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Vol.35

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百舌鳥・古市古墳群の特徴と保存・活用の取り組み

西川 英佑 / Eisuke Nishikawa
文化庁文化財調査官

古墳群の概要

2019(令和元)年7月6日、アゼルバイジャンの首都バクーで開催された世界遺産委員会にて百舌鳥・古市古墳群が世界遺産リストに登録され、我が国の23件目の世界遺産となった。

 

古墳時代である3世紀後半から6世紀後半にかけて、日本列島では身分の高い人を葬る墓として、16万基以上の古墳が造られた。百舌鳥・古市のエリアには、古墳時代の最盛期である4世紀後半から5世紀後半に、特に盛んに古墳が造られた。これらの古墳のうち、百舌鳥エリアに所在する23基、古市エリアに所在する26基、計49基が世界遺産の構成資産となっている(図1、図2)。

 

百舌鳥・古市の二つのエリアは、古代日本の政治文化の中心地の一つであった大阪平野の南部に位置し、中国大陸への航路に繋がる海や奈良盆地へ向かう陸路を望む台地上にある。これらの航路・陸路を行き交う多くの人々が両エリアの古墳群の威容を望むことができたと考えられる(図3)。

 

両エリアに所在する古墳の規模・形状は多様である。規模に関しては、墳長が500m近くある世界最大規模の仁徳天皇陵古墳のような大型古墳から、そういった大型古墳の周囲に付属するように造られた墳長20~40m程度の小型古墳まで存在する。形状に関しては、標準化された平面型式があり、世界でも独特な鍵穴形状を持つ前方後円墳を筆頭に帆立形貝墳、円墳、方墳の四つからなる。墳丘上面には埴輪や葺石が施され、墳丘内に設けられた埋葬施設には棺とともにさまざまな副葬品が納められた。

 

古墳群は、権力を誇示するモニュメントとして造られ、多様な規模や形状によって社会階層の違いを表現したものと考えられる。また、古墳の幾何学的な形状や葬送儀礼のための装飾は、当時の墳墓の建造技術の結晶といえる。

 

構成資産となっている古墳は、宮内庁管理の陵墓に治定されているものと、もしくは文化財保護法に基づき史跡に指定されているもの、一部が陵墓でそれ以外の部分が史跡となっているものからなる。百舌鳥エリアは大阪府堺市、古市エリアは大阪府羽曳野市・藤井寺市に位置する。宮内庁と関連自治体をメンバーとし文化庁がオブザーバーとなっている協議会を設置し、管理体制を整えている。

図1 百舌エリアの構成資産分布図 提供:大阪府教育委員会

図2 古市エリアの構成資産分布図 提供:大阪府教育委員会

図3 上空から見た古市古墳群 提供:羽曳野市教育委員会

地元の取り組み

世界遺産委員会での審議においては、委員国から古代の政治的社会的構造や葬送儀礼を伝え、高度な墳墓の建造技術を示す世界的にも稀有な文化遺産と高い評価を受けるとともに、都市化の圧力に屈することなく地元住民に守られて状態良く残されてきたことに対して称賛の声が上がった。スクリーンに映った古墳群の航空写真は、会場の人々に市街地の中に古墳が嵌め込まれたような印象を与えたに違いない(図4)。構成資産の一つであるいたすけ古墳は、1950年代に住宅造成計画によって破壊されそうになったが、地元住民を中心とした保存運動により保存され、地元における文化財保護のシンボルになっている。現在、地域住民のボランティア団体やNPO法人が主体となって清掃活動やガイド活動が行われており、地域に根差した遺産として高く評価されているとともに、これからのより一層の地域住民の遺産保護への参画が期待されている。

