Vol.34
Vol.34
無形文化遺産の保護と観光
―「来訪神:仮面・仮装の神々」の記載を記念して―
文化庁文化財第一課 民俗文化財部門 文化財調査官
甑島のトシドン 提供:文化庁
はじめに
2018年11月29日、モーリシャス・ポートルイスで行われたユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の第13回政府間委員会で、「来訪神:仮面・仮装の神々」(以下、「来訪神」という)が「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載(inscribe)されることが正式決定した。まずは記載された10件の行事を継続・継承してきた担い手、また提案に協力いただいた関係機関に深く敬意を表したい。
拙稿では、「来訪神」提案の経緯と各行事の概要を述べた上で、今後、各行事がこれまで以上に高い意識を持って継続・継承されるように、無形文化遺産(無形の民俗文化財も含む)の保護と観光における課題と可能性を筆者なりに検討してみる。
なお、ユネスコ無形文化遺産の制度の成り立ちや理念・思想、それに対する日本の対応と現状については、拙稿(石垣 悟「無形文化遺産の国際的保護と日本の文化財保護制度―「山・鉾・屋台行事」の記載決定を受けて―」『文化遺産の世界』Vol.28 2017 p.7-12)で詳述している。
提案までの経緯
今回記載された「来訪神」は、国指定の重要無形民俗文化財10件からなる(図1参照)。いずれも地域的特色が顕著で、我が国の来訪神行事の典型例というべきものである。
図1 ユネスコに提案された「来訪神:仮面・仮装の神々」
出典:『男鹿のナマハゲ―行事実施状況報告書』(男鹿市教育委員会・男鹿市菅江真澄研究会、2017)を一部改変
10件のうち、指定年月日の最も早い「甑島のトシドン」(鹿児島県薩摩川内市)は、ユネスコの無形文化遺産の保護に関する条約(Convention for the Safeguarding of the Intangible Cultural Heritage)の運用が開始されて最初の政府間委員会(2009年11月・アブダビ)で、すでに記載されていた(写真1)。
写真1 ユネスコ政府間委員会での「甑島のトシドン」の審議 提供:著者
その後、それ以外の来訪神行事についても、提案あるいは提案準備を鋭意進めてきたが、諸事情あって想定通りの記載には至らなかった。そうした状況下、記載を確実かつ迅速に進めるための行政的/国際的戦略としてとられたのが、「甑島のトシドン」を拡張し、一度提案していた「男鹿のナマハゲ」のほか、将来的に提案を予定していた「能登のアマメハギ」「宮古島のパーントゥ」「遊佐の小正月行事」「米川の水かぶり」「見島のカセドリ」「吉浜のスネカ」を加えた計8件を一括して「来訪神」として提案する形であった。提案書の作成や画像・動画等の準備は、文化庁が中心となって行ったが、その際は関係の保護団体や自治体が結成した「来訪神行事保存・振興全国協議会」の全面的な協力を得た。2016年3月のことである(写真2)。
写真2 来訪神行事保存・振興全国協議会 提供:男鹿市教育委員会
しかし、日本からの提案案件については、実質2年に1度審査・記載されるという状況があり、2017年11月の政府間委員会(韓国済州島)では審査されなかった。一方で、2017年3月に「薩摩硫黄島のメンドン」と「悪石島のボゼ」が新たに重要無形民俗文化財に指定されたことを受け、この2件も加えた計10件を一括した再提案を2017年3月に行った。
こうして2年にわたる拡張一括提案&再提案を経て、ようやく今回、正式に審査・記載決定となったのである。
来訪神行事10件
今回記載された10件の来訪神行事とその伝承地は、図1のとおりである。重要無形民俗文化財の指定順に10件を概観しておく。
