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Vol.36

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島根県文化財保存活用大綱策定の取り組み

丹羽野 裕 / Hiroshi Niwano
前島根県教育庁参事(文化財担当)

松江市平所窯跡出土の埴輪群 提供:島根県教育庁
5世紀後半頃の埴輪を焼いた窯跡から出土した形象埴輪群。制作技術は極めて高く、ヤマト王権の生産集団の関与がうかがわれる。「見返りの鹿」はデフォルメと形式化が一般的な形象埴輪の中で、写実的でクリエイティブな工人の芸術性を感じる作品である。

はじめに

文化財保護行政を進めていくうえで、活用の重要性が説かれて久しい。目の前に迫った道路の開通や宅地開発などの事前調査に追われるままに、自治体は埋蔵文化財保護専門職員を採用し続けた。文化財保護行政といえば、その対象はもちろん埋蔵文化財に限らないが、文化財にかかわる仕事は結果的に埋蔵文化財の専門職員が担うことが常態となり、やがて記録保存の発掘調査件数が頭打ちになって、私たちは、このままではいけない、と気づくことになった。活用をしなければならない、しかし市民に公開されることもまれで収蔵庫に山積みされた出土遺物の山、修理もままならず訪れる人も減った文化財、文化財と認識されていない莫大な何者かを前にして、活用とは何かをあいまいにしたまま、その時にできることを細々と始めた。そんな時に「観光のための文化財の活用」という明確な言説がどこからか降ってきた。

 

文化財では食えない、逆にいえば経済の論理で割り切れないのが文化財だ、といった「公理」のまえにボヤキながら安住していたところに、突然文化財で稼ぐという真反対の言説が堂々と語られるようになった。食えない、が食える、となって私たちは漠然とした不安を感じ、やがて政策に結びついていったとき、それは大きな危機感となった。それは自治体職員や研究者だけでなく、実は文化庁も同じ思いを抱いたのではないかと私は勝手に推測している。対抗する論理として「保存なくして活用はあり得ない」といい、「地域の大きな計画のもとで活用は進められるべきだ」となり、やがて「地域計画」という言葉が生まれた、という流れに見えた。

 

実際に文化財保護法改正の議論で流れてきた情報は、保存活用計画とか歴史文化基本構想とか自治体の文化財保護審議会といった現状の制度の再確認があり、「地域計画」という新たな言葉がセッティングされた。法に従って基礎自治体が文化財をどのように保存し活用するかについて基本的な考え方をつくり、それに沿って文化財は複合的に活用されていく、というのは、あるべき形の一つだろう。ところがある時、法と地域計画の間に「大綱」というものが挟み込まれた。都道府県の担当者(の一部)はあわてた。突然よくわからない仕事が舞い降りてきたのだから。

雲南市加茂岩倉遺跡出土の銅鐸 提供:島根県教育庁
1996年、農道工事中に発見された銅鐸群。39個の銅鐸は1カ所で発見された銅鐸としては全国最多。わずかではあるが出土状況も確認できるものも残っていた。ほとんどが大きい銅鐸の中に小型の銅鐸をはめ込んだ「入れ子」の状況だったことが確認されている。

「大綱」をどう受け止めたのか

前置きが長くなったのは、少なくとも島根県は「文化財保存活用大綱」という新たなものの出現にひどく戸惑ったことを承知しておいてもらいたかったからだ。では、文化財保護法で都道府県が定めることができるようになった大綱とは何だろうか。

 

国によって提示されたポンチ絵(文化庁2018年7月)(図1)には、市町村が策定した地域計画を国が認定する、としている。そして国と市町村の間に、「都道府県:大綱の策定」という項目がほんの一行の説明で差し込まれている。市町村が作る地域計画に都道府県は大綱を作って関与したり、方針を定めたりできることになっている。私が「大綱」という言葉を目にしたとき、大きな違和感を覚えた。その感覚は二つに大別される。

図1 国によって提示されたポンチ絵 提供:文化庁HP

○都道府県が市町村の計画策定に口を挟むことができるのか

 

