Vol.36
Vol.36
市町村からみた文化財保護法改正の影響
伊勢原市教育委員会参事/教育総務課歴史文化担当課長
建造物修理の現場見学会 [国指定重要文化財宝城坊本堂保存修理現場] 提供:著者
2010(平成22)年から足かけ7年をかけて実施した解体修理中には、所有者や文化財建造物保存技術協会、田中社寺株式会社等の協力を得て、十数回にわたり解体修理現場の公開、講演会、展示会などを実施。毎回多くの市民が、今しか見ることができない姿を見に訪れた。
はじめに
改正文化財保護法(以下、改正法という)が成立し、2019(平成31)年4月に施行されてから1年が経過した。この間神奈川県内では、県による神奈川県文化財保存活用大綱が策定され、1市で条例改正を経て文化財保護事務が首長部局に移管されたと聞いているが、その他には目立った動きはなく、文化庁が「大きな改正」と評したわりには、やや拍子抜けの静けさである。が、今後はどう展開するのか、予断は許されない。
本稿では、未だ顕在化しない改正の影響について、法的に文化財保護行政の表舞台に立つこととなった市町村の立場から考えてみたい。
文化財保護法改正の論点とその背景
- (1)改正法の論点
文化財保護法の改正(以下、法改正という)については、本誌の特集号※1をはじめ、既にいくつも論じられている。改正に対する声明や各紙の論説等も含めると、改正の内容とそれに対する疑問、懸念、不安、課題、そして期待は十分明らかにされていると言っていいだろう。よってここでは、地方の市町村行政の立場に絞り、市町村に大きな影響があると考えられる改正点として次の3点を取り上げる。①文化財保護業務の所管、②文化財保存活用地域計画、③文化財保存活用支援団体。
このほか、国指定文化財の所有者が作成するとされた「文化財保存活用計画」についても、現実的には市町村職員の指導・助言なしには実現しないと考えられ、特に指定文化財が多い自治体にとっては重い業務となる。目先の対応に追われがちな所有者による文化財の管理を、長期的な視野に立って修理、整備、公開すること、そして何よりもそれに当たっての資金計画を、役員、檀家、氏子といった支援者にも示していくことは、文化財の継承にとってとりわけ重要である。ただし、高齢化が著しい文化財所有者と事情に合わせて長期計画を作り上げていくことは難しい作業となる。所有者管理を原則とする法の下においては、必要かつ重要な業務であるからこそ、そして、文化財の防火、防犯、安全対策が重視されつつある今日だからこそ、この課題については実態を把握したうえで、腰を据えて取り組む必要があると考える。
- (2)法改正の表と裏
今回の法改正に当たり、改正の理由、趣旨を、文化庁作成の資料や諮問機関である文化審議会の一次答申※2では次のように説明している。
過疎化・少子高齢化の進行による地域の衰退が、文化財の滅失や散逸等の危機となっており、未指定を含めた文化財をまちづくりに活かしつつ、文化財継承の担い手を確保し社会全体で支えていく体制づくり等が急務である。
これまでも地方の文化財は、開発や核家族化等の影響を受けてきたが、新たに直面する過疎化・少子高齢化は、地域の力、地域の存在そのものを危うくし、文化財の継承にとってこれまでにない危機となりうる。従来のシステムでは対応できないことが見えてきた中、地域で文化財を継承していくための新しい方策を研究していく必要があることは、既に多くの関係者が実感していると思う。そのためには、法改正も必要となるだろう。
一方、改正案が提出された国会冒頭の内閣総理大臣による施政方針演説は、次のとおりであった。
我が国には、十分活用されていない観光資源が数多く存在します。文化財保護法を改正し、日本が誇る全国各地の文化財の活用を促進します。自然に恵まれた国立公園についても、美しい環境を守りつつ、民間投資を呼び込み、観光資源として活かします。多くの人に接していただき、大切さを理解してもらうことで、しっかりと後世に引き渡してまいります。
この一節は、地方創生の起爆剤と位置づける観光立国の施策のひとつとしての発言であり、経済政策の一環として法改正を図ると理解される。法改正を巡るこれら二つの説明の乖離が問題である。文化財の活用促進は、文化財を後世に引き渡していくための一手段ではあるが、一手段にすぎない。こうした部分の説明不足、論理の飛躍に疑問が感じられるがために、“保存より活用を重視”、“人を呼べない文化財の切り捨て”といった批判につながったのだろう。ちょうど、「活用の邪魔になる学芸員は不要」、「生産性のないものに国費をつぎ込むことはいかがなものか」という国会議員の発言も、本音と建前の使い分けを感じさせることとなった。このような点が法改正に際する議論につながったと考えている。
