コラム

HOME /  コラム /  「見えない考古学」展と古代エジプトの木工

建築

「見えない考古学」展と古代エジプトの木工

西本 直子 / Naoko NISHIMOTO

武蔵野大学建築研究所客員研究員、一級建築士事務所クロノス主幹

写真1 "Archeologia Invisibile" 展会場入口 @ MuseoEgizio

イタリアの古都トリノにあるトリノエジプト博物館(以下、トリノ博物館)は、『トリノ王名表』(歴代の王名が記されたパピルス)などエジプト学の重要な遺物を収蔵する世界屈指の博物館である。2015年に大胆なリニューアルを行い、以来ワークショップや展覧会で積極的に発信を続けている。ここでは先進技術を用いた直近の企画展“Archeologia Invisibile(見えない考古学)”を報告したい(写真1)。会期は2019年3月から2020年1月であったが、好評のため6月まで延長されていたところ、2月にコロナ禍で一時中断されていたが、その後9月30日までの会期で展示が再開された。筆者は2000年から、同博物館の目玉の収蔵品として知られるカーとメリトの木製家具の調査研究を続けており、この企画展においてもカーとメリトの墓(テーベ第8号墓。通称TT8)からもたらされた物品が大きな役割を果たしている。まずはご参考までにTT8のコレクションとその家具について触れておこう。

新王国時代、カーとメリトのコレクションとその木製家具

写真2 ディール・アル・マディーナの職長カーとその妻メリトの墓(テーベ第8号墓)を前庭から見たところ。ピラミッドの頂部は壊れている。1999年撮影 @naoko nishimoto

エジプト学者としてはじめてトリノ博物館館長となったエルネスト・スキャパレッリは名門の家系で、火星研究で有名な天文学者、ジョバンニ・スキャパレッリをはじめ学者がこの家系から多く輩出されている。シャネルとしのぎを削った天才的服飾デザイナー、エルザ・スキャパレッリはいとこであった。彼はエジプトで10ヶ所の発掘調査を行ったが、その中でも1906年に王墓と王宮の造営に携わる職人が集住した町、ディール・アル・マディーナで、新王国時代・第18王朝(前1350年頃)の職長(建築家)カーとその妻メリトの墓を、未盗掘の状態で発見した功績が大きい(写真2・3)。当時の研究者たちが重要と思われる遺物だけを収集したことに引き比べて、スキャパレッリは被葬者の遺物を、宗教や政治に直接関わらない些細なものも含めて一切を収集したことが功を奏し、人物研究がなされる際には無二の資料となっている。古人は永遠を願う建築やステラ(碑板)に石を重用し、日常では木を愛用する傾向があったため、トリノ博物館には多数の木製遺物が収蔵される結果ともなった。TT8のコレクション約400点には、死者の書のパピルスや木棺などの儀式的遺物、カーの職能を反映するキュービット尺(物差し)や筆入れなどの作業道具、杖、土器、金属器、下着も含めた衣服、メリトのかつら、身繕いの道具などの生活用品、そのほか驚くことに墓入口の木製扉と扉枠なども含まれている1)。その中でも特筆すべきは質の高い木製家具一式(寝台・座家具・収納箱・卓・壺立て・足台など約40点)で、エリート層に属する者の生活を等身大で伝えており、古代エジプト家具の最高峰とされるトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王の家具一式(カイロ・エジプト博物館蔵)と双璧をなすコレクションである(写真4)。

写真3 トリノエジプト博物館、新王国時代の職長カーとその妻メリトの墓(TT8)の副葬品一式の展示風景 @MuseoEgizio

写真4 トリノエジプト博物館、カーとメリトの寝台と枕、トラスを持つ腰掛け @naoko nishimoto

砂漠に木製家具?と思われるかもしれない。環境考古学によりサハラ砂漠は古代エジプト王朝が成立する前は森林であったことが知られ、王朝が成立した初頭にすでに木工道具の基本が出揃っていることからしても、彼らはかつて森の民であった可能性が高い。砂漠化した王朝期は東地中海やナイル川上流に勢力を拡げ、レバノンスギなどの良材を調達しては船や建築などを作ったが、新王国時代になると製作した木製家具は諸外国への交易品となり、彼らの木製家具が広く国外でも認められていたことが分かる2)

 

地上にあった木造建築は失われたが、砂漠の地下墳墓に保存されたことにより、船・武器・木棺・彫像・家具・模型・化粧道具・ゲームなど古代エジプトの多様な木工が、他の文明では叶わないほぼ完璧な姿で残されている。これらの中でも家具は生活用具であると同時に地位や豊かさの象徴ともなっており、様々な機能を満たす高次で複雑な意匠が観察される。木材が貴重であったために材の再利用もなされた。木目を愛でることも行われた。身体の快適性も追求した座家具の意匠は古びることがなく、H.ウェグナーなど現代家具作家を魅了し続けた。古代エジプトの家具は最古の優れた木工である。約3000年に亘りひとつの文明下で育まれた意匠の変遷が見られる点も重要である。人類の木工意匠の歴史を遡れば、古代エジプトの家具は無視できない存在となる。

