Vol.33
Vol.33
文化財保護法の改正を迎えて
奈良大学 文学部文化財学科 教授
国の特別史跡に指定されている静岡県の登呂遺跡。弥生時代の農耕集落。住居、倉庫、水田が復元され、博物館も隣接している。敗戦に打ちひしがれた日本国民に夢と希望を与えた遺跡としても重要。 撮影:編集部
文化財における保存と活用
日本の文化財保護のあり方を規定する文化財保護法が今年(2018年)6月に改正され、その施行を来年(2019年)4月に迎える。文化財の「保護」はこの法律第1条に明記されているとおり、「保存」と「活用」の両輪からなる。過去の人々の営みを伝える文化財については、その価値を保存し将来に守り伝えるとともに、その公開などの活用によりその価値を広く社会に生かすことが求められる。
今般の法改正はこれまでの保存重視から活用重視にシフトする方向にある。これに対して、これまでも文化財関連の学会・団体から、歓迎する意見とともに、多くの問題点が指摘されてきた。これほど文化財全般が広く議論された法改正ははじめてだろう。それだけ重要で大きな改正と受け止められている。
本特集では、法改正に伴う現状と課題について、地方自治体における文化財保護の経験豊富な5名の方々にご執筆いただいた。現場を熟知しているだけに、いずれも鋭い指摘がなされている。これらを参考にして、法改正を迎えるにあたって留意すべき課題について少し考えてみたい。特別寄稿(https://www.isan-no-sekai.jp/contribution/4804)とも一部重複するが、あわせてご参照いただきたい。
特別史跡・平城宮跡。朱雀門前の発掘調査現場。 撮影:奈良文化財研究所 栗山雅夫氏(2012年5月撮影)
法改正の目的・要点と付帯決議
この改正の目的と要点については、杉本氏が以下のとおり、短く的確にまとめておられる。すなわち、文化財の計画的活用と地方の文化財行政の強化を図る目的で、①文化財の総合的な基本計画として都道府県に「大綱」、市町村に「地域計画」の策定を求め、②文化財の所有者・管理者には「保存活用計画」の策定を求める。③これらを支援する民間の「支援団体」の活用を図り、④自治体の文化財行政を強化するため首長部局へ文化財を移管することを可能とする。
文化庁は、改正の目的について、文化財を支える地域社会の衰退に対応するため、文化財を社会全体で支えていく、いわば「地域総がかり」の体制をめざすとする。現在の文化財を取り巻く厳しい現実をみれば、改正がめざす方向は理解できるところである。
一方、さきの通常国会で、首相の施政方針演説において、法改正は観光立国のなかでとりあげられた。政府全体としては、「文化財を保存優先から観光客目線での理解促進、そして活用へ」(首相官邸「明日の日本を支える観光ビジョン」、2016年3月)との方針からみて、文化財の観光活用を推進するとともに、地方創生にもつなげる方向にある。たしかに観光は他地域の文化財を知ることとなり、地域振興にもつながる。有効な活用の一つである。
地域総がかり体制と観光活用の二つの方向は、相反するように見える。双方が適切に実現できればそれにこしたことはない。そのために、必要なことは何だろうか。
改正法には7項目の附帯決議が可決された。このなかにその実現のために不可欠の視点が二つ提示されている。一つは文化財の「保存と活用の均衡」であり、もう一つは「専門人材の育成・配置」である。このことは文化財の世界ではよく知られたことではあるが、世間一般にも、観光・地域振興を担う行政の首長部局分野においても、正しく認識されてはいないと思われる。それぞれの課題をみておこう。
京都駅南口の平安京跡。ホテル建設に伴う発掘調査の現場(元興寺文化財研究所担当)。 提供:著者(2017年7月撮影)
保存と活用の均衡
【問題はオーバーユースだけではない】
文化財の活用とは、専門家以外の人々が文化財に親しみその価値を知る機会である。それを進めることは、日本国民が全国各地の豊かな歴史と文化を知ることとなり、それが海外の人々にも理解されることにつながる。活用の重要性はここにある。
