コラム

HOME /  コラム /  大地に眠る時の記憶を のちの世に伝える 4

インタビュー・人物

大地に眠る時の記憶を のちの世に伝える 4

インタビュー vol.4

国際文化財株式会社 土木施工管理技士 左/魚住周作 右/山田功一

山田 功一 / Koichi YAMADA 

魚住 周作 / Shusaku UOZUMI

眠っていた土地が新しいものに生まれ変わるとき、その生まれ変わりを待っている人たちのために、作業が安全に、確実に進むように現場をプローモートする「土木施工管理技士」。今回は土木工事のスペシャリストとして技を伝え、それを受け継ぐ二人を訪ねました。

管理技士の役割

山田:私の仕事は工事、調査現場全般の安全管理、工程管理、原価管理の指導・支援です。作業員の事故やケガ、工程が間に合わない、資材が調達できないなどのトラブルや課題をできるだけ現場がスムーズにいくように指導していくことです。課題が出そうな現場は事前に打ち合わせをおこない、動き出した現場に課題があったら駆けつけます。

 

静岡から東、関東はだいたい調査員主体の現場が多いのですが、西は入札参加要件に管理技士に一級、二級の土木施工管理技士資格を持っている人を、と業務委託仕様書に載ってくる。ちょっと体制が違うんです。最近は関東もそういう現場が増えてきているので私も必要に応じて出向いています。

 

管理技士の役割で大切な仕事は安全管理です。そのほかでは工程、原価管理でしょうか。能率のいい、効率のいい作業をして期間内に工事をやる。能率効率よくと言っても予想以上に遺構や出土品が出てきたら難しいことも。その場合は契約の中身を変更していく交渉などをするのが我々の役目。十分な作業のためにかかる時間とお金を計算し、相手に説明して、理解をいただくようにします。出てくるものは貴重なものだから、しっかりと記録に残さなければなりません。道路や宅地へと生まれ変わる発掘現場でも、記録資料を整理しておけば、いつでも確認できます。

スペシャリストへの道

山田:親父が早くに亡くなったので、親に楽をさせたくて早くから働こうと考えていました。建設会社の入社案内で、映画製作に全面協力したという会社(※1)があり、建設会社なのに面白いなぁと入社試験を受けたら合格。そこで40年近く、いろんな経験をしました。

土木はダムや造成、トンネル、橋、地下鉄や道路など、ものすごくいろんな職種・工種があります。工事は経験がモノを言うから1つの職種の経験を積めばどんどん楽になっていく。トンネルをやる人はトンネルだけってね。

でもせっかく大きな会社に入って、いろんな事をやらないと面白くないと思ったんです。同じ工種だと同じ仲間とやることが多いですが、いろんなことをやればいろんな人とも関わりができる。ほとんどの工種を経験しました。珍しいと言われます。トンネルだけやっていたら全国をまわることになるけれど、工種を変えていろいろやれば、ずっと関西で仕事ができる、という利点もありました。できるだけ関西にいたかった。熊本生まれの関西育ちで、何をするにしても自分は関西での仕事がやりやすいと思っていました。

建設現場での思い出の仕事

山田:昭和44年に入社して、はじめは設計部に配属されました。1年後、初めての現場は兵庫県の「生野ダム」。山奥で何にもないところです。準備工事の1か月ほどでしたが、最初はハウスもなく、川で体洗って飯盒で飯炊いて、寝袋で寝て、朝は早くから測量に行ってという生活。もう会社やめよう、と思いました(笑)。

 

一番記憶に残っているのは「阪神淡路大震災」。ちょうど神戸で鉄道工事の所長をしていました。車両が脱線していたり、橋が落ちてひっかかっていたり…。阪急、阪神、JR、みんなやられましたから全部応援に行きました。あの時は建設会社がものすごく力を発揮したんです。各社競って復旧に臨みました。関東や東北からも社員が来ましたが、やり方が関東流、関西流と違う。まず言葉も違うでしょ。関西になじめない職員同士がよくもめていました。二年間、復興するまでかかりっきり。被災した自分の家にも帰れず、娘には「仕事の方が好きなのね、家なんかどうでもいいのね。」と言われました。あの時はみんながそういう状態でした。

建設現場から文化財の現場へ

山田:私、卒論でお城の石垣をやりたかったんです。石垣の勾配を測って三次放物線で曲線を測って、自分なりの計算式を作ろうと思いました。いろんなお城に行って調査をするつもりで、最初に姫路城に申し入ました。そうしたら「国宝だからそんなのダメ、学生に無理」と言われてしまい、とん挫。それで卒論は他のテーマになりましたが、そのころから文化財には興味があったんです。還暦に近づいたときにまた、城跡の整備などをやってみたいなと思いました。

 

この会社に入る前に、もう一つ他の会社で埋蔵文化財の現場を担当しました。たくさん古墳があって、石室とか竪穴、横穴、石棺、いろいろ出てきたんですよ。その時に先生方がいろんなものを墓の中から取ってきて調査するのを見てびっくりしましたね。「墓掘っていいんですか!?」って。建設現場だったら鎮魂の意味があって神社かお寺に頼んでお清めをやりますよね。ところがそういうのが全然なく、先生方が平然と掘っていく。「これってお墓荒らしじゃないですか?いいんですか?」って先生に聞いたら「これをやらなかったら記録も何も残せないでしょう」と言われてね。「うーん、そうなんですか」って(笑)。

明石海峡大橋に魅せられて 土木の道へ

魚住:私、姫路出身ですが、ちょっと行ったところに明石海峡大橋があるんです。高校3年生の時に橋のたもとにある『橋の科学館』でその構造や建設について見学して、「あぁすごいなぁ」と。そこで土木工学課のある大学に進みました。卒業後はゼネコンに入社。大阪で高速道路の現場に配属されました。

