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オベリスクの切り出しと職人たちの工夫

安岡 義文 / YOSHIFUMI YASUOKA

早稲田大学高等研究所

アコリス周辺一帯の石切場では、地元の人々が「お金(fulūs)」と呼んでいるコイン状の貨幣石を多く含む石灰岩が産出される※1。特に、石灰と方解石結晶を多く含む白色の石灰岩は、アル=ミニヤから北へ約28kmのアル=サワイタ、南へ約10kmのワーディー・シャイク・ヤースィーンの範囲に限られ、それ以外の地域の貨幣石を含む石灰岩は、灰色や黄色をしていたり、方解石の結晶に乏しかったりする。事実、切り出したばかりのアル=ミニヤ周辺で産出された石灰岩の白色の輝きは、直視できないほど眩い。古代エジプトでは、建材としての石灰岩は、伝統的にカイロ近郊のトゥラ産のものが最高級品とされてきたが、地中海北沿岸の流れをくむプトレマイオス朝治世下において、アコリス周辺に分布する白く輝く貨幣石混じりの石灰岩に大理石に準じた価値が新たに見出されるようになったと推測される※2

ザーウィヤト・スルターンのオベリスク

写真1 未完成オベリスク 撮影:西本真一

写真2 つるはしを用いた掘削痕 撮影:著者

アコリスから南に20kmほど進んだところにあるザーウィヤト・スルターンの石切場。その崖際に横たわる未完成巨像から約40m離れたところに未完成オベリスクがある(写真1)。我々の調査では、年代を特定できる遺物は出土せず、オベリスクには文字も記されていないため、正確な年代は特定できない。ただ、つるはしを用いた掘削痕がみられること(写真2)、石灰岩でオベリスクをつくろうとしていること、1キュービットを6等分した尺度の使い方※3が実測値から窺えることなどの建築学的特徴によって、近くにある巨像や切石の採石と同時期と推定されるのみである。

 

以下に、調査の結果、興味深く思われた点を記す。

図1 未完成オベリスクの平・断面図  作成:著者

写真3 未完成オベリスクの先端部  撮影:著者

このオベリスクは、高さが20.77m、底辺幅が2.42mで、これを古代エジプトのキュービット尺に換算すると高さが39+1/3キュービット、底辺幅が4+1/2キュービットとなる(図1)。底辺幅と高さの比はおよそ1:8.5である。ピラミディオンの先端は、金属製のものを嵌め込む計画だったのか、それともオベリスクを切り出した後、ピラミディオンの勾配を緩くして先端を尖らせる予定だったのか、いずれにせよ先端部は水平に切られていて台形状になっている。

 

オベリスクを切り出す方法は、近くにある20m級の巨像や、花崗岩の石切場として名高いアスワーンの40m級の未完成オベリスクなどにみられる方法と共通している※4。すなわち、最終形の輪郭線やその中心軸などのガイドラインを刻線で印して、それにあそびを加えた一枚岩をいったん、岩盤から切り離し、加工作業の効率を高められる場所へ移してから、最終整形を行うというものである。このオベリスクの場合は、まずオベリスクを直方体に見立ててその周囲を掘り下げている(写真3)。注目すべきは、最終形のオベリスクの輪郭線とその中心線を刻線で印す際に、柱身上方に向かって逓減する2面を切り出す直方体の2面(地表面と側面)に合わせていることである。この方法は、あらかじめ柱身の2面の最終整形を切り出しと同時に行い、後の加工作業に要する時間を大幅に短縮させることを目論んだものであるが、同時に柱身やピラミディオンの底辺部の断面を幾何学的に制御することを妨げ、最終的にできたピラミディオンあるいはオベリスク全体が、左右対称ではなくなってしまう危険性を孕んでいる(写真4)。しかし、同様の片寄りが、古王国時代のヤシ柱(写真5)にもみられることが知られており、逓減の技法を用いて片側に寄せて効率的に切り出してから成形し、細く高い構築物を自立・安定させる実用的な方法が古来より採用されていた様子が窺える※5