しかし、活用はどんどんやればいいというものではない。文化財の世界では、文化財の活用は、その保存を確保できる範囲でしかやってはいけないのが鉄則だ。保存と活用は相反する性質があるからである。たとえば絵画や彫刻などの場合、公開することは、光や温湿度の変化により劣化を招く。そのため、その公開は、保存環境が適切な博物館等の施設において、一定の期間に限る必要がある。多くの観光客が訪れるために、歴史的建物の床がすり減ることや、歴史的な町並みを支える地域住民の生活がままならないことなども同じ問題である。文化財のオーバーユースは避けなければならない。このことは一般にも理解しやすいと思う。
しかし、問題はこれだけではない。むしろもっと重要なことがある。それは文化財を活用する前提となる保存を確保するまでには、専門家による多くの調査や研究が必要であり、それに多大な時間と労力がかかることである。今後、活用だけが必要以上に求められると、現在保存されているものの活用だけにウエイトが置かれることになる。しかし、現状ではまだまだ多種多様の多くの文化財が、その存在も十分認知されず、学術的価値も評価されない実態にある。結果、そのまま放置され、失われてしまうことになる。この半世紀、全国の地方自治体が懸命に取り組んできた埋蔵文化財(遺跡)保護の実績をみると、このことがよくわかる。
【活用に至るまでの諸段階】
埋蔵文化財行政においては、保存・活用の全体を、四つの段階(行程)で整理することが定着している(図1)。①遺跡の所在と内容を調査により「把握・周知」する段階、②遺跡の保存に影響を及ぼす開発事業との「調整」の段階、③遺跡を現状のまま(「現状保存」)、あるいは発掘調査記録(「記録保存」)を「保存」する段階、④そして「活用」の段階である。活用は最終段階となるが、それがさらによりよい把握・周知、調整、保存へと展開していくこととなる。遺跡の発掘調査といえば、件数・規模が多大な③の記録保存調査だけと思われがちだが、③の現状保存でも、他のいずれの段階においても専門的な調査・研究を必要とする。
国の指定史跡は上記③の現状保存された遺跡が対象となり、現在1,800件を数える。多いと感じるかもしれないが、これは1919(大正8)年の史蹟名勝天然紀念物保存法の制定以来100年間にわたって、多くの関係者の努力と協力によって、ようやく達成されたものである。このうちこの半世紀に指定された約1,000件は、地方自治体に配置された専門職員が担当した調査成果によるところが大きい。それが今ようやくさまざまな活用事業が展開しつつある。当然、今後さらに活用を推進する必要がある一方で、保存に至っていない遺跡の調査研究を行う必要もある。
図1 埋蔵文化財行政の構造
出典:「埋蔵文化財の保存と活用(報告)」(文化庁、2007)(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/pdf/hokoku_07.pdf)のP5を元に編集・加工して作成
専門的人材の育成・配置
【活用にも必要な調査研究】
すでに述べたように、保存と活用の均衡を実現するためには、そもそも活用以前の段階に多くの労力を必要とすることを正しく認識し、今後さらなる活用に対応する専門的人材の配置を拡充する必要がある。
また活用にも専門的な調査研究が必要である。本誌で福岡市や浜松市における斬新で多彩な活用事業の展開が紹介されている。文化財の活用を持続させるためには、福岡市の杉山氏が断言するように「基盤的・専門的な情報の蓄積と公開が絶対のインフラである」。福岡市は、政令指定都市ではあるが、都道府県もしのぐ専門職員数を誇り、これまで懸命に発掘調査を行い、現状保存して多くの史跡を指定してきた。それを支える研究も高いレベルを維持してきた。長年の調査研究がなければ、真の活用は実現できないことを示している。
【地方自治体における専門的人材の現状】
都道府県・市町村の地方自治体においては、これまで遺跡調査への対応が迫られた経緯から、埋蔵文化財を担当する考古学の専門職員が採用、配置されてきた。その数は発掘調査量とともに増減し、現在は全都道府県と3分の2の市町村に、計5,645人(2017年)が配置されている。埋蔵文化財担当が他の文化財も扱うことも一般的であり、とりわけ市町村ではその傾向が強い。