文化財を保存・活用するためには、地域ごとの特色を生かした方針があるべきだ。だから地域計画が生み出されたと考える。それを国が承認する。そこで一定の枠組みの中に収まった地域計画が担保されるのだろう。その間で都道府県が何を決めるのだろう。島根県は旧国単位で三つの国に分かれる。それぞれに特色があることは言うまでもない。一方で、地域計画を策定するうえで、県境の市町村などは他県の市町村を視野に入れて、あるいは協力して作成していく場合もあるだろう。そこに都道府県という中間自治体が方針を定めれば、市町村が特色ある地域計画を策定していく足かせになるのではないか。

 

○「大綱」という言葉

 

大綱、という言葉は、感覚的に「大げさ」な表現に思える。たとえば私たちに近い部分で言えば、「教育大綱」があるが、これは教育の目標や施策の根本的な方針を首長が策定するものである。国の指針によれば「大綱は、都道府県における文化財の保存・活用の基本的な方向性を明確化するものであり」とあるから、文字だけを追えば「大綱」で間違いないようだ。しかし都道府県が策定することのできる大綱は、上記で述べた経過を踏まえる限り、「教育大綱」と同じレベルにあるものとは思えない。また、それは簡単に作成できるものとも思えない。

 

このような違和感から抜け出せない個人としての私は、島根県では大綱を策定する必要はないのではないかとさえ思っていた。というより、示されたものを見る限り、抽象的で具体性の乏しい、他県との違いがよく分からない大綱しかできないと思ったのである。

出雲市荒神谷遺跡の銅剣出土状況 提供:島根県教育庁
1983年に広域農道建設に伴う発掘調査で発見。すべての青銅器を発掘調査で検出している。銅剣は358本出土しており、いずれも刃部を立てて、規則正しく並べて埋納している。翌年そのすぐ近くで、銅鐸6個、銅矛16本が出土している。

松江市山代二子塚古墳 提供:島根県教育庁
6世紀半ば頃に築造された、全長94mの前方後方墳。内部は調査されていないが、土層の観察などから大型の横穴式石室の存在が想定される。出雲最大の古墳であり、古墳時代後期に前方後方墳が築かれていることが注目される。

大綱の策定へ

そんな個人的感想とは裏腹に法の施行が近づくにつれて、「島根県はどういう大綱を作るのか」、「島根県はしっかりとした大綱を作ってほしい」という策定圧力がさまざまな方面からかかってきた。都道府県の役割として、国と市町村の間の広域的枠組みの中での方針を示すことは一般的には必要で、専門職員の数や組織力においてもおおむね都道府県の方が大きいとはいえる。またこれまでの支援や行政指導以上のことを大綱として定めることのデメリット以上に、都道府県がしっかりと大綱を定めることで市町村の「暴走」を防ぐといった必要論が台頭してきた。「できる」と規定されているものの、作らないとなると正統な理由が必要となる。基本方針を策定することを否定する論理はないので、結局作ることになったのである。

 

作るとなれば覚悟を決め、市町村の自由度を奪わないことも考えながら、矛盾の生じない大綱を目指す必要がある。働き方改革が叫ばれる中、労力はあまりかけたくない、という思いと、作るなら島根県らしい大綱にすべきとの思いが交錯し、組織として迷いがあった。そうした中で、まずは文化財課内でどのような大綱を作るべきかを議論することから始めた。

 

最初は、市町村が不自由にならないための位置づけである。結論だけを述べると、大綱で記すことは島根県教育委員会が目指す方向であり、市町村はそれを参考にしてもらう、ということとなった。県が考え、実行する(目指す)方針を示し、同じ方向を向いてもらいたい、ということだ。そしてそこに「島根県らしさ」を盛り込むことも意思統一した。

 

もう一つの出口は焦らずに2年程度をかけて策定する、というところにあった。委員会を立ち上げ、大綱としてクリアすべき課題を乗り越えながら作成していくためには、1年という時間は短すぎた。迅速な作成、という空気感は感じていたが、拙速は避けるべきだ。実際に執筆を担当する職員たちにも、2年あれば、という思いはあったと思う。

