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まちあるき

旧東海道のまちを歩いてみた

~ある発掘調査員の休日~

このクボミは何だ!? 神社で見つけたナゾの窪みと篝火を焚く設備。ナゾを調べるもよし、ナゾのままで妄想を楽しむのもよし。(以下画像全て筆者撮影)  

地中に埋もれた古の人々の暮らしや当時の自然環境など調べ、次の時代につなげる発掘調査。その仕事を専門とする発掘調査員は、全国各地の現場に赴き、持てる専門技術と知識、そして滞在するその土地への好奇心と興味を発揮します。
まちで歴史の足跡を発見したときの喜び、小さなトキメキを、三重県に滞在している文化遺産の世界のメンバー山崎研究員に、目に映ったまま、感じたままに綴ってもらいました。

 

のんびりゆったりとしたお散歩コラムです。

三重県三重郡朝日町というところ

いなべ市北勢町塩崎にある「空畑遺跡(そらばたいせき)」の発掘調査のため、三重県に来ています。
およそ3か月滞在する宿舎の前の道が「旧東海道」と知りました。現場からは車で1時間ほどの三重郡朝日町です。起点の日本橋から42番目の宿場町桑名宿と、43番目の四日市宿のちょうど中間あたりに位置しています。

東海道(桑名方面へ)

東海道(四日市方面へ)

目の前の旧東海道の道幅は約5m。ぶらぶらと歩いてみると、側溝の水はきれいで、小魚が泳いでいる姿も見ることが出来ました。この道を朝日駅方面に歩き、JR関西本線の踏切を渡ると井後神社(いじりじんじゃ)がありました。

参道入り口、はじめの鳥居

いくつか鳥居をくぐり、石段を登ると随身門がありました。左右に武者像があります。

門には「山城門」と額がかかっていました。

随身左像

随身右像

再び石段を登ると右手に「力石」と書いた木柱と石がありました。

木柱には明治、大正などの文字が読めました。石はかなり重そうです(当たり前ですが…)。

さらに石段を登り、鳥居をくぐると拝殿のある場につきました。

拝殿前の右側には「神馬」の石彫があり、左手の奥には由緒書の石碑がありました。

拝殿前の神馬像

◆井後神社由緒記◆當社は壱千有余年前の御創建にかかり髙龗神と稱し俗に貴船大明神とも稱し奉る 延喜式神名帳に朝明郡二十四座の内 井後神社とあり三國地誌勢陽俚諺古屋草子式内案内記北勢古志徴古録等何れも朝明郡柿村と記される。往昔井戸後御鎮座にて今村の氏神なりしが安永年間當時今村は柿村に併合され其産土神となれり旧本社井戸後の地は周邊沓に圍繞された低濕地にて排水の便よろしからず常に民家から瞰下される位置にあり尊嚴風致上好ましからず本社と隔絶の景勝地柿村城之廣山頂に無格社山神社祭神大山祇神が鎮座されていた。明治年間の合祀にて髙龗神と共に祭神建速須佐之男神を城之廣大山祇神境内に遷座奉齋す其後護国神霊も併せて奉祀し奉る多賀大社祭神伊邪那岐神伊邪那美神も伊後神社境内に攝社として奉祀され以後延喜式内社伊後神社と稱号し奉る

石碑の手前には、径4mほどの円形のくぼみがあり、奥には篝火を焚く施設と薪が積んでありました(記事トップの画像です)。このクボミ、何かの行事・祭事が行われた後でしょうか…。気になります。

 

そんなことを思いながら、ツクツクボウシが鳴く中を一人、参拝をしました。

朝日町立歴史博物館

神社から7.8分ぶらぶらと歩いたところにある、明るくきれいな資料館。入館無料で図書館も併設しています。

発掘調査で発見された白鳳期の寺院跡「縄生廃寺(なおはいじ)」の展示が目を引きました。

 

縄生廃寺は7世紀末~8世紀初頭の造営といわれています。館内には塔の心礎から発見されたガラス製の舎利容器、三彩椀、また発掘調査により、倒壊したままの状態で検出された屋根瓦の剥ぎ取り復元も展示されていました。床にガラスが張ってあり、その下に発掘当時の姿が見ることが出来ます。

 

江戸時代の 旧東海道を再現しているジオラマもあり、名物の焼き蛤を売る人の姿もあって楽しめました。

 

とてもよい歴史博物館でした。

 

(文・画像:山﨑 良二)

■井後神社
三重県三重郡朝日町大字柿2567

■朝日町歴史博物館
三重県三重郡朝日町柿2278
http://asahitown-museum.com/