図4 上空から見た百舌鳥古墳群 提供:堺市教育委員会

遺産影響評価

一方で、市街地の開発は現在進行形であることから、今後の開発に対しては適切な対応が求められている。当該遺産に限らず、近年の世界遺産委員会では新規の遺産の登録や既登録の遺産の保存状況に関する審議において、開発事業等によって遺産が受ける影響を評価する遺産影響評価(Heritage Impact Assessment)の実施が求められる事例が増えている。遺産の保護が求められる一方、遺産の所在する地域において住民の生活や経済活動などの観点から必要な開発もあり、両観点から検討しバランスのとれた開発としていくことが大きな課題となっている。資産内の開発はもちろん、緩衝地帯内の開発、さらには遺産に影響を与えうるのであれば、緩衝地帯外の開発にも、遺産影響評価を行い適切な開発となるよう対処することが求められるようになってきている。この遺産影響評価に関してはイコモスが2011年にガイドラインを示しており、文化庁はこれを参照して今年、国内の世界文化遺産向けの参考指針を出している。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_isan/1416448.html

 

今後、百舌鳥・古市の古墳群においては、当該遺産に適したマニュアル等をこれらに基づき作成し、今後の周辺開発に対し遺産影響評価を行いながら、地域の持続可能な開発の在り方を検討していく必要がある。

史跡整備

構成資産となっている古墳の保護にも課題がある。いくつかの古墳では濠の水による浸食や雨水による土壌の流出、台風による倒木などが生じてきており、今後、適切な管理・修理等が行われる予定である(図5)。これまでも陵墓もしくは史跡として適切な保護が行われてきたが、史跡となっている古墳に関しては整備基本計画を策定し、適切な保存活用のための措置を計画することとなっている。

 

審査過程においては、イコモスからこの整備の考え方について質問があった。これに対し、日本における史跡等の整備が、価値を維持するための保存の措置と価値を伝えるための活用の措置からなり、保存の措置として維持管理や防災・修理・補強、活用の措置として来訪者施設等の設置などがあり、修理等に併せ復元的整備を行うこともあると説明している。イコモスには復元に対し否定的な意見を持つ専門家もいると聞く。国内ではこれまで、復元的整備を行うことで価値の理解を促進し文化財保護への支援を得てきた事実もあり、構成資産となっている古墳にもそのような事例がある。もちろん、こういった整備において遺構そのものの保存がしっかりとなされることや復元のための学術的根拠が十分にあることが必要なのはいうまでもない。世界遺産委員会の決議における追加勧告では、各古墳の整備基本計画を完成させることが求められている。今後、復原的整備を含めた整備の考え方を、イコモスに丁寧に説明しながら議論を重ね、適切な計画を立てていくこととなる。

図5 津堂城山古墳損傷状況 提供:藤井寺市教育委員会

世界遺産以外を含めた文化遺産保護

構成資産となっている古墳のこれまでの来歴はさまざまである。古墳時代に造られた後、朝廷による陵墓の保護管理が続いた。中世に入ると武士の台頭により陵墓の保護管理は衰退、山城に改変された古墳も存在する。墳丘が樹木に覆われた姿となり、少なくとも江戸時代以降、薪炭採取を目的とする入会地となった。また周辺の新田開発が進められ、濠が灌漑用水に使われた。近代に入り、宮内省によっていくつかの古墳が陵墓として治定される。近代において市街化が進み、土砂採取を理由にいくつかの古墳が破壊され、前述のいたすけ古墳の保存運動を経て、このエリアでの古墳の史跡指定が進む。現在史跡指定された古墳は、公園内にあるもの、墓地が付随するもの、子供たちの遊び場となっているものなどさまざまである。

 

エリアにはかつて230基以上あった古墳のうち89基が残り、そのうち古墳時代中期に造られ保存状況のよい49基が世界遺産の構成資産となった。

 

世界遺産は価値となるある一つのストーリーに基づきその構成資産を決める。しかし地域の歴史はこの一つのストーリーに全て入るものではない。来歴もさまざまで現在の在り方もさまざまである。今回の世界遺産登録を機に、構成資産外の古墳や古墳のさまざまな歴史的側面をどのように保護していくかも、この地域の文化遺産保護のこれからの課題である(図6)。

 

世界遺産委員会で記載が決まった直後、日本からのサンキュースピーチで大阪府吉村知事から、今後百舌鳥・古市古墳群を将来にわたって守っていくことが表明された。よく言われるように、世界遺産記載はゴールでなくスタートである。この貴重な文化遺産そのものとともに、世界に誇れる文化遺産の保護の在り方が、今後大阪から発信されていくことが期待されている。

図6 構成資産外の乳岡古墳 提供:堺市教育委員会

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