【甑島のトシドン】
鹿児島県薩摩川内市下甑島の四つの集落に伝承される正月行事である。大晦日の晩、奇怪な面をつけて蓑をまとったトシドンが子どものいる家々を訪れ、子どもを厳しく戒める。最後は子どもにトシモチという大きな丸餅を背負わせて去る。
【男鹿のナマハゲ】
秋田県男鹿市一帯(約90の集落)に伝承される(小)正月行事である。大晦日の晩、怖ろしげな面をつけて蓑をまとったナマハゲが大声をあげながら家々を訪れる。家では激しく床を踏みしめたり、子どもを厳しく戒めたりし、主人から酒食のもてなしを受けた後、餅を貰って去る。
【能登のアマメハギ】
石川県輪島市や鳳珠郡能登町の五つの集落で正月から節分にかけて行われる。集落によっては面様年頭とも呼ぶ。男面や女郎、ガチャ面などをつけたアマメハギが家々を訪問し、家を祓ったり、手にした鑿や槌などを振って子どもを戒めたりし、最後に餅や祝儀を貰って去る。
【宮古島のパーントゥ】
沖縄県宮古島市の二つの集落で、旧暦9月上旬と旧暦12月最後の丑の日にそれぞれ行われる。体にシイノキ蔓を巻き付けて泥を塗りつけ、黒い仮面をつけたパーントゥが集落を訪れ、人々に泥を塗るなどする。
【遊佐のアマハゲ】
山形県飽海郡遊佐町吹浦の三つの集落に伝承される小正月の行事である。ジオウ、ガングチなどの面をつけて蓑をまとったアマハゲが家々を訪問する(写真3)。子どもを戒めたり、主人と挨拶を交わしたり、酒食のもてなしを受けたりした後、小さな丸餅二つを貰い、代わりに別の丸餅一つを授けて去る。
なお、鳥崎集落では、この日、夜から朝にかけて鳥追いも4回行う。特に1回目のヨンドリ(夜鳥)では、アマハゲが家々を訪問中、子どもたちが鳥追い唄を歌って集落をまわる。
写真3 遊佐のアマハゲ 提供:著者
【米川の水かぶり】
宮城県登米市東和町米川で毎年2月初午に行われる。藁製の注連縄を腰と肩に巻き付け、藁製の「あたま」と「わっか」を被り、顔に煤を塗った青年たちが、集落を訪れ、火防として家々の屋根に水をかける。
【見島のカセドリ】
佐賀県佐賀市蓮池町見島地区に伝承される小正月行事である。2月第二土曜日の晩、顔を隠すように笠を被って藁蓑を着たカセドリが家々を訪れる。手にした独特の形状の青竹を、玄関の上がり框に小刻みに激しく打ち付けた後、酒をいただいて去る。
【吉浜のスネカ】
岩手県大船渡市三陸町吉浜地区に伝承される小正月行事である。1月15日の晩、奇怪な面をつけて蓑などをまとったスネカが家々を訪れる。手にした小刀で子どもを威嚇し、最後に餅などを貰って去る。
【悪石島のボゼ】
鹿児島県鹿児島郡十島村の悪石島で旧暦7月16日に行われる。独特の面をつけて枇榔の葉や棕櫚の皮などを体や手足に巻き付けたボゼが盆踊りの会場に現れ、手にしたボゼマラという杖の先端に塗りつけているアカシュを人々に擦り付ける。
【薩摩硫黄島のメンドン】
鹿児島県鹿児島郡三島村の硫黄島で旧暦8月1・2日に行われる。墨と赤絵具で独特の模様を施した面をつけて蓑をまとったメンドンが、八朔の太鼓踊りの会場に現れ、手にしたスッベと呼ぶ枝葉で人々を叩いてまわる。
無形文化遺産の保護と観光
無形文化遺産への注目が高まっている。関心を集めること自体、悪いことではない。しかし、そこに新たな課題も生じつつある。同じユネスコの推進する世界遺産は、登録時にテレビ等で速報が流されるほど大きな注目を集め、世界中の人々が押し寄せる。
無形文化遺産は、本質的に世界遺産とは評価方法も思想も異なる。しかし、現実には両者を同じレベルで捉える人は多く、両者を混同している人もみられる。特に2013年に「和食;日本人の伝統的な食文化」が無形文化遺産に記載されて以降、その傾向はますます強くなってきた。一地域の盛り上がりに留まらず、日本挙げての盛り上がりとなってきたのである。2016年11月の「山・鉾・屋台行事」の記載決定の際はテレビ等で速報も流された。
