Vol.28
Vol.28
ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」を構成する
秋田県内の文化財
秋田県立博物館 主査(兼)学芸主事
はじめに
秋田県では、今回のユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に三つの祭礼が構成要素として登録されることになった。それらはいずれも各地域の風土を反映した独特の祭礼である。しかしながら、複数の山車を巡行する大規模祭礼を維持するのは容易なことではなく、これまでにも、各団体でさまざまな対策がなされてきた。
ここではまず、それぞれの祭礼の概要に触れた上で、祭礼を維持する上での課題や取り組み、無形文化遺産登録後の活動について、各保持団体から伺った内容をもとに述べていきたい。
角館祭りのやま行事
角館まつりのやま行事 佐竹北家上覧 提供:仙北市教育委員会
【概要】
「角館祭りのやま行事」(通称「角館のお祭り」)は、仙北市角館町で毎年9月7・8・9日に行われている。もともとは成就院薬師堂と角館神明社における別々の祭礼であったものが、明治時代以降、神仏分離などに伴い、合同で行われるようになった。
祭礼には、各丁内から「やま」と呼ばれる大型の曳山と、神明社や薬師堂、町の中心部に置山が出される。丁内から出るやまは、以前は担ぎ山であったが、大正時代のはじめ頃から現在の曳山に変わった。やまには「おやま囃子」を踊るための舞台と、松をあしらった大きな山、歌舞伎を題材にして作られた武者人形などをしつらえる。
祭礼の間、神社等へ参拝する日程が定められてはいるが、やまの巡行は各丁内に一任されている。このため、巡行の途中でやま同士が出合うこともあり、どちらが道を譲るか交渉が行われる。交渉が決裂すると、やまをぶつけあう「やまぶっつけ」に突入する。現在、この「やまぶっつけ」が祭礼の見どころとなっているが、本来は「やまぶっつけ」を行わず、各丁内の祭典行事を司る張番に礼儀を尽くし、無傷で自丁内へ帰ることが良い祭礼であったといわれている。
【これまでの取り組み】
祭礼を行う上での喫緊の課題は、祭礼の担い手不足と安全対策の2点である。現在、やまの曳き手が不足している丁内は、丁外からの助っ人を頼んでいるところも少なくない。祭礼の時のみの参加者が多いと、ともすると統率がとれず意思の疎通も図りにくくなる。このため、参加者には祭礼の本質を理解してもらい、伝統を守った上で、安全な祭礼を心がける必要が生じている。
その対策の一つとして、近隣の小中高等学校に出向き、祭礼ややまの曳き回しの説明を行って、祭礼についての共通認識を持たせる試みも行われている。また、1991(平成3)年に重要無形民俗文化財に指定されて以降「おやま囃子コンクール」(1975〈昭和50〉年以降中断していたものを復活)や「おやま囃子芸能発表会」を開催し、囃子と手踊りの技術向上も図っている。
土崎神明社祭の曳山行事
土崎神明祭の曳山行事 撮影:船木信一
【概要】
「土崎神明社祭の曳山行事」(通称「土崎神明社例祭」)は、秋田市土崎地区で行われている土崎神明社の祭礼である。以前は旧暦6月20・21日に行われていたが、現在は新暦7月20・21日に行われている。祭礼は、統前町と呼ばれる神明社の氏子町内を10地区に分けた組織が年番で運営を司り、毎年春頃からさまざまな神事を経て、7月20・21日に至る。
以前は置山と曳山、一時期は担ぎ山もあったと伝えられるが、現在は曳山のみである。各町内から出される曳山は毎年作り替えられる。曳山の前には木綿で高さ5mほどの夫婦岩を形作り、松や杉をつけたり、武者人形を飾ったりする。「見返し」と呼ばれる曳山の後ろの部分には、世相をユーモラスに反映させた人形を飾る。およそ30もの曳山が神明社からお旅所を巡行し、最終日の、お旅所から自町内へ戻る「戻り曳山」で祭礼の最高潮を迎える。約5カ月間に及ぶ祭礼までの数々の神事と、趣向を凝らした曳山の飾りには風流の要素も見られ、港町のにぎわいを反映した大規模な祭礼となっている。
【これまでの取り組み】