 

エジプト学は永らく文献学が中心で、これまで木工意匠に踏み込む研究は少なかった。しかし近年、デンドロクロノロジー(年輪年代学)を援用する試みや、樹種の同定の技術が進み、2020年にはイギリスで初めて国際木工会議が企画されて、エジプト学においてようやく木工研究の場が開かれる兆しがある。木工を多く収蔵するトリノ博物館にとって木工研究は見過ごせないテーマで、20世紀末から木棺の作り方の調査などが一部報告されていたが、本展では本格的な分析の成果が発表された。また2024年の設立200周年に向けて、カーとメリトの遺物の研究成果を纏めるTT8プロジェクトが立ち上げられたところである。

企画展“Archeologia Invisibile”(見えない考古学)

考古学研究には調査が遺物を破壊する、というジレンマがある。この展覧会は先端の写真撮影技術を活用して、肉眼で見えないものを可視化する夢のような非破壊調査の試みであった。展示はTT8の遺物を中心として、最後に2013年にバティカン木棺会議でも発表された第3中間期・第21王朝(前1070年頃)の木棺の作り方を示す動画で締めくくられる構成だった。Ch.グレコ館長は博物館の不変の役割は研究であり、科学と人文学の連携の必要性を謳った。入口脇の世界地図には欧米の博物館、ミラノ工科大、トリノ工科大、イタリア学術評議会、MIT、ISIS(イギリスのパルス中性子施設)など多数の協力機関がプロットされ、日本からは武蔵野大学も記された。

 

深い青を基調とした会場に、最初に、館が関わるサッカラの発掘現場を記録したフォトグラメトリーが紹介された。脇では1910年頃のスキャパレッリの発掘現場写真を、双眼望遠鏡に見立てた穴から覗き見る趣向が子供たちを喜ばせていた。非破壊調査の最初は、カーとメリトのミイラのレントゲン(X線)写真であった(写真5)。透視によって、装身具をたくさん身に着けている点が確認される。ディスプレイでは、それぞれ黄色や空色で着彩して金とファイアンスであることが伝えられていた。カーは拳ほどのスカラベ型ペンダントや、耳輪、首輪、腕輪を装着し、メリトは繊細な襟飾りを着けていた。3Dプリントによる実物大の樹脂製モデルも展示され、その美しさを想像して皆見入っていた。骨格や内臓の画像からは体格や生前の疾病が分かったという。

写真5 "Archeologia Invisibile" 展のカーのミイラのレントゲン写真展示 @MuseoEgizio

次は4種類の電磁スペクトルによる写真を用いた絵画分析だ。カーとメリトは、ほぼ同寸同形ながら作りや絵付けが異なる8つの家型宝箱を所有した。宝箱のひとつ(収蔵番号S.8212)に描かれた「捧げ物のシーン」が、分析の対象となっていた(写真6)。UV(紫外線)とIR(近赤外線)により塗膜の下に隠された線や痕跡を探るが写真に目立った痕跡はみられないようだ。また、VIL(visible-induced luminescence)は史上初の人工塗料と言われるエジプシャン・ブルー(CaCuSi4O10)に反応する。S.8212でも随所に反応が見られる。MA-XRF(macro X-ray fluorescence)は化学成分の違いを示し、黒絵の具の顔料で、絵画には炭素を、ヒエログリフには酸化マンガンを、それぞれ使い分けていたことが分かったらしい。酸化マンガンの方が細線や点が綺麗に描けるとのことである。同じ職人が使い分けたか、あるいは作業分担がなされたか。トリノ博物館では職人の町、ディール・アル・マディーナの国際ワークショップを開始している。未だ知られない職人の実態の解明が待たれる。

写真6 カーの家型宝箱S.8212と箱に描かれた「捧げ物のシーン」の可視光線による写真 Courtesy of The Centre for Conservation and Restoration in Venaria Reale: https://www.centrorestaurovenaria.it/en.

