
Vol.36
Vol.36
法改正と文化財の総合的保存活用 ―文化財保護法改正1年―
公益財団法人大阪府文化財センター理事長 奈良大学名誉教授
はじめに
広く注目を集めた文化財保護法改正の施行(2019年4月)から1年が経過した。近年これほど文化財保護法が注目されたことはなかった。文化財に関係する歴史・考古学や美術史などの学界でも大きな議論をよび、否定的な意見も多かったことは記憶にあたらしい。
改正法施行を間近にひかえた2018年12月、本誌Vol.33において、この改正が特集された(https://www.isan-no-sekai.jp/list/vol33)。文化財の現場を熟知した5名の専門家が現状をレポートした。従来の考え方にとらわれない斬新な文化財活用の考え方や試みなどが紹介され、文化財の新たな展開がはじまっていることを実感した。その一方で、現場で重要な役割を担う自治体の担当職員が全般的に不足し疲弊しているとの指摘は重かった。私は国会の付帯決議を踏まえて、保存と活用の均衡と専門的人財の育成・配置が重要だと書いた。
今回、あらたに全国の都道府県・市町村にアンケートを行い、現場の状況を把握するとともに、現場の担当者から現状と課題について寄稿いただいた。いち早く現状を伝えたいとの編集者の思いである。
今年に入って、新型コロナウィルス感染症の世界的な拡大により、これまで経験したことのないような混乱が世界中で生じている。インバウンドにごった返した各地の観光地は静まり返り、列島全体が沸き立っていたはずの東京オリンピックは延期された。誰しもまったく予想できなかった事態である。まだまだ先行きは楽観できないと多くの識者が口をそろえる。これからは、コロナを前提とした新しい生活様式が世界共通のスタンダードだという。
このようなときだからこそ、観光やインバウンドに偏りがちだった視点から離れて、この改正の歴史的位置づけを冷静に考え直す必要がある※1。
観光政策に立った政府の説明
このたびの法改正は、政府全体のなかでは、国の観光政策に伴って、目的や必要性が語られることが多い。2016年3月、首相官邸は「明日の日本を支える観光ビジョン-世界が訪れたくなる日本へ-」のなかで、「『文化財』を『保存優先』から観光客目線での『理解促進』、そして『活用』へ」※2と、従来のあり方を保存優先とし、観光活用へのシフトを言明した。そして、オリンピック開催に合わせて「2020年までに文化財を核とした観光拠点を全国で200整備」と具体的な政策をかかげた。文化庁はその実現を「文化財活用・理解促進戦略プログラム2020」※3で示した。文化庁が認定する「日本遺産」がはじまったのは、その前年2015年4月であるが、文化庁の観光活用重視の姿勢がより鮮明になった。観光は有効な活用の一つではあるものの、この改正が文化財関係者に素直に受け入れられてはいない背景はここにある。
わたしは考古学の専門で、これまで40年以上文化財、とくに遺跡・埋蔵文化財の保存・活用にかかわってきた。開発事業で失われようとする遺跡を懸命に発掘調査し、そのいくつかを史跡指定し確実な保存を図ってきたことに誇りも感じている。この20年ほどは、保存だけではなく、地域住民や学校などでの活用も関係者あげて積極的に取り組んできた自負もある。それだけに経済優先の観光活用だけが求められる論調に違和感があった。
このような懸念があるのは事実である。しかし、戦後の地域社会で大きな位置を占めてきた遺跡・埋蔵文化財中心のあり方を考えるとき、この改正は地域社会の変貌に応じて総合的な文化財の保護をめざす側面もあると思うのである。広く総合的にながめると、すでにこの四半世紀の間、新たな文化財政策が種々取り組まれてきている。このたびの改正はその制度化といえると思う。
現代の地域社会の変貌と法改正の必要性
今般の改正目的について、文化庁は、文化財を支える地域社会の衰退に対応し、文化財を行政だけではなく社会全体で支えていく「地域総がかり」の体制をめざすとする。いま全国どこでも人口減少・少子高齢化、中心市街地空洞化など、地域社会の維持が困難になり、政府や地方自治体では地方創生、地域づくりが喫緊の課題となっている。地域社会に育まれた文化財は、その存続なくしては保存・継承されないからである。
【近世に画期がある現代の地域社会】
