
Vol.28
Vol.28
無形文化遺産の国際的保護と日本の文化財保護制度
―「山・鉾・屋台行事」の記載決定を受けて―
文化庁文化財部伝統文化課 民俗文化財部門 文化財調査官
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はじめに
2016年11月30日(日本時間12月1日)、エチオピアのアディスアベバで開催された第11回ユネスコ政府間委員会で、「山・鉾・屋台行事」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の「無形文化遺産の保護に関する条約」(以下、条約という)に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」(以下、代表一覧表という)に記載(inscribe)されることが正式に決定した。
そこで、拙稿では「山・鉾・屋台行事」の記載決定までの経緯と今後の展望・課題について、条約の成立やその趣旨、日本の文化財保護制度との関係などに留意しながら覚書的に書き留めておきたい。
条約の発効とその理念
「無形文化遺産の保護に関する条約(Convention for the Safeguarding of the Intangible Cultural Heritage)」は、人類が創り出し今日まで受け継いできた無形文化遺産について、世界レベルでの周知と継承促進を目指す国際条約として、2006年に発効した。これによって有形(不動産)を対象とする世界遺産から遅れること約40年、ようやく無形文化遺産を保護するための国際的な協力・援助体制が整えられた。
こうした動きの前提には、1989年の第25回ユネスコ総会で採択された「伝統的文化及び民間伝承の保護に関する勧告」がある。この勧告により無形文化遺産の保護の国際的な動きが胎動し、2001年、2003年、2005年に「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」(以下、傑作宣言という)がなされ、計90件の無形文化遺産が傑作として宣言された。日本からも「能楽」(2001年)、「人形浄瑠璃文楽」(2003年)、「歌舞伎」(2005年)の3件が宣言されている。
この間、2003年の第32回ユネスコ総会で、無形文化遺産の国際的保護に関する法的枠組みとして採択されたのがこの条約であった。日本は採択を受けて2004年6月、世界で3番目にこれに批准し、その後30カ国が批准して3カ月を経た2006年4月に条約は正式発効された※1。
この条約は、傑作宣言を呼び水とするが、一方で基本の考え方は大きく異なることを指摘しておく必要がある。すなわち、傑作宣言は、「傑作」の語が象徴するように、世界的にみて傑出した価値を持つ無形文化遺産を公に宣言したものであり、世界遺産の無形バージョン的な意味合いが強くみられた。これに対して条約では、世界中に伝承される多種多様な無形文化遺産を、地域社会で世代を超えて大切に受け継がれてきたものであるから全て同価値とする考え方をベースとし、それらに優劣をつけて選び出すのではなく、代表例を選んで一覧表に記載するという方針をとった。世界の全ての無形文化遺産を記載することは現実的にも不可能であるから、代表例を記載することで人類の持ち伝えてきた無形文化遺産の創造性と多様性を公に発信し、その波及効果で世界中の無形文化遺産の保護も図ることとしたのである。条約は、無形文化遺産の持つ特質を最大限尊重した崇高な理念に基づいていた。
表1 日本の無形文化遺産の記載年と名称
日本の対応
条約の発効を受けて日本はどのような方針で無形文化遺産の提案を行ってきたのだろうか。条約に基づいて批准国が提案できる無形文化遺産は、国内で一定の保護措置が講じられているものに限られる(条約第11条)。そのため各国は国として保護措置を講じている無形文化遺産の目録をまず作成し(条約第12条)、そこから代表一覧表に記載すべきものを提案することが求められた。
日本では、文化財保護制度の中で保護対象とする文化財等に原則限った。条約で明示されている無形文化遺産は「口承による伝統及び表現」「芸能」「社会的慣習、儀式及び祭礼行事」「自然及び万物に関する知識及び慣習」「伝統工芸技術」の5分野で、これを日本の文化財体系に照らすと、「無形文化財」「無形の民俗文化財」「文化財の保存技術」の3分野となる※2。そこで国が指定・選定する重要無形文化財、重要無形民俗文化財、選定保存技術の一覧表を目録とし、新たに指定・選定されるものを随時これに追加していくこととなった。