注目を浴びるということは、それに触れるために現地を訪れる人々が増加する、つまり観光が進展することを意味する。現地の担い手や自治体が望むと望まざるとに関わらず、観光客の増加は避けられないだろう。すでに記載された「山・鉾・屋台行事」の場合、歴史的展開で「見物人」を意識した風流化が進んだことから、文化財指定後も観光客を抵抗無く受け入れてきた。いわばある程度観光への免疫があった。しかし、「来訪神」にはこの種の免疫はほとんどない。来訪神行事は小さな集落で行われる。来訪神が各家々を訪れることも多い。そこに観光客の「来訪」は想定されていない。今回の記載後、10件の中には1カ月も経たないうちに行事日のやってくるものもあり、その対応は大きな課題となるだろう。
文化財とは、文化財保護法に基づいて行政が保護の網をかけた文化である。従って、それは国民共有の財産、公共財として、あるいは社会的共通資本(宇沢 2000)としての扱いが推奨され、しっかり保存しつつ適切に活用することが求められる。そう考えると、現代社会における無形文化遺産/無形の民俗文化財と観光との絡みは、ユネスコ云々に関わらず、必然的に検討すべき喫緊の課題といえよう。担い手は、来訪神とは別にやってくる「来訪者」/観光客にどう向き合うべきか。来訪神は災厄を祓って福をもたらしてくれたが、観光客は何をもたらすだろうか。明解な対処法がすぐ見つかるわけではないが、拙稿では男鹿のナマハゲがかつて経験した、ある騒動を振り返ることで、その糸口を捉えてみたい。なお、取り上げる騒動については、関係者には多少耳の痛い話かもしれないが、文化財保護の進展という見地からご容赦いただきたい。
男鹿のナマハゲをめぐる騒動
男鹿のナマハゲは、記載された10件の中で最もよく人口に膾炙した来訪神行事といえる。ナマハゲの姿を見て泣き叫ぶ子どもをテレビなどで目撃した人も多いだろう。秋田県の代表的な民俗行事=ナマハゲとイメージしたり、ナマハゲ以外の9件を「ナマハゲ系行事」「ナマハゲの仲間」などと評する場合も少なくない。
ナマハゲがこれほど有名になった背景には、柳田国男や折口信夫といった著名な民俗学者が早くに注目したこと、また岡本太郎などの芸術家も魅了されたこと、伝承範囲/集落数が他の9件に比べて圧倒的に広い/多いこと、従って早くに重要無形民俗文化財に指定されたことなどがある。こうした状況下、男鹿市も早くからナマハゲを観光資源として扱ってきた。その経緯については、八木康幸が詳細に調査・整理しており、学術面に加えてツーリズム面も大きな要因として指摘される(八木 2009)。
重要無形民俗文化財「男鹿のナマハゲ」では、男鹿のナマハゲ保存会(以下、保存会という)が保護団体に特定されているが、実際の行事は、約90ある集落を単位に行われる。保存会は集落の連合した任意団体に過ぎず、会長も男鹿市長が名誉職的に務める。報道などで目にする、泣き叫ぶ子どもとそれを追い回すナマハゲは、集落の各家で展開される。ナマハゲを迎える家には、本来的には当該家の人々だけがおり、観光客はいない。
その一方で男鹿市や男鹿市観光協会などは、ナマハゲを観光資源としても積極的に位置づけてきた。最も大々的に行われるのは、「なまはげ柴灯まつり」(以下、まつりという)である。まつりは、戦前まで男鹿の修験系寺社で年頭に行われた火焚き(柴灯/護摩)に、ナマハゲを融合させた観光イベントで、男鹿市北浦の真山神社とその周辺で毎年2月に行われる。社団法人男鹿市観光協会や男鹿市観光商工課の主導で1963年から始められ、2018年まで56回を数える。まつりでは、観光客はナマハゲに実際に触れ、一緒に写真撮影もできる。
このまつりと前後して、1961年には秋田国体を契機に男鹿温泉郷の宿泊客を歓迎する「なまはげ踊り」が始まり、1980年には「なまはげ太鼓」も創作された。どちらも各地で公演され、まつりでも披露される。1991年には郷土愛の助長のために男鹿市教育委員会が民謡「なまはげ口説」も創作した(鎌田 2007)。