ただし、東京オリンピック・パラリンピック開催決定以来、海外に日本文化を発信し、外国からの誘客増大を目指す政策の一環として、文化財の観光資源化が進められているのは既成の事実であり、今後も継続されていくと考えられる。保存と活用のせめぎ合いは続けられることとなる。一方で、過疎化・少子高齢化の進行による人口減少社会における文化財の継承も、私たちが立ち向かわなければならない大きな課題である。これら二つは、法改正以前からの課題であり、今回の改正で解決できるものでもない。改正法の運用を図りながら、引き続き取り組み続けなければならない。
活用事業の一例 [宝城坊宝殿特別展覧会] 提供:著者
本尊である薬師三尊像のほか、23躯の仏像、厨子や獅子頭など合わせて8件の国重要文化財を収める宝殿。関東屈指の文化財の宝庫を日本博事業の一環として特別公開。期間中は、解体修理が完成した本堂とともに、多くの参拝者で賑わった。
市町村として注視する三つの改正点
- (1)首長部局への事務移管
この件に関して、文化財保護法に加えて、地方教育行政の組織及び運営に関する法律も改正された。従来も補助執行制度等により、事務執行のみ首長部局へ移管することはできたが、本改正により、市町村条例に基づき、地方文化財保護審議会の設置を条件に全面的な移管が可能となった。今後は、既に半数以上が首長部局に補助執行または事務委任をしている政令市を中心に、規模の大きい自治体から正式に移管手続きが進むものと予想される。そしてそれは、文化財の価値と意義を認識した上で、その有効活用を積極的に進める意図を持って実施されると思われ、首長の意向が文化財の保存と活用にダイレクトに反映されるという法改正の意図に合致する効果が期待できる。そしてその効果も、観光だけでなく、都市計画や防災等、広い分野で有効な成果事例が蓄積されていくことを期待したい。一方で、「文化財の本質的な価値が毀損されないよう十分に留意する」必要があるという附帯決議が示すように、首長の意向が文化財保護の中立性、継続性・安定性に影響を及ぼす事態も想定される。ただし、その実態把握、対応策については現時点で有効な方策を提示することができない。都道府県に期待するところもあるが、まずは附帯決議にあるように地方文化財保護審議会の専門性の向上と、同時に審議会と行政をつなぐ事務局の役割が重要になってくるだろう。つまり、行政内での文化財担当者の専門性と行政官としてのスキルがより求められることとなる。
資料1 文化財保護法改正の附帯決議 提供:衆議院第196回国会閣法第35号附帯決議(衆議院ホームページより)http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/html/rchome/Futai/monkaE8CC9846C05A7A2D49258294001B6B3D.htm
- (2)歴史文化基本構想と地域計画
改正法の大きなポイントとなる市町村が作成する文化財保存活用地域計画(以下、地域計画という)は、歴史文化基本構想(以下、歴文構想という)を継承発展させる形で位置づけられた。よって、地域計画については、歴文構想との関係を明らかにしておかなければならない。詳細については既に私見をまとめているので※3、ここでは要点のみを記しておく。
図1 歴史文化基本構想の策定状況 提供:著者
東京オリンピックの開催決定後、様々な活用策と組み合わせ、財政的支援制度を設けることで策定が広がったことがわかる。全国で108件となったが、それでも全市町村の6%ほどである。2019(平成31・令和元)年度以降は地域計画に移行。
歴文構想制度の発足は、2007(平成19)年に文化審議会文化財分科会企画調査会から提出された報告書※4を契機とする。この報告書では、文化財を総合的に把握し、それを地域一体となって継承していく仕組みづくりが必要なこと、その任務は地域に密着した市町村がふさわしいこと、そのための一歩として市町村が文化財保護の独自計画を策定していく必要があることが述べられた。市町村にとっては、地域における総合的な文化財保護の担い手として位置づけられたという点で、画期的な内容であった。
翌年から文化庁は、市町村が歴文構想を策定するモデル事業をスタートさせ、3年間で全国の20団体(23市町村)が歴文構想を策定したが、残念ながら、その浸透は思いどおりには進まなかった。その理由としては、①基本とされている地域の文化財の総合的把握(悉皆調査)というハードルが高かったこと、②歴文構想の法的、行政的な位置づけがそれぞれの自治体に任されていたこと、③策定に対する支援、策定後のメリット(財政優遇策等)が伴わなかったこと等が挙げられる。
