Vol.34
Vol.34
来訪神行事の民俗的構成―東日本を中心に―
国立歴史民俗博物館 教授/総合研究大学院大学 教授
アマメハギ(石川県輪島市五十洲) 提供:輪島市教育委員会
はじめに
日本列島各地で、年のかわり目に異装の訪問者が家々を訪れ、戒告や祝言をなすという年中行事―ここでは来訪神行事とする―が数多く残されてきたことについては、さまざまな角度からの調査研究がある。特に折口信夫のいう「マレビト」のあらわれの一つとしたり、メラネシア・ポリネシア島嶼における秘密結社と連続させてとらえる考察※1が知られている。南西諸島における神観念の問題としての把握※2や、これらのうちでもナマハゲを民俗学初期の重要なテーマであった山人の系譜に位置づける試論※3もある一方で、近年でも詳細な調査報告※4が行われている。
ここでは東日本を中心とする事例に基づいた研究を通覧し、民俗儀礼としての性格、仮面をはじめとする異装の様相、さらにその基盤となる社会構成などを確認してみたい。
儀礼の構成
東日本のこの種の行事を「小正月のまれ人」として捉えた三崎一夫は、その構造を「小正月という重要な季節祭の夜に、高みにあるあの世から、神を表徴する仮面仮装をして村に群行し、女や子供を畏嚇し、村人から饗応を受け、加入儀礼の要素も包蔵されている」※5と指摘している。
もっともよく知られている秋田県男鹿半島のナマハゲは「ナマハゲの面」(写真1)を被るとされており※6、石川県能登半島のアマメハギも「鬼面」をつけるとする※7。つまり、この来訪者はごく大まかに言って鬼であるとされてきた。いずれも単独ではなく、複数での群行である点に注目すべきあろう。さらに、アマメハギは鬼とされるだけではなく、「赤鬼」「青鬼」に「神主」が加わる場合(輪島市大野町)や、「天狗」「ガチャ」「サル」(輪島市門前町皆月)、あるいは「天狗」「ジジ面」「ババ面」(輪島市門前町五十洲)とする場合※8など、単純に鬼ととらえきれない存在であることが知られる(写真2、3)。
写真1 さまざまなナマハゲの面 提供:男鹿市教育委員会
写真2 アマメハギ(輪島市門前町皆月) 提供:輪島市教育委員会
写真3 アマメハギ(石川県輪島市門前町五十洲) 提供:輪島市教育委員会
遠く離れた鹿児島県薩南諸島でも、トシドン(甑島)、ボジェ(悪石島)、沖縄の宮古・八重山諸島では、出現の季節は異なるが、アカマタ・クロマタ(西表島ほか)、アンガマ(石垣島ほか)など、仮面をつけることで異装を強調する例は枚挙に暇がない。この行事に現れる神は恐ろしい神であり「悪神」であるとされる。下野敏見は西日本のこの種の行事の構成を、節替わりに悪神がまず訪れ、人びとの歓待を受けて退去した後に善神による新しい年(節)がやって来ると整理している※9。
この行事については、異装の訪問者(神霊)に対する畏怖や戒め、慎みの感情の反映として、鬼をはじめとする悪神のイメージが付与され、その一方で祝言や与福の役割から善神のイメージも併せ持つという理解がなされてきたといえる。重要なのはこの神の出現が年の変わり目、時間の境界と結びついていることで、その点からすると正月の年神祭祀との比較が必要ということになろう。一般に正月の時期には新年をつかさどる神の来臨が想定されるが、詳細にみていくと実は疫神や厄神とされるような存在の祭祀も併せ行われることは民俗学上、広く知られているからである※10。
このような一連の行事が、実は災厄を取り除き、招福を祈念するという二重の構造や意味を持っていたこと※11は、この時間の替わり目における民俗的な行事が、本来的に両義的な意味を内包していることを示している。
物質文化の観点
こうした異装の訪問者の姿として印象的なのは、ナマハゲに代表されるような恐ろしげな仮面であろう。ナマハゲの場合は面が神聖視され、相川町では斎戒沐浴し、面にお膳を供えた後にこれを被る※12とされており、行事から独立した存在であることがうかがえる。その一方で、能登半島のアマメハギの多くの仮面は毎年新しく調製するのを建て前とすることが注意されている※13。面を被り、決まった装束に身を包むことで村人から異形の存在に変身するのであって、行事のなかで異形の来訪神が必要に応じてつくり出されるものという位置づけである。
岩手県気仙郡三陸町大野のスネカ(写真4)は小正月の訪問者に類する行事であるが、ここでは面は同地に伝承されている劔舞の面を借用するという※14。また同県釜石附近では、小正月の晩に訪れるナモミは村の若者が、神楽面のなかから、般若や山の神のような恐ろしいものを選んで、これを被るという※15。これらの行事に用いられる仮面は、それぞれの地域における芸能に用いられるものの流用もしくは転用である場合も少なくないことが理解できる。
写真4 スネカ(岩手県気仙沼郡三陸町大野) 提供:文化庁
さらに東日本の太平洋沿岸には、必ずしも仮面を必須としないこの種の行事が分布していることにも改めて注意しておきたい。宮城県宮崎町柳沢の「焼け八幡」と呼ばれる小正月の行事は、集落の若者たちによって行われるものであるが、参加する者は、裸になり、大酒を強いられ、臨時の小屋に籠り、さらにそれを焼却する、という小正月の訪問者行事以外の要素も含まれている。この行事を調査した三崎一夫は、大酒をすることで精神的な仮面を被ることになると推測している※16。この種の行事については、主として子どもたちが主体となるカパカパ(写真5、6)やカセドリ、鳥追いなどとも、併せ考えるべきであるが、それらでも姿を隠したり、顔がわからないようにする場合はあるものの、積極的に仮面を用いることはそれほど多くはない。
