本誌特集

HOME /  本誌特集 Vol.30「お城と観光」  / 特集 近世と近代が調和する城・弘前城の魅力と保存の取り組み

Vol.30

Vol.30

特集

近世と近代が調和する城・弘前城の魅力と保存の取り組み

小石川 透 / Toru Koishikawa
弘前市教育委員会 文化財課主幹兼文化財保護係長

pic30_07main曳屋イベントを楽しむ人々 写真提供:弘前市(以下同)

はじめに

日本の代表的な都市の多くが、近世初頭の築城ラッシュに伴う城下町の建設にルーツを持つが、青森県の南西部に位置する弘前市も、慶長年間の築城に伴う城下町の整備によって出現した本州最北の城下町であり、約260年間津軽地方の政治・経済・文化の中心として機能した。

 

弘前市は現在、「子どもたちの笑顔あふれるまち 弘前」を目標に掲げた「弘前市経営計画」の下、人口減少、超高齢社会の到来などに対応した、自立的で持続的な発展を目指しているところである。その中でも、ひとづくりやなりわいづくり、そしてまちづくりの基底を形成しているのが、年間200万人を超える入込数を誇る、弘前公園である。

 

弘前公園は、城跡として史跡指定を受けており(昭和27〈1952〉年3月29日)、文化財としての名称は、「史跡津軽氏城跡」である。これは、近世大名として明治に至った津軽氏の三つの居城跡(種里城跡〈鯵ヶ沢町)、堀越城跡〈弘前市)、そして弘前城跡〉で構成されるものである。弘前城跡は、さらに三つの要素で構成される。六つの郭と3重の堀などで構成される「弘前城」、弘前城南西の出城的な空間である「長勝寺構」と、溜池を中心とした弘前城南方の防御ラインである「新寺構」とが、その要素である1

 

この内、全国有数の桜の名所としても名高い弘前城は、全国に12しかない江戸時代以前に建てられて現存する天守をはじめ、築城時に建てられた五つの城門と三つの櫓が当時のまま残る。さらには、堀・土塁などの城郭の全容が往時のまま保たれている、近世城郭の規模等を現在でも実感できる極めて貴重な城跡である。直木賞作家・司馬遼太郎が「日本七大名城」の一つにあげた2だけではなく、全国紙のアンケート調査などで、松本城や姫路城など、並みいる名城たちと肩を並べて、「訪れたい城」のランキングで上位に入るなど、城の愛好家にとどまらず、全国的に高い評価を得ていて、郷土の誇りとなっている。

弘前城の魅力

弘前城は、年間200万人を超える人々が訪れるが、弘前市の観光入込数が年間469万人(平成27〈2015〉年度)であることを考えると、いかに、弘前城が弘前市の観光産業にとって大きな存在であるか理解できる。

 

そして、城の愛好家や歴史に興味のある人々を除き、人々が弘前城を訪れる、または、訪ねてみたいと思うのは、弘前城の城郭としての歴史性や、縄張等の残存状況、石垣や建造物などの城郭に関連する遺構の意匠鑑賞上の優秀性などの、いわゆる本質的価値を注目してのことでは無いだろう。

 

弘前城を訪れる多くの人々は、あくまでも、ソメイヨシノやシダレザクラを中心とした約2,600本の種々の桜が、次々と咲いていき、散った花びらまでもが、水堀の水面を埋め尽くして、城跡全体を桜色に染め上げていく、桜の名所としての弘前城に魅入られ、価値を見いだしているのではないだろうか。

 

たとえば、弘前城本丸の通年の入場者数に対する、「弘前さくらまつり」期間である4~5月の入場者数の割合は、約6割であり、弘前城本丸を訪れる人々の過半数が、桜の時期に集中しているのである。

 

とはいえ、人々を引き寄せる弘前城の最大の魅力が桜にあったとしても、そもそも、桜の咲く場所が城跡であるということの、場のもたらす風致は、他に得難いものがあると考えられる。ソメイヨシノの古木が盛大に花をつける中、二の丸から本丸へ渡る下乗橋を渡ると、天守の銅瓦葺独特の緑青で化粧された屋根まわりと、白亜の漆喰壁とのコントラストが満開の桜の中に浮かび上がる。弘前城を代表するこの景観は、江戸時代の城郭と、近代以降の市民を中心とした公園整備によって生み出された桜との調和によるものである。この、近世と近代の調和こそが弘前城の魅力であり、多くの人々を引き付けてきた要因であると考えられるのである。

pic30_07_03満開の桜と天守

平成の石垣大修理と天守の曳屋

その弘前城のシンボルである天守が、曳屋工事により、平成27(2015)年8月から約2カ月をかけて天守台から西北方向へ約70m移動した。曳屋とは、建物を解体せず、そのまま別の場所に移動させる工法である。そもそも、天守を曳屋した直接の原因は、その下部に積まれている石垣に孕みが見られたからだ。弘前城本丸東側の石垣において、定点観測などの結果、石積みに変位が確認されるようになり、大地震などが発生した場合、崩落する危険性が指摘されたのだ。

 