写真4 カルナックのアメン大神殿のオベリスクにみられる片寄り 撮影:著者

写真5 サッカーラのウナス王のピラミッド複合施設の葬祭殿に建てられていたヤシ柱部 撮影:著者

切り出そうとしていたオベリスク端部の岩盤には、亀裂が走っており、一枚岩の巨石を切り出すことの技術的な難しさを物語っている※6。石材の規模が大きくなればなるほど、別々の場所で切り出される石材の形を一様に整えることは困難になるが、その一方で、両者の全体像を把握し、比較することも難しくなるので、実際の建造プロジェクトでは、少なからず「誤差」が許容されていた※7

 

我々の調査の結果、このオベリスク建造事業は、開始から1/8程度の掘削作業を終えたところで放棄されたことがわかっている。アスワーンのオベリスクのように致命的な亀裂が入っているわけでもないため、放棄の理由は、技術的問題以外にあったと考えられる。プトレマイオス2世時代に書かれた建築家クレオーンとその他の石切場関係者との書簡から、石切事業が途中で頓挫したことが少なくなかったことが知られるし、政治・経済的な問題に起因するものであったのかもしれない※8。また、神殿の入り口を飾るオベリスクは、対で建てられるのが常であるが、このオベリスクの相方は、未だ特定されておらず、限られた人数で1本ずつ切り出していく予定だった可能性がある。

 

このように、考古学的に無価値に見える遺構でも、建築学的視点からすれば、重要な史料的価値を持っていることがある。エジプトのオベリスクを目にしたときに、周りの人たちに不審者扱いされるまで、その周りをぐるぐる回って観察してみてほしい。オベリスクが、その理想形である正方形断面や四面一様に逓減する柱身とは無縁な個性派揃いであることに気づくだろう。そうして、立ち並ぶスフィンクス、柱、図像などにも同じものなど何一つないのだということが実感されたとき、古代の職人たちの工夫や苦心の痕が見えてくるだろう。

(注)
  • 貨幣石を含む石灰岩は、北はアル=ギーザやトゥラ辺りから南は、トゥーナ・アル=ジャバル辺りまで分布している。R. Klemm and D. D. Klemm, Stones and Quarries in Ancient Egypt, London, 2008.
  • アレクサンドリアのギリシア様式の建築においても、それまで地元でしか需要がなかった貨幣石混じりの白色石灰岩が数多く用いられており、需要の高まりが認められる。H. Fragaki, Un édifice inachevé du quartier royal à Alexandrie, Alexandria, 2013.
  • キュービットとは、肘から中指の先までの長さをもとに考案された、古代の長さの単位。古代エジプトのキュービット尺は、52.5cmに換算され、第30王朝時代までは7パーム(各7.5cm)によって構成されていたが、ヘレニズム・ローマ時代に入ってからは、キュービットを6分割(各8.75cm)して用いられるようになった。なお、プトレマイオス朝時代以降のキュービット尺棒の中には、54cmの例も見つかっており、単位長が若干長くなっていた可能性もあるが、本稿では52.5cmで計算した。
  • 遠藤孝治「未完成巨像の地下で発見された文字と赤線に関する建築学的考察」サイバー大学紀要 1 2009年, pp. 33-52; R. Engelbach, The Aswan Obelisk with some Remarks on the Ancient Engineering, Cairo, 1922.
  • R. Engelbach, “An Experiment on the Accuracy of Shaping of a Monolithic Column of Circular Section of the Vth Dynasty”, Annales du service des antiquités de l’Égypte 28 (1928), pp. 144-152; M. Isler, “The Technique of Monolithic Carving”, Mitteilungen des Deutschen Archäologischen Instituts, Abteilung Kairo 48 (1992), pp. 45-55.
  • 同様の傾向は、近くにある巨像などにもみられる。
  • ルクソール神殿の入口に対として立っていた20m級のオベリスクの対の高さには、2mほど差がある。また、テーベ西岸のメムノンの巨像は、北側の像が切石を積んでつくられており、新王国時代の最盛期においてでさえ、同じ規模の巨像を一枚岩で造ることの難しさと古代の人々が受け入れざるを得なかった妥協の跡がみられるのである。
  • B. van Beek, The Archive of the Architektones Kleon and Theodoros (P. Petrie Kleon), Leuven, 2017.

安岡 義文やすおか よしふみ早稲田大学高等研究所

2014年ハイデルベルク大学エジプト学研究所博士後期課程修了。Dr.Phil.(エジプト学)。古代地中海文明圏の建築・美術を研究している。2015年よりアコリス調査に参加。