そして、1999年、男鹿市観光商工課がナマハゲの意味や各集落の特色を紹介する「なまはげ館」を真山神社に隣接して建設した(2013年改修)。敷地内には「男鹿真山伝承館」と称する曲家の古民家も移築され、家を訪れるナマハゲを疑似体験できる(写真4)。さらに2003年からは男鹿市観光協会とナマハゲ伝導士推進委員会により、ナマハゲの保存伝承意識の高揚、サポーターの育成、男鹿の観光振興を目的としたナマハゲ伝導士認定試験も行われている。2007年には市内入口に高さ15メートル以上もある巨大なナマハゲ像もつくられている。
写真4 男鹿真山伝承館を訪れるナマハゲ 提供:著者
これらのイベントや施設見学、体験、学習等は、行事日以外の時に伝承地以外の人にナマハゲを「見せる」ことを追求したもので、無形の民俗文化財の活用例の一つといってもよい。
ただ観光振興が進むと、やがて観光客の中に、大晦日に各家を訪れるナマハゲを見たい(体感したい)という「本物」志向の声もでてくる。男鹿市観光協会などによれば、現在のところ、プライバシーの問題などもあって、大晦日に家々を訪れるナマハゲでは、ごく一部の家で旅行会社のツアー等を受け入れている以外、観光客の受け入れは行っていないという。
しかし一方で、できるだけ「本物」に近いナマハゲを提供する動きもある。一例が、冬期に観光客の宿泊施設を近隣集落のナマハゲが訪問するというサービスである。大晦日は、ナマハゲが自集落の訪問に引き続いて観光客の宿泊施設も訪問する。そこでは先のイベントや体験等より「本物」らしさを強く感じられることはいうまでもない。
拙稿で取り上げる騒動は、2007年の大晦日、この宿泊施設訪問で起こった。ある集落のナマハゲが、近隣の宿泊施設を訪れた際、一連の所作をしつつ、酒の勢いもあって女湯などに入り込んで女性の身体を触ったというのである。女性が被害届を出さなかったため刑事事件等にはならなかったが、宿泊施設や観光協会への苦情で事実が発覚した。
いうまでもなく、このナマハゲの行動は、一般常識的に猥褻行為である。行政施策である文化財保護の面からいっても遺憾といわざるをえない。しかし、地元の見解だけからいえば、当時はある面で許容範囲でもあったようである。かつて男鹿在住の民俗学者・吉田三郎も、今日であれば猥褻行為とも取られかねないような振る舞いを当たり前のようにするナマハゲの姿を活写していた※1。それは集落の「常識」であり、民俗学的には単純に善悪の尺度だけで評することは避けなければならない。
以下は、この騒動を報じる記事の一部である。
世も末?セクハラなまはげ波紋、「暴れ方」指針策定へ
秋田県男鹿市の男鹿温泉郷の旅館で、大みそかに起きたなまはげに扮した男性による女湯乱入とセクハラ問題。“秋田の顔”ともいえるなまはげの前代未聞の不祥事に、市は月内に対策協議会を発足させ、暴れ方などに関する指針を設ける方針だ。一方、地元には、なまはげを取り巻く環境が変わることへの不安も渦巻いている。
件の旅館に、騒動を起こした男性を含むなまはげ6体のグループが訪れたのは昨年12月31日午後8時半過ぎ。例年通り、玄関ロビーに集まった宿泊客らを“戒め”、全員引き揚げた…はずだった。ところが、1体のなまはげが、誰にも気付かれることなく2階の女性浴場へ。入浴中の20歳の女性や小学生の少女を含む母子4人の体を次々と触ったという。さらに、このグループが立ち寄った別の宿泊施設5カ所でも、女性客の胸を触るなどセクハラ被害が7件寄せられた。「娘を触られた父親がなまはげを殴りつけた」「フロントの女性従業員が胸を触られた」などだった。(中略)市観光課は「地区ごとにやり方を任せてきたが、国の重要無形民俗文化財でもあり、ルール作りが必要」と考えている。市観光協会の(中略)専務理事も「なまはげは本来、初妻のお尻をつねるぐらいは当たり前だった。地元住民は気にしなかったが、観光客には通らない」という。だが、(保存会の)会長は「一律にルールを決めるのは、各地区で独自に発展継承してきたなまはげにそぐわない」と懸念する。「ルールを作ると、なまはげがおとなしくなってしまう」との声も多い。(中略)「観光と伝統行事としてのなまはげを、どこで線引きするか。とても難しい」と関係者は頭を抱える。