この改正で重要な意味をもつ地域計画と個別の保存活用計画の策定にあたっては、地方公共団体、とりわけ市町村の専門職員が中心的な役割を担うことになる。たしかに本誌執筆者の杉本・鈴木・谷口の各氏のように、埋蔵文化財担当者でありながら、地域の多様な文化財に精通した経験豊富な担当者もいる。しかし、そのような職員がどこにもいるわけではない。いたとしても職員の絶対数は少なく多くの業務に忙殺されている。そもそも3分の1、約600の市町村には埋蔵文化財専門職員さえいない。民間の支援団体やコンサル会社に頼るという考えもあるかもしれないが、策定する主体者には、きちんとした体制が不可欠である。市町村の体制を増強・拡充することがどうしても必要だ。
一方、広域自治体としての都道府県においては、市町村の地域計画の指針ともなる大綱を策定できるとされたが、体制不十分な市町村に対する支援が重要な役割である。しかし、都道府県は市町村よりも職員が相対的に多いとはいえ、財団法人の組織で職員を採用してきたところを中心に、大綱の策定や市町村の支援を担当できる職員が2・3人程度しかいない都道府県も少なくない。また、考古学分野以外の分野の職員もいちじるしく少ない。
沢田氏も述べているとおり、市町村の役割が大きくなった今日、都道府県が果たすべき役割を議論することも必要だろう。
新たな政策と近世・近代の文化財への対応
【法改正の背景にある新たな文化財政策】
これまでウエイトが置かれていた埋蔵文化財は、おもに機能が廃絶した集落や生産遺跡などを対象とするものである。近世以降の時代も対象とはするが、多くはそれ以前の時代を扱うものである。
それに対して、2000年ころから熱を帯びた世界遺産登録や、2004年の法改正で創設された「文化的景観」、地域計画に継承発展されることになった2007年の「歴史文化基本構想」、これと連動した国土交通省・文化庁等共管の「歴史まちづくり法」(2008年)などは、おもに1600年前後に成立・展開してきた近世以来の城下町など、現代の中心都市や町・村、産業などを対象とするものが多い。
歴史文化基本構想を継承する地域計画は、指定文化財のほか未指定文化財や周辺環境の一体的保護も視野に入れる。それは急速に衰退しつつある現代の地域社会の振興にもつながる。2015年に文化庁が創設した「日本遺産」も、この方向を継承し観光活用をより重視している。
ここでおもに対象となる時代は、17世紀以降の比較的新しい近世・近代である。文化財として重要なのは、地上に現存し、いまも生きているものだ。寺社・屋敷などの建造物や町並み、仏像・絵画などの美術工芸品、祭礼・伝統工芸などの有形・無形の民俗、集落・耕作地の景観など多彩である。
【万全な自治体の体制確保】
このように近年政策的に求められている埋蔵文化財以外の文化財についても、活用までの4段階は基本的にあてはまる。そのためには、建造物や美術工芸、古文書、民俗などの専門家が必要である。その際、大学や研究機関、建造物のヘリテージマネージャーなど、文化財の関係団体による支援も重要であろう。しかし、これまでのような埋蔵文化財主体の体制から、少しでも他分野も含めるような方向が求められる。
また、保護法改正が実現した現在、今後さらに文化財を総合的に活かしたよりよい地域社会をきずくために、自治体や社会における専門的人材と体制のあり方と、大学・研究機関と行政が連携した人材育成のシステムについて、国としても検討する必要があろう。文化財を首長部局に合体させれば、簡単に地域・観光振興ができるわけではない。それだけでは、この国の各地域に生きた過去の人々の営みを伝える豊かな文化財が、失われていくだけである。
政府観光局の特別顧問であるデービット・アトキンソン氏はいう。そもそも日本の文化財予算と職員数は、英国と比べて桁違いに少ないと。
保存と活用の均衡も、専門的人材の育成・配置も、こうした現実を直視しそれを改善することも必要だ。
京都府京田辺市の松井横穴群。新名神高速道路建設に伴う発掘調査現場(京都市埋蔵文化財調査研究センター担当)。 提供:著者(2014年10月撮影)