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建築

江差の旧家にみる「ハネダシ」と防災の備え

金 玟淑 / KIM Minsuk

京都大学防災研究所 民間等共同研究員
日本ミクニヤ株式会社

写真1 傾斜地を利用して階段状に建てられた旧中村家住宅 以下、撮影はすべて著者

毎年5月になると、春の心地よい風に揺られながら透き通るような空を気持ち良さそうに泳ぐ鯉のぼりを日本全国で見かける。しかし、鯉のぼりの代わりにニシンのぼりが遊泳するまちが北海道にある。「江差の五月は江戸にもない」と謳われるほどかつては北前船によるニシン(鰊、鯡)や加工品の交易で栄えた江差町である。町名はアイヌ語のエ・サ・ウシ・イ(頭が浜へ出しているもの)から由来しており、岬の地形から付いた名前である。今回は江差の地形と産業から形成された建築とそこから読み取れる防災の備えについて紹介する。

江差の町並み

かつてニシン漁とその加工品の交易によって形成された江差の町並みは、海岸線に沿った段丘の下に切妻造の屋根が道路を挟んで建ち並ぶ(写真2)。海側の建物は土地の傾斜に沿って基礎も棟も段々と下がる構成である(写真1)。

 

ニシン漁がいつから始まったかは不明であるが、本格的に始まったのは江戸時代と言われる。今は陸地と繋がっているが、江差の沖にある鴎島(写真3)が昔はそのニシン漁や北前船交易の舞台であった。鴎島はかもめが羽を広げたような形をしているところから「かもめじま」という名が付いたが、元々は「弁天島」と呼ばれており、天然の良港を築いていた。

 

ニシン漁で大いににぎわい繁栄した漁場経営者たちは豊富な資金を利用し、母屋を中心とする番屋、蔵などの大規模な施設を沿岸各地に建設した。江差の旧海岸沿い(今は埋め立てられている)にも多くの網元建築が建てられた。

写真2 江差の町並み

写真3 陸地からみた江差の沖の鴎島

江差の二大旧家

江差には能登商人が移住して建てた「江差姥神町横浜家住宅」(道指定有形民俗文化財)と近江商人が建てた「旧中村家住宅」(国指定重要文化財)がある。

 

横浜家は明和6年(1769)に能登半島から初代宗右衛門が江差に渡り、文政5年(1822)から現在の場所で商いを続けている。漁業、廻船問屋、商業を営んだ家で、今の建物は約160年前に建てられた。ウナギの寝床のように細長い敷地に表から母屋、4棟の土蔵(文庫蔵、二番蔵、三番蔵、四番蔵)と通路の通り庭が傾斜地に沿って続き、その先の一番奥(海側)にもまた「ハネダシ」という倉庫建築がある(写真4、写真5、写真6)。

写真4 網元建築(横浜家)

写真5 通り庭と土蔵群(一番奥が文庫蔵)

写真6 国道からみる横浜家住宅の「ハネダシ」と表に向かって連なる土蔵群

旧中村家住宅は海産問屋で回船業も兼ねていた商家の建物である。明治時代は近江商人の大橋宇兵衛が所有していたが、大正4年(1915)に同じ近江出身の中村米吉が譲り受けた。横浜家住宅と同様、細長い敷地に表から「主屋」「文庫倉」「下ノ倉」「ハネダシ」という4棟が一列に連なっている(写真7)。「主屋」と「文庫倉」は明治20年ごろ、「下ノ倉」は江戸時代末に建てられた。「ハネダシ」は昭和56年に修復した建物で、その前を昭和40年代に埋め立てられた国道が通っているが、昔は海であった(写真8)。

写真7 表通りからみた旧中村家住宅

写真8 国道(昔は海)からみた旧中村家住宅のハネダシ

ハネダシと穴

「ハネダシ」(写真6、写真8)は江差を中心に北海道の西海岸に発達した特殊な倉庫建築を指す。西海岸は海岸段丘が海に迫り、平野が乏しい地域であるため、狭隘な宅地や浜と宅地の高低差が大きいなどの制約から生まれた建物である。

 