2008年1月19日産経新聞より
(※太字は筆者)
騒動を受けて、一律のルールを設けるべきという案が男鹿市観光課から出され、保存会がそれに難色を示している様相が読み取れる。結果的に各集落の微妙な違い/地域性を尊重してルールの導入は見送られたようであるが、ここからは文化財保護のあり方、すなわちどこをどう保存し、何をどう活用できるかという認識の不足を指摘できよう。
保存すべき部分と活用できる部分
あくまで文化財保護に軸足をおくならば、重要無形民俗文化財「男鹿のナマハゲ」の保存すべき部分は、大晦日にナマハゲが集落の家々を訪れる部分となる。この部分こそが重要無形民俗文化財「男鹿のナマハゲ」である(ただし、それは「本物」「元祖」などの意味合いではない)。
逆にいえば、宿泊施設へのナマハゲの訪問は、民俗の現代的変容の一つではあるが、重要無形民俗文化財そのものではないということになる。このように切り分けるならば、家々の訪問/保存すべき部分に対し、宿泊施設の訪問/活用できる部分ということになる。ただし、現実には両者は連続的に行われるため、担い手をはじめ関係者には切り分けはほとんど自覚・共有されない。それ故に保存と活用の間に生じる矛盾への対処ができない時、騒動が表出するといえよう。
この保存と活用の切り分け、あるいは連続には、二つの論理/「常識」が複雑に絡み合う。その状況はグローカルともいえる。グローカルとは、グローバルとローカルの絡みを表した造語で、両者の無理矢理の接続と矛盾の解消を目指すのではなく、連続と矛盾を孕む状態そのものを対象化する視座として注目される。
加えて、グローバル↔︎ローカルを直訳的かつ固定的に、世界↔地域、あるいは活用↔保存と捉えることも有用でない。特に文化を捉える視座としてのこの造語の有用性は、異なる位相にあるこの二つの論理の連続と矛盾を総体として把握できる点にある。そこにこそ文化財保護を生産的に検討できる可能性も生まれる。
大晦日に行われるナマハゲ行事をこうした視座からみると、まず集落の家々を訪れるナマハゲ、またそれを受け入れる家人、そこでのナマハゲの振る舞いや家人のもてなしなどはローカルな面が強い。一方、それを見に来る観光客やカメラマン、報道機関などはグローバルといえよう。そして、引き続いて行われる宿泊施設の訪問では、訪れるナマハゲやその振る舞いにはローカルな面がみられ、それを楽しみに迎える宿泊者と彼らの反応はグローバルということになるだろうか。まさに今のナマハゲ行事はグローカルな状況下で行われている。
さらにいえば、ナマハゲに扮した青年も、この地域で生まれ育ち(ローカル)、現在は県外で暮らし(グローバル)、大晦日は里帰りしていた(グローバル→ローカル)。つまりグローカルな存在であった。
こうした状況を確認したうえで、この騒動を回避できたとすれば、家々の訪問はローカル色の比較的強い保存すべき部分であり、宿泊施設の訪問はグローバル色の比較的強い活用できる部分である、という認識を関係者が共有しておくべきであったということになろう。
騒動は、家々を訪れたナマハゲがそのまま宿泊施設を訪れることで、ローカルな論理がグローバル色の比較的強い場にそのまま持ち込まれた結果であった。またその後に検討されたルールの導入は、ローカル色の比較的強い場にグローバルの論理を持ち込もうとした動きであり、抵抗・摩擦を生んだということになろう。前出の記事の最後、「観光と伝統行事としてのなまはげを、どこで線引きするか。とても難しい」という文言は象徴的である。