本丸東側の石垣は、築城時の野面積みから元禄期の切石積み、そして明治から大正にかけての近代の積みまで、各時代相に伴ってさまざまな技術が混在している。そのうち天守台下の、明治期に崩落したものを積みなおした大正期の石積み箇所と、その北側の元禄期に完成した石積み部分において、南北100mほどに大きな変化が確認されている。東面では、内堀側に約1m石垣がせり出し、天守は北東隅で30cmほど沈下していた。幸い、天守の歪みは、天守台石垣の変位によるもので、建物自体に大きな影響のなかったことが判明したが、石垣自体の変位がこのまま進行した場合、天守台石垣を巻き込んだ崩落が起こる危険性が明らかとなったのである。

 

弘前市は、平成20(2008)年度に、専門家による「弘前城石垣修理委員会」を組織し、具体的に石垣修理計画の検討を開始した。その結果、平成24(2012)年度には、解体修理を行うことと、解体修理範囲が決定し、本格的に石垣修理に着手したのである。その最初の大きな工事が、天守を本丸中ほどに移動させるという曳屋工事だった。

pic30_07_01石垣解体修理の様子

pic30_07_05修理現場北端に設置した見学施設「石垣普請番屋」から解体現場を見る。

ピンチをチャンスに

天守の曳屋に際して、前述したように、弘前城のシンボルであり、多くの人々を魅了してきた、桜満開の時期の下乗橋からの天守という眺望を、一時的とはいえ失うことに、弘前市は危機感を持つと同時に、それをチャンスと捉えた。

 

折しも、大天守の保存修理の終了に伴いグランドオープンした姫路城や、国宝に指定された松江城天守など、現存天守が全国的な注目を集めていた。弘前城も、大正4(1915)年以来となる、大規模な石垣修理を控え、さらには、現存天守を曳屋するという大工事に着手する状況を、今この瞬間だけ、見る、体験できるコンテンツとして情報発信し、プレミアムな観光資源としてデザインしたのである。

 

曳屋工事の直前には、工事スペースとして埋め立てていた内堀を、弘前さくらまつり期間中に開放した。「下から天守を見る」という、通常では絶対に見ることのできない天守の姿、しばらく見られなくなる天守台の上の天守に、観光客のみならず地元の人々も殺到した。さらに、「現存12天守PRプロジェクト3」をスタートし、全国12の現存天守を有する自治体との連携事業をスタートした。各自治体の城をテーマにしたイベント情報の発信や、桜の管理等の情報共有を行うなど、国内のみならず広く海外へPRを進めているところである。

 

そして、石垣修理を契機とした観光振興計画「HIROSAKI MOVING PROJECT4」を定め、天守曳屋工事を、観光施策に組み入れた事業も実施された。平成27(2015)年9月20日から8日間、「曳屋ウィーク」を開催。ジャッキアップした上で曳屋のための台車に据えられた天守から伸びるロープを、約4,000人の人々が曳いた。同時期の本丸有料区域内の入場者数は前年比216%という伸びだった。併せて、9月20日・21日には、東京JR新宿駅東口前広場で、「バーチャル曳屋イベント」が開催された。バーチャル曳屋専用の綱を、2日間で1,000人の人々が曳いた。

 

曳屋ウィークの様子は、国内の多くのメディアだけではなく、海外のメディアにも取り上げられた。結果的に、弘前城のみならず、弘前市そのものの大きなPRにつながることになり、この取り組みは、本丸石垣修理を契機とした、城だからこそ企画実施できた事業として、弘前市の観光政策を象徴する事業となったといえるだろう5

pic30_07_02曳屋ウィークの様子

pic30_07_04人力ウィンチ「神楽桟」を用いた石吊り体験。

pic30_07_03本丸中ほどに曳屋された現在の天守。背後に岩木山が見える。

おわりに

弘前城は、いわゆる大河ドラマで取り上げられるような全国的に有名な人物が関わった城郭でも、全国的に周知された歴史的な事件が起きた場所でもない。それにも関わらず、現在、全国的な知名度・注目度は増している。それはひとえに、桜という近代以降の市民を中心とした活動によって付与された要素によるところが大きいが、現在は、石垣修理という大きな危機に際して、城郭としての価値をクローズアップし、主要な構成要素である天守や石垣に関わるイベントを企画・実施することで、観光行政的にはピンチをチャンスに転じている状況である。また、文化財保護行政的にも史跡に親しんでもらうきっかけともなっている。

 

弘前城は来年、現在の「弘前さくらまつり」につながる「観桜会」100周年を迎える。先にも述べたが、近世城郭としての質の高さと、近代以降の市民に愛された公園としての調和が、弘前城の最大の魅力である。長らく市民に愛され続けた、城郭であり公園でもある弘前城の価値を次の世代に継承していくためにも、堀越城跡等の関連城郭とのネットワーク化による活用や、城郭としての価値の解明、さらには、桜をはじめとする近代以降の先人たちの不断の努力の証にも敬意を表していく必要があるだろう。それが、多くの人々に弘前城及び城下町弘前の魅力を伝え、訪れていただくきっかけになると考えている。

PAGE TOP