を中核とする観光拠点の整備」「投資リターンを見据えた文化財修理・整備の拡充と美装化」と、文化財の観光活用を鮮明にした。今国会の首相施政方針演説でも、観光立国のなかで法改正がとりあげられた。この改正は、社会的には、観光のためのものと理解されているのだ。たしかに観光は他地域の人びとがその地の文化財の価値を知ることになり、地域振興にもつながる。有効な活用ともいえる。

しかし、文化財は多様であり、その活用もそれに応じてさまざまなものがある。すべての文化財が観光につながるものではなく、リターンも期待できないものが多い。そもそも文化財はその土地にかつて生きた人々の営みを伝えるものであり、それを通じて地域とのつながりが持続してこそ意味をもつ。そして、過去から現在に残された文化財を未来に伝えるという、時代を越えようとする思想にもその本質がある。日本では、早くから発掘現場の説明会が行われ、学校での出前授業や体験学習なども活発だ。こうした取り組みは世界的にも評価されている。観光だけが活用ではない。こうした意見が全国の文化財担当者にあるのであろう。

文化財を幅広く社会に活かすためには、行政における文化財部局と都市計画などを含む首長部局との連携は不可欠である。文化財部局が首長部局へ移管することは有効な面がある。ただ、文化財の職員数は首長部局に比べて総じて少数・零細だ。そのようななかで、文化財の活用はその保存が大前提であり、両者のバランスが重要であることに理解を得なければならない。それに対して「観光マインドがない」と非難されることはないだろうか。

保存活用計画の法定化により、計画に盛り込まれた整備事業等に伴う現状変更等については、これまでの事前の許可制が事後の届出となる。その事業主体者は首長となる場合が多くなると予想される。それでも、史跡の価値を損なう事業を事前に見落とすことも、甘く運用することもあってはならない。

専門的な人材の不足も問題だ。地域において重要な意味をもつ地域計画と保存活用計画の策定にあたっては、地方公共団体とりわけ市町村の専門職員が中心的な役割を担う。地方公共団体の専門職員には、もともと考古学が専門の埋蔵文化財担当が多い。全都道府県と2/3の市町村に計約5700人が配置されており、埋蔵文化財担当がほかの文化財も扱うことが一般的だ。たしかに地域の多様な文化財に精通した経験豊富な担当者もいる。しかし、そのような職員がどこにもいるわけではない。また、1/3、約600の市町村には埋蔵文化財専門職員さえいない。市町村の体制を増強・拡充することが不可欠だ。

一方、広域自治体としての都道府県は市町村に対するの支援が求められ、このたび地域計画の大綱を策定することができるとされた。いまの都道府県の体制は、大規模な発掘調査に対応するための埋蔵文化財担当者が大半であり、考古学以外の分野の職員は少ない。歴史性のことなる各地域の、多様な文化財に対して、総合的にバランスのとれた保存活用策を検討できる態勢にはない。これを契機に都道府県が果たすべき役割を議論することも必要だろう。

いずれにしろ、こうした専門職員の現状からみて、適正な地域計画を策定できる市町村は限定されると予想される。地域計画の策定が国の補助金の条件になり、国が計画を認定する際には、観光活用の事業を重視するのではないかと思われる。

必要な人材は地方公共団体だけではない。今回の改正では、あらたに計画を認定することとなる文化庁の体制も拡充が求められる。また、首長が所管する場合に必置とされた文化財保護審議会や、あらたに市町村にも置かれる文化財保護指導員は、ともにこれに専従する専門家ではなく、どれだけ機能するかが不透明であるが、その人材もかなり限られている。

このたびの法改正はかなり性急に進められている印象がある。法律と制度は社会の変化に応じて正しく改めるためには、多くの関係者の間で、ある程度時間をかけて、合意形成を図るための議論を重ねる必要がある。また、この改正法施行を間近に控えた今年10月に、文化庁の大幅な組織改変が行われることにも不安がある。地方の現場が頼るのは文化庁の専門職員だ。慣れない組織のなかで、新たな法律・制度のかじ取りにあたる者が右往左往しているようでは、そもそも現場が動かない。不安が現実とのものとはならないことを願うばかりだ。

幸いなことに衆参両院の文部科学委員会の付帯決議として、国及び地方公共団体は、文化財の保存と活用の均衡に十分留意すること、専門人材の育成及び配置について積極的な取り組みを行うことなどが盛り込まれた。このあと法改正の具体化のために政令・省令等が定められる。社会の大きな変革は現実であり、そのための法改正を、よりよい文化財保護につなげるためにも、今後の展開を大いに注視する必要がある。

公開日:2018年8月3日最終更新日:2018年8月4日

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