 

おおむねの方向性について、教育委員会事務局内でコンセンサスを得たうえで、まずは策定委員会を立ち上げる。保存と活用という観点から、さまざまな分野の10人の委員に就任いただき、2019(令和元)年10月8日に第1回の委員会を開催した。各委員には事前説明は十分していたものの、委員会の場では大綱の意味や書き込まれる内容がピンとこない委員も多く、まずは事務局と委員の間で共通のスタート台に立つことが中心的議論となった。そのうえで事務局が作成した大綱の構成素案と、2021(令和3)年3月完成に向けての作成スケジュールについて了承された。スケジュールには、5~6回の委員会開催、折々での島根県文化財保護審議会・教育委員会での報告・審議、島根県議会への報告、パブリックコメントなどが織り込まれた。

島根県文化財保存活用大綱策定の方向性

島根県の大綱は作成途上であり、ここで表すのは2020年3月現在で策定に向かって整理している方向性であることをお断りしておく。議論の中で変更されていくことは想定される。

 

大綱を実効あるものとすると同時に、島根らしさをどのように表すかが方向性を決めるうえでの大きな問題である。国の指針によれば、大綱には文化財の保存・活用に関する基本的な方針が書かれるべきである。一方島根県では、保存と活用に加えて調査・研究という大きな事業の柱を持っている。保存し活用していくためには、文化財やそれを理解するための地域の歴史文化を磨き上げる調査研究が必須と考えている。今後の事業展開を考えていくうえでも、その位置づけは変わらないため、記す内容の柱を「文化財の保存・継承」、「文化財の調査・研究」、「文化財の活用」の3本立てとすることとした。

 

そしてそれぞれの課題を、島根県の実態に沿って抽出することから作業を始めた。課題は大きなものから些細なものまで数々あるが、それらを一度出し切ったうえで、大きなくくりとしてまとめていく。

 

課題をあぶり出せば、それを解決するための施策を講じなければならない。現在実施している施策もあれば、行っていない施策もある。実施しているものについても、その効果が十分なのかどうかを課題に沿って測り、施策に反映させなければならない。ここまでは自動的に構成できるが、絵に描いた餅では意味がないので、実現可能性を配慮しながら施策展開を考えていく必要もある。このあたりの書きぶりは、今後悩んでいくことになるだろう。

 

施策は基本的な方針の達成を目的として実行される。基本的な方針は、ボトムアップの結果だけではなく、県の大きな方針からトップダウンで設定される面もある。島根県教育委員会の場合は「島根創生計画」に掲げられた方針に基づくと同時に、教育の面では「しまね教育魅力化ビジョン」に沿って、まずは基本理念が定められる。それらをもとに掲げた基本理念(仮)は「文化財を確実に継承し、調査研究を進め、情報発信等の活用の場を通じて、人々の交流を進める」とすることとした。そこから文化財の保存、調査研究、活用の3つの柱の基本方針がおのずと定まっていくし、それは課題、施策からも導かれていくはずである。

 

改めて整理をすると、島根県の大きな方針に基づきながら、「文化財の保存・継承」、「文化財の調査・研究」、「文化財の活用」それぞれに、課題、施策、基本方針を定めていくことになる。そのうえで、3本の柱には、課題、施策、基本方針ごとに横串が刺されていくイメージである。

大田市石見銀山遺跡大森地区の町並み 提供:島根県教育庁
世界遺産石見銀山遺跡の中には、2カ所の重要伝統的建造物群保存地区が選定されており、大森地区は銀鉱山の麓に代官所や郷宿、商人屋敷などが軒を並べる。町並みには当地の石見焼きの大瓶や赤いポストなども自然に置かれ、近世から近代の趣をよく残す。

おわりに

大綱を策定するからには空文に終わっては意味がない。それが島根県にとっての目指すべき方向性と個性を示さなければならない。これからも素案執筆に頭をひねり、策定委員会をはじめとしたさまざまな意見を吸収しながら、苦悩を続けることになるだろう。

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