現代の地域社会の中核をなす都市は、歴史的には近世の城下町を起源とするものが多い。全国47の都道府県庁在地※4では全体の7割に及ぶ。城下町は1600年前後の安土桃山期から江戸初期に、新たな地域支配の拠点として各地に城郭が築かれたことに始まる。もちろんそれは古代・中世を基礎にしているが、新たに計画的に造営されたものであり、それまでの地域の核より圧倒的に大規模である。
たとえば大阪(大坂)は、その起源は7世紀半ば大化改新直後に造営された難波宮に画期がある。しかし、現代の都市大阪の直接的な起点は、1583年に豊臣秀吉が上町台地北端に築城した大坂城にある。城下町は、城の南側から西側にかけての台地上と低地に、堀や街区を伴って計画的に造られた。明治維新で廃城となり、その後近代の都市計画が施行されても基本形は引き継がれ、都市は継続して発展し現代に至る。大阪の地理を知る人ならば、江戸時代の絵図(図1)を理解することができるはずだ。港町や宿場町でも一般的に近世にはじまる。農村も中世後期には成立し近世に制度的に整備され今日に至る。
図1 元禄4(1691)年発行の新撰増補大坂大絵図(出典:大阪市立図書館デジタルアーカイブ)
【地域に息づく文化財の危機】
このように、現代の地域社会は数百年も連続した豊かな歴史がある。しかし、20世紀後半以降、社会・産業構造が急激に変化し、地域社会の衰退は著しい。それでも現代の地域には、人々の暮らしのなかで息づいてきた建物や町並み、祭礼・伝統技術、古文書・絵画・彫刻など、多様な文化財がかろうじて守り伝えられてきている。各地の歴史を訪ねてまち歩きをしてみればよくわかる。
しかし、これら地域に根づいた文化財は17世紀以降の近世・近代のものが多い。文化財のなかでは比較的新しく日常的なもので、いまも生きているものが多いだけに、文化財としてきちんと認識されないまま、保存の危機に直面しているのである。
近世・近代の文化財と近年の文化財政策
【近世・近代の文化財政策】
地域社会で今も生きる近世・近代の文化財を保護しようとする政策は、1970年創設の「伝統的建造物群」つまり歴史的町並みに始まる。その後、四半世紀前から活発に打ち出されてきた。それらを列挙すると、①建造物の登録制度(1996年)、②新しい文化財類型「文化的景観」の創設(2004年)、③「歴史文化基本構想」の提唱(2007年)、④国土交通省・農林水産省と共同の「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」(通称「歴史まちづくり法」、2008年)、⑤「日本遺産」の認定(2015年)などである。2000年頃から全国的に熱を帯びた⑥世界遺産登録推進も同じ流れのなかにある。
①建造物の登録制度は、建築から50年を経たものまでを対象とする。積極的な活用が前提であり現状変更の規制もゆるやかである。明治以降の近代建築・近代化遺産だけでなく、戦後建築も積極的に対象とする。登録件数はすでに12,000件を超えている。②文化的景観の対象は、重要伝統的建造物群がおもに集落・町場を対象とするのに対して、集落はもとより周辺に展開する棚田や里山・水郷など、現代の生活・生業にかかわる広大な土地である。景観法とも連動しており65件が選定されている。
【文化財の総合化と地域・観光振興】
従来の文化財制度は、種別ごとに指定・選定等の物件のみを対象に、個別バラバラに保存活用されてきた。これでは個性ある地域の歴史をトータルに知ることや、地域・観光振興などに柔軟に多角的に活用することは困難である。そのため、③歴史文化基本構想は未指定文化財も含めて、縦割り解消、点から面への総合化をめざし、「関連文化財群」「歴史文化保存活用区域」を設定する。これをおもに事業化するのが④歴史まちづくり法である。その背景には中心市街地の活性化、地域・観光振興もあり、都市計画・建設部局の事業が欠かせない。認定地区は78件である。2015年に認定開始された⑤日本遺産は、文化財を点から面へ拡大し歴史のストーリーを認定するもので、活用を重視した文化庁の観光政策ともいわれる。
埋蔵文化財から総合的保護へ
【大きな位置を占めてきた埋蔵文化財】
戦後日本においては、考古学的な遺跡(埋蔵文化財)を保護するための発掘調査が重要な施策としておこなわれてきた。その背景には、戦後1947年から発掘調査された静岡県登呂遺跡(写真1、2)の大きな反響があった。地下から掘り出された2000年前の住居や水田は、敗戦で歴史を失った国民に夢と希望をもたらした※5。遺跡も必要な文化財であるとの認識が醸成され、土木工事の事前に発掘調査を行うことになり、それを地方自治体が担うことになった。全国で行われてきた多くの発掘調査は、かけがえのない地域の歴史を解明し、日本考古学の進展にも大きく貢献した。