写真5 子どもたちによるカパカパ(青森県南津軽郡田舎館村大根子)
提供:田舎館村教育委員会
写真6 子どもたちによるカパカパ(青森県南津軽郡田舎館村大根子)
提供:田舎館村教育委員会
むしろ、こうした子どもたちが担う小正月の訪問者行事と若者たちが担うそれとの共通点は、持ち物によって出される不思議な音であり、行事の名称もそれに由来する場合が多い。そこから、仮面や仮装という視覚に訴える以前に、聴覚によって、神の来訪を示し、かつ表現したものと考えることができる。
その点から、仮面はこの種の行事においては過渡的なもの、あるいは、訪問者に神秘性を付与するために伝承されている、地域のなかで工夫・調達される補足的なものと考えてもよいだろう。とするならば、仮面を着用することでヒトからカミへの転換が起こるとするような一種の民俗的な了解は、それぞれの行事が行われてきた地域の信仰や芸能、あるいはそれに類似した目的や近接した時期に行われる行事との複合によってもたらされるものであるように思われる。
結局のところ、こうした来訪神行事は地域社会の人々によって演じられる演劇的な側面を無視することはできない。そこでの演技者はどういった観点で選ばれ、あるいは進んで演じ手となるのだろうか。集落のなかでの社会的な位置づけに着目して考えてみる必要があろう。次にその点について述べてみたい。
社会組織との関係
東北地方には広く、カセドリ、チャセゴ、カパカパといった、子どもたちや若者らが小正月の晩に村の各家々をまわって餅や銭をもらい歩く習俗があった。これも小正月の訪問者とされるものである。多くが、物貰いと見做されて、近代には禁止や制約のもとに置かれたが、その実施にあたっての様相は地域ごとのバリエーションに富んでいた。近世の地誌類にもこうした行事が行われていたことを記した例は少なくないことから、人々の大きな楽しみであり、生活のなかのアクセントとなっていたことがうかがえる。
その担い手に注目してみると、集落の子どもたちが、農具を紙に描いたものを配る代わりに餅や金をもらって歩いたとか、「鳥追い」と称して若衆たちが鳥の鳴き真似をして、餅をもらい歩いたという例が多い。山形県西川町大井沢ではカセドリと称して厄年の者が各家をまわり、餅や団子をもらう風習があり、厄祓いの行事ととらえられていた場合もあった※17。その際にさまざまな踊りなどを伴う場合があり、来訪神の儀礼と考えにくい側面も持っている※18。
ナマハゲやアマメハギと共通しているのは、若者たちの集団がこれに関わるという点で、なかでも男性たちによる行事であるという特徴がある。各地からの報告のなかで、この種の行事に女性が関わったという事例は僅少である。このことから、地域社会における青年集団が果たすべき役割と機能とを端的に示すものという指摘がなされてきた。さらには遠くメラネシア・ポリネシア島嶼における秘密結社との類似が意識されている※19。厄年にあたる人が、異装の訪問者に扮すること自体が、地域の若者集団への加入儀礼のバリエーションであると見なすことができ、この行事が行事単独で伝承されてきたものではなく、それを受け入れる社会の構造、特に男女別の年齢にもとづく社会集団をつくり、それが村落共同体において一定の役割を果たすことが普遍的であるいわゆる年齢階梯制を反映し、それに基盤を置くものであることを忘れてはならないだろう。
東日本の小正月の来訪神行事は、カセドリやチャセゴに顕著なように、小正月前後に行われる他の行事とも習合しており、時代ごと、また地域ごとの変化を受けやすい性格を持っている。現代的な様相としては、他の多くの民俗行事と同様に、地域における社会規制の弛緩に伴い、民俗行事としては行われることは少なくなっている。近年では山形県上山市におけるカセドリ(写真7、8)のように観光行事としての性格を帯びるようになったものも目立つ※20。特に秋田県男鹿半島のナマハゲなどは専用の会館(写真9)が建設され、観光資源として注目を浴びている。その結果として、行事が固定化したり、恣意的に切り取られて、見世物となってしまう危惧もあり、その行方を慎重に見守る必要がある。
写真7 上山のカセドリ(山形県上山市) 提供:上山市教育委員会
写真8 上山のカセドリ(山形県上山市) 提供:上山市教育委員会
写真9 なまはげ会館の外観(秋田県男鹿市) 提供:文化庁
おわりに
小正月の来訪神行事は、年のかわり目という時間の境界に、地域のさまざまな民俗的な要素を組み合わせて、神霊の来訪を意識化するものであったと推定される。ただし、実際に伝承されてきた地域社会においては、しつけのための行事であるという意識が大半を占め※21、かつて議論されたような日本文化の南方性を考える材料としての意義は見えづらくなっていることも確認しなければならない。
地球規模でこの種の行事の起源や多様な文化系統と結びつけた議論を改めて深化させるとともに、日本列島における近世以来の関連する記録の集成や民俗調査の整理を通して、列島の多様な民俗文化に基礎をおく行事であることを意識していかねばならないだろう。その際に日本列島の民俗の東西差やそれを超えた共通性にも配慮する必要がある。来訪神行事は行事それだけが伝承されてきたものではなく、それ以外の多くの民俗に支えられてきたものなのである。