「土崎神明社祭の曳山行事」でも、「角館祭りのやま行事」と同様、祭礼の担い手不足が問題になっているという。そこで1997(平成9)年に重要無形民俗文化財に指定されて以降、小中学校で祭礼や囃子、踊りなどの講習会を行っているほか、教師向けの講習会も数年に一度行っている。曳山の曳き手が足らず、場合によっては他地区から曳き手を頼む町内もあるが、この場合、曳山を曳くのは土崎神明社の氏子でなければならないという決まりがあり、祭礼当日のみ参加することは許されていない。
曳山運行には危険が伴うため、安全対策についても特に注意を払っている。文化財指定後、「土崎神明社祭曳山実行規約」が作られ、曳山運行に関してさまざまな規定がなされた。例えば、曳山役員は自町内の人間でなければならないこと、曳山運行に関わる人には必ず災害保険をかけ、その名簿によって曳き手を把握することなどである。祭礼に関わる個々人に責任を持ってもらうためには、この祭礼が土崎神明社の神事であり、さまざまな約束事によって行われていることを理解してもらう必要がある。そのために、前述した小中学校への講習会の他、パンフレットやDVDなどを製作して祭礼に対する正しい理解を図っている。
花輪祭の屋台行事
花輪祭り ユネスコ無形文化遺産登録後に行われたパレード 撮影:藤井安正
【概要】
「花輪祭の屋台行事」(通称「花輪ばやし」)は、毎年8月19日から20日に鹿角市花輪地区で行われる祭礼である。もとは幸稲荷神社の祭礼であったが、1960(昭和35)年から神明社祭典と合同の祭礼として行われるようになった。
花輪ばやしの特徴は、「腰抜け屋台」と呼ばれる底板のない屋台の形態と、祭礼の運行に関して数え年42歳までの男性が取り仕切るという点である。20日未明に、神輿が町の中心部にあるお旅所から「枡形」と呼ばれる町外れまで移動すると、各町内の屋台も夜明け前から枡形へ集結し、神輿の前で各々の得意曲を披露する。これを「朝詰め」といい、20日深夜には、幸稲荷神社の鳥居前で還御する神輿へ向け、「赤鳥居詰め」といわれる儀式が行われる。また、屋台運行の節目に交わされる「サンサ」と呼ばれる手締めの仕方なども、この祭礼独特のものである。
【これまでの取り組み】
「花輪祭の屋台行事」は、今回の三つの祭礼の中で最も新しく、2014(平成26)年に重要無形民俗文化財になった。文化財指定以前から、花輪でも祭礼の担い手不足が問題になっていたという。花輪は尾去沢鉱山から産出された鉱山や物資などを仲介する商業地として栄え、祭礼にも多くの人が参加していたが、鉱山の閉山に伴い、祭礼の担い手が不足して他集落から屋台の曳き手を頼むようになっていった。
このため、昭和60年代には、小中学生に囃子の講習を行ったり、「子供パレード」と称するイベントを行ったりして、祭礼の担い手の育成に励んできた。これらは現在も継続して行われている。そのほか、ガイドブックやパンフレットの作成、フォーラムや講演会なども積極的に行って、祭礼の維持や安全対策に努めている。
祭礼の担い手育成の他にも、文化財指定後には各町内の屋台修理事業にも着手し、2016(平成28)年度には谷地田町の屋台修理が行われている。
ユネスコ無形文化遺産登録後の取り組み
県内各地で行われている祭りや行事などは、人口減少に伴う担い手不足が深刻な問題になっており、今回登録を受けた三つの祭礼についても同様のことがいえる。ユネスコ無形文化遺産登録は明るい話題であるが、各団体が抱える問題がすぐに解消できるわけではない。しかしながら今回の登録が、各祭礼の伝統を再認識するきっかけになり、伝統を守りながら祭礼を次世代に伝えたいという思いを強くしたことは、今後祭礼を維持していくための指針になったといえる。
今回の登録を受け、三つの祭礼の保持団体では連絡協議会を組織したいと考えているという。お互いの問題を話し合ったり、祭礼に対しての共通理解を図ったりすることによって、いずれは県内の他の祭り行事の支えとなるような基盤にもなればと願う。
また、近年では担い手不足を受け、女性も山車の運行に参加しているが、まだ祭礼の執行に係わる役員は誕生していない。恐らく今後はこうした点についても変化が見られると思う。今回の登録を受け、伝統を守りつつも新たな取り組みに挑戦し、世界へ発信する祭礼になることを願っている。