これら3分野に対する日本の保護の歴史は古い。重要無形文化財の指定は文化財保護法の制定された1950年より、重要無形民俗文化財の指定と選定保存技術の選定は1975より運用されており、世界的にも群を抜いている。そのため重要無形民俗文化財だけでも、条約の発効された2006年4月の時点で、計246件に及んだ。
従って、提案にあたっては、目録上のこれらの膨大な文化財等をどのような順で提案していくかが最初の大きな検討課題となった。後述するように、これらの文化財等に優劣はないため、価値による順位付けは不可能であったから、結果としては文化財ごとに指定・選定した年代の古い順に、地域バランスも考慮しながら提案していくという方針となった。また特に件数の多い重要無形民俗文化財は、「民俗芸能」「風俗慣習」「民俗技術」という三つの種別に分けたうえで、さらに「風俗慣習」を「祭礼(信仰)」「年中行事」「娯楽・競技・生産生業・人生儀礼・社会生活(民俗知識)」の三つに、「民俗芸能」も「神楽」「田楽」「風流」「渡来芸・舞台芸」「語り物・祝福芸・延年・おこないなど」の五つに分け、各枠の中から指定年代の古い順に毎年1~2件ずつ提案することとなった※3。
ちなみに提案案件は、文化審議会世界文化遺産・無形文化遺産部会が、その下に設置された無形文化遺産特別委員会の調査・報告に基づいて決定する。そして、この決定を受けて文化庁伝統文化課が、提案候補の伝承される都道府県や市町村、保護団体の協力を得ながら、提案書や画像、動画等を作成し、外務省・文化庁連絡会議を経てユネスコへ提案することになる。
迷走する運用方針
こうして1回目(2009年3月)に提案したのが、「雅楽」「小千谷縮・越後上布」「石州半紙」「日立風流物」「京都祇園祭の山鉾行事」「甑島のトシドン」「奥能登のあえのこと」「早池峰神楽」「秋保の田植踊」「チャッキラコ」「大日堂舞楽」「題目立」「アイヌ古式舞踊」「木造彫刻修理」の計14件であった。そして事前勧告を受けて取り下げた※4「木造彫刻修理」を除いた13件が、2009年9月にアブダビで開催された第4回政府間委員会で記載決定となった※5。
1回目の提案案件の記載決定をしたユネスコ政府間委員会(アブダビ) 撮影:著者
続く2回目の提案は、翌2010年3月に行ったが、ここで目算に大きな狂いが生じることになる。2回目の提案では「組踊」「結城紬」「本美濃紙」「秩父祭の屋台行事と神楽」「高山祭の屋台行事」「男鹿のナマハゲ」「壬生の花田植」「佐陀神能」「那智の田楽」「綾子踊」「諸鈍芝居」「多良間の豊年祭」「建造物修理・木工」「木造彫刻修理」の計14件を提案した。しかし、ユネスコの事務処理が大幅に遅れた結果、2010年11月の第5回政府間委員会(ナイロビ)では「組踊」と「結城紬」のわずか2件の記載決定にとどまった。
さらに翌2011年11月の第6回政府間委員会(バリ)では、「壬生の花田植」「佐陀神能」の2件が記載決定となるが、同時に「本美濃紙」「秩父祭の屋台行事と神楽」「高山祭の屋台行事」「男鹿のナマハゲ」の4件は「情報照会(refer)」とされた。この「情報照会」は、そもそも条約にない文言でもあったため関係者に大きな衝撃と不安を与えた。情報照会の理由は、1回目の記載案件と酷似し、違いが不明確であるためとされ、区別できる追加情報が必要ということであった。
「情報照会」となった秩父祭の屋台行事と神楽 撮影:著者
「情報照会」となった高山祭の屋台行事 撮影:著者
2012年12月の第7回政府間委員会(パリ)では、「那智の田楽」1件の記載が決定したが、ここに至って記載決定までのペースは完全に鈍化してしまった。
この鈍化の背景には、ユネスコの各年の提案件数を制限したいという意向があった。提案案件の「審査」に時間がかかって処理できないためというのが理由であったが、それは条約発効当初の理念とは相容れない考え方であり、極めて重大な問題を孕んでいた。
先述のように、条約は、世界中の無形文化遺産の創造性と多様性を尊重し、価値的優劣をつけず代表例を記載することを理念としていた。従って、世界遺産の登録で諮問機関・イコモス(国際記念物遺跡会議)が行うような審査は想定されておらず、提案国が一定レベルの保護措置を講じていれば必要書類の提出をもって記載することになっていた。提案国の保護措置を尊重し、書類に不備のない限りは半ば機械的に記載されるはずだったのである。ユネスコの意向は、それとは真逆のものであり、日常生活の中に息づく無形文化遺産に価値判断を加えるという、本来あってはならない方向への転換であった。それは無形文化遺産のネームバリューの向上には繋がったが、ある種の差別行為ともいえ、個人的には極めて遺憾といわざるを得ない。
