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Vol.35

Vol.35

世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」を構成する陵墓について

徳田 誠志 / Masashi Tokuda
宮内庁 書陵部陵墓課 陵墓調査官

はじめに

2019(令和元)年7月6日17時36分(日本時間)、アゼルバイジャンのバクーで開催されていた第43回世界遺産委員会において「百舌鳥・古市古墳群」は、世界文化遺産に登録された。このことはテレビ・ラジオでも速報が流されたが、正確な決定時刻などを文化庁に確認した後、庁内関係各所への連絡を行った。この報告も滞りなく終了し、18時頃には地元自治体との最終確認も済ませ、すべてが完了した際には、心の底から安堵した。

 

小稿では、ほぼ10年間にわたり関わってきた「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録について、宮内庁担当者としての立場から、その取り組みの内容を記述していきたい。

 

なお、本文中意見に係る部分は、筆者の私見としてご理解願いたい。

陵墓を世界文化遺産の構成資産とすることへの取り組み

登録に至る発端は、2007(平成19)年9月に大阪府・堺市・羽曳野市・藤井寺市の1府3市が「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産暫定一覧表記載資産候補とする提案書を文化庁へ提出したことに始まる。この提案が文化庁によって採択され、国内の諸手続きを経た上で、2010(平成22)年11月に世界文化遺産暫定一覧表に記載された。この一覧表記載に向けてユネスコに申請書を提出する時点において、当庁も世界遺産条約関係省庁連絡会議に加わることとなる。その際、陵墓については当庁のこれまでの管理方法や管理体制に何ら影響を及ぼさないということが、世界文化遺産登録の前提であることが確認された。

 

一覧表に記載されたことを受け、「推薦書」の作成が地元自治体を中心に進められ、最終的にこの「推薦書」に記載された構成資産は49基の古墳となった。そのうち29基が当庁が所管する陵墓であり、その内訳は次のようになる。

 

天皇陵6基(⑭仲哀天皇・⑮応神天皇・⑯仁徳天皇・⑰履中天皇・⑱反正天皇・⑲允恭天皇 ※丸数字は歴代数)、皇后陵1基(応神天皇皇后仲津姫命)、陵墓参考地3基(百舌鳥・東百舌鳥・藤井寺)、飛地18基(この中には墓山古墳〈=応神天皇陵飛地ほ号〉を含む)、その他1基(白鳥陵〈=景行天皇皇子日本武尊能褒野墓付属物〉)である。

 

あらためて「陵墓とは何か」といえば、「皇室典範」第27条に「陵は天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所であり、その他の皇族を葬る所を墓とする」という規定があるように、皇室ご祖先のお墓として位置付けられ、現に皇室による祭祀が継続しているという意味において「生きた墓」である。そしてこの本義に鑑み、静安と尊厳の保持が最も重要であるという観点から、当庁では陵墓の適切な保全管理に努めているところである。

宮内庁による陵墓の保全への取り組み

宮内庁はこれまでも陵墓、特に古代高塚式陵墓においても適切な保全管理に努めており、必要な保護工事を実施してきたところである。その中には今回世界文化遺産の資産となっている陵墓も含まれており、その一例として東百舌鳥陵墓参考地(ニサンザイ古墳)の護岸工事と、それに先立つ事前調査について紹介しておきたい。

 

当庁では濠水のある陵墓において、波浪によって墳丘裾が浸食することを防止するための護岸工事を進めてきている。工事に先立って、どのような工法が適切であるかの検討に必要なデータを取得することを目的として、掘削を伴う考古学的な調査を実施する。この調査により現存している遺構の状況、例えば埴輪列の有無や葺石の残存状況、その石材の産地等を明らかにすることとなる。この調査結果を踏まえ、該当陵墓において最善の工法を選択する。工法の原則は、「復元的な工事はしない」「可逆性のある工法の採用」「環境に配慮した工法の採用」となっている。

 

さて、東百舌陵墓参考地では、2014・2015(平成26・27)年度に護岸工事を実施した。工法は事前調査の結果に基づき「補強土壁工法」を採用した。工法の詳細は、調査報告書を参照されたいが1、先に示した原則を遵守したものである。工事結果については、工事前と工事後の写真を見比べてもらいたい(写真1、2)。波浪により墳丘裾が侵食され、埴輪列も崩落寸前であった墳丘裾部分が適切に保護されていることが理解できよう。

今回、東百舌陵墓参考地で実施した護岸工事については、イコモス調査員のほか、海外から視察に訪れた世界遺産関係者にも好意的に受け止められたと考えている。すなわち「古墳の整備」というものをどのように考えるかという問題であるが、世界遺産の資産における真正性、あるいは真実性(authenticity)という観点から、当庁の護岸工事にあたっての三原則は、資産の保護に適しているとの判断がなされたと考えている。