そうした中、2013(平成25)年の東京オリンピック・パラリンピックの開催決定により、国を挙げて日本の魅力を海外に発信していく機運が高まり、クール・ジャパンのひとつとして、にわかに文化財による観光振興が言われるようになる。その後創設された日本遺産、日本博、リビング・ヒストリーといった制度もこの一環である。そして歴文構想も、こうした事業と関連付けられ、策定や構想に基づく地域活性化事業(観光拠点づくり)にも補助制度が創設され、策定のメリットが保証されることとなり、歴文構想の策定も増加することとなった。行政に理念は必要であるが、それ以上に必要なのは資金であるという市町村の現実が見て取れる。
そして、その歴文構想を継承、発展させたものが地域計画とされている。両者の大きな違いは、地域計画が法に定められ、文化庁長官の認定を受ける制度となり、作成した計画が一定の法的裏づけと行政的な効力を有するようになったこと。もう一点は、地域計画の要件として文化財の保存及び活用に関する措置と計画期間の明示が必要となったこと。つまり、文化財のマスター・プラン(歴文構想)にアクション・プランを加えたものが地域計画とされている。法的根拠と実効性の産物として、作成及び計画に基づく事業に対しても支援策が用意されている。既に、全国で9市町が認定を受け、私の勤める伊勢原市も地域計画への取組を進めることとしているが、それは文化財への理念が高いわけではなく、作成後の支援策を期待してのことである。ただし、地域計画の策定を通して自分たちの業務を見直し、目の前の仕事からやや視線を上げて、5年後、10年後にどうしたいのか、どうするべきなのかを職員一人ひとりが考える機会としたいとも思っている。
- (3)保存活用支援団体の位置づけ
今回の法改正で新しく定められた保存活用支援団体(以下、支援団体という)については、地域住民をはじめとする市民の意見を反映させるシステムと評価する※5一方、地域に縁のない民間の営利団体の関与を許すとする批判※6もある。どちらもあり得ると考えられ、要は運用次第ということであろうか。
この点について伊勢原市での体験を紹介しよう。伊勢原市では、2004(平成16)年から文化財に関わる市民ボランティアの養成を行っている。所有者の高齢化や行政の人員削減を見据え、その支援、市民とのパイプ役としての役割を期待してのことであった。これまで5期を終え、112人の認定者を輩出している。参加者は高齢者が多いが、各人が自分の得意分野を活かすグループに属し、積極的に活動する姿には驚かされる。市内の石造物の悉皆調査、民俗行事の調査、案内板の設置、古民家を利用した展示、市民を対象とした講演会の開催、文化財ウォークの実施、まが玉づくり教室等、挙げればきりがない。その成果は、調査報告書やウォークガイドの発行、新たな市の文化財登録として結実し、地方新聞の連載コラムを担当するまでになっている。小学校への出前授業や展示会のサポートといった市の事業も含め、私たちの想定を越える活躍ぶりであり、既になくてはならない強力な支援者である。
しかし、この方々を保存活用支援団体として認定することは考えていない。そうした組織としなくても、意見も、提案も、時にお叱りもいただいている。こうした市民活動のいいところは、自分の意思で、楽しんで取り組むところであり、それが市民と文化財の距離を縮めることにつながっている。彼ら、彼女らに厳めしい名はふさわしくない。
結局のところ、保存活用支援団体制度の利用も、それぞれの市町村の考え方次第である。ここでも、文化財担当職員が市民団体と向き合い、その信頼を得て、協働する関係を築いていけるか、にかかっている。
市民団体による活動例① [石造物の悉皆調査] 提供:著者
道祖神、石仏、道標等、市内の石造物を悉皆調査する伊勢原市文化財協会のメンバー。調査の成果は地区ごとに石造物調査報告書として刊行している。このほか、石造物巡りや講演会も開催。
市民団体による活動例② [無形民俗文化財の調査] 提供:著者
ISEHARA・おもてなし隊による「大山灯籠行事」の調査状況。江戸時代以降、大山詣りの一行のために夏山の期間だけ灯籠を立てる行事。調査成果をもとに、市の登録文化財となる。
改正法の受け止めと派生する問題
- (1)文化財で稼ぐことの是非
法改正に当たり、文化財の観光資源化、言い換えると、「文化財で稼ぐ」ことについて様々な意見がかわされた。個人としては、間違ったことではないと考えている。文化財はその価値を多くの人に知ってもらうことで、大切にされ、継承されていく。価値を共有してもらうためには公開し、説明する機会が必要である。一方、文化財の価値は、専門的調査により明らかにされる。人は価値のわからないものには魅力を感じない。また、価値あるものを健全な状態に維持管理していくためにも専門家の見立てが必要になる。大切なものを大切に扱っていくことで、文化財で稼ぐことも可能となる。