いずれにしてもこの一大方針転換で、各国は毎年原則1件のみの提案となった。加えてユネスコは、年間の審査件数を上限50件とし、記載件数の少ない国の案件を優先し、50件以上の提案があった場合は一部を次年度に見送るという方針も打ち出した。
このユネスコの提案件数削減&審査件数上限案により、日本をはじめ中国、韓国など記載件数の多い国の案件は※6、毎年1件ずつ提案できるものの、記載は2年に一度のペースとなることがほぼ確実となったのである※7。
「山・鉾・屋台行事」の記載決定までの道のり
こうしたユネスコの迷走に振り回された結果、「山・鉾・屋台行事」の記載決定までの道のりも厳しいものがあった。「山・鉾・屋台行事」は、1回目の提案で「京都祇園祭の山鉾行事」(京都市)と「日立風流物」(茨城県日立市)が記載されたが、2回目に提案した「秩父祭の屋台行事と神楽」(埼玉県秩父市)と「高山祭の屋台行事」(岐阜県高山市)は情報照会とされた。しかし情報を追加する具体的な道筋は全く不透明で、結果的に情報照会案件は宙に浮いた状態になった。
その後、ユネスコとのやり取りで、情報照会は再提案する必要があること、また類似案件はそれらを一括した提案もできること、既に記載された案件を拡張して類似案件も含めた一括提案もできることなどが明らかとなった。そこで日本は情報照会案件の記載を最優先し、既に記載されている案件を拡張して一括提案する方針をとった。
この方針で最初に拡張一括提案したのが「和紙 日本の手漉和紙技術」であった。これは1回目記載の「石州半紙」を拡張し、情報照会の「本美濃紙」、さらに今後提案予定の「細川紙」を一括した提案で、2014年11月の第9回政府間委員会(パリ)で記載が決定した。
「山・鉾・屋台行事」は、この和紙に続く2回目の拡張一括提案であった。ここでいう「山・鉾・屋台行事」とは、神社の例祭等の際に氏子が巨大な特色ある造形物を出して災厄除去や家内安全、無病息災等を祈願する行事をいう。
この提案は、既に記載された2件を拡張し、情報照会の2件、今後提案予定の20数件を一括した提案であったが、抽象的記述とならざるを得ず、それが却って特色をぼかす危険も孕んでおり、提案書、画像、動画等の作成は困難を極めた※8。
一方でこの提案には「全国山・鉾・屋台保存連合会」(事務局は秩父市。以下、連合会という)の存在が大きな意味を持った。連合会は、重要無形民俗文化財の「山・鉾・屋台行事」の保護と地域文化の向上のために、保護団体や関係自治体により1979年に起ち上げられた全国組織である。今回30数件の行事の提案にあたっては、関係府県・市町、保護団体の協力が不可欠で、連合会はその結節点となって情報の連絡・共有の円滑化に尽力された。加えて、既に記載されていた「京都祇園祭の山鉾行事」と「日立風流物」が、連合会の一員としての立場を優先し、この提案に率先して賛同の意を示されたことも大きかった※9。
こうして関係機関・団体の全面協力のもと提案書、画像、動画等を作成し、2014年3月の提案にこぎつけたのである。
ただ、先述のように日本は2年に一度のペースでの記載がほぼ確実となっている事情から、2015年12月の第10回政府間委員会(ウィントフック)では記載されず、2015年3月に提案書を再提案した。こうして拡張一括提案&再提案を経て2016年10月31日に記載勧告があり、11月30日(日本時間12月1日)にようやく記載が決定したのである※10。
「山・鉾・屋台行事」の記載決定を受けて
今回の「山・鉾・屋台行事」の記載決定をわれわれはどのように受け止めるべきだろうか。もちろんまずは喜ぶべきことであるが、同時にそこに期待される無形文化遺産の保護の推進に改めて思いをめぐらせるべきだろう。
記載決定となった33件の「山・鉾・屋台行事」が、日本や世界を代表する無形文化遺産として伝承され続けていくべきことはいうまでもないが、同時に強調したいのは、33件はあくまで代表に過ぎないということである。つまり、それ以外の「山・鉾・屋台行事」もまた同等の価値を有する無形文化遺産であると認識すべきで、それらの伝承にも好影響が及ぶことを期待したい。
この点に関連して改めて確認したいのは、日本の無形の民俗文化財の保護制度の理念である。日本の保護制度には、国の行う指定・選択のほか、都道府県指定、市町村指定、未指定がある。これらは一見、未指定、市町村指定、都道府県指定、国選択・指定、そして無形文化遺産というヒエラルキーがあるようにみえる。しかし、実は無形の民俗文化財にヒエラルキーは存在しない。未指定も市町村指定も都道府県指定も国選択・指定も、そして無形文化遺産もその価値は同等である。違いは、端的にいえば切り口の違いに過ぎない。国指定・選択は、日本列島という枠組みで民俗学的位置づけができたものであり、都道府県指定や市町村指定も各地域で民俗学的位置づけが明確になったゆえに保護の対象とされたのである。ちょうどイチローの日米通算安打記録とピート・ローズのメジャー通算安打記録のようなものである。評価する土俵自体が異なるから優劣の議論自体不毛であろう。