写真1 登呂遺跡の調査風景(提供:静岡市立登呂博物館)
写真2 現在の登呂遺跡(撮影:筆者)
こうした経緯をへて地方自治体で文化財を担当する専門職員には、考古学を専門とする埋蔵文化財担当者がきわめて多くなった。2019年では、全都道府県に計1,747人、3分の2の市町村に計3,845人、合計5,592人(いずれも有期職員、法人職員を含む)である。とくに市町村では他の文化財も担当することが多く、文化財全般に果たしている役割は大きい。
しかし、文化財の種類は多い。文化財保護法では有形文化財・無形文化財・民俗文化財・記念物・文化的景観・伝統的建造物群の6つとされている(図2:文化庁の分類図)。考古学ではどうしても原始・古代など古い時代を得意とし、文書など文献・記録に弱い。廃絶した地下の痕跡を扱うことが多く、地上に存在し生きた文化財にも慣れてはいない。多様な文化財に広く対応することはむずかしい。
図2 文化財の分類図(文化庁HP掲載図をもとに作成)
【他分野の専門職員】
自治体に配置された分野別の専門職員数(2017年、図3※6)をみると、やはり記念物・埋蔵文化財が専門のうちの約7割を占め圧倒的に多い。これに比べると美術工芸品・建造物・民俗などはかなり少ない。それでも一定数配置されていることは注目してよい。
図3 地方自治体の文化財担当の平均職員数(カッコ内は正職/非常勤の人数)
他分野の専門職員は最近増えつつあるが、長年の実感からすると、文化財行政を担当する者はそれほどいない。おそらく博物館・資料館の専任が多いと推定される。その学芸員としての職務も重要ではあるが、もっと行政部署に異動して自らの専門分野の保存・活用に取り組むべきだと私は思う。同時に歴史・美術史などの学界においては、もう少し文化財マネジメントに関心をもつ必要があるのではないか。それが専門職員の育成・配置や研究の推進にもつながると考える。なお、専門外の職員の占める割合も町村ほど高く、専門職員そのものの存在も少ないのが実態だ。
いま求められている近世・近代以降の多様な文化財を考慮すれば、専門職員はこれまでのように埋蔵文化財・史跡主体ではなく、地域の特性に合わせたあり方をめざす必要がある。
おわりに ―現場からみた文化財の意義―
これまでも文化財の世界では市町村が重要な役割を果たしてきた。文化財が地域や住民と一体にあり、市町村が担当することが適しているからであろう。今回法定化された「文化財保存活用地域計画」は市町村が策定するのが当然である。本誌のうち市町村の担当者である立花さん、高崎さん、道迫さんの論考には、地域とそこで育まれた文化財に対して熱い思いがうかがえる。地域住民の存在が重要だと強調されるのは文化財の本質を熟知されているからであろう。高崎さんは経験を踏まえて、日本遺産の成功の指標とされるたくさんの観光客・インバウンドは必ずしも求められる未来ではないという。地域博物館を担う道迫さんは、地域住民の生涯学習、文化活動の拠点として住民に支持され、必要とされることが重要であり、観光・経済面はそれに次ぐとする。
都道府県の「大綱」策定は2019年度に完了したところが多く、遅くともおおむね2020年度で終わるようだ。その大綱をいくつか読むと、保存と活用の均衡に配慮し、地域住民や教育などを意識した堅実な内容といえる。地域計画の策定は2020年度で100程度の市町村で始まった。大綱よりも具体的な内容を必要とする地域計画はそれほど容易にできるわけではない。すでに下地となる歴史文化基本構想があれば別であるが、補助金獲得のために安易に着手したところもあるかもしれない。
立花さんは市の立場から、文化財における市町村格差が大きいとし、県の支援が重要だとする。丹羽野さんは島根県らしい方針として、文化財の保存継承から活用への過程の中に調査研究を入れていると強調する。観光に重点をおくと歴史の真実性はいい加減になりやすい。こうしたあるべき姿を示すことも、市町村に対する必要な支援を行うことも、すべての都道府県に行ってほしいものである。
新しい生活様式が求められるなか、観光業界においても、インバウンドではなく地域の人々や文化の特性を生かした展開が必要だといわれていると聞く。文化財の特性は地域に育まれてこそのものであり、そこを見失ってはいけない。