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日本遺産を訪ねる~ 居館遺跡と鵜飼と「熟れずし」

編集員のゆるゆるコラム

岐阜城から 眼下に長良川 かなたには伊吹山 (撮影筆者 以下同)

オリンピック招致のプレゼンテーションで注目された「おもてなし」。それは、訪れる人を心から慈しんでお迎えすること、と世界に紹介されました。ゲストに心を寄せ、ゲストの喜びを第一に考える…… そんな繊細な気遣いを、戦国時代に”魔王”と恐れられた織田信長が行っていたのをご存じでしょうか。

 

日本遺産『「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜』を訪ねました。

遺跡から明らかになる 信長の「おもてなし」

信長が金華山の岐阜城に居を構えたのは足掛け10年。この間には、宣教師をはじめさまざまな客が訪れ「地上の楽園」という信長の居館のすばらしさ、そこで受けた感動の「おもてなし」を書き残しています。

 

それらによると、信長みずからが庭や屋敷内の案内を行い、客によっては膳を運んだり、山頂の天守へいざない、眺めを見せることもあったようです。豪華な宴席はもとより、西洋人に肉を食べる習慣があると聞くと、彼らのために庭園内で飼育していた鳥(観賞用?)で料理を用意したこともありました。ある時には息子たちに給仕を命じ、自分も客のご飯のおかわりを請け負うという、令和・平成ならまだしも昭和の家長(主にお父さん方)でも驚きの「おもてなし」をしていたのです。

 

こうしたエピソードを現実的なものにしたのは、1984年(昭和59)から始まった、信長の舅、斎藤道三も暮らしたと伝わる金華山山麓、槻谷(けやきだに)の発掘調査でした。見るものを圧倒する巨石を使った石垣や、金箔を施した豪華で繊細な意匠の飾り瓦などが発見されたのです。信長の居館はおもてなしの場、迎賓館のようなものだったことが考えられ、研究がすすめられました。

槻谷(けやきだに)の居館跡遺跡。

発掘調査は断続的に2017年(平成29)まで行われ、白い小石を敷き詰めた美しい池や、巨石を配した庭園、その間に建っていた建物がどういったものだったのかなど、次々と明らかになっていきました。2013年(平成25)の調査では谷間の自然を活かし、巨大な岩肌を流れ落ちる2本の滝も見つかりました。

岐阜公園入口にある『日本遺産・信長居館発掘調査案内所』では、こうした調査研究の最新情報を展示・解説しています。また、発掘現場で調査結果をもとに造られたVR画像を楽しめるよう、内蔵したタブレット端末の貸し出しをしています。

VR画像が描き出した槻谷の居館は、美しい庭園に檜皮葺の数々の建物が建ち並びます。中でも濃姫の館にはその棟に金箔を施した菊と牡丹の飾り瓦が使用され、太陽でキラキラと輝いています。建物をつなぐ廊下は、大きさや高低差を利用して桟橋状になっていたり、岩肌に沿った懸造(がけづくり)になっていたりと、想像をはるかに超えたスケール!まさに「地上の楽園」を体感させてくれました。

そしてさらに、現場でむき出しになっている自然と、VR映像を重ね合わせていると、「あそこに石を置き、あの谷には橋を架けよう…」と、完成像を頭の中に思い描いてワクワクしている、この地にやってきたばかりの信長の気持ちにもなりました。「現場」ならではの醍醐味です。

長良川で受け継がれる 信長の「おもてなし」

信長は長良川で夜ごと行われる鵜飼漁でも客をもてなしています。鵜を操る漁師を鵜匠と称し、禄を与えて保護をしました。現在、岐阜のまちには6名の鵜匠が伝統の漁法を守っています。

観覧船の前を女性が舞う「おどり船」が漂う

篝火と鵜匠

鵜匠の住むまちで見かけた鵜の瓦

観覧船

のちに徳川家康も長良川の鵜飼を楽しみ、江戸時代には米と塩で漬けた「鮎鮓」が、将軍の献上品になりました。毎年5月から8月に10回、ちょうど熟れて食べごろに江戸に着くよう、日程は必ず5日と決まっていたそうです。

伝統の味にチャレンジ「熟れずし」

長良川近くの伝統料理店で、「熟れずし」の土産用パックを手に入れました。「鮎鮓」と同じように米と塩だけで漬けていますが、秋口の子持ち鮎を使い、じっくり1年かけて熟成させたものなので、将軍献上品と同じものではありません。現代風においしくアレンジされているとわかっていても、発酵食品に挑戦するのはちょっとした勇気がいります。パックを開ける時に指についた汁を、恐る恐るなめてみると……

 

「うまみ!」

 

うまいと味を感じるより先に、圧倒的なうまみ成分の存在感!いるいる、うまみ。

舌の上には塩の刺激とともに、さわやかで香ばしい香りがひろがりました。身はたっぷりと脂が乗ってトロリと溶け、皮はコリコリ。私の人生で食べてきたものの記憶をたどると、ミミガー(沖縄の郷土料理)と似た食感に思えました。新鮮な鮎だけが持つ、どこか気品のある味と香りが口に広がり、生臭さ、青臭さはみじんもありません。

おすすめの「ほうじ茶の茶漬け」にすると、ほうじ茶の香ばしさも加わったためか、身に纏っていた”もろみ”を脱いだ鮎は、採れたてをこんがりと炭火焼きにした、まさにその風味があって驚きました。

 

鮎はとても痛みやすい食材。ところが鵜飼で捕った鮎は一匹ずつ丸呑みして瞬殺されるため、ほかの漁法に比べて格段に鮮度が落ちないそうです。鮮度抜群ならではの豊かな風味を、米と塩でギュッと閉じ込めた「熟れずし(鮎鮓)」で、代々の将軍は長良川に思いを馳せていたのかもしれません。

さらなる発見と新たに語られるストーリー

「熟れずし」は時間をかけたおいしさと、時間を感じさせない新鮮さを驚きとともに楽しませてくれました。

驚きと感動、それは信長のおもてなしであり、時を超えて戦国時代の城下町の姿を今も残し、伝統文化を今に伝える岐阜の持つ魅力と共通していると感じました。

 

山麓居館では、信長以前、斎藤道三やその前の太古の人々の足跡も見つかっています。そして山頂でも…。今後さらに調査がすすめば、また新たな驚きと感動に出会えることでしょう。

 

(文・撮影:宮嶋尚子)

取材協力
岐阜市 ぎふ魅力づくり推進部 文化財保護課 髙橋方紀さま

参考資料
・別冊歴史読本 改訂版岐阜信長歴史読本
・日本遺跡学会 遺跡学研究 2019第16号
・日本遺産ポータルサイト https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/


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