何キロもある高速道路の工事は、工区を何社かで分担してやるんですが、自分の隣の現場で遺跡の調査をしてたんです。

そこの担当者が調査のために進まない工程に悩まされているのを聞いて「ハズレくじ引いてるやん、うちの現場は発掘無くてよかったぁ」と(笑)。 まさか今こうして発掘現場の仕事をしているとは、あの時は思ってもいませんでしたね。

実は私、あまり大きな声で言えませんが、今でも遺跡には興味ないんです。古墳からモノがでてくる現場を体験したときは面白いと思いましたが、それに興味を持ってのめりこんでしまうと、工程が厳しくなった時にクールな判断ができなくなるかもしれない。興味を持たないほうが、代理人として、管理する側としては好都合だと思っています。

 

山田:そこが彼の管理技士としての資質、優秀なところです。調査に深入りして日にちが延びるのを調査員と「しかたがない」となったらアウト。いかに調査内容を理解して、うまく合理化、効率化を図り、調査員と調整しながら工程と原価をおさめるのが管理技士の仕事ですから。

 

魚住:(調査員が管理技士の職務を兼任することが多い関東の現場で)安全管理をやって調査員に「今日は管理の目があるんだ」と言われた時、自分がここに来た意義を感じました。自分の判断で関東の現場では見られない「安全看板」をかけましたが、今日、指導にみえた山田さんに褒められてうれしかったです。

 

山田:現場の責任者が「私はこうやりたい」と思いを伝えるのが「安全看板」。現場の所信表明。関係者全員に安全管理の内容を伝える方法です。

看板の前で作業員みんな集まって朝礼したときに、会社の姿勢はこうだと、見るわけですよ。きちんとやったほうがいいと私は思います。お金がないから窓でやる、という管理技士もいます。ペタッと貼ってね。でもやっぱり効果はいまひとつ。規律とけじめは大切だと私は思います。

「安全」への取り組み

山田:建設も文化財も現場の安全対策はあんまり変わらないです。東も西も同じ。管理を中心になってやるのが調査員、管理技士だとしても、やるのは全員です。それが基本。誰かに任すことは絶対にできません。文化財の現場は高齢者が多いですね。私も70歳(笑)。ここが建設現場と大きく違うところ。高齢者は一生懸命やりすぎて、周りが見えないことがよくあるので、そういうところに目配り手配りが必要です。埋蔵文化財の現場では高齢者の健康管理というのが非常に重要なポイントです。

 

また、いつも言っているのは「不安全行動を伴う作業はすぐ止めなさい」と、「作業を止めるには勇気がいる」ということ。自分が危ないと思ったら絶対危ない、止めるべきです。

どうしても作業の流れを止めたくないということもあります。でも、安全のためにはそこで作業を止める、修正するのが大事なんです。それが作業を止める勇気だと思います。

伝える経験 育つ力

魚住:今でもまだ怒られることはありますけれど、最初はホントによく怒られていました。でも、怒られても「もういいやっ」てならなかったのは、すごい愛情というか温かみを感じたからです。怒られて、いろいろやり直したりしますが、それをちゃんと見て評価してくれます。逃げずに問題に立ち向かえ、結果現場もうまくいく。怒られた瞬間はツライですが、親心の指導と思えるので怒ってくれて良かったなって、いつも思っています。ホントに。感謝しかないですね。はい。

 

山田:うれしいですねー(笑)

 

魚住:忘れられないのは入社一発目の現場で、境界を越えてハウスを設置したときのこと。当然発注者さんからすごく怒られました。謝りに行ったんですが、僕も若かったんであまりいい印象じゃなかったんです。その時、まるで自分のミスのようにすごく丁寧にフォローしていただきました。

 

山田:現場でピンチに立ち向かえるようになるには、やっぱり経験を積むこと。私この仕事で50年、いろんな経験をしました。何かが起きて相談を受けた時に、経験から先がだいたい読めるんですよ。土木工学は経験工学です。経験である程度は乗り切れます。それを今みんなに伝えているところです。

 

ほかの管理技士にも言っているのは「不安が無いならどんどん自分の考えでやったほうがいい、不安があったら相談して、逃げたらだめ」ということ。逃げて良くなることは絶対ない、どんどん悪い方向に行くから。でも早めに相談してくるのはいいんだけど、心配レベルでも電話してくるからややこしくなることもあります(笑)。まずは「自分で考えること」が大切です。私がすぐ文句を言うから、近頃はみんな魚住くんに電話するようになってきた。 あとで彼からこう指示しました、こう相談に乗りましたという話を聞いて、私の考えも同じなので「それでいい」と彼の成長は頼もしいですね。若い職員は、いろんな経験をどんどんすれば、みんないい人材になりますね。「人との付き合いも50年」の経験から、そう思います(笑)。

(取材・撮影 宮嶋尚子)

※1 熊谷組/黒部川第四発電所(通称くろよん)建設を担う。困難を極めたその工事は小説「黒部の太陽」となり、のちに映画化。製作には熊谷組工場敷地内に本物そっくりの巨大トンネルセットが組み立てられ、撮影に全面的協力をした。 http://www.kumagaigumi.co.jp/kurobe/より抜粋

インタビュー vol.4

◇山田功一
2010年8月入社 熊本県出身
◇現場歴
・京都市 相国寺跡
・堺市 堺環濠都市遺跡
・兵庫県明石市 明石城武家屋敷跡
・兵庫県西宮市 高塚古墳

◇魚住周作
2013年11月入社 兵庫県出身
◇現場歴
・明石駅前再開発
・高塚古墳
・同志社女子大学改修工事
・九州新幹線建設工事(長崎ルート)

PAGE TOP