高床式倉庫とも見える「ハネダシ」は、元々砂浜に太い大きな掘立て柱を立て、二階が宅地からはみ出して建てられたことから「ハネダシ」という呼称が付いたという。海へ向けて門のある一階を「穴」といい、二階を「ハネダシ」という(写真9)。「穴」は元々海に直接張り出していた。しかし、昭和40年代の国道新設のための埋め立て工事により周囲の嵩上げが行われたため、1階部分は一部埋没したかのように見える(写真10)。「ハネダシ」には沖の様子を見る物見用の小窓が付いており、二階下見板には来航する船からでも認識できるように各家の屋号が大きく付けられているのが特徴である。

写真9 ハネダシ模型(旧中村家住宅に展示中)

写真10 一階の「穴」の入口(旧中村家)

用途は家業によって異なる。問家や海産商などの商家では荷物の積降しの時はハネダシのそばまで弁財船や艀(はしけ)が入って、一階から倉庫に通ずる階段に歩板を渡して荷役する(写真11、写真12)。また、漁家では一般的には一階は漁具庫として、二階は番屋(倉庫や仕事場)として使用したようである。

写真11 海側から表通りへと段差を活かしてつなぐ通路(旧中村家住宅)

写真12 荷役のための歩板を渡している様子(横浜家住宅)

防災上の知恵

昔は非常に火事が多かったようで、防火用のわらじ、鳶口、バケツ等がたくさん残されている。また、火元の近くには火除けの札である「火用慎」「火の用心」が貼られており(写真13)、火事の時に貴重品を持って逃げるための桐でできた背負い金庫なども現存していることが確認できる(写真14)。

写真13 「火の用心」(横浜家住宅)

写真14 非常時の持ち出し金庫(横浜家住宅)

その他、建築的な工夫もみることができる。

江差の夏季は比較的冷涼で、冬季は対馬海流の影響で比較的温暖である。しかし、冬には降雪量は多くないが、「タバ風」と呼ばれる北西からの強風が吹く。そのため、昔は「タバ風」から家屋を守るため、アシやオオイタドリなどの植物を束にして防風壁を作っていたようである。江差の二大旧家の土蔵の外側は雪や風から建物を守るために「野鞘(のざや)」と呼ばれる外囲いが蔵の上から覆っており、連なる土蔵群の外観だけでも見応えがある(写真4、写真7)。

 

一方、内部をみると、旧中村家住宅では火災が起きても類焼しないように建物と建物の間には間隔を空けて別棟として建設しているのが特徴である(写真15)。

写真15 棟と棟の間の隙間(旧中村家住宅)

写真16 通り庭にある採光用の高窓と土蔵の窓扉の開閉のための滑車(横浜家住宅)

防火、防湿、防盗構造として建てられる土蔵は、扉・窓とも頑丈に作られているが重いため日々の開け閉めが大変である。他の地域でもみることができる生活の知恵が江差にもある。窓扉の開閉を容易にするために滑車を設置し(写真16)、入口の重い土の戸を動かすためには建具の溝に木のコロが入ったそろばんレールを設置している(写真17)。

写真17 そろばんレール(旧中村家住宅)

おわりに

見知らぬ土地でまちを歩いていると、「変わった建築だな」と思う建物に出会うことが多い。まちがすっかり姿を変えてしまっても建物を観察してみれば、昔の痕跡がどこかには残っている場合もある。今回紹介した「ハネダシ」もその一例である。建築を通して海とともに生きていた地域の原風景を是非想像してみて頂きたい。

参考文献・Webサイト
「江差町の日本遺産認定」パンフレット
「江差町の認定ストーリー」パンプレット
江差横浜家ホームページ、http://yokoyamake.jp/
旧中村家住宅(文化遺産オンライン)、https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/187873

公開日:2020年5月8日最終更新日:2020年5月8日

金 玟淑キム ミンスク京都大学防災研究所 民間等共同研究員
日本ミクニヤ株式会社

1975年韓国統営市生まれ。2007年、早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程修了。博士(建築学)。大学院で建築史学・文化遺産保存学を専門としていたこともあり、卒業後は立命館大学歴史都市防災研究所で文化遺産防災学に係る調査研究活動をした。2014年より現職にて日本の沿岸地域を対象として事前復興まちづくりに取り組んでいる。

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