このように、文化財で稼ぐことは、文化財を健全に保存していくことと密接に関係する。また、文化財の活用の一手段でもある。そして、文化財保護法第1条では、法の目的のために文化財の保存と活用を図ることが謳われている。つまり、地域において文化財で稼ごうとするならば、文化財の保存を前提に、文化財活用方策のひとつとして、地域計画に位置付けたうえで実施していくべきであろう。より積極的に文化財の活用を図りたい市町村こそ、地域計画が必要となるのである。
また、文化財で稼ぐことを考えるとき、その稼ぎの行方も考えておく必要がある。文化財の活用を文化財の継承につなげていくのなら、人々の理解と関心に働きかけるだけではなく、稼ぎを直接保存に結び付ける考えも必要だろう。この資金の循環は言うほど簡単ではないが、その試みを紹介したい。
伊勢原市では日本遺産の認定を受け、国の支援を利用して日本遺産関連商品開発を進めてきた。その成果として、老舗茶屋の緑茶と地元産の生乳を原料として日本遺産大山をイメージした焼き菓子を開発した。そして、生産、販売する地元企業の厚意で売上の1%を文化財保護のために寄附していただけることとなった。社長の話では、日本遺産という地域の取組に企業として参加できることに魅力を感じるとのことであった。始まったばかりの企画であり、その額も大きくはないが、歴史・文化財が地域企業にとって投資する価値がある対象と判断されたことに意義を感じる。今後の可能性を見出したい。
日本遺産で開発した商品[生乳茶菓] 提供:著者
茶加藤、柏木牧場、株式会社ありあけのコラボレーション。「日本遺産のまち 伊勢原うまいものセレクト」の認定ブランド。売上の1%が市の文化財保護・周知のために寄附される。
- (2)文化財格差と市町村格差
今回の法改正は、過疎化・少子高齢化を課題としながらも、その内容は人口減少に悩む自治体ではなく、体制が整い、文化財の価値が共有され、その積極的活用を図りたい自治体に作用すると思われる。そこでは、保存と活用のバランスという先に触れた課題が横たわるが、これまで文化財と関わりがなかった人たちとの出会いや共同作業を通して、文化財担当者側も経験を積み、稼ぐことを含む文化財の活用について幅広く取り組んでいくべきであろう。しかし、現実には活用が難しい文化財も存在する。文化財を生産性で評価すれば、それらは価値が認められなくなり、文化財間の格差も拡大していくこととなる。文化財の歴史的、文化的価値を正しく伝え、評価していくことが重要であり、それも文化財専門職員の腕にかかっている。
一方、課題なのは、法改正にも関心を示さない市町村の文化財である。そうした市町村では、えてして文化財担当者がいない(少ない)、その多くは財政規模が小さい、人口が少ない、という傾向にある。つまり、文化財の市町村格差もますます広がっていくと考えられる。そして、差が広がってしまった市町村にその自覚が乏しく、外から実態が見えにくいというところにも難しさがある。あるいは、担当者に自覚があっても、その自治体の努力だけでは改善できないという状況もある。今回の法改正が「過疎化・少子高齢化などを背景に、文化財の滅失や散逸等の防止が緊急の課題」としているのならば、こうした事態に対する方策こそが具体化されるべきであった。国が自ら手を出さないのであれば、都道府県に対して人口減少地域の文化財の実態や保護体制について把握していく必要性を明確に伝え、その打開に向けた検討を大綱に盛り込むことが必要だったのではないか。ちなみに、同様の主張をしたものの、この部分が神奈川県の大綱に反映されることはなかった。文化財格差、市町村格差は、該当の市町村だけでなく、都道府県を軸とした総合的な取組なしに解決は難しい。
まとめ
以上、文化財保護法改正に伴い、顕在化していない中ではあるが、市町村の立場からその影響について考えてみた。残念ながら今回の改正では、“人口減少社会における文化財保護”という大きな課題を解決する糸口を見出すことはできない。一方で、文化財をまちづくりに活かしていくという取組については、成功事例が積み上げられる期待がある。そしてそこでは、保存と活用のバランスの在り方や専門職員の役割が実状に基づき議論されなければならない。
見てきたように、今回の法改正は、文化財保護の担い手として市町村の主体的な取組を後押しする。自らの意思で前向きに取り組むことで実を結ぶ内容と言える。それぞれの市町村が自分の考えで地域の文化財に取り組むことが求められる。その道標が地域計画ということだろう。そしてそのためには、それぞれの項目で示してきたとおり、附帯決議の2番目に記された、「文化財に係る専門的知見を有する人材の育成及び配置が重要」であり、「国及び地方公共団体がより積極的に取組を行う」ことが不可欠となる。