2018年冬、嬉しいことにグレコ館長から宝箱S.8212の展示のために実大模型作成への協力依頼があった。S.8212は作り方が木棺と共通する特徴があり、棺に着目しているトリノ博らしい選択と思われた。早速S.8212の調査結果を纏めた3Dデータを送ったところ、数度の質疑があったが、仕上りが懸念される内容であった。また筆者の分析方法は素朴で、先端技術を駆使した本展での扱いが心配であった。このため同年末に展示への注意書きとして主に木釘の長さの推測部分を細かく書き添えて、X線撮影の必要性なども書き送った。企画展が始まった時には急いでイタリア行きの飛行機に乗り、不安な面持ちで会場に入ったが、それまで抱いていた心の重しは杞憂であった。筆者の送った注意書きが壁面に大きく印刷されていたのには苦笑した(写真7)。

写真7 "Archeologia Invisibile" 展における、カーの家型宝箱S.8212の木工分析展示と筆者の送付した覚書 @naoko nishimoto

この他、中性子断層撮影法によるカーのアラバスター製壺の中身の成分分析や、パピルスや壁画などの調査も報告された一方で、織物に有効な非破壊調査方法が今回はみつからなかったことも報告された。

 

最後の展示室は、約4メートル四方のこじんまりした空間である。中央に人型木棺が横たわっていた。ラメセス11世に仕えた書記、ブテフアメンの木棺である(写真8)。近寄ると3Dプリンターで作られた人型棺の型をスクリーンとしてプロジェクションマッピングがなされていた。左右の壁に設置された大型液晶画面と共に3つの異なる動画がシンクロして、約8分で棺の制作過程を鑑賞することができた。これまで目にしたX線や電磁スペクトルの非破壊調査が十全に活用されていた。人型の複雑な曲面を形成する木組みや、それを接合する長い木釘が分解図で示され、絵画の描き直しの痕跡や寸断された部材を示しながら、木棺が実は別の棺の再利用材で作られたことが理解できた。製作プロセスを実物大で見せる動画には臨場感があった(写真9・10)。

写真8  "Archeologia Invisibile" 展でブテフアメンの木棺の絵付けの過程を示す展示風景 @MuseoEgizio

写真9  "Archeologia Invisibile" 展カタログに掲載されたブテフアメンの木棺の木工分析図 Courtesy of The Vatican Museums Diagnostic Laboratory for Conservation and Restoration:  http://www.museivaticani.va/content/museivaticani/en/collezioni/ricerca-e-restauro/laboratorio-di-diagnostica-per-la-conservazione-e-il-restauro.html

写真10 "Archeologia Invisibile" 展でブテフアメンの木棺の木工分析を示す展示風景 @MuseoEgizio

先進技術と木工意匠研究:木工の普遍性はあるか?

先端写真技術により最も進展が期待されるジャンルのひとつは木工意匠史の研究であろう。木工意匠は木を組んで接合する技術(継手仕口)に大きく左右される。継手仕口の分析は木厚中の木組み形状を知ろうとするもので、遺物を破壊できない状況下で、素朴な観察による分析が行われてきた。まさに見えない考古学である。

 

これまでの素朴な方法を整理してみる。木の性状とそれを扱う人類の木工の知恵の普遍性が前提である。エジプト学で、壊れた遺物の接合部なども対象にして確認された継手仕口は、突付継・殺ぎ継・留継・相欠継・ホゾ継・蟻継・実継・輪薙込み・契・雇い、など日本の継手仕口の基本形としても見られる。材の乾燥収縮への細かな配慮など、時間も空間も遠く隔たった古代エジプトと日本の木工に見られる共通点は普遍の木工を示唆するかのようである。外観の接合線を観察し、接合部が求める美的・力学的要求、使用樹種についても調べる必要がある。そしてそれらを勘案して接合線に当て嵌まる例証を選び出し、あるいは組み合わせて木厚内の木組み形状を推定する。例証探しにはエジプト学の蓄積と研究者の木工経験を総動員するが、筆者にはそれだけでは心許なく、同時にこの分野における日本の厚い研究の蓄積も参照している。引続き2つの木工を比較することを続け、人類の木工の普遍性を確認する仕事をこれからも行っていきたいと願っている。

  • Ferraris, E. 2018, La tomba di Kha e Merit, Turin, Museo Egizio.
  • Breasted, J. H. 1906, Ancient Records of Egypt, Chicago, University of Chicago Press, 66; Leospo, E. 2001, The Art of Woodworking, Turin, Museo Egizio, 18.

公開日:2020年9月7日

西本 直子にしもと なおこ武蔵野大学建築研究所客員研究員、一級建築士事務所クロノス主幹

和歌山市生まれ。1984年、早稲田大学大学院建設工学修士課程を修了。
芸術院会員(故)池原義郎のもと、ホテル・大学キャンパスなどの実施設計に携わった後、独立。2000年より欧米の博物館収蔵の古代エジプト家具の調査を継続し、近年は第3〜5回トゥトアンクアメン大エジプト博物館国際会議などで研究発表を行っている。主著:日本オリエント学会編『古代オリエント事典』(岩波書店、2004年、分担執筆)など。旧西本組本社ビルとあしべ屋妹背別荘(http://www.nishimoto-jp.com/imose/imose_index.html)の現オーナーでもあり、歴史的建造物の保存活用方法を探っている。