この考え方を敷衍すれば、記載決定となった33件の「山・鉾・屋台行事」だけでなく、他の「山・鉾・屋台行事」も素晴らしいもので、今後も大切に守り伝えていくべきとなろう。今回の記載決定がいい意味でそれを後押ししてくれることを期待したい。
「山・鉾・屋台行事」の今後 ~観光・地域振興との関わり〜
無形文化遺産をめぐる世論は年々活発化している。1回目の記載決定時に比べ、今回の記載決定時は関係機関・団体だけでなく世間一般の反応も大きかったように思う。
その背景には二つの理由が考えられる。一つは先行する世界遺産ブームがある。周知のとおり、世界遺産は保存すべき文化(自然)遺産であると同時に、活用すべき観光資源としても注目され、世界中から多くの観光客が訪れ、受け入れ側も概ねこれを歓迎する傾向にある。無形文化遺産についても同様に、観光資源としての積極的利用を検討する地元自治体は多い。今回の勧告・記載決定時の報道でも観光資源としての可能性を指摘した記事が少なくない。
もう一つは2013年12月に「和食 日本人の伝統的な食文化」が記載されたことである※11。これによりそれまで一地域の盛り上がりに留まっていたものが、日本を挙げての大々的な盛り上がりとなってきた。
こうした状況は、無形文化遺産にさまざまな課題も投げ掛けている。端的にいえば、文化財保護よりも観光や地域振興との関わりで注目されてきていることである。こうしたある種の政治性は世界遺産でも同様で、問題もある一方で必要でもあることが指摘されているが※12、その点でこの機会に改めて考えたいのは、記載の目的は何かということである。それはいうまでもなく、しっかりと保存した上で、効果的に活用することである。すなわち、存続・継承を大前提としながら、存続・継承に支障のない範囲で利用されるべきであり、もう一歩踏み込んでいえば存続・継承に刺激を与えるような利用が求められる。観光や地域振興は、この点を自覚しつつなされるべきだろう。
「山・鉾・屋台行事」の今後 ~日本の文化財保護制度との関わり〜
こうした観光・地域振興との関わりとともに、日本の文化財保護制度との関わりでの課題もあることを最後に記しておきたい。
一つは、記載された33件については、日本・世界の代表例として、ある種の公共財的側面に留意した活動が必然的に求められ、それを避けることはもはや難しいということである。もちろん行事は、担い手なくして成立・存続できないから、一義的には担い手のものである。しかし同時に担い手だけのものでなく、経済学でいう「社会的共通資本」として、ある面で「みんなのもの」であるのが、重要無形民俗文化財であり、無形文化遺産なのである。担い手にはこの点の常なる自覚が求められる。
もう一つは、日本の無形の民俗文化財保護は道半ばということである。「山・鉾・屋台行事」だけをみても、全国に少なくとも1,500件以上あるといわれ※13、このうち重要無形民俗文化財はわずか2.2%の34件にすぎない。今後調査が進めば、新たな「山・鉾・屋台行事」が指定される可能性は高い。
あくまで個人的見解ではあるが、現状すぐ想起されるものでいっても、例えば滋賀・京都以外の近畿から中国・四国の瀬戸内海沿岸には、だんじり・太鼓台などと呼ぶ巨大な造形物を出す行事が数多くみられ、その現状や特色は未だ明確に把握されておらず、今後の課題といえる。
また局地的にみても、例えば福岡県には、重要無形民俗文化財の「博多祇園山笠行事」「戸畑祇園大山笠行事」があるが、いずれも旧筑前国の行事であり、旧豊前国の山笠行事の実態は十分把握されておらず、同じ旧豊前国の大分県側との関連も含めて検討課題といえよう。また旧筑後国の大蛇山と呼ぶ特色ある造形物のでる行事も実態の把握が不十分となっている。
このように今回記載決定した行事とこれから指定される可能性のある行事との関係は微妙である。記載決定した33件に新たなものを自動的に追加することはできない。後者を記載する手続きは現段階では全く不透明である。こうした状況下、改めて思い起こしてほしいのは、重要無形民俗文化財に価値的優劣はないということである。つまり後者もまた、日本の目録に掲載される以上、いずれは提案・記載される日がくるわけで、その日を夢見ながら存続・継承に意を注いでいただければ、国内での無形の民俗文化財への理解がより一層深まるのではないだろうか。