文化財保護に関わる人々と保存・活用
では認識を共有しておくべき関係者とは誰か。第一には担い手、すなわちナマハゲに扮する人とナマハゲを迎える家人となるだろう。先に触れたように、グローバルとローカルは固定的二項対立ではなく、常に流動する。その意味ではこれらの担い手自身もまたグローカルな存在である。そして逆説的ではあるが、だからこそグローカルな状況とその切り分けを自覚できる可能性も持つ。
さらにいえば、認識の共有は担い手以外にも求められる。重要無形民俗文化財という公共財である限り、究極的には共有も国民レベルでなされる必要がある。従って、ナマハゲを見学・取材する人々、側面からナマハゲを支援する諸機関・組織なども当然関係者である。これら関係者間での認識の共有は、一朝一夕で実現できることではないが、常にそれを目指すべきであり、その際重要な役割を果たすのが公的機関となる。
図2は、観光との絡みでの文化財の保存と活用と、関係者・機関との関わりのバランスを表した図である。右の平行四辺形のように、文化財保護には保存と活用という二つの意味合いがあり、しっかり保存したうえで適切に活用するという関係性にある。個人的には適切な活用が翻って保存に好影響を及ぼす、あるいは保存に好影響を及ぼす活用こそが文化財の活用であるとも考える。
図2 観光をめぐる文化財の保存・活用と関係者のバランス
無形の民俗文化財の場合、保存とは年を越えて継続し、世代を超えて継承することであり、その主体は当然、担い手/保護団体である。彼らこそ最も重要な礎なのである。
この礎がしっかりしている上に活用はある。活用の主体の一つである観光振興は、図の左の三角形のように、担い手/保護団体の下支えがなければ存立しえない。もっと言えば、担い手/保護団体の継続・継承がなければ、無形の民俗文化財自体が成り立たない。
さらにこの図が上手く機能するために重要となるのが、文化財保護行政である。文化財保護行政は、保存の主体ではないが、保存に不可欠な役割を担う。と同時に活用にも深く関わることで、観光振興と担い手/保護団体との間を取り持つ。観光振興/活用には、文化財保護行政の下支えも不可欠なのである。
この図で先の騒動を読み解くと、新聞記事中に、文化財保護行政/男鹿市教育委員会生涯学習課(当時、現男鹿市文化スポーツ課)の姿が見えないこと、その一方で観光振興/男鹿市観光商工課(当時、現男鹿市観光課)が重要無形民俗文化財であることを盾に行事のあり方/保存すべき部分に介入しようとしたことも問題であったといえる。この後、男鹿市教育委員会は、有識者を招いたシンポジウムを開催し、各集落の違いを意識したナマハゲの映像記録も作成した。さらに「来訪神行事保存・振興全国協議会」の事務局を引き受け、ユネスコ提案に合わせて2015・2016年度に市全域のナマハゲの現況を詳細調査するなど、保存を強く意識した文化財保護行政を積極的に展開している。2017年度からは「今さらですが、ナマハゲしゃべりをしてみませんか」と題した、担い手どうしが意見交換しあう集会も定期的に行っている。今後の適切な保存と活用が大いに期待される。
おわりに
折しも2018年度、文化財保護法の5度目の改正が行われた。2019年4月からは、文化財担当を教育委員会以外の商工観光系などの部局におき、関連して保存活用計画を作成・申請できるようになる。今後、無形文化遺産/無形の民俗文化財の保護と観光との絡みは、ますます密になるだろう。保存活用計画の作成にあたっては、グローカルな視座に留意しつつ保存と活用をある程度切り分け、それを関係者間で常に共有することが必須となるはずである。来訪神行事についても、どこをどう保存すべきか、何をどう活用できるか、をしっかり議論して計画を立て、その計画の下、保存にフィードバックされる真の意味での活用/観光が推進されることを期待したい。