写真1 東百舌陵墓参考地護岸工事実施前 遠景 提供:著者

写真2 東百舌陵墓参考地護岸工事実施後 遠景 提供:著者

未来に向けての陵墓保全への取り組み

今回「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録されたが、そもそも世界遺産条約にあるように登録の目的は資産の保護である。そうなると陵墓は国有財産であって、法に定められたとおり皇室用財産としての管理が行われていることから、改めて世界文化遺産に登録し、保護を図る必要はないという意見ももっともである。しかしながら、今回の「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録にあたっては、当庁も陵墓の本義に支障をきたさないことを前提に必要な協力を行ってきたところである。この点について、当庁の見解を述べておくこととしよう。

 

写真3、4に示した、仁徳天皇陵の昭和30年代と現在の写真を見比べていただきたい。改めて仁徳天皇陵の周辺環境の変化に驚きを禁じ得ない。仁徳天皇陵が築造されて今日まで千数百年の年月を経ているが、この約60年間における劇的な環境変化は、それ以前にも見られなかったであろうし、そしてこれからも起こり得ないのではなかろうか。

写真3 昭和30年代の仁徳天皇陵周辺 提供:著者

写真4 現在の仁徳天皇陵周辺 提供:著者

この周辺環境の変化は、当然陵墓の管理にも大きな影響を及ぼす。その最たることが、濠水の利用である。周辺が田畑であったときには、濠水は農業用水としての役割が与えられ、利用にあたっては水利組合が結成され、水路の清掃や樋門の維持を含む濠水管理は、この組合が担っていたものである。このように陵墓管理と地元社会は、「濠水」を介して長い間、共存共栄の関係にあったといえよう。

 

この構図に大きな変化が生じる時期が、まさに戦後の高度経済成長期と呼ばれる昭和40年代後半から50年代にかけての時期である。周辺の田畑は宅地や商業地に変化していき、結果的には濠水の農業用水としての役目も終焉を迎えることとなる。かつて濠水が農業用水であったことを示す痕跡として、現在も仁徳天皇陵の外堤には、水利組合があったことを示す記念碑が残されている(写真5)。

写真5 「灌漑用樋門跡」の記念碑 提供:筆者

この変化は単に濠水の使用が停止したことだけではなく、さまざまな変化を仁徳天皇陵にもたらすこととなった。農業用水路は分断され、水の循環が十分ではなくなる。さらに周辺が宅地化したことから生活雑排水が濠に流入するようになる。当然濠水の水質悪化を招き、悪臭を放つようになる。この頃にはしばしば新聞紙上にも、仁徳天皇陵において濠水の水質悪化が報じられている。この濠への生活雑排水流入問題は、周辺に下水道が整備されるとともに解決に向かうこととなったが、結果的に濠へは雨水も流入しなくなり、濠水の確保が困難になるという事態を招く。現在の仁徳天皇陵の濠水は域内に降る雨水と、近年になり堺市が設置した井戸からの入水が全てとなっている。このように仁徳天皇陵を適切に管理していくためには、本体だけでなく周辺環境も適切な管理がなされていることが肝要である。

 

この周辺環境を含む維持管理の必要性が、今回の世界文化遺産登録の意義として指摘できるのではなかろうか。すなわち世界遺産登録にあたっては、資産だけを保護するのではなく、遺産を保護するためにその周囲に緩衝地帯(バッファゾーン)が設定されている。これは各自治体の条例によって、建物や野外看板の高さ制限や使用できる色調への制限を伴っている。要するに陵墓の周辺に高い建物が無秩序に建設されることはなく、自然環境を含めた周辺の環境も良好に保つことが世界遺産登録とともに確約されたこととなる。

 

今回の世界遺産登録にあたっての追加勧告には、資産周辺の都市化圧力からの保全が必要であることも記されている。人口80万人を超える都市の中に、当初は確かに人工構築物であったものが、千数百年の時を経て自然の森のようになっている古墳という資産が残されてきたことに対し、その価値を保っていくことの難しさも指摘されているところである。この資産が都市の中で地域社会と共生していく姿を世界に発信していくことも、世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」に課せられた使命であろう。

宮内庁としても陵墓である世界文化遺産の保全にあたっては、地元自治体をはじめとする関係者と連携をとりながら進めていくことが必要であると考えている。もちろん自治体だけではなくそこに住まう地域住民との連携や、場合によっては大学や企業とも連携しながら、陵墓の保全に取り組んでいく必要がある。そしてこのことが結果的に、世界文化遺産である「百舌鳥・古市古墳群」の顕著で普遍的な価値を維持していくことに資するものと考える。

おわりに

地元自治体による活動開始から数えて10年以上の月日が経過して、今回「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録をされることとなった。宮内庁としても日本国から推薦を行った資産の価値や保全に向けた取り組みが評価された結果であることは喜ばしいものと捉えている。しかしながら、登録されたことはまさにこれからが、推薦書に記載した適切な維持管理の公約を果たしていくスタートであり、この取り組みにゴールはない。

 

50年後、100年後において、陵墓管理の面からも、そして世界遺産のあるまちづくりに取り組んでいく自治体にとっても、そしてそこに住んでいる住民にとっても、令和元年に、あの時に登録して良かったといっていただけるように、今後ともたゆまぬ努力が必要であろう。

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